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・ ・ 【東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・
今上天皇陛下は、歴史において、明仁天皇ではなく元号に伴い「平成天皇」と呼ばれる。
もし元号がなければ、天皇は名前の「明仁」と呼び捨てにさ、歴史にも「明仁」とだけ書かれる事になる。
日本国家と日本国民は、「明仁天皇」と呼ぶのか、「平成天皇」と呼ぶのか。
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2019年4月30日17:18 産経新聞「「支えてくれた国民に、心から感謝」陛下、退位の礼で「最後」のお言葉
「退位礼正殿の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下=30日午後5時7分、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)
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天皇陛下は30日午後5時、皇居・宮殿「松の間」で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、「支えてくれた国民に、心から感謝します」と在位中、最後となるお言葉を述べられた。
退位の礼では、側近が歴代天皇に伝わる三種の神器(じんぎ)のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」を「案(あん)」と呼ばれる台の上に安置。安倍晋三首相は、自然災害などで困難に直面した国民に寄り添われてきた陛下に「国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました」と感謝の意を伝えた。
続いて、モーニングコート姿の陛下は、冒頭「今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました」と、30日をもって譲位することを表現された。さらに「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と謝意を示したうえで「明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とお言葉を締めくくられた。
「退位の礼」には皇后さまが陪席されたほか、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、女性を含む成年皇族方がご参列。安倍首相と閣僚のほか、衆参両院の正副議長、都道府県知事の代表ら約290人も出席した。
今回の譲位は、平成29年6月に成立した、陛下一代限りで認める皇室典範特例法に基づいて行われた。
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4月30日17:18 「支えてくれた国民に、心から感謝」陛下、退位の礼で「最後」のお言葉
「退位礼正殿の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下=30日午後5時7分、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)
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天皇陛下は30日午後5時、皇居・宮殿「松の間」で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、「支えてくれた国民に、心から感謝します」と在位中、最後となるお言葉を述べられた。
退位の礼では、側近が歴代天皇に伝わる三種の神器(じんぎ)のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」を「案(あん)」と呼ばれる台の上に安置。安倍晋三首相は、自然災害などで困難に直面した国民に寄り添われてきた陛下に「国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました」と感謝の意を伝えた。
続いて、モーニングコート姿の陛下は、冒頭「今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました」と、30日をもって譲位することを表現された。さらに「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と謝意を示したうえで「明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とお言葉を締めくくられた。
「退位の礼」には皇后さまが陪席されたほか、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、女性を含む成年皇族方がご参列。安倍首相と閣僚のほか、衆参両院の正副議長、都道府県知事の代表ら約290人も出席した。
今回の譲位は、平成29年6月に成立した、陛下一代限りで認める皇室典範特例法に基づいて行われた。」
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4月30日21:22 産経新聞「「勇気づけられた」東日本大震災の被災地や拉致被害者家族から感謝の声
東日本大震災で被災した宮城県南三陸町を訪問、がれきが広がる町並みを見つめられる天皇、皇后両陛下=2011年4月27日
あらゆる場面で国民に寄り添われてきた天皇、皇后両陛下。平成最後の日となった30日、東日本大震災の被災地や拉致被害者家族からは、ご夫妻に「勇気づけられた」と感謝の声が聞かれた。
被災地
天皇、皇后両陛下は、何度も東日本大震災の被災地に足を運ばれた。「生きる勇気をもらった」。被災者からは、改めて感謝の声が相次いだ。
ご夫妻は平成25年7月に東京電力福島第1原発事故の影響で当時、全村避難が続いていた福島県飯舘村をご訪問。菅野典雄村長は、「(地元の方言で『心を込めて』という意味の)『までい』という言葉に関心を示され、『までいの村を残してくださいね』と言ってくださった。大きくて深い思いを感じた」と振り返り、「国民に寄り添われたことに心から感謝を申し上げ、これからはゆっくりと歩んでいただけることをお祈りしています」と話した。
ご夫妻が26年7月に宮城県を訪れた際、宿泊された「南三陸ホテル観洋」(同県南三陸町)の女将(おかみ)、阿部憲子さんは「当時はまだ復興には遠く、つらく重い雰囲気が漂っていた。励ましに来てくださったことが『もっと頑張ろう、力を出そう』というきっかけになった。(ご夫妻が)今後も元気で充実した日々を過ごされる姿が、われわれのお手本にもなると思う」と語った。
28年には国体出席に合わせて岩手県を訪問し、津波で甚大な被害を受けた大槌町と山田町などに足を運ばれた。大槌商工会副会長の越田征男さん(74)は、「励ましの言葉をもらい、ありがたかった。建物は新しくなったが真の復興はまだまだ。しっかり進めていきたい」と、新しい令和への思いを新たにした。
拉致被害者家族
天皇、皇后両陛下は折に触れ、北朝鮮による拉致事件解決への願いを示されてきた。横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(83)も、拉致被害者や家族に寄り添われる思いに支えられてきたという。「彼岸花咲ける間(あはひ)の道をゆく行き極(きは)まれば母に会ふらし」。早紀江さんは、平成9年の新年にあわせ発表された皇后さまの御歌(みうた)に励まされた。「『小道をたどれば優しい母が笑顔で待っている』という光景が思い浮かんだ。私もめぐみちゃんを笑顔で迎えたいと思った」
14年10月に拉致被害者5人が帰国した後など、折に触れ拉致事件への思いを示されていた皇后さま。入院中の夫、滋さん(86)とともに30日夕、国民への感謝を述べられる天皇陛下の姿をテレビで見つめた早紀江さんは「お二人は国民に寄り添われてきた。おいたわり、お優しさに励まされた」と話した。」
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