⛩39)─1─マレビトは、南方海洋や揚子江流域から海流に乗り琉球を経て日本列島に漂着した来訪神である。〜No.81No.82No.83 *

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族日本人には、海外から来た外国人に対する偏見や差別はなく、嫌悪も憎悪もなく、迫害や弾圧もなかった。
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 まれびとや来訪神は、日本沿岸に流れ着く椰子の実に似ている。
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 南の海底(常世)から渡ってきた来訪神・まれびとは、揚子江文明の穏やかな神々として、平和と幸せ、相互補完共生による発展をもたらした。
 西な大陸から渡ってきた渡来神は、黄河文明の荒々しい神として、争いと不幸、独善略奪共生による発展をもたらした。
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 共生にも、いろんな共生が存在する。
 平等と公平に共生するのもあれば、上下関係で従属する共生もある。
 中華世界の共生とは、中華儒教による厳格で超えられない上下関係の共生である。
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 日本で信仰されている八百万の神々のルーツは、西方ではなく南方である。
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 日本にとっての死後の世界は、日本列島の地下にある黄泉の国、南や東の海底にある常世の国、西の彼方の西方浄土・極楽浄土である。
 朝鮮半島や中国大陸には、日本民族日本人の「やすらぎ」の地は存在しない。
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 2018年11月1日 読売新聞「文化
 来訪神 稲作の信仰共通
 男鹿 ナマハゲ  宮古島 パーントゥ
 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形遺産に年中行事『来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々』(10件)の登録が勧告された。日本の神観念や民間信仰の祖型を今に伝えるこれらの行事の中から、『宮古島パーントゥ』(沖縄県)、『男鹿のナマハゲ』(秋田県)のふるさとを訪ねた。
 (文化部 池田和正、西部文化部 帆足英夫)
 10月8日の夕刻、宮古島北部の島尻集落に、3体の『パーントゥ』と称する神が現れた。顔を仮面で覆い、全身を泥で塗り、蔓草(つるくさ)をまとった異様な姿だ。
 いきなり子供の顔に体の泥をなすりつけた。女の子は恐怖で絶叫した。庭で宴会中の古老にも、交通整理に来たパトカーにも容赦なく塗る。記者も顔をつかまれ、異臭を放つ泥をべっとりつけられた。
 島尻自治会の宮良保会長(59)は、『パーントゥは、1年間の厄をはらい、幸せを呼び込む大切な行事』と語る。特に赤ちゃんや新築の家は、念入りに泥を塗るべきものと信じられている。
 行事は旧暦9月上旬の2日間行われる。伝承では、はるか昔、島に仮面が漂着し、厄払いに用いると効果があった。以来、行事は続けられているという。来訪神の故郷が、海のなかの異界『ニライカナイ』であり、記紀神話にいう常世(とこよ)であったことがうかがえる。
 宮古島から2,000キロ以上離れた秋田県男鹿半島。古民家を移築した男鹿真山伝承館では観光客向けに、本来大みそかしか見られないナマハゲを実演している。
 『ウォー』という野太い雄叫(おたけ)びで引き戸を勢いよく開き、藁簔(わらみの)に身を包んだ2体のナマハゲが入ってきた。牙をむいた赤黒い面が『泣く子はいねがー』と迫ると、見物客から悲鳴があがる。主人役がお膳を勧めると、ナマハゲも『怠け者が増えたり、悪い病気がはやったりすれば困るから、しっかり払っていくど』と落ち着いて話した。この神は決して鬼の類いではないのだ。
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 先島諸島から東北まで点在する来訪神行事はいずれも、年の節目に異形の神が、厄を払い福をもたらすものだ。奇祭のイメージで捉えられがちだが、お盆に迎える祖霊や、正月に鏡餅を飾って迎える年神など、日本列島に広く分布する民間信仰とも通底している。
 日本民俗学の祖・柳田国男は、祖霊─年神とみて、来訪神を〈これが本来我々の年の神の姿であったのだ〉とした。折口信夫は〈海のあなたから時あって来り臨んで、その村人どもの生活を幸福にして還る霊物て〉として〈まれびと〉と名付けた。
 新谷尚紀・国学院大教授(民俗伝承学)は、本土の来訪神が藁簔をまとい、また正月に行われることについて稲作との関連を指摘する。『生命の根源力である神が、種もみ再生の霊力を与えるタイミングとしては、秋の収穫祭の冬籠もりの間がいいわけです』
 正月以外に行われる南島の行事はどうだろうか。大城学・元琉球大教授(民俗芸能学)は、島尻でもかつて稲作が行われていたことに注目する。『沖縄では旧暦6月に収穫を終え、旧暦9月に田おこしを行っていた。農耕暦では新しい年の始まりになるのです』。異なる歴史をもつ本土と沖縄が、同じ生業に基づく有史以前からの信仰をともに受け継いできたのだ。
 一方、行事の保護・伝承では、人口減による担い手不足が深刻だ。島尻集落では青年会の年齢を10歳引き上げ40歳までとしたが、それでも10人ほどしかいない。男鹿では平成になって35町内でナマハゲが絶えた。
 男鹿真山伝承館を開設した武内信彦・真山神社宮司(67)は、最大の問題は信仰の希薄化だという。昔はよい年を迎えるため、ナマハゲが来なければいけないと信じられていた。『でも今はこなくても大差ない、と考える人が増えた』というのだ。無形文化遺産に登録されれば、この素朴な神を迎えたいと願う人々が増える契機になるはずだ」
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 縄文人の子孫である日本民族は、海をキーワードにしてアイヌ民族琉球人・揚子江流域の民・台湾人・東南アジアの島嶼民とつながり、陸をキーワードとする黄河流域の民(漢族系中国人)や朝鮮人とは別系統である。
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 まれびと、マレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する折口学の用語。折口信夫の思想体系を考える上でもっとも重要な鍵概念の一つであり、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして民俗学上重視される。

 概要
 外部からの来訪者(異人、まれびと)に宿舎や食事を提供して歓待する風習は、各地で普遍的にみられる。その理由は経済的、優生学的なものが含まれるが、この風習の根底に異人を異界からの神とする「まれびと信仰」が存在するといわれる。
 「まれびと」の称は1929年(昭和4年)、民俗学者折口信夫によって提示された。彼は「客人」を「まれびと」と訓じて、それが本来、神と同義語であり、その神は常世の国から来訪することなどを現存する民間伝承や記紀の記述から推定した。折口のまれびと論は「国文学の発生〈第三稿〉」(『古代研究』所収)によってそのかたちをととのえる。右論文によれば、沖縄におけるフィールド・ワークが、まれびと概念の発想の契機となったらしい。
 常世とは死霊の住み賜う国であり、そこには人々を悪霊から護ってくれる祖先が住むと考えられていたので、農村の住民達は、毎年定期的に常世から祖霊がやってきて、人々を祝福してくれるという信仰を持つに至った。その来臨が稀であったので「まれびと」と呼ばれるようになったという。現在では仏教行事とされている盆行事も、このまれびと信仰との深い関係が推定されるという。
 まれびと神は祭場で歓待を受けたが、やがて外部から来訪する旅人達も「まれびと」として扱われることになった。『万葉集』東歌や『常陸国風土記』には祭の夜、外部からやってくる神に扮するのは、仮面をつけた村の若者か旅人であったことが記されている。さらに時代を降ると「ほかいびと(乞食)」や流しの芸能者までが「まれびと」として扱われるようになり、それに対して神様並の歓待がなされたことから、遊行者の存在を可能にし、貴種流離譚(尊貴な血筋の人が漂泊の旅に出て、辛苦を乗り越え試練に打ち克つという説話類型)を生む信仰母胎となった。
 来訪神のまれびとは神を迎える祭などの際に、立てられた柱状の物体(髯籠・山車など)の依り代に降臨するとされた。その来たる所は海の彼方(沖縄のニライカナイに当たる)、後に山岳信仰も影響し山の上・天から来る(天孫降臨)ものと移り変わったという。
 オーストリア民族学者であるアレクサンダー・スラヴィクは、友人の岡正雄により日本における「まれびと信仰」の実態を知り、ゲルマン民族ケルト民族における「神聖なる来訪者」の伝説や風習と比較研究した。
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 日本民族と、古代において琉球人・アイヌ民族は祖先を同じくする同根同種である。
 中世以降、琉球には数多くの漢族系中国人が移民として移住して来た。
 現代の沖縄で、中国共産党の支援を受けて日本からの分離独立を求めているのは、漢族系中国人移民の子孫と彼らと利益で繋がっている琉球人である。
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 揚子江流域の民は、独自の揚子江文明を生みだし、争う事なく平和に生きていた。
 好戦的な北方の黄河流域の民は、南下して、侵略し、揚子江流域の民を虐殺し、土地を奪い、揚子江文明を滅ぼし、奪った土地に移住して領土を拡大した。
 生き残った揚子江流域の民は、揚子江以南の険しい山岳地帯か海の外に逃げ出し、揚子江文明を伝えた。
 日本民族は、滅んだ揚子江文明を引き継ぎ、独自に作り変え進歩・発展させて日本文明を生みだした。
 日本と中国・朝鮮が違うのはこの為である。
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 領土拡大欲の強い黄河流域の民は、朝鮮半島から日本列島に侵略してきたが、朝鮮半島でとどまり、日本列島に移住して来なかった。
 それは、日本列島、日本民族にとって幸運であった。
 日本民族日本民族の平和と幸福そして進歩と発展の為には、黄河文明の優れたところを受け入れるが、殺戮と略奪を正当権利とする黄河流域の民(中国人・朝鮮人)の浸透を排除する事であった。
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 現代中国の揚子江流域など華南地帯に住む漢族系中国人は、古揚子江流域の民とは別人であり、日本民族日本人との関係性も全くない。
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 日本人と中国人・朝鮮人は、同根同種ではないし、一衣帯水の関係でもない。
 その証拠が、「暦」である。
 日本は、日本天皇が定めていた暦と和元号、幕府が鋳造した貨幣を使用していた。
 中国・朝鮮は、中華皇帝が定めた暦と中華元号中華帝国が鋳造した貨幣を使用していた。
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 日本民族は、揚子江流域の民・揚子江文明の遺伝子と黄河文明の二つの要素で中国や朝鮮を理解できる。
 中国・朝鮮は、黄河文明だけの為に、日本の半分しか理解できない。
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 朝鮮には朝鮮文化はあっても朝鮮文明がないのは、宗主国黄河文明を忠実に模倣し異質なものに変化・進歩・発展させなかったからである。
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 中国共産党は、沖縄・尖閣諸島奄美大島などを手に入れるべく琉球人は日本民族日本人とは別人種の琉球民族とし、むしろ黄河流域の民(漢族系中国人)に近いと主張している。
 沖縄の琉球独立派は、中国共産党の公式見解を根拠に日本からの分離独立を主張している。
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 人類史・世界史・大陸史において、外国人が移民して地元住民より人口が増えるとかなわず分離独立の運動・闘争・戦争が起きる。
 歴史的に最も繁殖能力と増殖能力が高く、適応能力が高く、広く各地に浸透力が強いのは漢族であった。
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 中国共産党は、さらに、沖ノ鳥島小笠原諸島、北海道も狙っている。
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 敗戦後。現代日本を支配したキリスト教価値観とマルクス主義共産主義)価値観が、日本古来の日本民族所縁を未開の野蛮として破壊し消滅させてきた。
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 少子高齢化による人口激減。
 日本民族日本人の激減で、古代から受け継がれてきた伝統的由緒ある民俗芸能・民俗神事が消え始めている。
 それを喜ぶ、反天皇反日的日本人達。
 将来、日本人は日本民族ではなくなる。


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