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橿原神宮公式ホームページ。
橿原神宮について
建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命({かむやまといわれびこのみこと}後の神武天皇)が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。
御祭神
第一代神武天皇と、皇后の媛媛蹈韛五十鈴媛命を御祀りしています。
橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」と申し上げます。皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方です。
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ウィキペディア
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。
概要
記紀において初代天皇とされている神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。 1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。第125代天皇明仁とその皇后美智子は2016年、神武天皇2600年式年祭にあわせて親拝し、2018年には銅鏡を神宮へ贈った。
近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。他にも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日(建国記念の日)や、神武天皇祭が行われる4月3日および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れる。
畝傍山東麓は北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側は奈良県立橿原公苑として整備されており、橿原公苑野球場や橿原公苑陸上競技場があり、各種スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所および付属博物館がある。また、付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
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大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。
2007年(平成19年)1月、世界遺産の暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つとして登録された。
三山の構成と藤原京
飛鳥時代の持統天皇の頃には三山周辺に大規模な条坊制を取り入れた藤原京が整備され、三山に囲まれた中心部に大極殿などの宮城が置かれていた。
天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)
畝傍山(うねびやま、199m)
耳成山(みみなしやま、140m)
歌に登場する三山
万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌である。この歌の「畝火ををし」を「畝火雄々し」と解釈し畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝傍山は女神であるという説とがある。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。
鉄道唱歌第5集の37番では「桜井いでてわが汽車は 畝傍(うねび)耳無(みみなし)香山(かぐやま)の 鼎(かなえ)に似たる三山(みつやま)を 前後に見つゝ今ぞゆく」と桜井線(万葉まほろば線)の車窓から見える大和三山を歌っている。
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