⛫82)─1─西日本と東日本の違い。家構造・家族類型。日本史=二本史。 〜No.169No.170  @      

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
 日本は、寛容そして多様性や柔軟性をわざわざ求めなくても、古代から既に備わっている。
 その証拠が、純血種ではなく混血の雑種民族と言う事である。
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 2018年10月号 新潮45「二本史 家族人類学的ニホン考  鹿島茂
 1 東西日本で分かれる家族のかたち
 日本人の二つの〝住まい方〟で読み解くまったく新しい日本史。
 日本史は二本史?
 日本史にまったくの門外漢なのだが、アマチュアとして日本の歴史を考えただけでも、『日本史=二本史』として考えたほうが合理的な解釈ができるように思えることが少なくない。つまり、本来は二つの系統の歴史であるべきものが、またま日本列島という一つの地理的単位の中に併存してしまったため顕在的には一つの日本史のように見えるのだが、潜在的にはずっと二本の歴史のままでありつづけて今日に至っているということになるのである。
 といっても、この『日本史=二本史』という発想は私のオリジナルではいささかもない。日本の全国を自分の足で歩いた優れた歴史家や歴史小説家なら気づかないはずはなかった歴然たる事実なのである。
 たとえば、日本歴史学パラダイムを転換させた歴史家・網野善彦は講演『日本史の転換点としての中世──東国と西国』(『列島の歴史を語る』ちくま学芸文庫)の中で、こう述べている。
 『まず歴史学以外の分野、方言、言語、社会学等の学問研究の成果を見てみますと、日本のいろいろな問題を取り上げる場合に、≪東日本≫と≪西日本≫とに分けて考えておられることが多いのです。方言の面で≪東と西≫の間には大きな違いがある。これはもう、東国方言、西国方言の違いとして有名なことですし、民俗の面でも、端的に言って≪東日本≫はタテ社会、≪西日本≫はヨコ社会と言える。(中略)例えば、「宮座(みやざ)」というものが≪東日本≫にはほとんどないという現象や神社のあり方、家父長権は≪東≫に強くて、≪西≫のほうはずっと弱いとか、他にいろいろな事例を挙げることができます。(中略)このように、≪東と西≫の違いに目を向けていきますと、極論すれば、万が一ある外部的条件が整っていたならば、日本の≪東と西≫の社会はなにかの作用によって二つに分かれた民族になり、国家になってしまう可能性もあったのではないかと思えてくる。そう考えざるを得ないほどの相違が≪東と西≫にはあったと思います』
 つまり、網野善彦は、歴史の蓋然(がいぜん)線がどこかで別の仕方で交錯していたら、日本国は、二本の異なった歴史をもつ別の国となっていたかもしれないと考えているのである。
 もう一人、日本史は二本史だと主張している人に司馬遼太郎がいる。『この国のかたち』で展開される司馬史観を要約すれば、大きく二つのポイントにまとめることができる。一つは、開拓農民の素朴なリアリズムから出発した武家政権が、徳川幕府に至って宋学朱子学)の影響で硬直したタテ型構造に変質したという点。徳川幕府が東日本に置かれていたことから、この東日本的タテ型構造が公式的な(表面的な)一本目の日本となった。もう一つは、幕府から遠く離れた西日本には、土着的な平等主義が残存し、これがヨコ型構造を生んで、二本目の日本となった。幕末に至ってこれらの二本の日本は特殊なかたちで交差し、明治維新という革命を生み出す。これが司馬遼太郎の『飛ぶが如く』などで描き出した『日本史=二本史』の史観である。

 さて、以上で、二本を代表する歴史家と歴史小説家がともに『日本史=二本史』という史観を採用しているということはご理解頂けたかと思うが、しかし、そうなると、何も門外漢のお前が同じようなことを書き連ねる必要はないじゃないかとツッコミが入りそうなので、ここであらかじめ、この連載の目的をはっきりとしておくことにしよう。
 『日本史=二本史』である理由をその根源にまで遡って解明すると。いいかえると、日本史はなにゆえに二本史としてあり続けるほかはなかったのかという謎を考察すると、これが本稿執筆の動機なのである。
 この目的に到達するには、さまざまな手段・方法が考えられるだろうが、私は、エマニュエル・トッドによって確立された家族人類学の立場からこれに答えを出してみたいと考えている。副題を『家族人類学的ニホン考』としたのはそのためである。
 だが、家族人類学とはいったい何なのか?
 家族類型に還元
 家族を人間の生みだしたあらゆる要素の中で、変化を蒙ることの最も少ない恒常的要素と見なし、民族や国家、あるいは地域集団の無意識はここから演繹(えんえき)されるという立場に立つ。これが『学』として成立するのは、研究者が設定した分類基準により、家族が何通りかに分類されるばかりか、その家族類型の原初的な差異が、数千年後に大きな差異を引き出すという仮説が統計などで検証可能だからである。つまり、現実に観察される民族・国家あるいは地域共同体のメンタリティの違いなどは家族類型に還元して考えると非常に説得的な説明ができるのである。
 しからば、これまでの家族類型にはどのようなものがあったのか?
 最も分かりやすいのは、核家族と大家族(学術用語では拡大家族)という二分法である。その分類基準は、結婚した子供が親夫婦と同居するか否かというものである。同居しない場合は核家族、同居する場合は夫婦二組以上あるから拡大家族と呼ぶ。これはモルガンの『古代社会』に始まり、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を経て現代にいたる最も常識的な家族類型である。
 第二の分類法は19世紀の社会学フレデリック・ル・プレーが提唱した三分類法に基づくものである。核家族(ル・プレーはこれを不安定家族と呼ぶ)はモルガンと同じだが、拡大家族が『直系家族』と『共同体家族』に分けられる。『直系家族』は親夫婦と子供夫婦一組が同居し、他の子供夫婦は家から出ていくタイプ、『共同体家族(ル・プレーの用語では家父長的家族)』は親夫婦と子供夫婦二組以上が同居するタイプである。
 第三は、エマニュエル・トッドがル・プレーの分類法を改良してつくった四分類法で、これは親子夫婦の同居・別居というタテ軸基準に加えて兄弟姉妹の遺産相続の平等・不平等という横軸基準に置く。すなわち、親子同居で兄弟平等の『共同体家族』、親子同居で兄弟不平等の『直系家族』まではル・プレーの分類と同じだが、これまで一分類しかなかった核家族が親子別居で兄弟平等の『平等主義核家族』と親子別居で兄弟不平等の『絶対核家族』に二分されたのである。トッドはこの四分類法を用いてヨーロッパを分類し、『共同体家族』はロシア型、『直系家族』はドイツ・スウェーデン型、『平等主義核家族』はフランス、スペイン、ポルトガル型、『絶対核家族』はイングランド・オランダ型とした。
 ところが、トッドは後に、言語学者のロラン・サガールの助言を容れて自説を全面的に修正し、近著『家族システムの起源 Ⅰ ユーラシア』では『母方居住』『父方居住』『双処居住』という三分類の基準を新たに加えて、別表に掲げたような十五分類の家族類型を提唱した。その眼目は、レヴィ=ストロール構造主義を捨てて、アメリカ人類学の伝播説を再評価することで、家族人類学を歴史と接続したことである。
 さて、以上、家族類型の分類法を簡単に説明したつもりであるが、しかし、意味のわからない専門用語の列挙が眠りを誘発することもまた明らかである。とくにトッドの十五分類は頭に入りにくい……
 ……最新のトッド理論で『父方居住』『母方居住』『双処居住』という分類基準への傾きが大きくなってきたことなのだが、日本の歴史を『二本史』として再考したいと考えているわれわれにとって、この新区分の導入が非常に大きな意味を持つということだ。なぜなら、これまで『直系家族』地域と単純に色分けされていた二本が『父方居住』『母方居住』『双処居住』という新基準の導入により、新しい色分けのもとに姿を現したからである。
 大ざっぱに言えば、東日本は『父方居住』地帯、西日本は『双処居住』プラス『母方居住』地帯に色分けできるのだが、……」
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 南北に細長い日本列島で、広い平野は少なく、大半は山や川で細切れのように狭い土地に分断・隔絶された住環境ゆえに、単純に一つの類型で日本国論・日本民族日本人論を表現できない。
 ハッキリと、日本国とはこういう国である、日本民族日本人はこういう人間である、と公言している日本人は信用するに当たらない日本人である。
 但し、外国人が世界基準で多少偏った日本国論や日本民族日本人論で自由に論じるのは構わない。
 そこで、明解にしておくべき事は、日本と中国・朝鮮・韓国とは完全に別物であり、中国・朝鮮・韓国の考え・基準では日本を説明できないし理解できない。
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 日本文明と中華文明(中国・朝鮮・韓国)とは、一衣帯水関係でない以上、切り離して考えるべきである。
 喩えれば、西洋キリスト教文明と中東イスラム教文明と言うところである。
 故に、日本と中国・朝鮮・韓国とは、フランスとドイツのような関係ではない以上、如何なる時代においても歴史を共有する事は不可能である。
 歴史の共通認識などはありえない。
 日本にとって朝鮮は見るべきのは少なく、強いて言えば高麗人参など幾つかの漢方薬の生薬と高麗青磁などの陶芸技法のみである。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ民族・台湾先住民と同じ、南方系海岸モンゴロイドと北方系雪原モンゴロイドの混血児である縄文人の子孫である。
 日本民族日本人は、その中に西方系草原モンゴロイドの血が更に混じっている。
 日本民族日本人とは、混血の雑種民族である。
 中国人(漢族系中国人)と朝鮮人は、西方系草原モンゴロイドと北方系雪原モンゴロイドの混血であるが、西方系草原モンゴロイドの方が血が濃い。 
 琉球人(沖縄人)・台湾先住民とアイヌは、人類移動の歴史を見れば西方系草原モンゴロイド主流の中国人や朝鮮人とは縁が薄い。
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 フランスとドイツは、祖先を辿れば同じフランク族である。
 フランスは西フランク王国であり、ドイツは東フランク王国である。
 因みに、イタリアやオランダは中フランク王国であった。
 フランスとドイツの関係は、日本と中国・朝鮮ではなく、東日本と西日本そして日本民族日本人と琉球人・アイヌ民族・台湾先住民に近い。
 ガリア人・フランク人・ゲルマン人を根拠にすれば、スペイン・ポルトガルポーランドなどの東欧諸国を除くヨーロッパ半島の諸国フランス・ドイツ・イタリア・オランダなどは一つにまとまる事ができる。
 イギリスとスカンディナヴィア半島諸国・バルカン半島諸国は、大陸ヨーロッパの一員にはなれない。
 現代ギリシャは、古代ギリシャとは無縁ではあるが西洋文明の発祥地ゆえに無条件で大陸ヨーロッパに参加できる。
 ロシアが、大陸ヨーロッパの一員になれないのは当然である。
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 人類史・世界史・大陸史から見れば、日本には中国、韓国・朝鮮とひとつにまとまる共通性は少ない為に、中国を中心とした東アジア共同体構想・大中華共栄圏構想に参加する事は不可能である。
 もし、東アジア共同体・大中華共栄圏が成功するとすれば、日本が移民国家として中国人移民を大量に受け入れた時、つまり日本民族日本人を少数派にするか消滅させた時である。
 だが、少子高齢化による人口激減対策として外国人移民1,000万人計画を実行すれば、東アジアを中国中心の中華世界として統一できる。
 それは、アジア史・東アジア史どころか人類史・世界史・大陸史における快挙か悲劇である。
 日本嫌いの日本人にとって、慶事、喜ばしい事である。
 いずれにしても、日本民族日本人は、男性精子の劣化・老化と女性卵子の老化で生殖能力・繁殖能力を衰退させ消滅へと向かっている。
 つまり、日本列島で生殖能力と繁殖能力の旺盛な民族による新たな大移動が起きようとしている。
 日本に移住してくる民族とは、漢族系中国人である。
 中国系日本人が多数派になり、日本民族日本人が少数派になる。
 少子高齢化による人口激減が深刻化すれば、中国系日本人が爆発的に増加する。
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 日本が嫌いな日本人が増えれば、日本民族は死滅・消滅する。
 戦後の反戦平和歴史教育は、日本嫌いを量産する洗脳教育であった。
 反戦平和歴史教育とは、東京裁判史観(キリスト教史観とマルクス主義史観・共産主義史観)そして1980年代後半からの自虐史観(日本人極悪非道な重犯罪人史観)である。
 それは、天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の軽視もしくは無視である。
 そうした反戦平和歴史教育で量産されているのが、高学歴出身知的エリートである。
 戦後の平和教育、つまり現代教育は、国民国家日本を一つのまとめ、日本民族日本人を一つに団結させていたきた伝統的家・家庭・家族を崩壊させる事に力を入れてきた。
 主体性を持った自立を絶対真理として、公より私、集団より個人でまとまりや団結を解体し、孤立化・孤独化して社会をバラバラに崩壊させる事であった。
 それが、日本社会に浸透したのが1990年頃からである。
 1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災・第一福島原発事故における、政府や議会、政治家や官僚の対応に。
 そして、2018年のモリ・カケ問題における嘘と詭弁と改竄された公文書の提出などなど、恥じない高学歴出身知的エリート達。
 思慮分別なく傲慢になっている政権与党と無能無策で役に立たないていたらくな野党、そして無意味な正論を美辞麗句で並べ立てるが言葉に誠意や真意もないメディア。
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 人口激減対策として、外国人移民1,000万人計画が実施されれば、日本の伝統的家・家庭・家族は消滅して、外国由来の家・家庭・家族が日本で広まる。
 男性精子の劣化・老化と女性卵子の老化で生殖能力・繁殖能力が衰退し、日本民族日本人は死滅へと進んでいる。
 だが、それは日本人が自らに選択した事で自業自得と言うしかない。
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 歴史は繰り返さない以上、壊したモノ・壊れたモノは二度と再生できないし戻っては来ない。
 自然災害による住環境破壊は、必ず元に戻せる。
 だが、人災による自然破壊は、決して元には戻せない。
 つまり「覆水盆に返らず」である。
 ゲームセットは、一度切りで、やり直す事ができない。
 昔の日本人は、現代の日本人と違ってその事実を知っていた。
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 現代日本人は、江戸時代後期・幕末期の下級武士・庶民(百姓・町人)・賤民・部落民達とは別人である。
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 地球上には、人間や生物の移動を遮る境界・国境などは存在しない。
 人類史とは、滅亡する民族と勃興する民族が入れ替わる歴史である。
 日本民族日本人のみが、未来永劫、日本列島で生き続ける事はあり得ない。
 古い日本民族日本人は死に絶え、新しい日本民族日本人が生まれてくる。
 言い方を変えれば、人間のイノベーションである。
 世界は、死滅した古い日本民族日本人の新たに生まれた日本民族日本人も同じ日本民族日本人と見なす。 
 つまりは、在来種としての日本民族日本人でも、外来種としての外国系日本人・中国系日本人でも、日本国民日本人から見ればたいした意味がない以上どちらでも構わないのである。


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東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

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