💖20)─1─中国共産党は、日本人戦病餓死者の尊厳を穢し、霊魂を冒涜し、慰霊の場を踏みにじる。〜No.84No.85No.86No.87 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中国共産党は、反宗教無神論反日敵日である。
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 南方系海洋民と北方系草原民の混血の雑種である日本民族と北方系草原民の漢族・韓族・朝鮮族は、人生観、死生観、霊魂観など多くの面で異なる為に、幾ら分かり合おうと話し合っても無駄である。
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 中国共産党及び知日派中国人が真顔で言う、「日本人は、軍国主義者に騙された被害者でる」という発言は、悪意を秘めた戯言である。
 中国共産党の本当の考えは、日本人は軍国主義者と不可分の一体であり、全ての日本人は軍国主義者と同罪であり、日本人の本性は極悪非道である、という事である。
 中国共産党が見せる笑顔とは、友好の微笑みではなく、陰湿で陰険な蔑視的嘲笑である。
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 日本人と中国共産党及び反日派中国人とは、決して分かり合う事は出来ない。
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 2015年11月29日 産経ニュース「日本国旗の盗難、落書き…サイパンの慰霊関連施設、相次ぐ嫌がらせ 中国人客急増「手がつけられず」
 何者かによって掲げていた国旗が奪われた掲揚ポール=11月17日、サイパン島(松本宇位里さん提供)
 第二次大戦の激戦地、北マリアナ諸島・米自治サイパン島で、日本政府が建立した慰霊碑近くに掲揚された国旗が盗まれるなど、日本の慰霊関連施設への嫌がらせ行為が相次いでいることが28日、分かった。平成24年9月の尖閣諸島沖縄県石垣市)国有化後、被害が目立ち始めているという。中国語で日本を中傷する落書きも確認され、地元当局は警戒を強めている。
 関係者によると、盗まれた日本国旗は島北部の「中部太平洋戦没者の碑」に掲揚されていたもの。11月16日午前に巡回していたマリアナ政府観光局の職員が発見したという。
 碑の近くにある3本のポールにそれぞれ、日本国旗のほか、米国と北マリアナ諸島連邦の旗が掲げられていたが、いずれも刃物で切られ奪われていた。15日夕時点で異常はなかったことが確認されている。
 碑は昭和49年に日本政府が建立し、敷地は厚生労働省が管理。平成17年には天皇、皇后両陛下も訪問、供花された。
 ポールは長年敷地内に設置されていたが、傾くなど老朽化し、現地で暮らす松本宇位里(ういり)さん(60)がマリアナ政府観光局の補助金と自費を投じて修復。10月20日から日本国旗などを掲揚したばかりだった。松本さんは「島で暮らす日本人にとっても慰霊碑は大事な存在で、とても残念だ」と語る。
 近くにある韓国人の慰霊碑にも同様に、韓国、米国の国旗が掲揚されているが、そこには手は付けられておらず、日本国旗だけが意図的に狙われたとみられる。
 碑をめぐっては、25年3月に碑文の「日本政府」と刻まれた部分に「×」印が付けられる嫌がらせもあった。また、近くの旧日本軍施設の壁には、日本人を豚に例える中国語の蔑称「日本猪」や中国語で「尖閣諸島は中国の領土だ」との落書きが行われたり、碑が壊されたりする被害が相次いでいる。
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 日本の慰霊碑や旧日本軍施設への悪質な嫌がらせ行為が相次ぐ背景には、日本人観光客の足が遠のくなど、監視の目が行き届かなくなっている実情もあるとみられる。地元政府観光局は警戒を強め、在住の日本人らも修復を続けているが、すぐに新たな被害が確認されるなど、いたちごっこの状態が続いている。
 サイパン島は第二次大戦を挟み、100年来にわたって日本と深い関係にある。平成9年ごろまでは多くの日本人観光客が訪れていたが、17年以降、日本航空(JAL)の定期便撤退や日系ホテルの閉鎖などもあり激減した。
 一方、21年からサイパンは米領で唯一、中国人がビザなしで渡航できるようになったことから、中国人観光客が急増している。
 そうした中、24年9月に尖閣諸島が国有化されるなどして、中国国民の反日感情が高まったことも影響し、島内にある日本の慰霊関係施設への嫌がらせが激化しているとみられる。
 かつて日本人が断崖から「万歳」と叫びながら身を投じたことで知られる、島北部の「バンザイクリフ」でも被害は確認されている。遺族や戦友会などが建立した二十数基の慰霊碑が並ぶが、近年、これらの碑文の溝にかみ終えたガムを貼り付ける行為が多発している。
 地元の政府観光局はこれらの施設に警備員を常駐させて監視を強化しているが、大勢の中国人観光客らが連日訪れ、同様の嫌がらせを行うなど手がつけられない状態だという。
 島では第二次大戦中、日本兵や民間人ら約5万5千人が死亡し、計1千超の慰霊碑がある。
 在島歴35年の安井悦子さんは「慰霊碑は現地の人にも受け入れられており、こうした行為には思想的な悪意を感じる。これまで可能な範囲で修復をしてきたが、どんな理由であれ、死者を汚す行為はやめてほしい」と話している。 (池田祥子)
 【用語解説】サイパン島
 米領北マリアナ諸島の中心の島。第一次大戦後には、日本の委任統治領になり、サトウキビ栽培による製糖業が発展、第二次大戦前には1万人超の日本人が暮らしたこともあったという。昭和19(1944)年7月に日本軍が玉砕。その後、東京や大阪など日本本土空襲を行う米爆撃機B29の拠点となり、20年8月には、同島南5キロのテニアン島から広島と長崎に向けて原爆投下したB29が飛び立った。」
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 12月5日号 週刊ダイヤモンド「縦横無尽 櫻井よしこ
 日章旗を土足で踏みつけさせる中国
 大事に取り扱い返還してくれる米国
 本当にうかつだったが、西岡力氏に指摘されるまで、私は気付かなかった。
 北京市郊外にある『中国人民抗日戦争記念館』は『抗日戦争勝利70年』の今年、全面改装され7月に公開されたが、広い館内を一巡する道順の一画に異様な空間がある。ガラス張りの床の下に日章旗を埋め込み、参観者は我が国の国旗を土足で踏みつけなければ一巡できない構造だというのだ。
 これだけでも日本国への許し難い屈辱だが、氏が憤る原因はまだある。
 『ガラスの床下の日章旗には、「祈武運長久」などの言葉と多くの人の名前が書き込まれています。出征軍人に家族、友人、故郷の人々が心を込めて寄せ書きをしているのです。皆、その旗を大切に身に着けて戦った。しかし彼らが捕虜になったり、戦死したとき、寄せ書きの日章旗は奪われた。抗日戦争記念館の日章旗はそのようにして手に入れた旗でしょう。しかし、軍人の私物は戦時国際法では本人に返還しなければなりません。それなのに中国政府と中国人は国際ルールを平然と破り、日本国をおとしめる材料として、利用する。わが国は断固抗議し、日章旗返還運動を起こすべきです』
 朝鮮問題専門家の氏は同じ記念館の中国人慰安婦の展示が真っ赤なうそであることも突き止めた。
 国を挙げて対日歴史戦争を展開する中国の姿がいかに異質で突出しているか、米国との比較で見てみたい。今年8月、オレゴン州の歴史家、レックス・ジーク夫婦が安倍晋三首相を官邸に訪ねた。夫人は敬子さん、日本人だ。夫婦は全米から寄せられた71枚の『寄せ書き日章旗』を手渡すために来日したのである。
 夫婦にお会いする機会はなかったが、私は事前にお二人の進める『OBON2015』計画について聞き、本当に感動した。
 敬子さんは戦死したおじいさまのことはほとんど知らずに育った。ビルマ(現ミャンマー)での戦死だったが、遺骨も戻されていない。ところが、2007年、おじいさまが出征時に持っていった寄せ書きの日章旗がカナダで見つかり、無事、ご遺族に戻された。
 このときからご夫婦の『寄せ書き日章旗返還』を進める地道な活動が始まった。日本語を読めない米国人にとって、寄せ書きされた日章旗は一種の芸術作品に見える。戦場で米軍兵たちが日章旗を見つけては持ち帰った背景は、国旗についての彼らの考えが日本人とは異なるというもう一つの要素もあっただろう。米欧では旗は第一義的には軍隊、国、敵味方を区別するためのものだ。戦場で敵の旗を奪うことは大きな軍功を意味する。日本人にとっての旗、とりわけ寄せ書きの日章旗への感覚はそうした国の印という意味に加えて、家族の祈りと愛、兵にとって心の支えという意味がある。
 官邸で首相に日章旗を手渡したジーク氏は、『日の丸が(日本政府ではなく)家族(や友人たち)から贈られたものだと知って、米国人たちは、日本に返還したいと願っている』と述べている。寄せ書きの旗が1人1人の兵の形見であること、父、息子、夫を見送った人々の愛情と尊敬のこもったものであることを理解したとき、多くの米国人は、旗の返還に協力を惜しまなくなったというのだ。
 ガダルカナル島ペリリュー島硫黄島、沖縄、多くの激戦地で戦った日米両国だが、70年を経たいま、お互いを見る視線には相互理解と未来への希望がある。ジーク夫婦の静かな努力はその後も続いており、日本に戻された日章旗は三桁の数になった。
 日章旗を日本の軍人の魂と、家族の愛情と祈りの表現として、大事に取り扱ってくれる米国、その旗を土足で踏みつけさせる中国。この相違を日本人は忘れてはならない」


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軍都の慰霊空間―国民統合と戦死者たち

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