✨28)─1─「菊と星条旗の国体論」。『永続敗戦』と現代日本人の奴隷根性。皇室消滅の危機。~No.114No.115No.116 @ ㉔ 

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

  • 作者:白井 聡
  • 発売日: 2018/04/17
  • メディア: 新書
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代の日本国日本人と昔の日本民族日本人とは、別人に近い日本人である。
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 日本民族日本人とは、奴隷にされ、世界中に売られた「みっともない人間」である。
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 昔の日本民族日本人は、皇室の祖先神である女性神天照大神最高神として崇めてきた。
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 白は浄い色であると同時にはかなくもろい色である。
 油断すると、気を許すと、他の色と混じって消え去り二度と元の白には戻せない厳格にして厳粛な色である。
 白色は、仏教では悟りを開いた仏の色として死の葬儀に使い、日本神道では神聖不可侵の神性な色として生の儀式に使った。
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 水戸学は、ロシアの武力侵略とキリスト教の宗教侵略から母国日本を守り独立を維持する為に、現皇室による近代的天皇制度と西洋式軍事力は必要であった考え、神聖不可侵の国體論を創り上げた。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本民族日本人を奴隷として世界中に輸出して大金を稼いでいた。
 中国や東南アジアには、奴隷として売られた日本人の悲哀が染み込んでいる。
 だが、奴隷根性を持っている日本人は、世界で奴隷にされたという事実を知りながら、アフリカ人などのように世界に対して抗議をしない。
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 昭和天皇ほど、世界中で嫌われている天皇はいないし、国内外で日本人共産主義者キリスト教朝鮮人テロリストそして反天皇反日ユダヤ人から命を狙われた天皇もいない。
 昭和天皇は、日本国の平和と日本人の幸せを願い、戦争に反対し、戦争の終結を求め、大量殺傷兵器の原爆開発を止めさせ、ヒトラーから逃げてきたポーランドユダヤ人難民の救護を切望した。
 つまり、昭和天皇は平和貢献と人道貢献をしていたのである。
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 靖国神社の祭神・A級戦犯達を否定する事は、A級戦犯達が行った人道貢献も否定する事である。
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 日本民族日本人は、2000年の歴史を持つ天皇中心体制である国體を守る為に、1億総玉砕の覚悟で戦っていた。
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 アメリカは、二発の原爆投下実験が完了するまで日本の降伏を認める気はなかった。
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 ソ連は、ヤルタ密約で強奪を認められた千島列島、北方領土四島、北海道東半分を武力占領するまで、日本の降伏を許さなかった。
 ロシア人共産主義者は犯罪者として、日本との条約を破り、満州樺太で逃げ惑う日本人の女性や子供を大虐殺して北方領土四島を暴力的に不法占領した。
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 2019年1月6日・13日号 サンデー毎日「『国体論』の白井聡
 改元の年に問う 象徴天皇制の行方
 秋篠宮発言、安倍政権が君臨する
 ……
 平成がまもなく終わり、次の秋には新天皇による大嘗祭(だいじょうさい)がとりおこなわれる。
 その大嘗祭の経費は、国庫で負担されるべきなのか、皇室が負担すべきであるのか。秋篠宮は、みずからの誕生日に先立つ記者会見にて、『宗教色が強いものが国費で賄うことが適当かどうか』と疑問を呈し、宮内庁長官が『聞く耳をもたない』とまで踏み込んだ。
 秋篠宮は、きわめて厳格で明瞭な憲法理解を披露し、皇室が負担すべきものだと主張したのだ。そもそも、敗戦後の民主化改革(この場合、神道指令)による国家神道の解体は、国家と神道の分離を規定し、天皇や皇族が神道の神官として司(つかさど)る儀式は天皇家の私的行事であると定義された。しかし、これまでこの原則は曖昧にされ、宗教性を明らかに有する行事、例えれば大嘗祭が公的性格を持つとして国費によって賄われてきた。
 このことの問題性を、秋篠宮ははっきりと指摘した。昭和から平成の代替わりの際にはうやむやにされた問題にスポットを当てたのが、皇室の一員だったというわけだ。
 この発言の含意は、皇室の戦後憲法の価値感に対する信頼と忠誠をあらためて表明したものであると解せようし、その価値観をもっと徹底的に現実に適用するべきだという提言でもあるだろう。
 今上天皇生前退位の意向を示した2016年の『おことば』も、同じ文脈に位置する。戦後憲法の遵守を繰り返し誓ってきた天皇が、憲法違反の疑義が生じかねない異例の行為にまで出なければならなかった、その動機、天皇を衝(つ)き動かした危機感は何か。
 実に、安倍政権が君臨してきた平成末期は、戦後レジームの全般的な危機が表面化した時代となった。低次元のスキャンダルにまみれ、議会政治の最低限のルールをも守ろうとしない政権と、それに立ち向かうこともできないメディア。そしてこの状況を終わらせようという意志を持たない、無知、無気力、無関心、奴隷根性の泥沼に落ち込んだ群衆。『末法の世』とはこういうものかと実感する。間もなく終わる平成を、後代の日本人(存在し続けると仮定するならば)は、途轍(とてつ)もなく馬鹿げた時代だったと見なすであろう。
 それは同時に、国民統合の崩壊が劇的に進行した時代でもある。『1億総中流』が遠い過去となるなか、国民統合がもはや存在せず、誰もそれを回復しようと欲してすらいないのだとすれば、『統合の象徴』もあり得ない。今上天皇が『おことば』のなかで『象徴としての役割を果たす』ことに重ねて言及することで強く示唆したのは、まさにこのことではなかったか。
 アメリカが天皇として機能する国体
 この文脈の本質を読みとり、皇室の抱く危機感を理解するには、『戦後の国体』の歩みを知らなくてはならない。『国体論──菊と星条旗』(集英社新書)を18年春上梓(じょうし)た私からみれば、皇族の活発な発言は、象徴天皇制が揺らいでいることに対して尋常ならざる危機感を抱いていることの表れだ。象徴天皇制は、敗戦を契機として生まれた戦後レジームの一要素であるのだから、後者の危機は即座に前者の危機をも意味するのである。
 『国体』とはそもそも何であったのか。明治レジームが発明した国体とは、『万世一系天皇を中心とする国家体制』、より端的に言えば、日本国は天皇を頂点に戴(いただ)く『家族』のような共同体であるとする観念だった。それによれば、大いなる父たる天皇は臣民=国民を『赤子(せきし)』として愛しているのであって、支配しているのではない、とされた。しかし、国家が国家である以上、それは支配の構造である。つまり、支配の事実を否認する支配であるところに、国体観念の際立った特徴があった。
 無論、天皇ファシズムの温床と目された戦前の国体が、戦後もそのまま生き延びたわけではない。それは公式には、敗戦後の民主主義改革によって粉砕されたことになっている。しかし、『国体』が死語となったからといって、いわゆる天皇制の宿痾(しゅくあ)として指摘されてきた精神風土・社会構造が残存しているならば、それは国体も何らかのかたちで存続していることを意味する。
 では、『戦後の国体』は、いかなる意味において存在するのか。史実に照らせば明らかなように、第二次世界大戦終結後、アメリカは天皇制を存続させることを通して日本を間接支配するプランを実行に移し、昭和天皇は、これに巧妙に応えるかたちで、敵だったアメリカの存在を積極的に受け入れることによって皇統断絶の危機を乗り切った。かくして戦後日本の国家支配層には親米路線が共有されたが、それがもたらたのは、無論、皇統の持続だけでない。それは復興、高度成長、さらには経済大国の地位までをもその果実として生み出した。
 いま表面化しているのは、その『平和と繁栄』の物語の代償だ。戦後日本の奇妙な対米従属である。対米従属それ自体は世界中にありふれた現象にすぎないが、日本のそれは、『思いやり予算』『トモダチ作戦』といった用語にその特殊性が鮮やかに表れている。それは、被支配と従属の事実を否認するものであるという点において、戦前の天皇制の統治原理と瓜二つなのである。
 昭和天皇が手引きした『菊と星条旗』の結合、否、従属は、『アメリカから愛される日本』という幻想をもつ日本国民からは見えない。いや、国民はそこから目をそらし続けてきた。
 しかし、いまや事態の真相は赤裸々に露呈している。東西対立終焉(しゅうえん)以降、合理性を失った親米保守という、本来およそ『保守』であり得ないはずの立場がいまだに政財学メディアの全領域の座を独占し、その代表者(=安倍晋三首相)は、天皇の意思を公然と蔑(ないがし)ろにしながら、米大統領には何の恥ずかしげもなく取り入ってみせる。
 つまり、いつの間にか、『星条旗』は『菊』の機能を果たすようになった。言い換えれば、アメリカは単なる権力としてではなく、精神的権威として君臨するようになったのであろう。かくていまわれわれが目にしているのは、アメリカが事実上の天皇として機能する国体である。
 国体は定義上、永久に続くものと観念される(天壌無窮)が、思い出してもみよ、あの戦争の末期、国体護持は至上命題として追求されるべきものとされた。そのために戦争は長引き、犠牲者は増え続けた。今日とて状況は同じである。親米保守支配層は、対米従属体制の存続のために、日本国民の有形無形の富をその最後の一片に至るまで売り飛ばし、国民の統合を破壊し尽くそうとしている。あるいは、沖縄の辺野古新基地建設問題は、『戦後の国体』の護持かそれとも決別かという問題の最も先鋭な現れである。
 靖国が潰れるか、皇室が潰れるか
 もうひとつ、危機の表徴をなす出来事を取り上げよう。18年9月、靖国神社宮司(当時)小堀邦夫の『問題発言』が発覚した。小堀は内輪の会合で次の言葉を口にしたという。『陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ』『どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないんだろ?遺骨はあっても。違う?』『はっきり言えば、今上天皇靖国神社を潰そうとしているんだよ。わかるか?』
 この発言が報道されると、『あまりに不穏当で不適切』との批判が高まり、小堀は宮司を辞任した。しかし、この発言の問題性は、言い回しが乱暴だなどという次元にはない。問題は、それがあまりにも正確に『靖国問題』の核心を射抜いているという点にある。
 A級戦犯の合祀発覚(1979年)以降、天皇靖国親拝は一度もなく、平成の代になると今上天皇による旧戦地への慰霊の旅が突出した存在感を醸し出してきた。そのとき、『霊』はどこにあることになるだろうか。もっぱら旧戦地で天皇が慰霊の儀式をおこなうことで霊が靖国ではなくそこにいたことが示唆され、靖国では戦没者の霊魂が希薄になるのだ。
 論理はそこにとどまらない。霊の居場所である(と右派が考える)靖国があるにもかかわらず、霊が死没の地にとどまっているとするならば、その霊たちはそれぞれ絶命の場所を彷徨(さまよ)っていたことになる。このことは、靖国が自分たちを慰めてくれる居場所であると霊たちが感じていない、したがって靖国が無意味であることをも含意する。
 小堀の発言は、まさにこの論理を言い当てている。……
 ……
 小堀の問題提起は徹頭徹尾精確(せいかく)だ。靖国神社が潰れるのか、それとも象徴天皇制が潰れるのか。……
 この問いに決着をつけないまま放置したのが、『菊と星条旗』の曖昧な結合が君臨し続けた『戦後』という時代だった。
 この問いは、より一般化すれば、『戦後の国体』をどう始末するのか、という問いへと不可避的につながる。なぜなら、靖国史観のごときものが敗戦にもかかわらず曖昧に生き延びることができたのは、アメリカによる属国化と引き換えに、一種のお目こぼしの恩恵を受けたからだ。親米ウヨク支配層は、アメリカに対して従順・忠実である限りにおいて、戦前の国家主義の紛(まが)い物を鼓吹することを黙認されてきた。
 だから、いまやわれわれは2つに1つを選ばなければならない。靖国職員が言うように、『陛下の首に縄をつけて靖国神社まで引っ張って』きて、現代の日本の若者がアメリカの覇権の持続のために安心して命を捧げられるよにするために、天皇に祈らせるのか、それとも『靖国的なもの』をこの社会から追い出すのか、それが問われているのである。
 昭和天皇の戦争責任についての心境
 このように見てくると、皇室とその周囲を巡って生じた最近の出来事は、戦後民主主義の揺らぎと共に進行する象徴天皇制の揺らぎのなかにあって、象徴天皇制の在り方を更新しようとする今日の天皇家の人々の意思の表れのように見える。
 確かに、それは更新されない限り、命脈を失うのだ。象徴天皇制はその始発点において戦後の特殊な対米従属体制の一構成要素として設計されたが、そのプランに積極加担した昭和天皇は、国体護持の外観と引き換えに『菊と星条旗』を結合させて、やがて『星条旗』が『菊』を代行する状況を自ら手引きしてしまった。
 その観点からすると、18年8月に元侍従の小林忍の日記公開によって明らかにされて、昭和天皇の戦争責任についての心境の一端は、興味深かった。
 ……」
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 白井聡「戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、永続敗戦とは『戦後の国体』であると言ってもよい。そうであるならば、永続敗戦の構造において戦前の天皇制が有していた二重性はどのように機能しているのであろうか。
 それは、『敗戦』という出来事の消化・承認の次元において機能している。すなわち、大衆向けの『顕教』の次元においては、敗戦の意味が可能な限り希薄化するよう権力はきのうしてきた。『戦争は負けたのではない、終わったのだ』、と。そのことに最も大きく寄与したのは、『平和と繁栄』の神話であった。この顕教的次元を補完する『密教』の次元は、対米関係における永続敗戦、すなわち無制限かつ恒久的な対米従属をよしとするパワー・エリートたちの志向である」(『永続敗戦論──戦後日本の核心』講談社+α文庫)



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 日本を批判し非難する、天皇の戦争責任、第2回南京事件、捕虜虐待・虐待死事件、植民地支配問題、従軍慰安婦問題や徴用工問題、靖国神社公式参拝問題、歴史教育問題などはこうしてつくられてきた。
 反天皇反日的日本人は、洗脳教育の徹底と外国人移民の増加で徐々に人数が増えている。
 護憲派人権派そして国連主義者など左翼・左派・ネット左派は、そうした類いの日本人である。
 また、日本を世界の嫌われ者にしている右翼・右派・ネット右翼も同じ穴の狢である。
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 近代的天皇制度や国家神道は、キリスト教の宗教侵略による日本破壊から大和心・大和魂を守る為に水戸学が創りだした。
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 最も恐るべき敵は、日本人を奴隷にしたキリスト教会ではなく、反天皇反民族にして反宗教無神論共産主義勢力であった。
 つまり、ソ連コミンテルン中国共産党である。
 敵国で言えば、ロシア、中国、朝鮮の3カ国である。
 日本は、古代から反日敵日諸国に包囲されながら生きてきたし、今後も反日敵日諸国の包囲を受け続ける。
 日本に味方してくれる国家・民族、日本を助けてくれる国家・民族は、日本周辺国には一カ国もない。
 日本は、孤独に、孤立し、一人一カ国でローカルとして寂しく生きていかねばならない。
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 外国人移民(主に中国人移民)が増え、外来種日本国籍取得者日本人が日本国民日本人として多数となり、在来種日本民族日本人が少数派となれば、日本はグローバル化し、ローカルな辺境の日本ナショナリズム天皇ファシズム神道原理主義は完全に消滅する。
 日本のナショナリズムを消滅させるならば、外国人移民を受け入れて日本民族日本人を死滅させ民族所縁の全てを廃棄する事である。
 外国人移民推進とは、そういう意味である。
 少子高齢化による人口激減が加速する日本は、確実にその方向に速度を速めながら転げ落ちていく。
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 女系天皇女性天皇を即位させるとして、その伴侶たる男性を誰にするかが問題である。
 女系天皇女性天皇の夫君陛下には皇位継承権があるのかどうか、どうか。
 皇位継承権を放棄して貰うとして、もし皇太子が生まれなければどうするのか。
 現在の皇族には、若い男子は皇位継承第三位の悠仁親王殿下しかいない。
 もし、悠仁親王殿下が結婚できなかったら、即位する前に病気や不慮の事故で逝去されたら、結婚しても男子が生まれなければ、現在の皇室・天皇家は絶えてなくなる。
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 現在の皇室・天皇家が絶えれば、初代神武天皇即位を根拠とする皇統は絶え、日本中心神話・天孫降臨神話の最高神である女性神天照大神の直系子孫である血統も絶える。
 皇統と血統を正統とする、日本民族日本人が生み出した2000年の時空を経て継承されてきた天皇制度は消滅する。
 人類史上最も古い王家・王族が消え去る。
 世界の宗教史上特異な、女性神最高神とするローカル宗教・民族宗教の日本神道も絶える。
 現在の皇室・天皇家を断絶させ天皇制度を廃絶する事は、日本民族日本人の絶滅を意味し、民族所縁の全てを消滅させる事である。
 例えれば、ハワイにはハワイ人がいても、ハワイ王家・ハワイ民族・民族所縁の大半が消え去った事である。
 数万年の歴史を持つ古い日本民族日本人が消えても、歴史を持たない新しい日本国民日本人は生き続ける、のである。
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 日本国民の総意として、日本民族日本人を捨てると同時に皇統と血統を正統とする日本天皇家・皇室を廃止すると決めたのなら、仕方がない。
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 2018年に問題となった、秋篠宮家の長女・眞子様の事を考えれば皇女の結婚は深刻な問題を孕む為に慎重にならざるを得ず、慎重になりすぎて結婚できなくなる危険性もある。
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 日本社会の見えない所に、反宗教無神論にして反天皇マルクス主義共産主義)がドス黒く醜悪な澱みをつくり、日本人の心・精神・情緒を治療不能・回復不能にまで蝕んでいる。


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永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

  • 作者:白井 聡
  • 発売日: 2016/11/18
  • メディア: 文庫
属国民主主義論

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永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)

  • 作者:白井 聡
  • 発売日: 2013/03/08
  • メディア: 単行本
日本戦後史論

日本戦後史論

  • 作者:内田樹,白井聡
  • 発売日: 2015/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
日本劣化論 (ちくま新書)

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リベラル再起動のために

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