⚔17)─1─ザビエル、日本上陸。中世キリスト教と日本神道・日本仏教との宗教戦争。楽市楽座。1510年~No.66No.67No.68 @ ⑧ 

日本キリスト教宣教史 ―ザビエル以前から今日まで

日本キリスト教宣教史 ―ザビエル以前から今日まで

  • 作者:中村 敏
  • 発売日: 2009/04/30
  • メディア: ハードカバー
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 人の知には、「目に見える現実の知」と「目に見えない未知の知」がある。
 科学は前者であり、宗教は後者である。
 本当の知とは、両者を偏見なく受け入れ、均衡を保ちながら理解する事である。
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 普遍宗教である一神教キリスト教は、ユダヤ教イスラム教と同様に徹底した不寛容な宗教として、信仰する者は大悪人でも救済して神の国・天国に迎え入れたが、信仰しない者は善人でも地獄に突き落とし劫火に焼いて救いの手を差し伸べる事がなかった。
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 日本には、信仰も思想も存在しない。
 信仰なき無宗教に近い多神教である。
 自分の内面を見つめる思索する哲学を持っていたが、無思想として他人に対して主義主張する事がなかった。
 自分自信に対する終わりなき葛藤はあったが、他人と優劣を決する争いはなかった。
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 絶対的価値観の一神教では。人は、生まれながらにして逃れる事のない原罪を背負い、その原罪を許してもらう為に死ぬその時までひたすら絶対神に許しを乞わねばならない。
 相対価値観の日本的多神教では。人は、生まれながらに何ら罪も咎も穢れもなく、生活する事でどうしても周りの人に迷惑をかける事がある為に、謝り、禊ぎし、水に流して一件落着した。
 そして、解決した問題は終わった事として深入りせず、蒸し返す事なく忘れ去った。
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 キリスト教会は、日本における日本神道及び日本仏教を邪教として全てを破壊し、絶対神の「隣人愛信仰」と「絶対真理」で日本を「神の王国」に作り替えようという、不退転の偉大なる使命を抱いていた。
 全てが、イエス・キリストの御名による神聖な行為であった。
 当然、日本の皇室を邪悪な「悪の王族」として地上から抹消しようとした。
 白人キリスト教徒は、異教徒日本人を奴隷として重労働を課して絶滅させようとした。
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 キリスト教の根本教義は、終末思想と永遠の命信仰である。
 人の世界も宇宙も、絶対神の定めとして始まりの創世と終わりの終末がある。
 神の姿に似せて作られた人間は、死んでから神の裁き・最後の審判を受け、信仰を持った善人は歓迎されて神の王国で永遠に生き続け、信仰を持たなかった悪人は嫌悪されて永遠に地獄の劫火で焼かれ続ける。
 善人として永年の命を授かり天国に引き上げられ為には、絶対神の福音に従い、隣人愛信仰に殉じなければならなかった。
 自然災害とは、絶対神の天罰として恐れ、そして悪魔の憎き所業として激しく怒った。
 絶対神の天罰で死んだ悪人には同情しなかったが、悪魔の所業で死んだ善人の冥福を祈った。
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 ザビエルは、日本人から最も愛され尊敬される外国人の第一位である。
 聖徳太子が嫌いな日本人がいても、ザビエルが嫌いな日本人はほんのごく少数である。
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 ザビエルやルイス・フロイスなど白人宣教師は、戦国大名が異性・女色に飽き足らず、同性・男色に溺れている事を厳しく非難し、聖職者である仏教の僧侶さえも女色と男色で乱れていると罵倒した。
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 宣教師は、キリスト教に改宗する日本人を善人とし、改宗を拒否して邪教を信仰する日本人を悪人とした。
 中世キリスト教会は、「神聖な使命」として、善人の日本人を悪人の日本人から救う為に全力を尽くした。
 中世キリスト教は、唯一絶対価値観から「イエスかノー」の二者択一しか許さず、「ノー」を選択した者は地上から消し去り地獄に追い落とそうとした。
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 中世キリスト教会による、日本人キリシタンと日本人奴隷。
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 1467年(〜77年) 応仁文明の乱。
 内藤湖南「日本史を学ぶなときには、応仁の乱から以降を学べば十分である。それ以前の事どもは、外国の歴史と変わらない」
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 1510年 ポルトガル海軍のアルフォンソ・デ・アルブケルケ提督は、艦隊を率いてインド洋の制海権を押さえて、インドのゴアを攻略し、マラッカ海峡を制圧した。
 アルブケルケ提督は、香料の島モルッカを手に入れる為にスペインと争った。
 1511年 インカ帝国滅亡と虐殺。セプールベダ「野蛮人に対する戦争は自然法に基づき、その目的は敗者に大きな利益をもたらす事にあります。すなわち、野蛮人はキリスト教徒から人間としての尊厳の価値を学び、徳の実践に慣れ、正しい教えと慈悲深い忠告を受ける事により、進んでキリスト教を受け入れる心の準備をするようになるからです」(『第二のデモクラテス』)
 ラサ・カサス「この40年間にキリスト教徒達の暴虐的で極悪無慙(むざん)な所業の為に男女、子供合わせて1,200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かな事である。それどころか、私は、1,500万人以上のインディオが犠牲になったといっても、真実間違いではないと思う」
「実際、キリスト教徒達はこの人達を畜生にも劣るとみなし、粗末に扱ってきた(もし彼らがこの人達を畜生とみなし、扱っていたら、まだましであったであろう)それどころか、彼らはこの人達を広場に落ちている糞か、それ以下のものとしか考えていなかった」(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)
 1527年 ローマの略奪と虐殺。
 ミケランジェロ「世界は滅んでしまったのではないか」
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 1543年 ポルトガル人商人が乗船していた中国人倭寇の帆船が、難破して種子島に漂着した。
 当時の倭寇は、日本人ではなく中国人や朝鮮人が大半を占めていた。
 東アジア史では、手下に日本人が一人でもいれば、それは日本の倭寇と数えられている。歴史的事実よりも、主体性に重きが置かれている。東アジア史の基準は、世界史の基準とは異質の基準で成り立っている。
 スペイン船サン・ファン・デ・レトラン号船長ベルナンド・ラ・トーレは、北西太平洋航路の開拓途中で海水の色が変わっている海域を発見し、浅瀬や暗礁があると判断して船員に「しっかり見張りをしろ」と指示した。
 環礁の中に小さな島を発見し、「アブレオジョス(目を開いてよく見ろ)」島と命名した。
 歴史上で初めて沖ノ鳥島が登場した瞬間である。
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 1547年 エドワード6世は、幼くしてイギリス国王に即位し、カトリック教会とプロテスタント各派の宗教対立を緩和させるべく、中間的共通祈祷書や信仰箇条を制定した。
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 日本人が、南蛮渡来を警戒せずに受け入れたのは、仏教伝来から西方浄土・天竺への憧れが強く、南蛮人をその天竺からの客人(まろうど)と見なしたからである。
 日本人には、古代から排他的不寛容な儒教価値観の中国や朝鮮に対する警戒心は強かったが、他愛的寛容な天竺・印度には親近感が強かった。
 南蛮人の日本人への誤解もここから起きた。
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 1549年 ザビエルは、日本をキリスト教化できるかどうかの関心を持っていたが、日本の宗教文化には関心もなければ興味もないし尊重する意思もなかった。
 親日派ではなく、反日天皇として、日本の宗教改革のみであった。
 キリスト教宣教師にとって、改宗できる人間は賢く優れた善い人間であるが、改宗できない人間は悪魔を信ずる邪悪で滅ぼすべき悪い人間であった。
 キリスト教会は、最初、新しモノ好きで知識欲旺盛な日本人を善人と誉めそやしたが、次第に、キリスト教のみを排除して西洋の知識を取り入れ様とする日本人を心卑しき悪人と激しく非難した。
 1月12日 ザビエルのロヨラへの手紙「大勢の日本人を信者にしなければならない。と、私は主なる神の名において大きな希望に燃えている」
 6月22日 ザビエルのヨーロッパのイエズス会士への手紙「日本人は非常に賢くて思慮分別があり、道理に従うし知識欲も旺盛……我々の信仰を広めるには、とても良い状態にある」
 8月15日 「聖母マリアの被昇天の祭日」。ザビエル(43歳)は、カトリックの聖母被昇天の祝日に鹿児島に上陸し、邪教国日本を聖母マリアに捧げ、異教徒日本人を改宗させ、日本をキリスト教国家に生まれ変わらせる事を絶対神に誓った。
 薩摩領主の島津貴久は、南蛮との交易の為に布教を許可し、寺院を貸し与えた。
 ザビエルは、仏教の大日如来唯一神と勘違いし、キリスト教絶対神を「大日」として布教を開始した。
 多くの僧侶や信徒は、キリスト教を新たな仏教と信じて洗礼を受けたが、キリスト教が釈迦の教えではないと気付き始めるや棄教して反発した。
 島津貴久は、キリスト教徒が増えても交易が進まないのに激怒して、仏教側の訴えを受け入れてキリスト教への改宗を死罪にすると命じた。
 ザビエルは、薩摩は神の国には成れないとして捨て、日本仏教の総本山ともういべき比叡山キリスト教に変えるべく京に向かった。
 イエズス会は、戦闘的布教を行う排他的修道会であった。
スペイン王国は、日本の銀を手に入れる為にイエズス会の布教を支援した。
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 鹿児島からの書簡「日本人は、今までに発見された国民の中でも最高であって、日本人よりも優れている人々は異教徒の中では見付けられないだろう。……日本は聖なる信仰を広める上で、実に良く整えられた国である」
 改宗ユダヤ人宣教師や修道士達は、日本から民族的なものを一掃してキリスト教国に生まれ変わらせ、ポルトガル国王とローマ教皇の領土とし、日本人を絶対神の僕・奴隷にする為に続々と渡来した。
 日本人を改宗する為に、各地に教会堂(南蛮寺)や神学校(セミナリオ)を造り、たちまちのうち十数万人を改宗させた。天皇の膝元である畿内でも、数万人を信者とした。
 ザビエル「日本の信者達には、一つの悲しみがあります。私達が地獄に堕ちた人は救いようがないというと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻や子、そして、他の人達への愛情の為に、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者の為に涙を流し、布施とか祈祷とかで救う事が出来ないのかと私に尋ねます。私は彼らを助ける方法は何もないのだと答えます」
 『新約聖書』「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなた達は大変な思い違いをしている」(『マルコによる福音書』 第12章27節)
 キリスト教会は、非白人としては珍しい知的好奇心の旺盛な日本人は、その知識欲から意のままに改宗できると高を括った。彼等が好んで使う「善人」とは、そう言う類の人間の事である。
 宣教師達は、国際的な宗教教育を重視し、キリスト教関係の文献を日本語に翻訳し、各地に神学校(セミナリオ)を開校して、優秀な日本人の子供を神父や宗教指導者に養成した。
 日本人は、生き方の美醜の判断を自分の内面の良心・道徳に委ね、多種多様な価値観のもとで自分の行動を自己規制し、時代を超えた物事の道理で正邪をわきまえる、他人や世間の目を気にする神道的多元論を持っていた。
 宣教師は、天皇神話に根ざした日本民族の伝統的「美徳」を根底から崩壊させ、主要な天皇霊を祭神として祀る全ての神社の破壊を神聖な使命とした。
 絶対神のみを信仰する者にとって、祖先を神として祀り信仰する事は、唯一の神を冒涜する行為で許せなかった。
 純真な白人修道士(多くが改宗ユダヤ人)に率いられた権威に弱い生真面目な日本人キリスト教徒の一団は、異教徒の偶像崇拝を根絶やしにし、野蛮な一夫多妻制度としての側室制度を廃絶する為に「剣と聖書」を持って、キリスト教会に寄進された教区内にある由緒ある神社仏閣を襲撃した。
 日常生活の中で2000年近く伝承してきた、神道天皇神話)の祭事や因襲、仏教の法事や習慣を、悪魔的儀式や呪われた秘技として破壊した。
 ハッキリした信仰を持つ日本人キリスト教徒は、排他的にして戦闘的な宣教師の指導のもとで、多数の神社仏閣を破壊し、火を放って灰とした。
 僧侶や尼僧、神主や巫女らは、改宗を拒めば「神の御名」によって殺すか追放した。
 ご先祖様から大事に守られてきた各家庭の仏壇や神棚を叩き壊し、大切にされてきた先祖代々の位牌や天皇が認めた神社の護符を足蹴にして火中に投げ込み灰にし、先祖代々の墓を暴き、異教徒である父母兄弟の遺体を辱める事で、普遍宗教への信仰の証とした。
 1000年以上の永きに渡って、民族中心の神の使いとして敬われて来た各神社の神鹿や神鳥や神猿を、絶対神が「人の食糧」とすべく創造してくれた食獣とし、遊び半分で打ち殺して、酒盛りをしながら食べた。
 彼等は、全ての動植物は絶対神が創造して白人のみに与えたものと信仰していた。
 人間には、絶対神の許可で、全てを支配する権限が有るとされていた。
 その人間とは、白人種であり、日本人などの有色人種ではない。
 自然と祖先と職能を神として崇拝する民族宗教は、邪教として徹底的に破壊されたのである。
 「弱者の論理」の神社側は、2000年の永きに渡り地元に根差して来たが、神の血を引く氏子や信仰ではなく崇敬する人びとを失って静かに消滅した。 
 「強者の論理」の寺院側は、暴力を持って抵抗する為に、門徒や宗徒を集めて武器を取って宗教戦争を引き起こした。
 利益・金儲けに目が眩んだ領主や戦国大名が洗礼を受けて改宗した為に敗北し、生まれ育った地元から追放された。 
 信仰を持つ者は、家族や国家に関係なく、無国籍者として、国境や慣習に囚われる事なく、自分が生活する土地・自然を自分の好きな様に自由に改造した。
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 1500年代中頃 スペインは、中南米のメキシコ銀山やポトシ銀山などを手に入れる事で全世界の約4割の銀を占め、世界植民地帝国を築いた。
 ポルトガルは、キリスト教宣教師を通じて、日本の石見銀山生野銀山を所有する戦国大名と火薬の原料である硝石貿易を行って独占し、富を蓄えた。
 宣教師は、異教国日本をキリスト教化する為に布教の許可を条件として、戦国大名ポルトガルとの硝石交易を仲介していた。
 銀山を持たない戦国大名は、捕虜として連行した日本人女性を、宣教師を通じて南蛮商人に奴隷として売って硝石を手に入れていた。
 当時のキリスト教宣教師は、戦いを嫌う愛と平和の使徒ではなく、絶対神の王国を築く為に異教を消滅させ異教徒を根絶やしにする不寛容な十字軍的聖戦士であった。
 ゆえに。世界中の非キリスト教徒は、伝統的民族宗教を守る為に普遍宗教キリスト教と戦った。
 スペインとポルトガルは、莫大な植民地交易に力を入れたが、中世的ローマ・カトリック教を信仰して国内の商工業を保護育成しなかった為に、外国との貿易量が落ち込むやすぐに没落した。
 イギリスやオランダやフランスは、富を蓄える事を認めるカルヴァンの教義を受け入れ、殖産興業を行って経済基盤を強化して国際競争力を付けて国力を付けた。
 国内産業の衰退は、国力を低下させ、国家の富が失われ、国民の生活を貧困化させ生きる気力を奪った。
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 1520年から1630年までに、ヨーロッパで約3万件のオオカミ男事件が起きていた。
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 1532年 マキャベリ「謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信じる者は、誤りを犯すはに陥る」
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 1549年 近江の戦国大名・六角氏の観音寺城下の石寺新市で楽市楽座が行われた。
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 1550年頃 ポルトガル人は、明国政府高官に賄賂や武器を贈り、マカオへの居住権を得た。
 ポルトガル政府は、マカオをインドのゴア同様に武器生産地とし、東アジア交易の拠点とした。
 イエズス会も、東アジア布教の拠点にすべく宣教師と修道士を送り込んだ。
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 1551年 比叡山延暦寺は、仏教僧養成する神聖な最高学府の立場を堅持し、真理を深める為に異教徒との神学論争を嫌い、ザビエルら非仏教徒の入山を拒絶した。
 ザビエルは、比叡山延暦寺に相手にもされず、仏教をキリスト教にとの野望は挫折した。
 山口の山内義隆を頼って、京を後にした。
 山内家は、中国産の絹、陶器、漢書、仏典仏具を銀で大量に購入していた。
 その代金する銀を手に入れる為に、石見銀山をめぐって尼子氏らと争っていた。
 石見銀山は、最盛期、世界中の3分の1の銀を採掘していた。
 布教に当たって、仏教との違いをハッキリする為に絶対神の呼び名を「大日」から「ゼウス」に改めた。
 来日して2年3ヶ月。改宗させた日本人は約1,000人と振るわなず、布教は思ったほどの成果を上げられなかった。
 スペインは、世界最大のメキシコの銀山を手に入れるや、大地の最果てにある日本の銀山には興味を無くし、イエズス会の日本布教にも関心をなくした。
 1月 ザビエル(45歳)は、京都に入って布教しようとしたが断念して、3月に平戸に向かった。
 11月 ザビエルは、日本を去りゴアへ向かった。
 来日して2年3ヶ月。本国・スペイン王国の積極的支援を受けられず、約1,000人を改宗させただけであった。
 フランシスコ・ザビエルは、日本の習俗が淫らに乱れきっている事に嫌悪し、如何に隣人愛の信仰でも救い難いとして絶望した。
 公家やサムライは、公然と男色に耽って幾人もの美少年を侍らして淫乱な生活を送っていた。
 金持ちは、例外なく、男でも女でも妾を囲っていた。
 戦場で。サムライは、目の色を変えて手当たり次第に女を犯し、女がいなければ牛を犯す獣姦を行って自慢していた。
 馬を後ろから犯そうとすると足蹴にされて飛ばされると、酒を飲んで卑猥に笑いあった。
 仏教坊主は、念仏を唱えながら、酒を飲み、肉を食らい、金を貯め、衆道に走って男色も女犯も犯していた。
 ザビエルは、ローマに、日本はソドムとゴモラの様な罪深き国であると報告した。
 江戸時代の川柳「親鸞と弘法裏腹を許し」
 宗教界は、淫靡に乱れに乱れていた。
 応仁の乱から戦国時代まで、日本中が乱れに乱れ、絶望が渦巻いていた。
 戦乱、天災、飢餓、疫病などが絶え間なく襲い来て、何時、運悪く命を落とすか分からない悲惨な状況であった。
 人々は、明日の事が考えられない夢も希望もない悲惨な状況下で如何に生き残るかを考え、命ある内は楽しめるだけ楽しもうと金銭欲と性欲で狂奔していた。
 そして。「此の世」は苦しみが満ち溢れ救いのない絶望的世界であるがゆえに、せめて「あの世」は苦しみのない平穏な素晴らしい世界で有って欲しいと願っていた。
 既存の神社仏閣には、生き地獄でのたうちながら生きる人々を救済するだけの宗教的霊力を失っていた。
 庶民に広がったのが、金や土地を寄進せずとも、厳しい修行をして悟に目覚めなくとも、「阿弥陀仏を唱えれば一切衆生、悪人でも成仏でき、極楽浄土に誘ってくれる」という一向宗浄土真宗であった。
 そして、隣人愛信仰による救済を説くキリスト教であった。
 東日本に一向宗が、西日本にキリスト教が、それぞれ信者・信徒を獲得して広がって行った。
 仏教各宗派は、特権的宗教権威を守る為に、サムライの淫乱な衆道を認める見返りとして一向宗キリスト教の弾圧を強要した。
 そして、一向宗キリスト教は弾圧された。
 1552年8月 ザビエルは、ゴアを去り中国・上川島に到着した。
 12月3日 ザビエルは、上川島で死亡した。
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 日本人は、キリスト教が説く「絶対神の愛による救済」を、親鸞が説く「阿弥陀如来誓願」に似た教義と理解して、キリスト教を仏教の1宗派として受け入れた。
 和辻哲郎「神の愛なりとする直感においてキリスト教の教えと親鸞の語ろうとしていることは極めて近い」(『日本精神史研究』)
 内村鑑三「わが善き信仰の友親鸞
 宣教師は、布教の方便として、キリスト教を「天竺宗」と称し、絶対神を「ダイニチ」(大日如来)と訳した。
 後に。ダイニチを天竺宗を天主教に改めた。
 キリスト教の優位性を証明する為に、仏教勢力に対して神学論争を行い論破し、容赦なく相手の教義を否定した。
 排他性の強い中世キリスト教は、教区内での異教徒との共存を好まず、異教の宗教施設を完全破壊した。
 中世キリスト教は、異常なほど異教徒や異端者を弾圧し、寺院仏閣を破壊して廻っていた。
 宣教師は、絶対平等主義で教区内のキリシタンに分け隔て無く接し、教区外にある町の貧民に対しては改宗させる為に救済を行った。
 瞬く間に貧者の間にキリスト教が広がったが、町人、職人、百姓などの中間層は既存の仏教を信仰してキリスト教を拒否した。
 ザビエル「今まで発見された全ての国々の中で、日本人だけが自分の力でキリスト教を発展させるのに適している」
 宣教師は、日本人が御上の御意向に柔順に従う自意識の乏しい没個性な人間と見抜くや、一人ひとりに辛抱強く絶対神の「隣人愛」を説いて廻るよりも、領主一人に洗礼を施せば領民を自然と改宗させるのと分析した。
 インドでは布教に失敗したが、日本では約40年間という短期間で30万〜40万人(一説には50万人以上とも、300万人とも)を改宗する事に成功した。
 中世キリスト教は、聖俗一体の世界認識から、地上の宗教・精神世界を絶対神の普遍的価値観で統一しようとした。
 その神聖な使命を達成する為に、聖都エルサレム攻略の十字軍の如く、日本神道や仏教など全ての異教を根絶やしにする強固な意志で望んでいた。
 それは、聖戦とも云うべき宗教戦争であった。
 若し、キリスト教が禁制され弾圧を受けなかったら、日本は中南米のようなキリスト教国にならずとも、九州か、四国ぐらいの地域がキリスト教化された可能性がある。
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 マタイ福音書
 第10章
 そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
 十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ
 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
 熱心党のシモンイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。
 イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。
 どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。
 その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。
 もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。
 もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。
 あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。
 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。
 またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。
 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。
 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。
 兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。
 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである。
 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
 そして家の者が、その人の敵となるであろう。
 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
 預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。
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 ローマ人への手紙
 第7章。
 24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
 25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。
 第8章。
 1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
 2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。
 3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。
 4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。
 5 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。
 6 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
 7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。
 8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。
 9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
 10 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
 11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
 12 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
 13 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。
 14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
 15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
 16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
 17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
 18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
 19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
 20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
 21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
 22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
 23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
 24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
 25 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
 26 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
 27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
 28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
 29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。
 30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。
 31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
 32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
 33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
 34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
 35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
 36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
 37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
 38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
 39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。




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天皇と宗教 (天皇の歴史)

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