🏞79)─2─アイヌ人に対する田沼意次と松平定信の違いは、儒教・朱子学の毒の有無であった。同化と異化。~No.320 @ 

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 江戸時代は、特権階級の武士による封建領主支配時代と単純に説明できなかった。
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 北方領土は、四島であって二島ではない。
 江戸時代の武士・サムライは、死を怖れず、命を捨てても北方領土四島を守っていた。
 北方領土四島を失う日本人は、武士でもサムライでもない。
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 2018年9月14日号 週刊ポスト「逆説の日本史 井沢元彦
 近現代編 第四話
 大日本帝国の試練 Ⅱ
 台湾および朝鮮統治と日露戦争 その13
 戦前の日本人が陥った最大の過ち『差別解消のための創氏改名
 21世紀になって地球上から植民地はほぼ消滅したので、『特別統治主義』と『内地延長主義』もこの世から消滅した。植民地は独立することによって本国との間に存在した差別を解消した。『特別統治主義』という名の差別を打破した、と言ってもいいかもしれない。ただ、これが変則的な形で残っているのが、かつてイギリスの植民地だった香港である。本国である中国の実施している『一国二制度』というのがそれだ。ただしこの制度、植民地であった香港のほうが平等で民主的であり、本国の中国のほうが共産党による一党独裁という形になっている。それが変則的ということである。
 さて前回述べたように、日本人の多くはフランス流の『内地延長主義』に共感を示すが、それはとんでもないことになりかねない。そのことはすでに日本人のアイヌ民族への接し方で詳細に分析しておいたのだが、このことをぜひ思い出していただきたい。
 時代は江戸時代後期。老中田沼意次アイヌ民族の土地である蝦夷地へ調査隊を派遣した。ロシアが蝦夷地に領土的関心を示していたからである。意次はまた朱子学全盛の時代にタブーとされていた外国との交易を盛んにすることによって幕府の財政を再建しようと考えていたので、アイヌ民族との融和路線を取った。正確に言えば、意次の遺志を継いだ最上徳内らによってである。しかし田沼意次を『極悪人』と考えていた朱子学の狂信者であり後の老中松平定信は、せっかくの調査報告書を闇に葬り蝦夷地を放置させた。アイヌは『野蛮人』というより『禽獣(きんじゅう)』であり、それゆえ彼らと交流する必要など無い。そもそも交流など不可能だと定信は考えたからだ。
 おわかりだろうが、これが朱子学の『キモ』である。中国文化を絶対とする。これも正確に言えば中国にしか文化が無い、と考える朱子学の立場から見れば漢字以外に文字は無い。訓民正音({くんみんせいおん}ハングル)や仮名は文字では無い。同じくアイヌはそうした中国文化をまったく受け付けないから、人間では無く『ケダモノ』なのである。
 アイヌを『ケダモノ』と考える朱子学の狂信者である松平定信とは違って、高山や最上徳内アイヌを同じ人間と考えていた。だからこそ、その後継者たちは、つまり朱子学を克服し世界と広く交流することによって新しい国家を築こうとした明治維新の達成者たちは、アイヌに対してはこう考えた。『彼らを日本人にしてしまえばいい』と。
 同化政策だ。これも『逆説の日本史 第17巻 江戸成熟編』で述べたように、同化政策というのはその根本的なところにあるのは善意だ。悪意が根本にあれば差別政策になる。イギリス人がインド人に対して行ったように、参政権を与えず国軍の幹部にもしない。しかし、多くの日本人が誤解しているのでもう一度繰り返すが、同化政策は差別では無い。それどころか差別というものを根本的に解消する政策の一つである。
 国連の世界人権宣言の第二条第一項には次のようにある。

 すべて人は、人権、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

 ここに列挙してある『人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位』は、差別する側から言えば『ネタ』になる。『あいつはユダヤ人だ』とか『あいつは肌の色が黒い』『女だ』『フランス語を話さない』『カトリックじゃ無い』『共産主義者だ』『部落出身だ』『貧乏人だ』『うちは士族だがあいつの家は平民だ』・・・。具体的に言えばこういうことである。そしてこれを解消するもっともよい手段は『人間の価値はそういったもので左右されない』という信念を共有することだ。だがこれは理想であって、なかなか達成することは難しい。そこで考えられたのが同化政策である。この同化政策を徹底的に実行したのはフランスでは無く、況(いわん)やイギリスでも無く、明治から大正昭和にかけての大日本帝国であった。たとえば朝鮮民族に対する同化政策では、天皇の臣民つまり日本人として教育を受けさせるかたわら、創氏改名政策を実施した。これは昭和になってからのことなので改めて詳しく分析するが、とりえずその『効果』だけ述べておこう。
 『あいつは朝鮮人だ』と差別したい人間にとって、もっとも困ることは朝鮮人が日本風の姓名に名を変えてしまうことである。子供の頃から日本語教育を受けているから日本語は完璧で、その上に姓名まで日本風に変えられてしまったら、差別の『ネタ』が無くなり差別したくても差別できなくなる。ということは差別が解消されるということだ。また儒教社会(朱子学世界)では夫婦別姓である。かつて日本には中国や韓国のほうが夫婦別姓だから、日本より女性の権利が尊重されているなどというバカな誤解をしていた学者、文化人、政治家たちがいたが、朱子学世界の夫婦別姓は女性の権利尊重どころか徹底的な女性差別の結果である。日本でも近代以前にはそういう連中がいたが、尊重されるのは男系の血だけである。たとえば『劉(りゅう)』という一族の男子が『陳(ちん)』という一族の女性を妻としたとしよう。2人の間に子供が生まれた。それは男の子であれ女の子であれ父『劉』の血を引いているわけだから、『劉』姓を名乗ることができる。現代風に言えば『劉のDNA』を持っているからだ。しかし妻はもともと赤の他人で『劉のDNA』は持っていない。つまり『女の腹は借り物』であって何人子供を産もうと『劉』は名乗れない。完全な仲間外れ、徹底的な差別ということであり、これが朱子学世界の夫婦別姓の実態なのである。
 ではこうした女性差別を根本的に解消するにはどうしたらいいだろうか?朱子学世界のルールを打ち破ればよい。具体的には男と女は夫婦となった時点で新しい『氏』つまり一家を形成できるように戸籍の形を変えればよい。それが『創氏』政策の大きな目的の一つだったのである。この場合『田中』や『鈴木』に変えてもいいのだが、祖先伝来の姓を守りたいという人間は朝鮮風の姓をそのまま新しい氏として登録することが許された。日本風への改名が強制されたと主張する学者、研究者がいるが、その主張が誤りだということを完全に証明できる一つの事例がある、それは大日本帝国陸軍で中将までになった洪思翊(ホンサイク)の存在である。陸軍軍人は一般臣民とは違ってまさに『天皇陛下の股肱(ここう)』であって、大元帥である天皇の命令には絶対服従しなければいけない。しかし、彼は『洪』という先祖伝来の姓を最後まで変えようとしなかった。それが可能だった。もしこの政策が強制的におこなわれたものならば、天皇直属である帝国軍人にそれに従わはない者がいるというのはきわめてまずい事態であり、処罰するか天皇の命令をもって強制的に改名させるべきである。
 しかし彼は処罰を受けなかったし、当然ながらそんな命令も受けていない。創氏改名が日本風の姓に変えない者の意思を尊重する政策であったなによりの証拠である。そしてもう一つ肝心なことだが、日本人はこれを善意でやっていたということだ。朝鮮人がこれを受け入れれば差別は消滅する。少なくとも消滅する方向へ大きく前進する。それは一方的な日本人の思い込みで無く、実際にそうなるということは前半の説明で納得していただけたと思う。
 残っていた『異文化への蔑視』
 しかし私は、だから言ってこの政策は評価できない。というのはこれが同化政策の最大の欠点であるのだが、このやり方では相手の文化を完全に破壊してしまうからである。アイヌ民族に対する同化政策もそうであるが、相手の文化への敬意および尊重が一切無い。そう言えばフランスにも『フランス式中華思想』などと揶揄(やゆ)されるものがあるのはご存じだろうか。その反動である他の文化に対する蔑視。これがそもそも朱子学の持つ最大の欠点である。残念ながら日本も江戸時代から近代にかけて、かなりの部分において『天皇』を使い朱子学を克服(四民平等など)したのだが、『異文化への蔑視』という部分だけは神道の影響もあって完全に残留してしまった。これが無ければ、大日本帝国アイヌ文化を尊重し北海道を『アイヌモシリ自治区』にし、日韓併合も『対等な合併であり日本語および韓国語を公用語とする』になったかもしれない。そうすることが本来の日本にとってよかったかということになるとまた別だが、少なくとも『異文化への蔑視』が無ければアイヌ民族朝鮮民族に対する接し方がまるで違ったことは確実である。
 同化政策によって他の民族の文化を消滅させるということは、アウシュビッツのように民族の存在自体を消滅させようとしたのとはまったく違う。アウシュビッツを実行したかつてのドイツ人にはユダヤ民族に対する深い差別があり強い憎悪もあった。朝鮮民族に対する日本人の態度にはそんな憎悪はまったく無い。むしろ、まったく無いからこそ差別を解消するために『日本人になればいい』という態度を取ってしまう。前にも述べたように、これが戦前の日本人が陥った最大の過ちであると私は考えている。そういう視点から見れば『日本人によって危うく朝鮮のアイデンティティが破壊されるところだった』と現代の韓国人が思い込むのも一面では無理も無いと言える。
 だが、そこでもう一つ考えなければいけないのは、その『朝鮮のアイデンティティ』のかなりの部分が事大(じだい)主義、つまり中国を主君として絶対の模範として追随する、という態度で占められているということだ。朝鮮半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、これで1000年以上うまくやってきたのである。その絶対の君主であるはずの中国(当時は清国)がガタガタになったからと言って、1000年以上うまくやってきた事大主義を捨て去るのはもったいない。要するに新しい『中国』さえ出現すれば、それに追随することこそ朝鮮民族の選ぶべき道だ、と考えた人々も相当数いたはずだということである。いやむしろエリートである官僚の頭のなかにはそれしかなかった。と考えるほうが自然かもしれない。なぜならそれは国の当初から続いてきた絶対のルール、祖法だからだ。このように考えてくれば、最初は徹底的に反日派であった朝鮮国の政治か李完用(イワンヨン)が後に日韓併合に賛同した真意もわかってくる。それは大韓帝国成立のときは愛国者だったが後に売国奴に変節した、などという単純な見方で分析できるものでは無い。いずれにせよ朱子学というものがわかっていなければ、この時代は決して完全に理解することはできない。
 ちょうど松平定信蝦夷地を『ケダモノの土地』と考えたように、中国人は台湾を貿易や農業に利用できる一部を除いて、やはり『ケダモノの土地』と考えていた。そこに住んでいる人間たち、アイヌ民族や台湾先住民(原住民)を人間とは考えないからで、こういう場所を彼らは『化外(けがい)の地』と呼んだ。しかし、日本人は中国人のように完全に朱子学に毒されていなかったので、台湾においては台湾先住民を『日本人に変えられる』と考えた。だから、まず『六氏(ろくし)先生』が駆けつけて教育から始めたのである。
 じつはアイヌ民族の文化と台湾先住民の文化にはきわめて大きな違いがある。アイヌ民族は一応言語的には統一されていた。しかし台湾先住民は16の部族にわかれており共通語は無かった。つまり外から見れば彼らは台湾先住民という一つのグループなのだが、なかでは部族同士の殺し合いなど日常茶飯事で、一つの民族であるという意識はかけらも無かったのである。まず共通の言語が必要だ。日本語がその役割を果たしたのである。」

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 ロシアの南下によって、蝦夷地(北海道)・北方領土は祖国防衛の最前線となり、先住民アイヌ人を侵略者の協力者にさせず日本の味方にする必要があった。
 事実。ロシア海軍による海賊行為・武力行使事件が起き、日本人とアイヌ人に死傷者が出ていた。
 日本の幕末はこの時から始まっていた。
 決して、ペリー黒船艦隊がキッカケではない。
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 ロシアは、千島列島のアイヌ人達をカムチャツカ半島強制移住させて無人化した。
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 ロシアの日本侵略の脅威は日露戦争まで続き、日露戦争の勝利で解消された。
 ロシア革命後は共産主義の浸透が、日本の脅威となった。
 その日本の脅威に対し、反日派敵日派の中国と朝鮮はロシア及びソ連共産主義に協力していた。
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 日本の生存の為には、侵略者・ロシア人に協力する危険性のあったアイヌ人をどう処遇するかが最重要課題であった。
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 江戸幕府は、東北諸藩に対して祖国防衛の為に北方領土及び東部蝦夷地沿岸への派兵を命じた。
 幕末・戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が、薩長土肥の官軍に敗北した要因の一つが北方領土蝦夷地防衛の派兵であった。
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 儒教朱子学は、戦国乱世の気風が残る社会を天下泰平の世に作り替える為に必要だった。
 五代将軍徳川綱吉は、武断から文治へと構造改革を行うべく、朱子学に基づき「生類憐れみの令」など公布したが、庶民に理解させないまま強権的に実施した為に弊害を生んだ。
 六代将軍徳川家宣は、生類憐れみの令を廃止し、捨て子の保護や旅人の介護など善政につながる所は残した。
 時代が庶民文化に移行するや、朱子学は形骸化し教養として残ったが、社会に対する影響力は弱まった。
 だが、朱子学的素養を強く持つ松平定信水野忠邦らが老中に就任して諸改革を行う時、庶民文化を抑圧した。
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 朱子学の強い影響を受けたのが、水戸の徳川光圀が始めた大日本史=水戸学であった。
 江戸後期に、ロシアが侵略してきたという恐怖情報が日本全国に駆け巡るや、泰平で和歌の試作に勤しんでいた国学者天皇崇拝者・民族主義者を震撼させ、彼らの間で水戸学が憂国の学問・愛国の学問・祖国防衛の思想として広まった。
 吉田松陰ら初期の勤皇派、尊皇攘夷派が恐れた外国の侵略とは、アヘン戦争を起こしたイギリスではなく、北のロシアと西洋のキリスト教であった。
 当時の国学者天皇崇拝者・民族主義者は、現代の右翼・右派・ネットウヨクとは大半の面で似ているところがない別人である。
 当然の事ながら、現代のリベラル派・革新派・エセ保守派そして一部の保守派は100%に近い全くの違う別人である。
 つまり、現代の日本には、真の意味での日本民族日本人はいない。
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 日本人は、どう頑張って学んでも儒教の神髄を極める事は不可能である。
 それは、仏教においても言える。
 何故なら、儒教も仏教も海の外から伝来したものだからである。
 日本民族日本人は、中国の不寛容な儒教よりもインドの慈悲を説く仏教を好んだ。
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 アメリカのペリー黒船艦隊を見て、ロシアの北方領土海賊行為を見なければ、日本の近代化の事実は理解できない。
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 戦後のキリスト教史観とマルクス主義共産主義)史観による反戦平和の歴史教育は、江戸後期にあった「ロシアの侵略による日本存亡の危機」と明治以降の「ロシアの日本侵略に協力した反日派敵日派中国・朝鮮」を歴史の表から抹消した。
 それを学んで高得点を取って卒業したのが、政界・政治家、官界・官僚、学界・学者そして教養人・知識人・文化人、財界・経営者・企業家などの高学歴出身知的エリートである。
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 世界は、日本を侵略しようとしたロシア・中国・朝鮮に味方し、母国を守ろうとした日本を理解せず、1人で孤独に戦った日本を「悪」と非難し批判を繰り返している。
 日本には、味方してくれる、擁護してくれる、国や友人は地球・国際社会には誰もいない。
 いるのは、日本を非難し批判する国ばかりである。
 さらに深刻な問題は、日本国内に反天皇反日的日本人が少なからず存在する事である。
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 日本を取り巻く・包囲する周辺諸国のロシア・中国・朝鮮は、反日派敵日派であって、親日派知日派ではなかった。
 周辺諸国にいる知日派とは、好意的な知日派ではなく、悪意に満ちた嫌悪すべき知日派である。
 現代日本人には人間観察・人物分析能力が劣っている為に、好意を持っている知日派と悪意を持った知日派の見分けがつかない。
 その為に、愚かにも、悪意を持った知日派を友人と信じてすり寄り、好意を持ってくれる知日派を敵と決め付けて切り捨てている。
 その傾向は高学歴出身知的エリートに強く、特にメディア関係にその傾向が顕著で、そして絶望的深刻さは年々強くなっている。
 日本のテレビ・新聞・雑誌の報道・情報に、そうした事が明らかに見られる。
 リベラル派・革新派・エセ保守派そして一部の保守派も同様である。
 インターネット情報とて似たり寄ったりで、右翼・右派・ネットウヨクは最悪と言っていいほど悲惨である。
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 ユダヤ人など、世界中で人種や民族で差別・迫害・弾圧を受ける人々は出身を隠す為に創氏改名をするのが常識となっている。
 差別反対派は、人種差別主義者の目を誤魔化す為に創氏改名を積極的に勧め、雑婚による混血化を促している。
 人種差別主義者は、差別するには異化こそが望ましいとして、同化させる為の創氏改名や混血化に反対した。
 その根拠が、血が汚され「純血が守れない」であった。
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 アメリカは、ハワイで徹底した同化政策を行い、ポリネシア系カナカ族をアメリカ人化し、ハワイ王家を廃絶し、カナカ族の伝統・文化・宗教・風習・習慣そして言語を消滅させた。
 そして、白人キリスト教徒だけではなく中国人、日本人(沖縄人)、フィリピン人などアジア人を大量に移住させて人種・民族の坩堝(るつぼ)として、先住民カナカ族を少数派に落として社会の片隅に追いやった。
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 西欧諸国の植民地政策は、アメリカの同化政策とは違って越えられない障壁を築く異化政策であった。
 スペインとポルトガルが行った植民地政策は、白人と現地人の混血児にキリスト教に改宗させ、その混血児に植民地支配・嫌われ仕事・汚れ仕事をさせる事であった。
 つまり、カトリック教会諸国とプロテスタント諸国の植民地支配は、宗教・キリスト教が介在するかどうかで異なる。
 プロテスタント諸国の植民地政策は、「分裂と対立」で、少数派に権力を与え暴力で多数派を支配させ搾取させる事であった。
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 徳川家康徳川幕府が、スペインやポルトガルを追放し、オランダを受け入れたのもこの点であった。
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 世界のグローバル化とは、多数派・勝者・強者がローカルな少数派・敗者・弱者を強制的暴力的に消滅させる事である。
 それを正当化し、合法的に実行してきたのが、排他的不寛容な絶対的価値観を掲げたキリスト教と中華儒教朱子学)そして共産主義マルクス主義)であった。
 日本民族日本人は、その三者の攻撃・侵略を受けていた。
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 宗教と主義(〜イズム)とで、どちらが最悪かと言えば主義である。
 つまり、信仰のキリスト教より理想の儒教共産主義マルクス主義)の方が最悪である。
 虐殺するにしても、キリスト教はどこかで歯止めが掛かったが、儒教共産主義マルクス主義)は容赦なく徹底して行われた。
 ヒトラーナチス・ドイツは、キリスト教価値観を含んでいた為に、ユダヤ人殲滅のホロコーストスターリン毛沢東などの大虐殺に比べて徹底しきれなかった。


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