☘10)─1─天災と皇室の平成流。被災した弱者の前で「跪く」天皇皇后陛下と皇族の方々。〜No.17 @  ≪2≫    

気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫)

気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫)

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・   
 日本天皇は、悲惨な戦災や甚大な災害が発生しても、虐殺が起きるような無法地帯化しないようにする為に存在してきた。
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 日本で戦災や災害の後で大虐殺が起きなかったのは、神聖不可侵の天皇・皇室のお陰である。
 そこが、大虐殺が日常化していた中国・朝鮮とのハッキリと違う所である。
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 日本天皇の存在とは、戦乱や天災で猛り狂い荒んだ日本民族日本人の心を穏やかに鎮静化せさる清涼な空気であった。
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 天皇・皇室を命を捨てても守ったのは、下級武士・庶民(百姓・町人)と賤民・部落民などの下層民・貧民達であった。
 つまり、多数派であるところの社会的弱者、弱い立場の人々によって守られてきたのが天皇・皇室である。
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 日本民族日本人は、花鳥風月プラス虫の音の自然を愛し、四季折々の自然と共に生きるべく、山・川・海そして平地の自然を守っていた。
 日本の自然は、1/fゆらぎとマイナスイオンで満たされていた。
 日本民族日本人は、自然の1/fゆらぎとマイナスイオンを体の中に取りこみ、心を鎮め、精神を正常に保ち、争い事を極力避けながら平穏無事に生きてきた。
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 東の日が昇る薄い紫の空。
 西の日が沈む濃い紫の空。
 豊旗雲。
 その一瞬の変化に心を動かされていた。
 そこに小泉八雲ラフカディオ・ハーン)は日本的な神々しさを感じて感動した。
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 日本民族日本人が生きてきたのは、必然でなく、偶然と幸運であった。
 日本民族日本人は、勝ち残った勝者・勝者ではなく、負けた敗者・弱者である。
 日本民族日本人は、誇るほど優秀でもなければ賢くもない。
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 1986年5月 明仁皇太子「天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽共にするという精神的立場に立っています。この事は疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また『朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず、甚だ自ら痛む』という後奈良天皇の写経の奥義などによっても表れていると思います」
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 2019年1月3日・10日新年特大号 週刊新潮天皇と天災
 なぜ今上陛下は『跪かれた』か
 平成は、大規模災害が立て続けに起った時代だった。天皇陛下はそのつど、被災地に足を運ばれ、慰問されてきたが、目の高さが同じになるよう、跪(ひざまず)かれて被災者に耳を傾けるのは、今上陛下独自のスタイルである。それは批判も寄せられたが、その流儀を貫かれた。
 東日本大震災から約1ヶ月後の平成23年(2011)4月27日、天皇皇后両陛下は宮城県南三陸町を訪問された。両陛下が東北3県の被災者を見舞われるのはこの時が初めてだった。
 体育館では約200名の被災者が避難生活をしていた。東北の春は遅く、床にはビニールシートが敷かれただけで、冷え冷えとした空気が足に絡みつく。そこへ両陛下が来られ、左右に分かれて避難者に声をかけられた。天皇は2、3人に声をかけられたあと、千葉みよ子さん(64)=当時=の前に置かれた3枚の写真に目を止められた。千葉さんの娘で三女の菜緒さん(35)=当時=は、夫と夫の両親、それに一人娘を津波に流され、たった一人生き残った。写真は、3歳3ヶ月で津波に流された孫娘のゆうちゃんである。天皇は膝をつかれると、写真を食い入るように見つめられた。
 『かわいいお孫さんですね』
 母の菜緒さんは言葉を返すことができず、かわりに千葉さんが答えた。
 『孫は、まだ、見つかっておりません』
 天皇は目を落としたまま動かれない。随行者が『お時間です』と言ったが立とうとされなかった。
 『娘の家族4人が犠牲になりました。ただこの孫だけ見つかっていません』
 『見つかるといいですね』
 すでに皇后は、被災者の間を回り終えようとされていたが、天皇はなおその場を動かれなかった。
 『私たちは陛下とお話しするまで、家族で命を絶った方が楽かなと思っていたんです。それが陛下とお会いして、「なんとか頑張らなくちゃね」みたいな気持ちになりました』
 千葉さんは、跪いて話される天皇の姿勢に感無量だったという。
 『同じ目の高さでお話をされることに心を打たれました。菜緒は口を開くと「死んだ方がマシだった」と言ってたのに、あの日から「死ぬ」と言わなくなったんです。やっぱり天皇陛下の力はすごい。私たちがこの世にいるのも、陛下が声をかけてくださったおかげです。退位されたら、もう一度この町を見ていただきたい。それが私の夢です。』
 平成28年8月、天皇は自らの務めについて、『時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なこと』と述べられたが、このエピソードはそれを象徴しているように思う。
 昭和が戦争の時代なら、平成は災害の時代ともいえる。平成7年の阪神・淡路大震災と平成23年の東日本大震災という2つの巨大地震の発生に象徴される、史上まれな天変地異の時代である。
 その幕開けは、長崎県雲仙・普賢岳の噴火だった。噴火したのは平成2年11月17日。なんと『即位の礼』からわずか5日後のことだった。翌年6月に大火砕流が発生し、43名が犠牲になった。この約1ヶ月後のまだ噴火が鎮まらない中、両陛下は被災者を見舞われたが、案内した長崎県知事の高田勇氏は、のちに私にこう語った。
 『体育館に400人ほどの避難住民がいましたが、両陛下は一人ひとりに跪いてお声をかけ、いったん立ちあがってからまた跪かれる。驚きました。僕らにはとてもできません。それも40分の予定が2時間もおられるなんて、想像もしませんでした』
 天皇皇后が跪かれて目の高さを同じくしながら被災者に向き合う姿は、当時の人々を驚かせた。被災者はそんな両陛下を逸一段と身近に感じたが、この跪くスタイルに強い不満を感じた人も少なくない。評論家の江藤淳もその一人だった。
 〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良いのです〉(『文藝春秋』1995年3月号)
 宮中でも批判の声があったという。
 『庁内では「スリッパも履かないで膝をつくなんて、天皇ではないだろう」という声がありました』
 こう証言する人も、当時は違和感を覚えたという。それを変えたのは、跪くスタイルを続けられた両陛下である。
 皇太子時代に始まった
 ……
 最終的に天皇が決断されたのだろう。しかし、そこに至るまでには皇后美智子さまの存在が大きく関わっているように思う。
 ……常にお二人はご一緒だったからだ。
 『象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方』(平成28年のお言葉)は、常に皇后と二人三脚で模索されてきたのだろう。
 発生2週間前後に
 昭和61年に伊豆大島の被災者を見舞って以降、平成3年の雲仙・普賢岳噴火でも、平成5年の北海道南西沖地震および奥尻島津波の被災地でも跪かれる姿はあったが、まだ背広姿である。それが変わるのが平成7年の阪神・淡路大震災からだ。被災者を見舞う時に防災服を着られたが、以後、これが被災地訪問のスタンダードになる。少しずつ形を変えながら、しかし国民と同じ目の高さで語りかける姿勢を貫かれている。
 被災地のご訪問について、前侍従長の川島裕氏はこんなことを書いている。
 〈平成3年の雲仙・普賢岳噴火の場合には火砕流発生から1ヶ月余。(略)平成5年の北海道南西沖地震の時は、15日後。阪神・淡路大震災の時は2週間後であり、いずれの場合にも陛下は現地の知事の判断に信を置かれ、その意見を尊重して日取りを決められた〉(『文藝春秋』2011年5月号)
 興味深いのは、現地の状況さえ許せば、災害発生から2週間前後で訪問されていることだ。平成16年の新潟県中越地震で、両陛下を迎えた当時の新潟県知事で現在衆議院議員泉田裕彦氏(56)も項語った。
 『両陛下のお見舞いに関しては「少し落ち着いた時に訪問して皆さん方のお話をお聞きしたい」とご配慮していただきました。ご訪問は、インフラが仮復旧した2週間後でしたね』
 2週間というのは心理学的にも重要なのだそうである。避難生活では、最初の1週間は助かっただけでもありがたいと思っていた被災者も、2週間が過ぎると将来への不安が募ってくる。その時天皇に声をかけてもらうことで救われた人もいただろう。両陛下は、被災地を見舞う前に『書物を読み、専門家の説明を聞くなど、しっかり準備されていた』(武元氏)というから、被災者の心理も学ばれたのかもしれない。
 『平成は大震災などの自然災害が多かったため、両陛下のお気持ちが強く国民に伝わったと思います。静かで平和な時代だったら、両陛下に対する国民の信頼や敬愛といった身持ちがここまで高まっていたかどうか。皮肉なものです』(山下氏)
 天皇は即位以来、象徴天皇の在り方を模索しておられたが、ある意味で平成流の象徴天皇は完成されたのではないだろうか。
 両陛下のあたたかさ
 ……
 かつて文部科学省から宮内庁へ出向した人物は『あそこで働いた数年間は、家庭的というか、とても楽しかった記憶がある』と言ったが、それも両陛下の気遣いがあったからだろう。
 普段から弱い人に優しく声をかけ、そして気遣う。こうした配慮は被災地でも等しく示された。たとえば、被災地では自衛隊員や消防団員たちにも『ありがとう』と言われることがあった。それもひと言ではなく、必ず『危険なことも多いのに、ありがとう』など、ふた言でおっしゃるという。
 これまで2万人以上の被災者に声をかけられたという。家入氏がそうだったように、陛下のお気持ちを受け取り、さらに周囲へと伝えていく。批判が消えたのは、跪かれる両陛下のお気持ちを理解する人が増えたからだ。
 完璧すぎるゆえの不安
 さらに、東日本大震災が発生した時の天皇は超人的とも言えた。
 77歳というご高齢のうえ、地震発生の前月には冠動脈が狭くなる狭窄が2ヵ所も発見(翌年手術)されながら、すぐには東北3県に行けないとわかると、東京や埼玉に避難してきた被災者たちをお見舞いになり、千葉県や茨城県の被災地も訪問され、その間に地震原発について猛烈に勉強された。なぜこれほどエネルギッシュに行動できるのだろうか。
 『全身全霊をもって国家国民のために尽くすことが天皇の務めとのお考えからでしょう。その結果、何か起こっても、それを受け入れるお覚悟だと思います』
 と前出の山下氏は言ったが、それは義務感とも言える。85歳のお誕生日をひと月後に控えた11月には、北海道地震の被災地を見舞われたが、退位まで全力疾走するおつもりなのだろう。そのお姿は、国民からすれば完璧なように見える。だが、完璧すぎるゆえに不安もある。
 平成31年4月30日をもって、『平成』は終わり、5月1日に皇太子が新天皇に即位され、今上天皇は、『上皇』に就かれるが、東日本大震災の被災地を取材すると、『上皇になってもお越しいただきたい』という声を何度も聞いた。元宮内庁関係者はそのような状況を危惧しているという。
 『上皇になってもそれらの期待に応えられることで、新天皇のご存在が薄くなる。どうしても国民は比較します。「やっぱり前の天皇の方がよかった」などと言われるかもしれない。天皇のご公務より、上皇の私的活動の方がメディアに取り上げられるようになれば、象徴の二重構造になりかねない。かといって、国民の招待を一切受けつけないというのもおかしい。宮内庁は非常にむずかしいプロデュースを迫られるでしょう』
 もう1つの問題は、天皇の存在感と意義が変質する可能性である。例えば、今の完璧な象徴天皇像を超えようとして、より国民に近づこうとされたとする。それによって何が起こるのか。関係者はこんな指摘をする。
 『平成29年6月、皇太子殿下は訪問先のデンマークで一般男性の自撮り写真に一緒に写りました。より国民の中に入ろうとすれば、国内でも同様のことが起きる可能性があります。当然、批判されるでしょう。でも、5年10年と続けば、より親しみやすくなるでしょうね。その分、天皇の存在は軽くなるのではないでしょうか』
 実際、それは現実になっているという。それが分かるのがSNSだ。
 ツイッターなどを見ると、皇室に対して、ここではとても書けないような言葉が平気で遺されている。気安さと言えなくもないが、まるで皇太子がどこかのタレントのような扱いである。眞子内親王と小室圭さんのご結婚問題が、まるで芸能スキャンダルのように扱われるのも、皇室に対する気軽さが反映しているのではないだろうか。
 冒頭の千葉さんが天皇にお言葉に『天皇の力』を感じたのは、天皇を畏敬しているからである。皇室に対する敬意を失ったら、果たして象徴天皇制は存続できるだろうか。変化も大切だが、時には変化しなてはいけないこともある」
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 日本の伝統とは、如何なる事があっても変えない不動と時代に合わせて変えていく流動を均衡に保っている。
 その均衡は、稲作という理系と和歌という文系の両系で織りなされている。
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 日本列島は、甚大な被害を発生さ数多の命を理不尽に奪い去る過酷な自然災害多発地帯である。
 日本民族日本人は、猛威を振るう自然災害の中で生きてきた。
 日本民族日本人に、生まれながらにしての原罪・宿罪はないし、絶対神に対する大罪はない。
 そして、天・天帝から不徳を咎められる事もなければ、人民の正義で人民裁判を受ける事もなかった。
 多発する自然災害による甚大な被害は、絶対神による日本民族日本人に対する天罰ではなかったし、人の道を外れた不徳による自業自得でもなかし、不正と搾取の結果でもなかった。
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 多発する自然災害に対処できるのは、文系と理系の総合力だけである。
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 2019年1月6日 産経新聞「【主張】国民の防災 複合と激甚化に備えよう 命を守る避難行動の徹底を
 年の初めに、災害のない穏やかな一年になりますようにと、祈念した人は多いだろう。
 3日には熊本で最大震度6弱地震があった。
 30年以内の発生確率が70〜80%とされる南海トラフ地震に向けて、内陸直下型を含めて日本列島の地震活動度は高まっていくとされる。気象災害の要因である地球温暖化に、すぐにブレーキはかからない。
 自然災害に対する備えと心構えを新たにしたい。
 昨年、日本列島は甚大な被害を伴う自然災害が相次いだ。
 ≪常識を超える凶暴化≫
 広島、岡山、愛媛を中心に西日本の広域を襲った7月の記録的豪雨では、同時多発的に土砂災害や河川氾濫が発生し、犠牲者は200人を超えた。
 台風の上陸も続いた。9月上旬に近畿圏を直撃した21号では、暴風雨と高潮により大規模停電や関西国際空港の浸水など大きな被害が発生した。7月下旬の台風12号は、通常とは逆の東から西に列島を横断した。
 地震活動では、6月に最大震度6弱大阪北部地震、9月には最大震度7北海道胆振東部地震が発生した。胆振東部地震では大規模な土砂災害で多くの人命が失われ、北海道全域が大停電(ブラックアウト)に陥った。
 これらに加えて、昨夏は「災害級」の猛暑となり、1年前の冬は記録的な寒波と豪雪が日本列島を襲った。
 地震、豪雨、台風、猛暑などの災害が立て続けに、あるいは重なって発生する「複合災害」の恐れが、極めて高い状況にあると認識しなければならない。
 さらに深刻なのは、気象災害に関する従来の概念や常識が通用しなくなったことである。
 西日本豪雨では、1時間雨量が100ミリにも達する激しい雨が各地で、長時間続いた。積乱雲がもたらす激しい雨は1時間ほどで収まるという常識は、捨てなければならない。
 列島沿いに停滞する前線に南から暖かく湿った空気が流れ込むという典型的な梅雨の雨が、南の海域の膨大な熱量で増幅され、甚大な広域災害になったのだ。
 「ドラえもん」のキャラクターにたとえると、ジャイアンの暴れ方がエスカレートしたというよりは、のび太が凶暴化する恐ろしさこそが、近年の、そしてこれからの地球温暖化と気象災害の本質なのかもしれない。
 ドラえもんのたとえが的を射ているかどうかはわからないが、当たり前だった梅雨の雨、夏の暑さにまで命を脅かされた現実は重く受け止めなければならない。
 従来の常識が通用しない「複合災害の時代」を生き抜くために、命を守るための大原則を再確認しよう。
 ≪「学びと実践」の決意を≫
 地震の揺れに対しては、建物の耐震化や家具の固定を徹底すること。津波、河川氾濫、土砂崩れなどの水の猛威に対しては、安全な場所に避難することである。
 西日本豪雨で被害が大きかった広島県では、200万人を超える住民に避難指示や勧告を出したが、実際に避難したのは0・3%にとどまった。
 巨大津波などにより1万8千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災以降、政府の中央防災会議や気象庁は災害情報の改善に努めてきた。肝心なのは住民一人一人の意識と行動である。
 災害時には「自分には被害は及ばないだろう」という正常性のバイアスが働く。だからこそ、平常時に命を守るための避難意識を強く持ち、どの段階でどこへ避難するかを家族、地域住民が共有することが重要なのだ。
 昨年末、インドネシアでは火山活動に起因する津波で多数の犠牲者を出した。日本でも1万5千人が犠牲になった「島原大変肥後迷惑」(1792年)など同様の災害事例がある。
 自分の住む地域で、過去にどんな災害が起こったかを学ぶことは防災の第一歩である。東日本大震災でも、貞観地震(869年)に関する知識があれば避難行動に結びついたかもしれない。
 起こり得るすべての災害に完璧に備えることは不可能でも、命は守りきらなければならない。
 そのために何ができるか。一人一人が考え、実践することを新年の決意としたい。」
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 天皇の権威とは、皇統と血統を根拠とした政治権力・宗教権威・軍事独裁でもない神聖不可侵の権威である。
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 天皇制度と皇室は、日本民族と共に約2000年の歴史を持つ世界で最も古い制度であり最も古い伝統を持つ王家である。
 天皇制度の正統な皇統とは、古事記日本書紀による初代神武天皇の直系子孫である事である。
 皇室・皇族の正統な血筋とは、日本中心神話及び天孫降臨神話による日本の最高神である女性神天照大神を祖先神とする直系子孫の事である。
 天皇を否定し天皇制度を廃絶すると言う事は、2000年間、日本民族日本人が命を捨て守り通してきた皇統を断絶させ血統を死滅させると言う事である。
 つまり、日本民族日本人の絶滅を意味する。
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 世界の王家・王朝は、歴史を遡れば例外なく他国から侵略してきた異民族の軍事独裁である。
 上流階級・支配階級とは、征服した勝利者・強者の子孫である。
 人民とされる中流階級以下や下層民・貧困民とは、征服された敗北者・弱者の子孫である。
 故に、虐げられてきた人民は、階級闘争として人民革命を起こし、征服者である上流階級・支配階級を打倒し、復讐・報復として大虐殺と略奪を行う権利がある。
 世界の王家が、国民の中に入り込んで住民サービスをするのは、キリスト教の隣人愛の信仰や奉仕の精神からではなく、祖先が侵した征服者の弱味という恐怖感を誤魔化す為である。
 世界の王族が、日本の天皇や皇族以上に、国民に笑顔を振りまき親しみやすさを演出するのもこの為である。
 現代は王家が武力・暴力で国民を従える時代ではない以上、国民の反感を買わない為に、開かれた王家・王朝として国内外に王族のスキャンダルや醜態を晒す必要があった。
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 言霊信仰として災害を口にしなければ声に出さなければ被害を受けない、それはあり得ない。 
 口にしようが声に出そうが、自然災害は確実に起きる。
 助かるか助からないか、生きるか死ぬかは、絶対神が定めた必然でもなく、徳によって善業を積んだからではなく、ただただ神仏頼みの偶然と幸運にすぎない。
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 日本民族日本人の宗教に対する信仰心とは、必然ではなく偶然と幸運を頼む事である。
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 助かるか助からないか、生きるか死ぬかは、自分を信じて自力で行動する事である。
 走って助かるかどうかは、後知恵の理由付けはできても、その死生の刹那は偶然と幸運でしかない。
 走って、生き残る事もあれば、死ぬ事もある。
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 自然災害は、日頃から世の為人の為に善業を積もうが悪行を重ねようと全ての人に襲いかかって、善行の人の命を奪い、悪行の人の命を救う。
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 日本民族日本人は、人を助けても人に危害を加えても生き残れる確率が同じならと、生きているうちは自分の好きなように生きてやると欲望をたぎらせ犯罪に手を染め暴動・強奪・強姦を行う事はなかった。
 日本では、災害が起きても無法地帯化する事はなかった。
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 日本では、キリスト教の西洋、イスラム教の中東・中近東、共産主義の中国、儒教の韓国における暴動・強奪・強姦のような犯罪行為は起きない。
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 日本民族日本人は、天皇・皇室を守る為に大陸から侵略してくる中華儒教キリスト教共産主義マルクス主義)と死力を尽くして戦い、死体の山を築き、大量の血を流してきた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させようと企む反天皇反日的日本人が存在する。
 反天皇反日的日本人とは、個人の欲望を無制限に自由解放する大虐殺容認派である。

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天災と日本人  寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)

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天災と復興の日本史

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絵図で読み解く天災の日本史 (別冊宝島 2339)

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日本人の叡智 (新潮新書)

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