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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
反天皇反日的日本人が、高学歴出身知的エリートの中にわりかし多く潜んでいる。
彼らは、国家と国民の統合の象徴より国民主権を上位に置き、天皇・皇室の存在の意義・重要性を認めず、人権と平等の見地から天皇制度を廃止すべきであると信じている。
彼らは、子供や青年達に影響を与えている。
外国人移民(主に中国人移民)が増加すれば、この傾向は増大し、深刻な影響が強まっていく。
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2019年3月13日05:00 産経新聞「判事が「反天皇制」活動 集会参加、裁判所法抵触も
名古屋家裁の男性判事(55)が昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していたことが12日、関係者への取材で分かった。少なくとも10年前から反戦団体でも活動。一部メンバーには裁判官の身分を明かしていたとみられ、裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性がある。昨年10月にはツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁判事が懲戒処分を受けたばかり。裁判官の表現の自由をめぐって議論を呼びそうだ。
関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などの「なぜ元号はいらないのか?」と題した集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。
昨年9月には反戦団体「不戦へのネットワーク」(不戦ネット、名古屋市)の会合で「12月23日の天皇誕生日に討論集会を開催し、植樹祭を批判的に論じ、反対していきたい」と発言。さらに「リオ五輪の際、現地の活動家は道を封鎖したり、ビルの上から油をまいたりしたようだ。日本でそのようなことは現実的ではないが、東京五輪に対する反対運動を考えていきたい」とも語っていた。
判事は昨年2月と5月、不戦ネットの会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」と記していた。
判事が「反天皇制」活動 集会参加、裁判所法抵触も
判事は集会などで実名でスピーチしていたほか、団体の一部メンバーには「裁判所に勤務している」と話していたという。
判事は平成5年に任官。名古屋家裁によると、現在は家事調停や審判事件を担当している。判事は産経新聞の複数回にわたる取材に対し、何も答えなかった。」
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3月13日05:01 産経新聞「公平・中立に裁けるのか 判事「反天皇制」活動
「反天皇制」をうたう団体の集会に参加し、皇室行事などに批判的な言動を繰り返していたことが12日、明らかになった名古屋家裁の男性判事(55)。「裁判官の積極的政治運動」を禁じた裁判所法に反するか否かは、裁判官の身分を名乗って活動していたかどうかがポイントになる。裁判官も私生活では一市民である以上、表現の自由があるからだ。
平成10年、仙台地裁の判事補が、組織的犯罪対策3法案に反対する集会に身分を名乗って参加し、「パネリストとして発言するつもりだったが、地裁所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので発言を辞退する」と発言。この言動が積極的政治運動にあたるとして戒告処分を受けた。
この際、最高裁大法廷は積極的政治運動の禁止規定について「表現の自由を一定範囲で制約することになるが、合理的でやむを得ない限度にとどまる限り憲法の許容するところ」とし、合憲との初判断を示した。
今回の判事の場合、集会などで裁判官を名乗って発言してはいなかった。しかし、団体の一部メンバーには実名のほか、裁判所に勤務していることを明かしており、団体内部で身分が広まっていた可能性もある。
裁判所関係者は「裁判官としてではなく、一個人として発言しているのであれば、裁判所法の規定に抵触するかどうかは議論の余地がある」との見方を示す。
だが判事が行っていた活動は、天皇を「日本国民統合の象徴」と規定した憲法を否定する行為だ。国の統治機構のあり方に反対を唱える裁判官が、国や自治体が当事者となる訴訟を公平、中立に裁けるのか。「司法の独立」の観点から憲法で手厚く身分保障されている裁判官には、国民の信頼に値する言動や品位が求められている。(大竹直樹)」
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3月13日06:00 産経新聞「昭和の日を「無責任の日」と批判 判事、過激派参加団体で活動も
4月末の天皇陛下の譲位を前に、名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制」をうたう団体の集会に参加していたことが12日、明らかになった。判事は平成21年以降、少なくとも3つの団体で活動。反皇室、反国家、反権力などを掲げ、中には過激派活動家が参加する団体もあった。過去には自治体が当事者となる訴訟も担当しており、法曹関係者からは「判決など判断の公平性、中立性に疑問が生じかねない」との指摘が出ている。
「人々から敬愛、理解、共感をかすめ取る天皇・皇族」「各地の『天皇要らない』の声とつながり、大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい」
「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などが呼びかけた「代替わり」反対集会では、皇室を批判する激しい発言が繰り返される。判事は昨年、こうした反天連による別の集会に複数回にわたって参加し、自らも「批判的に考察していきたい」などと発言していた。
関係者によると、判事は津地家裁四日市支部勤務だった21年、広島県呉市で行われた反戦団体「ピースリンク広島・呉・岩国」(呉市)の集会に参加。実名でスピーチした。その後、広島地家裁呉支部に異動し、同団体の活動に参加した。
名古屋家裁に異動すると、反戦団体「不戦へのネットワーク」(名古屋市)に参加。会報に「夏祭起太郎」の名前で論考を寄稿した。
昨年2月4日付では「昭和の日」を「無責任の日」と書いたほか、天皇、皇后両陛下が臨席される全国植樹祭について「天皇が一本の木を植えるために数十億単位の公費を使って、たくさんの木を伐採し、『国土の緑を大切に』というまったくもって不思議で呪術(じゅじゅつ)的なイベント」「過剰警備や人権侵害など様々な問題をはらんでいる」などと批判した。団体メンバーの一部には、夏祭起太郎のペンネームを使っていることを明かしていた。
判事は過去に自治体が当事者となる訴訟も複数担当していただけに、法曹関係者は「裁判官が反権力の活動をしているのであれば、行政事件の訴訟では、最初から反自治体の立場で判断するのではないかとの疑念が生じる。裁判に公平、中立を求める国民の信頼を得られないのではないか」と疑問を投げかける。
産経新聞は今年2月、判事に複数回、直接取材を申し込んだが、いずれも無言で足早に立ち去った。名古屋家裁には昨年11月に判事の政治運動疑惑を伝え、見解を質問した結果、書面で「承知していない」「仮定の質問にはお答えできない」との回答があった。今年2月に再度取材したが、家裁は判事に事情を聴くなどの調査をしたかについても明らかにせず、「お答えすることはない」とした。
裁判官の身分、憲法で手厚く保障
裁判官の身分は「司法の独立」の観点から憲法で手厚く保障されている。裁判官が不祥事を起こしても、懲戒処分は戒告か1万円以下の過料しかなく、他の公務員のように停職や減俸といった処分はない。
懲戒処分は憲法で行政機関が行うことはできないと規定。地裁、家裁、簡裁裁判官の懲戒は、裁判官分限法に基づき、管轄する高裁の分限裁判で決められる。
停職や減俸の処分がないのは、そもそも裁判官は「法の番人」として不祥事を起こさないとの考えもあるためとされるが、現行制度は実情に合っていないとの指摘もある。
一方、罷免については、国会が設ける弾劾裁判所が判断する。国民から罷免すべきだとする請求を受け、国会の裁判官訴追委員会が弾劾裁判を開く必要があると判断すれば、弾劾裁判所に訴追される。
今月4日には、裁判官訴追委員会が、ツイッターに不適切な投稿をして裁判当事者の感情を傷つけたとして、昨年10月に最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)から事情聴取している。」
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3月11日 産経新聞iRONNA 『野田武則』「「釜石市長手記「被災地を照らし続けた両陛下のお姿」
野田武則(釜石市長)
東日本大震災のあの悲しみの日から8年の歳月が流れました。
いまだ、仮設住宅の生活を余儀なくされている方々もたくさんおられます。それでも、復興公営住宅や宅地造成など、被災された方々の住まいの再建も進み、ある程度復興の姿が見えてきました。
この8年間にわたり、復旧、復興のため、全国あるいは世界中からあたたかいご支援をいただきました。心からお礼申し上げます。
振り返れば、あの瓦礫(がれき)と化した街の中、避難所は十分な環境を確保できず、被災された方々は不安を感じながらも身を寄せ合い、助け合いながら、厳しい環境を乗り越えようとしていました。市内の至るところに設置された遺体安置所へ、行方の分からないご家族、知人、友人の確認のために、ご遺族の皆さんが訪ね歩き、巡りながら日々過ごしてきたことを思い出すと、今でも胸が痛みます。
そのような折、2011年5月6日に、天皇、皇后両陛下が釜石市にお見舞いに来られました。当時、報道で天皇陛下の体調があまり思わしくないと聞いていたので、大変心配しながらお待ちしていましたが、ヘリコプターから降りてくる両陛下の元気なお姿には、そのような様子は感じられませんでした。きっと無理をしながらも、何よりも「被災地の人々を励ます」という思いで、遠いこの地まで足を運んでくださったことに感銘しました。
私は、両陛下と用意されたマイクロバスに乗り、多くの方々が避難していた釜石中学校へ向かいました。沿道には、手を振ってお出迎えをする多くの方々がいました。マイクロバスの中では、沿道の両側から手を振る市民へ、両陛下が右に左に移動しながら、まさに一人一人に声をかけるがごとく、手を振られていました。
私は「お疲れになりますから、どうぞお座りになられてください」と何度もお願いしましたが、天皇陛下は「市民の皆さんが手を振っていますから、私も手を振らなければなりません」と30分以上もの道中、立ちっぱなしで手を振り続けられました。両陛下の、ご自身の使命を果たそうとされるお気持ちと、体にむち打ちながらも、市民に手を振る姿を目の当たりにし、感動するとともにありがたい気持ちでいっぱいになったことを昨日のことのように覚えています。
釜石中学校の避難所で、被災された皆さんに会う前、両陛下とお話をする機会をいただきました。天皇陛下は「釜石では多くの方々が犠牲になられましたが、子供たちは皆、助かりましたね。子供たちの避難行動は素晴らしかったですね」と話されました。
当時はテレビや新聞などで、釜石の子供たちの避難行動が何度も取り上げられました。両陛下もその報道をご覧になっていたのでしょう。とてもよくご存じで、そのことについて話され、子供たちの成長と防災教育の大切さに思いをはせておられました。
避難所の体育館では、多くの皆さんに出迎えていただきました。両陛下はすぐさま膝をついて、励ましと、いたわりのお言葉を一人一人にかけ、被災者の心の痛みに優しく寄り添われました。被災された皆さんも大変に喜び、涙を流して感激していました。
両陛下がお見舞いを終えようとしていたそのとき、震度3の地震が避難所を襲いました。両陛下は揺れも気になさらず、被災された方々に励ましの言葉をかけ続けられていました。皇后さまの側にいた74歳の女性は、揺れに驚き、とっさに皇后さまの手を握ってしまいました。皇后さまは優しく手を握り返され「こうした地震は今もあるのですね。怖いでしょうね。大丈夫ですよ。落ち着いてください」と気遣われていました。
悲惨な状況の中で、励まし続け、被災地を気にかけてくださる両陛下のお姿は、被災地、被災者に勇気と希望を与えてくださいました。家族、友人、知人を失い、悲しみに暮れている方に、両陛下が励ましの言葉をかけられている。このご様子を見るにつけ、両陛下の存在とありがたさを感じました。
震災直後、被災地には多くの支援物資やさまざまな支援の手などが必要でしたが、それ以上に、多くの方々が被災地を見てくれている、励ましてくれているという心と心の絆を感じることが大切だと思うのです。
全国のみならず世界中からいただいた支援と、それへの感謝。そこには、多くの人々が助け合い励まし合うという「絆」の大切さを感じずにはいられません。また、日本にはまだその絆があると確信が得られました。
平成の時代が終わろうとしています。天皇、皇后両陛下は30年の長きにわたり、日々、平和と国民の幸せを祈り続けてくださいました。心から感謝を申し上げます。そして次の時代も、人と人との絆を大切にする日本であってほしい、日本が絆を大事にする国であり続けてほしいと願ってやみません。」
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3月11日 産経新聞 iRONNA『高森明勅』「天皇はかくあるべし」上から目線の知識人が錯覚した陛下のお気持ち
高森明勅(皇室研究家)
東日本大震災よりずいぶん前。保守系の大物知識人がこんな発言をしていた。
「天皇陛下は、わざわざ被災地にまでお出ましになる必要はない。ただ宮中の奥深くで、神聖な祭祀(さいし)に携わっておられればよい」と。
一方、リベラル系の知識人には、それと正反対の意見もあった。
「天皇陛下は、被災者やハンセン病療養所の入所者のような、ハンディキャップを背負った人々に寄り添ってくだされば、古くさい祭祀などをお続けになる必要はない」と。
これらの意見は真っ向から対立しているかのように見えて、はっきりとした共通点がある。どちらも「上から目線」で、陛下の誠心誠意のなさりように、あれこれ無責任に注文をつけていること。いったい、何様のつもりかと思う。また、「皇室の祭祀」と「人々に寄り添うこと」を、切り離された別々のことのように捉えていること。これは大きな錯覚だ。この点について以下に述べよう。
天皇陛下が制度上の義務としてなさらなければならないことは、限られている。具体的に言えば、憲法に規定されている13項目の「国事行為」だけだ。憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ…」(4条)と明記している。
だから、他には公共的な性格を持つ行為は、一切なさらなくてもよい。むしろ、「なさるべきではない」という憲法解釈さえある。
だが、国事行為は原則として「国民」との接点が全くない(ご即位に伴う「祝賀御列の儀」で沿道の国民から祝意をお受けになるのがほとんど唯一の例外か)。それでは「日本国の象徴」ではあり得ても、「国民統合の象徴」としての役割を十分に果たすことはできない。
憲法は規範である。そこに「国民“統合”の象徴」と規定しているということは、客観的な事実(ザイン)を記述しているのではない。「かくあるべし」という当為(ゾルレン)を、天皇陛下に突きつけているのに他ならない。
その上、「国民統合の象徴」であるべきなのは、これまでの天皇の長い歴史からの要請でもあろう。
少なくとも、陛下はそのような理解に立っておられるように拝される。だからこそ、ご即位以来、全身全霊でご自身が果たされるべき「国民統合の象徴」としての役割を、追い求めてこられた。
国民の「統合」は、政治的対立や経済格差などさまざまな理由で、常に分断の危機をはらむ。その場合、当然ながら憲法にリストアップされた国事行為以外の(国政権能にかかわらず、象徴としてのお立場と矛盾しない)ご活動を探る必要が出てくる。それが「象徴としての公的な行為」だ(責任は内閣が負う)。
象徴行為は国事行為と違って、あらかじめ「正解」が用意されているわけではない。国民側からの依頼にお応えになるもの以外は、陛下ご自身が知恵を巡らされ、手探りで追求され続ける以外にない。それが制度上の「義務」でない以上、陛下の国民への強いお気持ちが前提となる。
大規模な自然災害があった時に、なるべく早い時点で被災地にお入りになる。それも、天皇陛下がご自身で選び取られた象徴行為の一つだ。災害に苦しむ人々を絶対に孤立させない。その人々が「国民の輪」の中から外れたような孤独感を、決して抱かせない。「国民統合の象徴」として、その意思を身をもって明確に示されているのが、被災地へのお見舞いだ。
天皇陛下の被災地へのお見舞いは、いまや恒例のことのように受け止められているかもしれない。しかし、昭和時代にはほとんど例がなかった。今上陛下の強いお気持ちで続けられてきた「国民統合の象徴」としてのお務めの一つである事実を、見落とすべきではあるまい。
平成3年の雲仙・普賢岳の大規模噴火の際に、まだ「安全宣言」が出ていない時点で現地入りされたのを皮切りに、直近では昨年、西日本豪雨と北海道胆振(いぶり)東部地震の被災地に赴かれている。その間、「初回」のお出ましだけで20回近い(陛下はその後も、繰り返し被災地にお入りになってきた)。
最も規模が大きかった東日本大震災の場合は、平成23年3月末から5月にかけて7週連続、しかも日帰りでのお見舞いという、極めて過酷なスケジュールを自ら組まれた。
当時、陛下は前立腺がん再発の不安を抱えてホルモン治療を続けておられたばかりでなく、同年2月には心臓疾患の兆候も見つかっていた。大げさではなく、まさに「命懸け」と言うべきお見舞いだった。実際に、同年11月には19日間にわたりご入院。翌年2月には冠動脈バイパス手術をお受けになっている。
陛下のお見舞いを受けた被災地の人々は、大きな「癒やし」や「励まし」を受け取る経験をしている。これは普通の出来事ではない。なぜそのようなことが可能になるのか。
ある記者はこう書いていた。
「被災者の心にまっすぐ届く言葉を発せられる人は少ない。それは巧みな修辞などではない。その人が被災者の悲しみを自身のことのように感じているかどうか。絶望の淵にある人は、言葉の奥にある感情を敏感に察知するのではないだろうか」(日本経済新聞・井上亮記者)と。
陛下の場合、ご日常そのものが、国民への「祈り」で貫かれている。その祈りの具体化が皇室の祭祀だ。
日々、人間を超えた存在と、清浄かつ無私な境地で触れ合う経験を重ねてこられている。その祭祀は、祭司(宗教者)による祭祀ではない。「国民統合の象徴」たる方の祭祀であり、したがって「国民のため」の祭祀だ。
ならば、その国民が傷つき、苦しんでいる時に、国民から遠く隔たった宮中奥深くで、陛下がもっぱら祭祀だけに打ち込んで、国民をまるで顧みないようなことは、あり得ない。それは、「国民統合の象徴」たる天皇の祭祀の意味「それ自体」を否定しているに等しい。
また、苦しむ国民も、国家の公的秩序の頂点(日本国の象徴)の地位におられる天皇陛下が、日々謙虚に神霊の前に深々と頭(こうべ)を垂れて、国民のために懸命に祭祀に携わる経験を重ねることで、自(おの)ずと身につけられた「無私のオーラ」に気づかないはずがない。
そのような方が、自分たちの声に優しく耳を傾けてくださり、心をこめてお声をかけてくださるからこそ、勇気づけられるのである。
陛下の祭祀は国民のための祭祀であり、その神聖な祭祀に携わられ、無私なご日常を過ごしておられる陛下のお見舞いだからこそ、国民にとってかけがえのない励ましになる。この両者を切り離したり、二者択一で考えることは、見当外れもはなはだしい。
ちなみに、「日本国の象徴」としての国事行為は、臨時代行や摂政への全面的な委任も可能だ。しかし、「国民統合の象徴」としての務め(象徴行為)は、そうはいかない。だからこそ、陛下はご高齢によるお身体の衰えを自覚されて、「ご譲位」という選択肢をお考えになったのである。」
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3月11日 産経新聞 iRONNA『倉山満』「「国民を見捨てない」陛下の覚悟さえも貶めた裏切り者の日本人
倉山満(憲政史家、皇室史学者)
今年元旦から、皇室史学者を名乗ることとした。わが国の皇室のあり方を自分なりに勉強して、陛下が何をなされてきたのか、そして何をなされようとしているのかを、考えるべきではないかと強く思ったからだ。
現在の象徴天皇制は、古来の伝統法に文明国の通義に合わせて出来上がった明治の立憲君主制が、敗戦による外国勢力の介入に耐えて出来上がっている。そもそも、わが国の伝統法とは何か。戦前は国体と呼んだ。わが国の国体の根源は、君臣の絆(きずな)である。そして、わが国において天皇が民を見捨てることはなかった。
天災や飢饉が起きたときでさえ、歴代天皇は己の不徳を天に詫びるのが常だった。かの後醍醐天皇ですら、そうだった。古くは元寇に際し、時の治天の君である亀山上皇は「自分の身はどうなろうとも、国と民を守り給え」と皇室の御先祖である神々に祈られた。
はっきり言えば、亀山上皇や後醍醐天皇はわが国史において暗君ではあるが、外国の君主に両帝のような態度を示した君主が何人いるか。わが国の暗君も、外国では聖主なのである。
敗戦に際し、昭和天皇が自らの命を懸け、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを説得したのは近代史の出来事である。1990年、どこぞの国の君主は、自国が外国に占領されたとき、国民を見捨てて真っ先に亡命した。わが国の皇室の歴史は、外国とはまったく違うのである。
戦前憲法学の泰斗であった、佐々木惣一京都帝国大教授の門下生に語り継がれている教えがある。佐々木先生は、憲法改正無限界説を唱え、「アカ」呼ばわりされた。当時の通説である憲法改正限界説が「いかなる憲法改正であっても、皇室を廃止することは許されない」と主張した。通説であり、政府の有権解釈だった。
これに対し、佐々木先生は「いくら法律の条文や解釈で縛ろうとも、国民が皇室を廃止しようとした場合、止められるものではない。よって、法学者としては限界説を採ることはできない」と反論した。法律論として、不可能は要求できないとする、法実証主義の立場だ。
ただし、これには続きがある。もし、国民が皇室を見捨てたときのことだ。佐々木先生は、「その時、日本は日本ではなくなる」とおっしゃられたと聞く。「である」論としての法律論と、「べき」論としての政治論は分けておられたのだ。
事態は佐々木先生が想像されたよりも早く訪れた。もちろん敗戦である。天皇は「象徴」とされた。ただ、マッカーサーにとって「象徴」とは決して軽い意味ではなかった。日本国憲法の草案はマッカーサーノートと呼ばれるが、そこには「Symbol=Head of state」と走り書きがなされている。象徴とは国家元首の言い換えなのだ。
だが、これを「ロボット」にしたのは裏切り者の日本人だ。東京大法学部教授の宮澤俊義と、当時の内閣法制局長官、吉國一郎だ。
宮澤は教科書で「天皇はめくら判を捺すロボット」と断言した(『コンメンタール 全訂日本国憲法』74頁)。吉國は、「天皇の行動があらゆる行動を通じて国政に影響を及ぼすことがあってはならない」と言い切った(昭和50年11月20日参議院内閣委員会答弁)。
しかし、これらの解釈は世界の立憲君主国の標準、すなわち文明国の通義からかけ離れている。
世界の憲政の模範はイギリスだ。そのイギリスで「権威書」として憲政運用の解釈書として尊重されている、ウォルター・バジョットの『英国憲政論』は、立憲君主とは独裁者ではないと説く。同時に、単なる傀儡(かいらい、ロボット)でもないとも説く。
バジョットは、『英国憲政論』(『世界の名著』124頁)で「イギリスのような立憲君主制の下では、君主は三つの権利―諮問に対し意見を述べる権利、奨励する権利、警告する権利―をもっている。そして君主がすぐれた感覚や英知をもっているならば、このほかに必要とするものはなにもない。このような君主は、他に何も持っていないので、この三つの権利を非常に効果的に行使できることを知っている」と述べ、以下延々と君主が国政に対し影響を及ぼす方法について述べている。
君主が国政に影響力を行使してはならない、などとは言っておらず、逆なのだ。その証拠に日本国憲法第4条第1項を見よ。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。
権限(権能)がないとは書いているが、影響力を行使してはならないとは、どこにも書いていない。マッカーサーですら象徴天皇とは国家元首だと理解していたが、日本人自らの手で天皇をロボットに叩き落したのだ。そして、戦後教育においては、皇室と国民の絆を断ち切らんとする教育が行われ続けた。
さて、このような状況で陛下は平成の三十有余年を天皇としてのお務めを全うされた。国事はもちろん、祭祀にも熱心で、さらに国民との絆を保つ活動を、二度の大病を乗り越えて行ってこられた。
平成23年3月11日の東日本大震災に際し、社会の指導者たるべき人間たちが、原発事故の放射能が怖くて逃げた。あまつさえ、「陛下も京都へ逃げた」とデマを流しながら。
だが、事実は違った。3月16日、突如として「ビデオメッセージ」が流れてきた。横文字で何のことか分からないが、要するに玉音放送である。ただただ、国民を励まされるだけだった。激励権の行使である。ただし、国民に向けて語りかけられるという異例の形式だが、現行憲法下でも違憲ではない。
何も言い訳もしないし、ましてや自分を悪(あ)しざまに罵(のの)しった者どもに言い返しもしない。しかし、「決して国民を見捨てて逃げはしない」と明確に訴えられていた。
幾多の風雪に耐えた平成の御世が終わりかけている、今思う。国体は健在なり。(文中一部敬称略)」
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3月26日 産経新聞「「反天皇制」判事の判決、自民・門氏「信頼寄せられぬ」 最高裁は同じ答弁繰り返す
名古屋家裁の判事が「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿していた反戦団体「不戦へのネットワーク」の会報
名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制」をうたう団体の集会で譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していた問題で、最高裁は26日、事実関係を適切に確認できるよう、引き続き、慎重に調査していく方針を示した。同日の衆院法務委員会で、最高裁の堀田真哉人事局長が門博文氏(自民)の質問に答えた。
門氏は、裁判官ら公務員の憲法尊重擁護の義務を規定した憲法99条を引き合いに「憲法を尊重して擁護する義務を負う判事が、いかに個人的な信条とはいえ、憲法にある象徴としての天皇を否定するということは、その判事が下す判決に信頼が寄せられるはずがない」と指摘。「判事として求められる判断基準、政治的中立を上手に区別し、職務が行われているのか甚だ疑問に思わざるを得ない」と厳しくただした。
これに対し、堀田人事局長は「裁判官の私生活上の自由や、思想・表現の自由にも配慮しつつ、引き続き慎重に調査していく。現時点では、判事は事実関係を否定しており、服務規律違反の事実があったことは確認できていない」と述べ、22日の法務委での答弁と同様の内容を繰り返した。
関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(東京)などの集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」などと発言した。
昨年2月と5月には、反戦団体「不戦へのネットワーク」の会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」などと記した。」
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