⚔47)─2─キリシタン大名とキリスト教徒日本国王位の行方。~No.203No.204No.205 @ 

キリシタン大名 (読みなおす日本史)

キリシタン大名 (読みなおす日本史)

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の宿痾、男色と近親結婚。仏教寺院の稚児は児童虐待
   ・   ・   ・   
 キリシタンの悲願は、戦乱で荒廃した日本をキリスト教の「隣人愛信仰」で救い、悪に染まった日本をキリスト教の神の愛で新しく生まれ変わらせる、ことであった。
 もし、この時代に日本がキリスト教国になっていれば、世界常識によるグローバル国家となり、日本人は西洋語を話す国際人になれた。
 そうすれば、後の太平洋戦争は起こらず、原爆投下や無差別絨毯爆撃という悲惨もなく、平和で、誰も死ぬ事がなく幸せに暮らせたかもしれない。
 そうだとすれば、キリスト教を拒否し、キリシタンを弾圧した事が、世界との戦争の始まりだったとも言える。
 日本は考えたくもないが、世界はそう考えている。
   ・   ・   ・   
 キリスト教原理主義者が日本で最も嫌悪したのは、男色と近親結婚であった。
 仏教は男色の象徴として、神道は近親結婚の象徴とされた。
 キリスト教原理主義者と日本人キリシタンは、寺社仏閣を襲撃して破壊した。
   ・   ・   ・   
 2018年10月5日号 週刊ポスト「ネットのバカ 現実(リアル)のバカ 呉智英
 仏キ同罪論
 日本の仏教界はどうか。
 浄土真宗は別だ。肉食(にくじき)妻帯上等、悪業があれば阿弥陀様が救って下さるというのだから(これ、本当に仏教か)。それ以外の各宗派では、少なくとも僧侶の女色は禁止されている。
 私には不思議でしかたがないことがある。全国の寺院でなにかよいことのように催されている稚児行列だ。日本中の人権団体はなざ抗議行動を起こさないのだろう。稚児って、児童に対する性的虐待だぜ。
 『岩波仏教辞典』の『稚児』の項に、こうある。
 『寺院・・・などに召し使われる少年を指し、これが男色の対象ともなり、近世には〈寺小姓〉と呼ばれるものもあった』
 女色は禁止されているけれど男色を禁止する明文はないぞ、という言いわけで児童虐待である。上田秋成『青頭巾』に描かれたのは、幼児姦の上に屍体姦だ。確かに、屍体姦禁止も明文化されてないけど」
   ・   ・   ・   
 2018年7月号 歴史街道蒲生氏郷 安部龍太郎
 彼こそが、世界を見据えていた
 ……
 当時の有力な大名である武田氏や北条氏は、農業を基盤にした『農本主義的大名』でしたが、信長は商業を基盤としていました。
 近江商人を生む土地柄に育った氏郷だからこそ、信長がやろうとしていたことをよく理解できたのではないでしょうか。
 そして間近に接していると、信長のビジョンも見えてきたはずです。
 戦国時代、信長だけでなく、上杉氏や武田氏も天下を取ろうとしたと見られがちですが、これは間違いです。
 実は天下を目指したのは信長だけで、他にはいなかった。将軍足利義昭の要請を受けて、他の大名は信長を牽制する動きをしていたにすぎないのです。
 光秀の大軍に籠城
 では、なぜ信長は天下を目指したのか。最近の研究で明らかになったのは、律令制の復活を目指していた、というものです。
 戦国大名が土地や民(たみ)の私有をしている限り、争い合いは続き、戦は終わらない。これに終止符を打つには、将軍や朝廷の権威を後ろ盾にして、律令制、つまり『公地公民』制を復活させなければ、そう信長は考えたのです。
 すべての土地や人民は、国家のものであり、私有を許さないという制度。それは、豊臣秀吉徳川家康の政策にも受け継がれています。
 江戸時代には、各大名はその土地を所有しているわけではなく、あくまで幕府から預かっているものである、とされました。だからこそ、いつでも幕府は大名に国替えを命じることができるのです。
 では、信長を突き動かしたものは何だったのか。それはまさしく外圧です。
 当時はスペイン、ポルトガルからの侵略される危険がありました。そこで信長は、とにかく早く国内の戦いを終わらせて、挙国一致体制で外圧に対抗しようとしたのです。
 このあたりは明治維新と同じです。藩ではなく、日本という一国をもって対抗しなければ、植民地化される危険性がある。まず日本を統一して公地公民とし、富国強兵を押し進める、これが信長のビジョンでした。
 こうしたグローバルな視点から、信長はポルトガルの商人や宣教師から積極的に情報を集めています。
 その情報を共有した氏郷は、視野の広さを培っていったのでしょう。
 ……
 キリシタン大名ゆえに秀吉を支持
 蒲生氏郷といえば、『レオン』という洗礼名をもつキリシタン大名としても知られています。
 なぜ彼はキリシタンになったのか。そこには『利休七哲(ななてつ)』の影響があったと思われます。
 もともと千利休は信長の茶頭(さとう)で、その縁もあって氏郷は茶の湯を始め、『七哲』と呼ばれるようにまでなりました。
 この『七哲』にはキリシタン大名高山右近がいます。氏郷を入信させ、その最後を看取ったとも言われている人物です。
 また、細川忠興も『七哲』の一人ですが、母親・妻・弟がキリシタンなので、キリスト教に近いところにいました。同じく古田織部にもその素質があった。
 つまり、利休七哲には、キリシタンのサロンのような性格があったのです。
 加えて、日本へやってきた宣教師のほとんどが、学者といっていいほど、優れた見識の持ち主でした。当時最先端の数学や天文学、医術、航海術に至るまで、日本よりも進んだ学問を身につけていました。
 そうした宣教師が信仰しているものに、人々は興味を魅(ひ)かれ、入信していった面もあったのでしょう。実際、黒田如水小西行長など、優れた人物の多くがキリシタンになっています。
 氏郷もまた、その一人だといえます。南蛮好きで、世界の情報を取り入れるのに熱心だった信長の下で成長した彼は、キリシタンになる素地(そじ)を充分に持っていました。
 氏郷がキリシタンになるのは、ごく自然の流れだったのです。
 また、氏郷にはロステルというイタリア人の家臣がいました。一説には、氏郷の命によりヨーロッパへ渡り、ローマ法王に謁見、そのうえ、武器の購入も行ったとされる人物であす。
 氏郷は信長同様、海外の情報を取り入れようともしていたのでしょう。
 さらには信長の死後、秀吉が次の天下人となるのを氏郷が支持したのも、キリシタンであることと関係があると思われます。
 本能寺の変当時、中央官僚である氏郷と、地方方面軍の司令官である秀吉は、立場として対等でした。氏郷にとっては、秀吉以外にも選択肢があったのです。
 秀吉の軍事的、経済的才能は買っていたものの、志がないと氏郷は見抜いていたはずです。にもかかわず秀吉を支持したのは、秀吉の懐刀(ふところがたな)ともいうべき黒田如水の存在が大きかったと考えっれます。
 如水のバックにはイエズス会があり、秀吉との良好な関係を築いていました。それも氏郷の決断を後押ししたのです。
 会津100万石の太守へ
 ……
 朝鮮出兵に反対した理由
 国内を統一した秀吉は、朝鮮出兵へと突き進みますが、その狙いは朝鮮ではありません。明国です。
 ポルトガルを併合したスペインは、明国の植民地化を計画しました。しかし、自国から兵を出すには遠すぎるので、日本から出兵させようと考えます。
 そこで、明国出兵を条件として、スペインは秀吉政権を支援していたわけです。そして国内を統一した秀吉は、明国に兵をさしむけました。
 ところが天正16年(1588)、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れ、事情が変わった。もうスペインに、明国征服や日本を支援する力はない。
 こうした事情を知らないまま、秀吉は文禄元年(1592)に朝鮮出兵を敢行(かんこう)します。
 この前後には、氏郷はおそらく海外事情を把握していたと考えられます。だからこそ、出兵にも反対しました」
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 日本のキリシタン一覧
 キリシタン大名キリシタン武士
・あ行
 明石全登ジョアン、ヨハネ、ジョパンニ・ジュスト) - 宇喜多家の客将。関ヶ原の戦い、大坂の役で活躍後行方不明。
 朝長純安(ドン=ルイス) - 大村家臣。
 天草種元(ジョアン)
 天草久種(ドン=ジョアン) - 天草種元の子。
 天野元信 - 熊谷元直娘婿。後に殉教者として列福
 有馬義貞アンドレ) - 肥前日野江(島原)領主。
 有馬晴信(プロタジオ) - 有馬義貞の次男。岡本大八事件で刑死。
 有馬直純(サンセズ) - 有馬晴信の子、棄教後は迫害者に転じる。
 池田教正(シメアン) - 丹後守。
 一条兼定(ドン・パウロ) - 土佐中村一条家当主。大友義鎮の甥であり娘婿。
 伊東祐勝(ジェロニモ) - 伊東義賢の弟。
 伊東義賢(バルトロメオ) - 伊東義祐の嫡孫。母方縁戚・大友宗麟の影響でキリシタンとなる。
 宇久純尭(ドン=ルイス) - 五島島主。宇久純定の次男。
 宇久純定
 大友義鎮(ドン・フランシスコ) - 豊後領主。代表的なキリシタン大名の一人。宗麟の法号で知られている。
 大友親家(セバスチャン) - 大友義鎮の次男。田原親貫の養子。
 大友親盛(パンタレアン) - 大友義鎮の三男。田原親賢の養子。
 大友義統(コンスタンチノ) - 大友義鎮の長男。棄教。
 大村純忠(バルトロメオ) - 日本最初のキリシタン大名
 大村喜前(サンチョ) - 大村純忠の子。棄教。
 大矢野種基(ジャコべ)
 織田秀信(ペトロ) - 織田信忠の嫡男、信長の嫡孫。
 織田秀則(パウロ) - 織田信忠の次男、信長の孫。
・か行
 加賀山興良(ディエゴ) - 通称隼人、高山右近蒲生氏郷細川忠興らに仕える。1619年、禁教令に叛いて殉教、斬首された。
 蒲生氏郷(レオ) - 日野、会津を領す。
 木下勝俊(ペテロ) - 若狭小浜城主。北政所(ねね)の甥。
 岐部信泰 - 大友家臣。石垣原の戦いで戦死。
 木村清久(ジョアン) - 豊臣家臣。大坂夏の陣で戦死。
 京極高吉 - 晩年に受洗するも急死。
 京極高次 - 秀吉、家康に仕えて近江大津、若狭小浜を領す。
 京極高知 - 秀吉、家康に仕えて信州伊奈、丹後宮津を領す。
 熊谷元直(メルキオール) - 安芸熊谷氏。後に主君の毛利輝元により処刑される。死後、殉教者として祭られる。
 黒田直之(ミゲル) - 黒田孝高の弟。黒田二十四騎の一人。
 黒田長政(ダミアン) - 棄教後、迫害者に転じる。
 黒田孝高(シメオン) - 官兵衛の通称と如水の号で知られる。豊臣秀吉の家臣。
 黒田利高 - 黒田孝高の同母弟。黒田二十四騎の一人。
 黒田利則 - 黒田孝高の同母弟。黒田二十四騎の一人。
 籠手田安一(ジェロニモ) - 籠手田安経の子。
 籠手田安経(アントニオ) - 平戸松浦氏重臣。1550年代に受洗。
 籠手田安昌(ルイス) - 籠手田安経の父。
 五島玄雅 - 宇久純定の四男。棄教。
 小西如清(ベント) - 小西隆佐の長男。
 小西主殿介(ペトロ) - 小西隆佐の子、小西行長の異母兄。
 小西行景(ジョアン) - 小西隆佐の三男。
 小西行長(アウグスティノ) - 関ヶ原敗戦後、キリシタンであるため切腹を拒み刑死。
 小西隆佐(ジョウチン) - 小西行長の父。
・さ行
 税所敦朝(レオ) - 北郷三久家臣。薩摩の殉教者。
 三箇頼照(サンチョ) - 明智光秀に味方し没落。
 志賀親次(ドン=パウロ) - 大友義統家臣。島津軍の侵攻を何度も食い止めた。
 志岐鎮経(麟泉)(ドン=ジョアン) - 後に棄教し、迫害側に回る。
 志岐諸経 - 有馬晴純の五男。志岐麒泉の養子。親重、親弘?
 斯波義銀(サンショ) - 尾張守護斯波義統の子。
 宗義智(ダリオ) - 対馬領主。小西行長の娘マリアを妻に迎えたときに受洗したが、関ヶ原の合戦後すぐに棄教、マリアも離縁した。
・た行
 高山友照(ダリオ) - 飛騨守。高山右近の父。畿内における最初期のキリシタン大名の一人。
 高山右近(ドン・ジュスト) - 代表的なキリシタン大名。一時、赤石城主。追放先のマニラで客死。
 田中吉政(バルトロメオ
 田原親虎(シマン) - 公卿柳原氏から田原親賢の養子。
 筒井定次 - 筒井順国の長男。筒井順慶の養子。
 津軽信堅 - 津軽為信の次男。
 津軽信建 - 津軽為信の長男。
 津軽信枚 - 津軽為信の三男。
 寺沢広高アゴスティニョ) - 棄教後は迫害者に転じる。
・な行
 内藤如安ジョアン) - 追放され、マニラで客死。
 長崎純景(ベルナルド)
 新納久饒 - 新納康久の次男。
 新納康久 - 鶴丸城主。
 新納旅庵 - 新納康久の三男。
・は行
 支倉常長(ドン・フィリッポ・フランシスコ) - 伊達政宗の家臣。
 原胤信(ジョアン) - 江戸時代初期の旗本。
 福田兼次(ジョーチ) - 大村家臣。福田城主。
 畠山高政 - 河内国畠山氏の当主。晩年に帰依。
 林田助右衛門(レオ) - 肥前国有馬氏四天王
 細川興元 - 細川幽斎の次男。細川忠興の弟。
・ま行
 前田秀以(パウロ) - 前田玄以の長男。
 前田茂勝(コンスタンチノ) - 前田玄以の次男。
 牧村利貞 - 利休七哲の一人。稲葉一鉄の孫。
 松浦隆信 - 松浦氏28代当主。江戸幕府の禁教令のため棄教。
 真鍋貞成 - 第一次木津川口合戦で織田方に属して戦死した真鍋貞友(七五三兵衛)の子。ローマ法王に宛てた手紙に署名している。
 毛利重政 - 豊後速水郡の内で1万石。豊後守。
 毛利高政 - 豊後佐伯領主。伊勢守。
 毛利秀包(シマオ) - 毛利元就の子、小早川隆景の養子。筑後国久留米城主。
・や行
 結城忠正(アンリケ) - 山城守。畿内における最初期のキリシタン大名の一人。
 山科勝成(ロルテス) - 蒲生氏郷に召抱えられたとされるローマ人武士。架空の存在という指摘がある。
・ら行
 六角義賢 - 織田信長の侵攻の前に敗れ所領を失った晩年に受洗。
・わ行
 脇田直賢 - 李氏朝鮮出身の加賀前田氏の家臣。金沢町奉行
   ・   ・   ・   
 キリシタンは、日本にキリスト教の神の王国を作り、異教国日本・異教徒天皇からの分離独立を望んでいた。
   ・   ・   ・    
 豊臣秀吉は、「稀代の軍師」でる黒田官兵衛黒田如水)を恐れ冷遇したのは、黒田官兵衛の背後にイエズス会と30万人以上のキリシタン勢力が見えたからである。
   ・   ・   ・   
 イエズス会は、黒田官兵衛に期待していた。
 もし、キリシタンが信仰の為に蜂起すれば、中世キリスト教会・イエズス会キリスト教原理主義者は支援を惜しまなかった。
 だが、黒田官兵衛は軍師としての才能があったが、天下人として大号令を発するだけの人望がなかった。
   ・   ・   ・   
 千利休など堺の豪商・町衆は、南蛮貿易を通じて中世キリスト教会やイエズス会と深いつながりを持ち、海外と商いをする事で莫大な利益を得ていた。
 堺は、文化都市であり商業都市でもあったが、同時に鉄砲を大量生産する武器製造の工業都市でもり、スペイン・ポルトガルから最新鋭の大砲と火薬を購入販売する武器市場都市でもあった。
 つまり、戦国大名並みの経済力と軍事力を持つ治外法権的一大勢力であった。
 千利休切腹にも、キリシタンの陰が存在する。
 だが、千利休キリシタンではなく、文化人であった。
 商人の中にはキリシタンが多数いて、その使用人も大半がキリシタンであった。
   ・   ・   ・   
 利益優先の商人にとって、支配者が誰であれ、権力者が誰であれ、自由に商売・金儲けができれば文句はなかった。
 その事実は、昔も今も変わらない。
   ・   ・   ・   
 キリシタン大名は、堺の豪商・町衆と茶道や商いで深い関係を持っていた。
 キリシタン大名は、九州に集中して領土と領民を持っていた。
 キリシタン武士は、キリシタン大名でもない異教徒大名の家臣の中にも隠れて数知れず存在していた。
 キリシタンは、積極的に布教活動を行い、新しい信者を獲得し、静かに勢力を広めていった。
 徳川家康の家臣の中にもキリシタンがいた。
   ・   ・   ・   
 豊臣秀吉徳川家康らは、熾烈で悲惨な一向宗などの宗教一揆を経験しただけに、宗教集団が政治権威と宗教権力を手に入れる為に軍事力を持つ事を警戒した。
   ・   ・   ・   
 1605年には、東北や蝦夷地にまで信者を広め70万人以上に膨れあがり、布教を放置すれば更に信者は増加する恐れがあった。 
   ・   ・   ・   
 1613(〜1620)年 慶長遣欧使節。 
 伊達政宗は、ローマ教皇日本国王承認と日本武力統一の為にキリシタンの軍事支援を求め、その引き換えとして改宗しキリスト教会に便宜を図る事を約束する密書を送った。
 だが、ローマ教皇伊達政宗日本国王に任命しなかった。
 スペインもポルトガルも、日本のキリシタンを救う為に軍事力を派遣する国力はなかった。
 バチカンが、伊達政宗を疑ったのは男色であった。
   ・   ・   ・   
 70万人以上の日本人キリシタンは、西洋キリスト教世界からの軍事支援が望めない以上、信仰と命を守る為に自力で戦うしかなかった。
   ・   ・   ・   
 豊臣秀頼は、徳川家康と戦う為にキリシタンを味方に付けるべく、キリシタン武士を多数抱えて兵力を増やしていた。
 中世キリスト教会・イエズス会は、全てのキリシタン大名が反徳川として一斉に蜂起する事を期待して大坂方を支援した。
 1614年 大坂冬の陣。1615年 大坂夏の陣
 大坂方が敗北し、豊臣秀頼が死んで、キリシタンによる軍事力による組織的抵抗は終わった。
 キリシタンは、逃げるしかなかった。
   ・   ・   ・   
 キリシタン大名を動員して日本をキリスト教国にするという、中世キリスト教会・イエズス会キリスト教原理主義者の夢は失敗した。
   ・   ・   ・   
 日本には、世界の常識である「領主の宗教・信仰は領民の宗教・信仰」は通用しなかった。
   ・   ・   ・   
 だが、徳川家康は、南蛮交易の継続を望み、南蛮諸国への配慮として武装蜂起しなければキリシタンへ弾圧は控えた。
   ・   ・   ・   
 1605年頃の日本の総人口は約1,200万人に対して、キリシタンは70万人以上であった。
 もし、1億2,000万人の人口の中で少数派の700万人以上が、日本からの分立独立を求めて外国勢力の軍事支援を受け武装して立ち上がったら、どうするかである。
 戦争を避ける為に平和的に話し合って独立を認めるか、戦争と弾圧をしてでも独立を暴力的に阻止するか、であった。 
 現代の平和を愛する日本では、少数派の意見を尊重して分離独立を認めるかもしれない。
 だが、豊臣秀吉徳川家康もその後継者である徳川幕府も、日本解体に繋がる恐れのあるキリシタンを弾圧した。
 この日本国崩壊を救ったキリシタン弾圧は、人道に対する重犯罪とされた。
 そして、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人がおこなっていた、日本人奴隷交易は合法的行為として不問に付されている。つまり、人道的犯罪ではないと。
 日本人に認められているのは、邪悪な犯罪者という事である。
 日本が置かれている歴史的立ち位置とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 世界から見れば、大陸の果て、地の果てにある、極東の小さな島国が滅亡しようが、有色人種が死滅しようと気にはしなかった。
 日本国が、日本民族日本人が、地上から消えたところで誰も気にはしなかった。
 それが、戦国時代から江戸時代にかけて、日本国と日本民族日本人が置かれていた紛れもない現実であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、世界・西洋キリスト教文明を相手に自主独立と信教の自由を一カ国・一民族で守り続けた。
 守ろうとしたのは、神代から続く天皇家・皇室が総べる日本国であった。
   ・   ・   ・   
 日本を外国勢力から守り一つの国として維持する為には、分裂の原因となる多数派も少数派も作らず、皆同じという同質化・単一化を強制的にも進める事であった。
 日本が信じ込んだ単一国家・単一民族・単一言語は、こうした危機意識から意図的恣意的に作られた贋作であった。
 現代日本は、日本の多様性を広める為に人工的単一性を完全否定している。
 世界も同様に、日本の単一を激しく非難し、日本の崩壊に繋がる恐れがる事を知りながら少数派の権利を守り主張を聞くように強く求めている。
   ・   ・   ・   
 戦争をせず平和を維持する事を最優先課題とするならば、日本民族日本人を消滅させるのも選択しかもしれない。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 パウロ(希: Πα?λο?[注 1]、? - 65年?)は、初期キリスト教使徒であり、新約聖書の著者の一人。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロ (ヘブライ語: ????????、???ul) とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。
   ・   ・   ・   
 口語訳新約聖書(1954年版)
 ローマ人への手紙
 第1章
 1:1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―― 1:2この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、 1:3御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、 1:4聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。 1:5わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、 1:6あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである―― 1:7ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。
 わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

 第12章
 12:1兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 12:2あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
 12:3わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 12:4なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、 12:5わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。 12:6このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、 12:7奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、 12:8勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。 12:9愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、 12:10兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。 12:11熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、 12:12望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 12:13貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。 12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。 12:15喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 12:16互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 12:17だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。 12:18あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。 12:19愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。 12:20むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。 12:21悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 第13章
 13:1すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。 13:2したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。 13:3いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。 13:4彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。 13:5だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。 13:6あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。 13:7あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。
 13:8互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 13:9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。 13:10愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
 13:11なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。 13:12夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。 13:13そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。 13:14あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。
   ・   ・   ・   


   ・   ・   ・   

九州のキリシタン大名

九州のキリシタン大名

概説 キリシタン史

概説 キリシタン史