✨2)─1─日本民族は生き残る為に天皇・皇室を必要とした。〜No.2No.3No.4No.5 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   
 天皇制度とは、日本民族が日本列島で生きながら経験と体験を源に思索して編みだした「叡智の結晶」である。
 グローバルな市民と化した現代日本人には、ローカルな「民族の叡智」は理解できない。
 天皇と国・民族は、見えない紐帯(ちゅうたい)で緩やかに結びついている。
 帰化人は、天皇と日本国に忠誠を誓い、日本民族の家族になろうと努力した。

 渡来人は、天皇と日本国への忠誠を拒否し、日本民族と友人になっても家族になる事を拒絶し、時には天皇と日本国に対して敵となって暴動や反乱を起こした。

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 天皇の言葉は、世界の皇帝・国王の言葉とは違うし、ローマ教皇イスラム教の聖職者や他の宗教家らの言葉とも微妙に違う。

 どう違うかは歴史を見ればわかる。
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 天皇天皇制度は、政治的制度なのか、宗教的制度なのか、家族制度なのか。
 政治的制度であれば、民族に関係なく全ての国民が総選挙で選べばいい。
 宗教的制度であれば、ローマ教皇の様に聖職者や宗教関係者がクジ引きで選べばいい。
 家族制度ならば、直接に祖先を同じくする、男系女系に関係悪なく同じ血が流れる家族・一族の中で話し合って決めればいい。
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 2019年4月11月号 サンデー毎日「なぜ、天皇が必要なのか
 タブーを廃して徹底討論 女性・女系天皇の是非、象徴とは・・・
 天皇陛下の代替わりまで一ヵ月を切った。保守とリベラルを分かつ分水嶺の1つに天皇との〝距離感〟があるとされる。だが、同じ保守でも、たとえば女性・女系天皇に関する考え方は大きく異なる。そして、そもそも日本人にとって天皇とは──。保守論壇の気鋭の論客がタブーなき議論で切り結ぶ。好評の憂国対談第2弾をお届けする。司会・構成/山家圭
 中野剛志×松原隆一郎
 中野 いよいよ御代(みよ)替わりが迫ってきました。今回は、我々はなぜ象徴天皇をいただいているのか、そもそも象徴天皇とは何か、考えてみたいと思います。また、皇位継承や『生前退位』といった皇室を巡る昨今の課題も見てみましょう。
 戦後、我が国は日本国憲法体制に移行しました。言うまでもなく、そこでは主権は国民にあります。天皇は主権を有していません。そして、政治的な決定は、主権者たる国民間の契約、あるいは契約としての投票によってなされるべきだという『社会契約説』のもと、国家は運営されています。さて、そうなると、主権のない天皇をあえて『象徴』という形でいただいているのはなぜなのか。社会契約説をもとにすれば、『象徴』などなくても、国民が合理的に話し合っていれば社会は運営できると、一見考えられるわけです。でも我々は依然、天皇を象徴としていただき続けている。これはいったいどういうことでしょうか。
 松原 僕はこう考えてみたい。
 確かに社会契約説では、人民が合意して国家をつくるとされています。でもそのためには、まず人民が『合意をするための場所』に就かないといけません。さらにその合意が決定的に割れてもいけない。割れてしまった社会は成立しなくなります。つまり、多数決を含む合意のルールや、その結果に従うことには、満場一致で同意しなければならない。それだと論戦をしても、どこかで争いが収まるわけです。
 中野 言ってみれば、『俺はお前と考えが違うし、腹も立つけれど、いちいち殺し合いまでしていたら、「万人の万人に対する闘争」になって収拾がつかなくなる。だから、暫定的にせよ折り合って共存いこうぜ』とならなければいけない、と。
 松原 そうです。で、僕は、その『話し合いの場に就かせ、場が割れないよう』我々をゆるやかにまとめる役割を果たしているのが象徴天皇制ではないかと思うんです。現に、我が国の最高の話し合いの場である『国会』は、形式的にせよ天皇が召集して、開会式では『国民の信託に応えるように』とおことばを述べられます。
 では、なぜ我々は天皇のもとにまとまることができるのか。それは、天皇家が体現している家族像や思いやり、あるいは自然への接し方、文化のあり方といったものに、我々が『日本人として共通性』を感じるからではないか。天皇やその家族が示すイメージに、『ああ、この様式こそ日本人だよな』と我々は何となく感じている。曖昧にせよ、そういったイメージに、を共有することで、我々は同じ国民として共存しうつのだと思います。
 もう少し説明しましょう。米国の社会学タルコット・パーソンズなどは、『ばらばらな個人がいくら合理的に契約しようとしても、お互いに不信感を持っているなら社会はまとまらない。社会に何らかのまとまりがあるのは、皆が規範を共有しているからだ』としています。日本社会が拡散しないでいられるのも、天皇が表している人間関係や自然、文化についてのイメージを、皆で『規範』として共有しているからではないでしょうか。すなわち象徴天皇とは、共有の規範となるイメージを体現して、日本国民を緩やかにまとめる存在なのだと思います。これがアメリカならば、聖書が共有の規範となって、国民をまとめているのでしょう。
 中野 同意です。そこで少し話を発展させますと、規範を表したり、それを我々に再確認させたりするものとしは、聖書がまさにそうであるように宗教的なもの、聖的なものです。よって規範を表している天皇は、聖的な象徴といえます。つまり、天皇という聖的象徴が国民をまとめている、天皇という聖性を帯びたシンボルがいるからこそ国民統合がなされている、と言い換えられそうです。現在の主権在民のもとでは、ややもすると、『天皇はシンボルにすぎない』などと消極的な説明がなされますが、そうではなく、天皇というシンボルがあるからこそ国民統合が果たされて、民主政治も可能となるのである。ここに象徴天皇をいただく意義があるのです。
 また、戦中にかけて一時期、天皇が極端に神格化されていたので誤解されがちですが、天皇は戦後に象徴になったのではなく、ずっと聖性を帯びた象徴的存在として、この国の民をまとめてきたのです。
 松原 実際、世界を見渡すと、共有するシンボルがなくなったために国民統合が崩れた例があります。例えばネパールです。ネパールでは2001年に、それまで国民に尊敬されて、まさにシンボルであった国王をはじめ王族9人が殺害されました。公式には皇太子が国王らに銃を乱射した後、自殺したとされ、事件後に国王の弟が新たに王位に就いたのですが、不評でした。弟が仕掛けたクーデターだったという噂が今なお絶えません。そして国内は国王側と共産党毛沢東派(マオイスト)の内戦に陥ってしまい、長く政情不安が続きました。これなどは、シンボルが失われたために国民が平和的な合意の席に就けなくなった例でしょう。今、日本で不自然なほど多数のネパール人を見かけますよね。私の地元の東京・阿佐谷にもネパール人が多くいる。彼らは精神的な難民と言えるでしょう。
 中野 それに関連して言うと、日本は本格的な移民政策にかじを切ってしまったので、今後、移民がどっと入ってくる。原理的なキリスト教徒やイスラム教徒もくるでしょう。そのとき、日本人を含め、皆で共有できる規範や象徴なんてないでしょう。そうすると、皆で折り合ってやっていけるか微妙です。だからこそ、これまでは、最初っから入れるのをやめましょう、となっていたのですが・・・。移民政策は将来の国民統合に禍根を残しそうです。
 『皇位継承』で割れる保守
 ──さて、象徴天皇が国民統合にとって不可欠であるなら、制度を何とか維持していかないといけません。しかし、今のルーツでは皇位継承権は男系男子に限るとされていて、次世代の男系男子は悠仁さまのみとなっています。皇位の継承が危機に直面しています。いかに制度を維持していったらいいでしょうか。……

 ……
 『終身在位』はつくられた伝統
 ──今上天皇の『生前退位』を巡っても議論が分かれました。どう見ていましたか。
 松原 そもそも終身在位となったのは、明治以降にすぎません。それまでは『生前退位』がむしろ常態で、今回の退位もおかしなことではない。それに今後、天皇の寿命が100歳を超えたりしたら、一生在位するのは酷でしょう。ちなみに過去に『生前退位』をした天皇は、一人を除いて皆、50代以下で退かれています。
 また、隠居は日本人の伝統的な生き方のひとつですから、日本人のシンボルたる天皇がそれを実行されても否定されることではないと思います。
 中野 私も否定するものではないと思います。ところで、誰も言わないことをあえて言いますが、天皇憲法で政治的な行動や発言が一応禁じられていますが、国家的危機とか緊急事態にあたっては、象徴としての天皇が前に出て事に当たってもいいと私は思っています。
 松原 日本人は、どうしようもない状況になると、自分たちでは決められなくなる傾向がありますからね。
 中野 ええ、だから、どうしても決められなくなった時は、超法規的で非民主的だけど天皇が例外的に決めていい。……
 ただ、当然の話ですが、天皇が何でもでいるのだといって〝裁量権〟を乱用したらまずい。だから、政治力は乱用してはいけないけという歴史的な智恵、非公式なルールを皆で含んでおかないといけません。
 松原 ……
 さて、最後に駆け足になりますが、天皇を巡って話しておきたいことがあります。今上天皇は、先の大戦で激戦地となったサイパンパラオ、フィリピンを訪問して、一帯に黙とうをささげられました。フィリピン・ミンダナオ島には戦前、2万人からの日本人が住んでいて、戦争で筆舌に尽くせない悲惨な最期を迎えています。また今上天皇は、沖縄も幾度も訪問されておられます。そうした姿からは、前(さき)の戦争に天皇として思いを致しておられることが伝わってきます。一方で、少なくない指導層が結果責任を明示的に取ることがなかったのですから、これは立派なことではないでしょうか。戦争や大災害で不幸な亡くなり方をした国民に祈りをささげることが天皇の使命だという思いが伝わってきて、今上天皇の意義のある大きな取り組みだと思います。」
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 日本がネパール化する時、表から見えない陰で中国共産党と反天皇反日的日本人による陰謀が蠢いている。
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 韓国人・朝鮮人そして中国人は、天皇を絶対に許さない。
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 現代日本人は、憲法が謳う主権在民国民主権から権利を要求するが、憲法で規定していない責任や義務を拒絶する。
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 日本天皇とは、勝利者や強者の横暴を抑制し敗北者の理論と弱者の理論から生まれた。
 それは、多数派から弾き出された少数派を掬い上げる事であるが、人気取りの為に金品を施す事ではない。
 天皇制度とは、人力・人智では対応できない事に対する神頼み下駄理論であり、社会の暴発を押さえ込む為のフタ理論である。
 それは、頭を上げ前を向き前に進もうという、内向き・ネガティブではなく外向き・ポジティブである。
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 日本には、物事を曖昧に収める事はあったが、自己満足的な身勝手な甘えはなかった。
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 日本では、真理や正しさを証明する為に激論を交わし、相手を論破し、異端として排除、追放するような宗教・信仰、哲学、思想、主義主張などは忌避されて生まれなかった。
 白黒、正邪、善悪を峻別する二元論ではなく、ダークな中間を加えて曖昧にする三元論である。
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 命を捨てても天皇・皇族、皇室を守ろうとしたのは、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、化外の民、非人や穢多(エタ)などの賤民部落民達であった。
 日本で、キリスト教共産主義マルクス主義)が広く受け入れられなかったのはこの為である。
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 日本国憲法は、元号を制定する事で、即位した新天皇の死後の諡号を生きているうちに法律で定めているという、生前の死亡証明書である。
 日本国憲法は革命憲法であり、その奥底に天皇制度廃止と皇室消滅の隠れた意図が秘められている。
 生きて在位する天皇は、憲法・政府・国民が決め押しつけた死後の墓標銘「元号」を背負いながら奴隷的な重労働を強いられている。
 天皇とは、国民・民族の公僕ではなく、法律に縛られ、自由を奪われ、権利を剥奪された、国と国民への奉仕を強いられた「囚われ人」である。
 何故なら、国民主権主権在民の下で、こくみんの総意で即位し生かされている存在だからである。
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 国民の51%が「天皇は要らない」と判断すれば、天皇制度は朝露の如き消え、天皇家・皇室・皇族はカゲロウのように死に絶える。
 その目的で、有りもしない天皇昭和天皇)の戦争責任と戦争犯罪歴史教育として子供達に行われている。
 そして、日本民族極悪非道の重犯罪者史観=自虐史観が学校教育を支配し、そこでは昭和天皇や戦前日本の人道貢献とソ連(ロシア人共産主義者)・コミンテルン中国共産党の非人道的凶悪犯罪は抹消されている。
 政治家・官僚・学者・メディア関係者などの高学歴出身知的エリートは、その洗脳教育で高得点を取った頭脳優秀な逸材である。
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 象徴天皇とは、国の破壊・崩壊を食い止めて平和・平穏をもたらし、社会の混乱・無秩序を鎮めて均衡・調和・公平を与え、人びとの苦悩・悲惨を慰め心に幸せと豊かさを与え、敗北者や弱者を勝利者や強者から庇い、神聖不可侵の神格で荒れた心を穏やか心に変え、助け合い・励まし合い・庇い合い・慰め合って虐殺や略奪を払い、地上に光明をもたらす存在であった。
 日本民族日本人が求めた「和」とは、そうした和であって、人を否定し抑圧し抑え込むではない。
 「和」とは、天皇の存在そのものである。
 天皇とは、人が恣意的に思い描く常識・良識・良心や意図的に編みだした哲学・思想主義主張を超越した、言葉や文字で表現できない究極の指標である。
 自愛自利を遠ざけ他利他愛を押さえ無私無欲に徹する存在が、天皇である。
 国と民族の統合の象徴と神聖不可侵の存在とは、そういう意味である。
 日本天皇が、2000年近く伝統として守られ存続できたのはこの為である。
 それ故に、反天皇反日的日本人は、人民の正義・人民の大義による人民の社会・国家を築く為に、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を断絶させ、天皇や皇族を皆殺しにしようとしてきた。
 そして、キリスト教会も異教の神々を祀る祭祀王の日本天皇を滅ぼそうとした。
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 西暦とは、ローマ・カトリック教会イエス・キリストの生誕日を基準にした宗教暦である。
 西暦の正統性は、神の子である救世主(メシア)イエス・キリストの神格性に拠っている。
 西暦を使う事は、天地創造の造り主・全知全能の絶対神と神の子イエス・キリストを崇拝する、無自覚なキリスト教徒と言う事である。
 契約書や証文や公文書に西暦を記載する事は、約束事の内容は神に賭けて守り違わない事を誓う事である。 
 何故、約束を守る事を神に誓うかと言えば、エゴの塊である人は強欲なだけに信用できないし、憲法や法律は人か勝手に書き換えられるだけに信用できないからである。
 その実例が、反宗教無神論ソ連共産主義諸国・中国共産党、そして韓国や北朝鮮を見れば一目瞭然である。
 西暦を使用する事は、神の子イエス・キリストを崇拝・信仰し、キリスト教会に帰属を誓う事である。
 現代でも、西洋キリスト教文明の欧米諸国と従属的諸国はイエス・キリスト生誕暦(西暦)を使う宗教国家である。
 もし政教分離の原則を主張するなら、まず宗教的西暦を廃止しなければならない。
 宗教暦である西暦を廃した後の暦は、国民が定める憲法暦・法律暦か人民が打ち立てる革命暦、然もなくば暦を持たない歴史以前に先祖返りする事である。
 もし、憲法と法律が宗教に関係していればそれは宗教暦である。
 革命暦は、神殺しの反宗教無神論を持つマルクス主義共産主義)にのみに存在する。
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 西洋諸国の王侯貴族は、神の御名によって保証された姻戚関係にあり、他国の国王に即位ができる。
 イギリス王家のルーツには、フランス人もいるしドイツ人もいる。
 王家の婚約者には、スペイン人もいるしデンマーク人もいるしギリシャ人もいる。
 イギリス国王ビクトリア女王は、親英派インド人から強く推戴されてインド帝国皇帝に即位した。
 もし、日本人の西洋礼賛派やキリスト教徒が西洋諸国王に日本天皇への即位を哀願すれば、世界常識から白人キリスト教徒王族が日本天皇に即位できる。
 その反対に、日本皇族が西洋諸王国の国王に即位はでいない、それが世界の常識である。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、アフリカ人と日本人を奴隷として売買して大金を稼いでいた。
 ローマ教皇は、キリスト教に改宗した日本人を奴隷として売買してはならないとの教書を発した。
 イエズス会などの敬虔な宣教師らによる、日本における熱心な布教活動とは「日本人を奴隷にしない」為の「善意」であった。
 江戸時代。徳川幕府はその善意を「有り難迷惑」として拒絶し、キリシタンを弾圧した。
 異教徒日本人を奴隷から救う善意を踏みにじられたキリスト教会は激怒し、隣人愛の善意に殉じて処刑された宣教師やキリシタン福者と讃え顕彰した。
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 元号を廃止して西暦を採用すると言う事は、日本は準キリスト教国にすると言う事である。
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 日本列島は、地理として地の果て、大地の縁(へり)、端、海のきわ、渚、生死の境界、分かれ目であり、毎年何処かで甚大な災害が繰り返し起きる過酷な自然環境であった。
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 日本民族日本人は、大陸での戦いに負けた敗北者や故郷を追われた弱者の子孫であって、勇気をもって故郷を旅立って移り住んだ冒険者や挑戦者や開拓者の子孫ではない。
 日本民族日本人は、大陸から軍団を率いて日本列島を侵略し、先住民族である縄文人を殺して屈服し、武力で支配した勝利者・強者の征服民族ではない。
 日本列島に逃げ込んだ或いは流れ着いた敗北者や弱者の日本民族日本人には、東の海(太平洋)の先に行く場所も避難できる場所もなかった。
 「海は世界に通じている」は、遠洋航海ができる現代日本人の傲慢な言い草であって、近海航行しかできなかった日本民族日本人にとって「死ね」という死刑宣告でしかなかった。
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 大陸では、反対派は家族諸共に皆殺しにされた。
 それ故に、反対派は殺される前に家族揃って国を出て、中立国か敵国に逃げた。
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 閉鎖的日本列島で生きるには、命の危険もなく自由に逃げだす事も移り住む事もできる開放的大陸の生き方は通用しなかった。
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 大陸は「逃げる」であり、日本は「逃げない」であった。
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 大陸から日本列島に逃げ込んだ敗北者や弱者は、追放された民として、勝利者や強者が支配する大陸には戻れなかった。
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 「敗北者の理論」と「弱者の理論」が、空気・空気圧・同調圧力として、日本を陰鬱に息苦しく覆い、日本人を雁字搦めに拘束している。
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 敗北者の理論・弱者の理論とは、強く優秀なリーダーシップを排除し、強力な絶対的独裁者を出さない事であった。
 つまり、出る杭は打ち抑え込むという「蓋(フタ)理論」である。
 そして、天皇は権限・権力・権威を一切が剥奪さてた無力な象徴的存在でしかない。
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 日本列島に逃げ込んだ民や追放された民は、閉ざされた日本列島で生きる智恵として、船乗りの理論、弱者の理論を生み出した。
 それが、神聖不可侵的万世一系男系天皇(直系長子相続)であった。
 天皇制度とは、気弱にしてひ弱な敗北者や弱者が大陸で勝者や強者から強いられた屈辱や無力感や絶望感を二度と味わない為に生み出した制度であった。
 それが、自分ではどうにも解決できない、荒ぶれる、悪・邪・醜、嫌な事、辛い事、苦しい事、切ない事など全てのネガティブを預けて放り投げるという、神を頼みに下駄を預けるである。
 天皇制度とは、「下駄理論」である。
 日本民族日本人は、日本列島で生きる智恵として、自分が動く為に船乗りの理論・弱者の理論と自分が動かない為の下駄理論を生み出し実践してきた。
 自分で「できそうな」事は全力を出し死ぬ気でやったが、自分では「どうしようもできない」事は諦めた。
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 日本天皇の正統性とは、日本中心神話・天孫降臨神話における最高神にして女性神天照大神の血統と初代神武天皇の子孫であるる皇統であり、それを証明するのが三種の神器である。
 日本民族の中で2000年以上守られてきた血統と皇統に連なる者が、三種の神器を拝受して天皇に即位した。
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 元号とは、日本の独立宣言である。
 誰から独立したかと言えば、中華皇帝であり、中華帝国であり、中華文明圏からである。
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 日本国は、強い意志で建国された人工国家ではなく、弱い意志で自然の中から生まれた国であった。
 縄文時代弥生時代そして倭国乱立時代、ヤマト王権大和朝廷と、1つの筋で繋がっている。
 そこに、大陸の歴代中華帝国や朝鮮の諸王朝のか細い影響を受けていたが、それだけである。
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 日本の常識は、世界の非常識であり、世界で理解されない。
 同様に、中国や朝鮮にも通用しない。
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 日本民族単一民族ではあったが、純種の純血民族ではなく雑種の混血民族であった。
 混血民族の太い大本は、小舟を操って海を渡る南方系海洋民と長江文明揚子江沿岸民の二筋である。
 長江文明は、北方から侵略してきた好戦的な黄河文明によって滅ぼされ、残虐な漢族によって跡形もなく根絶やしにされた。
 日本文明は、長江文明の亜流ではなく後継文明である。
 日本民族日本人、琉球人、アイヌ人は、縄文人を共通の祖先としている。
 黄河文明で敗れた弱い漢族の一部が、日本に逃げ込み、日本民族日本人と乱婚し、帰化し、同化した。
 日本に逃げ込んだ漢族は、徳の高い名僧や高僧、学識豊かな教養人、最新技術保有の職能人、勇猛果敢な軍人達で、大半が若く優秀有能であった。
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