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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
近代的天皇制度は、八紘一宇の皇道=大家族主義であった。
明治天皇は、国の平和と国民=民族の幸せを願っていた。
昭憲皇后は、日本赤十字社の前身である博愛社に賛同し、国際貢献として人道支援活動を行った。
国際社会は、明治天皇と昭憲皇后の英明と人徳を称え、統治する日本を文明国と認め中国や朝鮮よりも信用した。
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ウィキペディア
明治神宮は、東京都渋谷区にある神社。第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后を祭神とす。初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」。
概要
明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする。境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館などがある。
沿革
22万坪(約73ヘクタール)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、井伊家から政府に買い上げられて南豊島御料地となっていた。
1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、何らかの記念(紀念とも)するための行事が計画される。明治天皇は京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民から起こった。
境内
内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地のほか日本の統治下にあった朝鮮半島、台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられた。1970年(昭和45年)の調査時には247種17万本となっており、都心部の貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林が意図的に自然林化されたものとしても注目されている。この中には他の皇居などを除けば広い緑地が少ない東京都心部では通常見られないような生物が生息し続けており、動物学・昆虫学的にも非常に貴重な例となっている。
2019年時点の樹木数は約3万6000本に減っている代わりに、残った木が巨木化しつつある。これは参道を掃き清める際に集めた落ち葉を森に戻す以外は人為的な手を加えず、森の変化を自然淘汰に任せているためである。
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明治神宮とは
明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、清らかで森厳な内苑を中心に、聖徳記念絵画館を始め数多くの優れたスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とセレモニー、パーティー会場の明治記念館とからなっています。
鬱蒼と茂った緑したたる常磐の森は、神宮御鎮座にあたり、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林です。面積は70万平方メートル、豊かな森に成長し、国民の心のふるさと、憩いの場所として親しまれています。
初詣は例年日本一の参拝者数を集める神社としても知られます。そのほか、大相撲横綱土俵入りや、こどもの祭まで幅広い祭典と行事、厄祓い、祈願をとりおこなっております。加藤清正が掘ったと言われる清正井(きよまさのいど)や明治天皇のおぼしめしにより昭憲皇太后のために植えられた、美しい花菖蒲など、多くの見どころがあります。
明治45年7月30日に明治天皇、大正3年4月11日には昭憲皇太后が崩御になりましたが、国民から御神霊をお祀りして、御聖徳を永遠に敬い、お慕いしたいとの熱い願いが沸き上がり、大正9年11月1日(1920年)に両御祭神と特にゆかりの深い、代々木の地に御鎮座となりました。
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明治神宮の自然・みどころ
代々木の杜の歴史について
明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。
現在、明治神宮境内の樹木を見ると椎や樫、楠が多く、伊勢の神宮や日光東照宮のような杉や檜が少ないことに気づきます
「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、大正4年から造営工事が始まりましたが、全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、北は樺太(サハリン)から南は台湾まで、日本だけではなく満州(中国東北部)朝鮮からも届き、全部で約10万本の木が奉献され延べ11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生しました。
当時その種類は在来種等を含め365種でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では234種類になりました。今や、東京ドーム15個分の杜は、まるで自然林のように大きく豊かに成長し、平成25年の「鎮座百年記念 明治神宮境内総合調査」では、日本新発見の昆虫(ジングウウスマルヒメバチと命名)が報告されたほか、数多くの絶滅危惧種や、都会には珍しい生物がいることが報告されました。
現在、明治神宮境内の樹木を見ると椎や樫、楠が多く、伊勢の神宮や日光東照宮のような杉や檜が少ないことに気づきます
「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、大正4年から造営工事が始まりましたが、全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、北は樺太(サハリン)から南は台湾まで、日本だけではなく満州(中国東北部)朝鮮からも届き、全部で約10万本の木が奉献され延べ11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生しました。
当時その種類は在来種等を含め365種でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では234種類になりました。今や、東京ドーム15個分の杜は、まるで自然林のように大きく豊かに成長し、平成25年の「鎮座百年記念 明治神宮境内総合調査」では、日本新発見の昆虫(ジングウウスマルヒメバチと命名)が報告されたほか、数多くの絶滅危惧種や、都会には珍しい生物がいることが報告されました。
創建当初明治神宮に何を植えたら立派に育つか、また100年後自然の状態になっていくのか、当時の学者たちが考えました。そして椎・樫などの照葉樹を植えることに決定したのです。
理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
ところが当時の内閣総理大臣であった大隈重信首相が「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、当然杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
しかし当時の林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、関東ローム層の代々木では不向き、杉が都会に適さないことを説明してようやく納得させたそうです。
もしこの時に杉の森にしていたら、今のような素晴らしい森にはなっていなかったかもしれません。
現在、森厳な杜で参拝できるのも、先人たちのおかげといえます。令和2年は明治神宮鎮座百年を迎えます。現代に生きる私たちも、100年後、さらにはその先のために今、何ができるか考えたいものです。
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