🕯170)171)─1─宗教の「しきたり」の幾つかは昭和期の企業が金儲け目的で作った。〜No.357No.358No.359No.360 ㉜ 

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 日本人とは誰か?
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 宗教やしきたりは、神や仏が人に授けたものではなく、特定の人間がつくった俗物にすぎない。
 宗教とは、作り話、嘘の話、与太話、世迷い言、戯言(たわごと)に過ぎない。
 人間は宗教やしきたりがなくとも、神や仏がなくても、人間として立派に生きていける。
 人は、神や仏が何もなくても生きていける。
 人には、宗教やはいらない。
 福沢諭吉は、理性的に神の正体を突き止めていた。
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 2019年12月27日号 週刊朝日「週刊図書館 今週の名言奇言
 あくまで人間が定めたしきたりである。
 島田裕己『神社で柏手を打つな!』
 斎藤美奈子
 今年もまた宗教に対する日本人の無節操ぶりが発揮される時期がやってくる。クリスマスで騒いだ一週間後には寺が鳴らす大晦日の除夜の鐘を聞き、その数時間後には神社に初詣に出かける・・・。
 まあでも、嘆くには及ばない。現代人が信じて疑わない『しきたり』には、そもそもマヤカシが多いらしい。島田裕己『神社で柏手を打つな!』は世の『常識』を根底からひっくり返す快著である。
 まず神社ね。最近の神社にはよく『二礼二拍手一礼』の礼が出ている。でもこんな作法、昔ありましたっけ。手を合わせるだけじゃありませんでした?著者によれば二礼二拍手一礼が広まったのは平成以降のこと。もともと神職らが玉串を捧げる際の作法であって、根拠も薄い。参拝者にまで強制されるいわれはないのだ。
 108の煩悩を払うというわれる除夜の鐘も、さほど古い風習ではないようだ。定着したのは昭和、広めたのはラジオ放送だった。『ゆく年くる年』に先行する『除夜の鐘』というラジオ番組が戦前からあり、各地のリレー中継がはじまる前に寺から借りた鐘をスタジオでたたいていたらしい。
 初詣が定着したのも昭和で、背景には鉄道会社の経営戦略があった。東京から鉄道で行ける川崎大師や成田山新勝寺への初詣を鉄道会社が宣伝し、昭和になると大晦日終夜運転がはじまってますますそれに拍車がかかる。交通網やメディアの発達によって『いきたり』は簡単に変わるのだ。
 しきたり重視派は〈昔から受け継がれてきた伝統だから、それに従うべきだ〉というが、近年は〈商業資本によって導入された新たなしきたり〉が多い。
 二礼二拍手一礼の欠点は、神を『崇める』だけで静かに『祈る』時間がないことだ。大切なのはその『しきたり』を誰が決め、どんな意味があるか考えること。思えばあの大嘗祭だって、どんな根拠があるのやら。〈しきたりは栄枯盛衰をくり返す〉、それは〈あくまで人間が定めたしきたりである〉と思えば気持ちも軽くなる。よし、来春は柏手をやめよう。」
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 日本民族日本人の一年の計は元旦にあり。
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 日本民族日本人とは、氏神の神社・神棚・お札にお参りをし、祖先仏のお寺・仏壇・位牌に祈る、そうした人崇拝人間である。
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 日本民族らしい濃い日本人が2割、日本民族らしからぬ薄い日本人が3割、どっち付かずの曖昧で影が分からない日本人が5割。
 日本から、日本民族日本人らしい日本民族日本人が消えていく。
 それは、残念でもないし惜しい事でもない。
 国家・民族には、寿命がある。
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 日本の宗教は、平和で落ち着いた時代、先々に幾分かの不安や恐怖心がある時に発生する。
 世界の宗教は、戦乱で不安定な時代、襲い来る悲惨や救いない絶望から逃れたい時に発生する。
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 日本民族日本人の信仰心とは、平和な時代の「困った時の神頼み」であって、戦乱で不安定な時代には神仏には関心もなく見向きもしない。
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 動乱時代。日本の宗教、神社仏閣は荒れ果てて廃れ、世界の宗教、教会・モスク・礼拝所などの宗教施設は豪華に繁栄する。
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 日本は、中華(中国・朝鮮)はもちろん西洋(欧米)に比べても数百年続く老舗が数多く残っている。
 何故か、時代に合わせて生き方・しきたりを自由に換えてきたからである。
 硬直しない、偏屈にならない、一箇所に留まらない、伝統的な古いモノを大事にしながら新しいモノを積極的に取り入れ、変化を恐れない、多様な柔軟性があったからである。
 つまり、解釈は個人銘々勝手自由である。
 それが、伝統芸能における「基本・形から入って基本・形を破る事」が上達の秘訣である。
 日本の伝統芸能民族宗教は、イノベーションそのものであった。
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 江戸時代。各地の有名な神社仏閣への参拝・参詣は、庶民の物見遊山の娯楽・遊びであって信仰ではなかった。
 主君を持つ武士には、移動の自由や居住選択の自由はなく、領内の神社仏閣を参拝・参詣しても、領外の神社仏閣を自由に参拝・参詣する事はかなわず許可なく領外に出かければ厳罰に処せられ、最悪切腹を命じられ、家族は家禄と家屋敷を没収され領外へ追放された。
 庶民には移動の自由があった為に、周期的に御伊勢詣の大ブームが起きていた。
 日本の神社仏閣への参拝・参詣は、「験(げん)担ぎ」に過ぎない。
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 信仰心が薄い日本民族日本人が神社仏閣に行くのは、お参りの為であってお祈りの為ではない。
 お参りとは、神仏に頭を垂れても信仰する事ではなく、頭を垂れる事で神仏から報酬を得る為でもない。
 お祈りとは、神仏に傅いて信仰し、信仰する事で神仏から報酬を得る為である。
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 皇室神道を宿す民族中心神話・天孫降臨神話・高天原神話・神社神道を譬えれば、地球に降り注ぐ有害な紫外線や放射線を弱める目に見えない地球を取り巻くオゾン層やバン゠アレン帯(放射線帯)である。
 人類は、オゾン層やバン゠アレン帯(放射線帯)に護られているに、その有り難さを知ろうとしないし感謝しようともしない、それどころか科学の力で弱めそして破壊している。
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 日本民族日本人が、宗教で最も恐れたのは、神の御名によって日本人を奴隷として売って金儲けした中世キリスト教会であった。
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 日本民族日本人は、無宗教汎神論で、無節操に、御利益があれば如何なる神仏でもあるがたく拝み、幸運をもたらすという縁起物・御守り・お札をあれもこれもと数多く買い込むが、神の奇跡や救済、恩寵、啓示や秘跡などは胡散臭くて信じる気にはならなかった。
 日本民族日本人は、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの絶対一神教儒教マルクス主義共産主義のような排他的絶対思想とは反対側で生きる人間である。
 然りとて、相対的な宗教や思想にも馴染めない所がある掴み所のない人間でもある。
 ゆえに、宗教対立や思想・主義主張対立が起きにくく、たとえ起きても深刻化せず有耶無耶に終わる。
 宗教や思想・主義主張を狂暴な原理主義に変貌させず無力化・無毒化してきたのが、万世一系男系天皇の家系・皇室であった。
 それができるのは、女性神天照大神の血筋・皇統を正統とする神の裔・祭祀王の天皇だけであった。
 皇室神道・民族中心神話とは、「何でもあり」という事であり、「敬して遠ざける」であった。
 それが、日本民族日本人は「底なしの泥沼のような、本性が分からない、得体の知れない人間」と貶まれる由縁である。
 だが、日本民族日本人の本音は、「他人が信じている神仏が本物で信仰しないのを怒って祟りをするのではないか」と怖れる、という臆病・弱虫なだけである。
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