⛩64)65)─1─清らかで美しい自然物・人工物に包まれ静かに佇む日本の神社仏閣。~No.145No.146No.147No.148 @

鎮守の森は泣いている―日本人の心を「突き動かす」もの

鎮守の森は泣いている―日本人の心を「突き動かす」もの

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の宗教・信仰・精神は、曖昧・いい加減・中途半端・程ほどを中庸として受け容れる為に不寛容排他的狂信的偏狂的な宗教・信仰・精神は生まれにくい。
 日本は、自然界のマイナスイオン、ファジーな気候風土に包まれ、動的創造的意欲的積極的攻撃的ではない。
 日本は、中国や朝鮮とは正反対に近い程に違う。
   ・   ・   ・   
 日本の全ての中核にあるのは、「花鳥風月プラス虫の音」である。
 日本の全ての命の根源にあるのは、「苔(こけ)と酵母などの善玉の菌」である。
   ・   ・   ・   
 2018年2月号 WiLL「石平が観た日本の風景と日本の美 6
 『美しさ』をモチーフとする日本仏教の異彩
 前回掲載のこのコーナーは『古寺(こじ)と紅葉』と題して、京都などの古寺で観た紅葉の美しさについて語った。もちろんこの日本では、お寺の中に美しさを競っているのは何も紅葉だけではない。
 季節の花が綺麗なお寺、庭園の美しさで有名なお寺、清々しい苔(こけ)が風情となるようなお寺など、何かの『美しいもの』を名物として持つ仏教寺院は数多あるのである。
 『桜』を例にとってみると、私の住む関西でも、『桜の名所』となっているお寺がいくらでもある。
 ……
 あるいは美しい庭園を持つことで名を馳(は)せたお寺も多い。
 ……
 このようにして、日本の多くの仏教寺院は信仰の場としての宗教施設であると同時に、花や草木や苔や庭などの自然物あるいは人工物の美しさを持って境内(けいだい)を飾り、四季折々の風情を楽しませてくれるような『美の観賞』の場ともなっているのである。
 しかし、よく考えてみれば、このような現象は日本独特のものであるかもしれない。例えば日本と同じく大乗仏教の広がった東アジアでは、中国杭州の霊隠寺(れいいんじ)や韓国の海印寺(かいいんじ)などの名刹(めいさつ)も数多くあるが、それらの寺院は宗教施設としては一概に荘厳(そうごん)さを醸(かも)し出しているものの、花とか庭園とか紅葉とか、何かの『美しいもの』を持って名所となっているようなことは特にない。
 あるいは西欧のキリスト教となると、ステンドグラスを含めた教会の建物自体が壮麗である場合も多いが、教会はあくまでも荘厳粛々(しゅくしゅく)の信仰の場であって、花や庭などで四季の美しさを表現するような場ではない。美しいステンドグラスも、もともとキリスト教の教義や物語を人々に分かりやすく伝えるための道具であり、『美の観賞』の対象そのものではないはずでである。
 こうしてみると、世界の宗教の中で、あるいは東アジアに広がった大乗仏教の中で、宗教の理念や教義とあまり関係なく、花や苔や紅葉や庭園など、それ自体が『美』として存するものを持ち、それを保持することにとりわけ熱心なのは、日本の仏教だけかもしれない。日本人にとって、寺院が単なる信仰の場であっては満足できない。
 寺院は信仰の場であると同時に、四季折々の風情を感じ取り、美しいものに目を奪われ心を打たれるような場所でなければならない。あるいは別の言い方をすれば、日本人にとって、信仰と美はもともと別の世界のものではなく、同じ場所にあるべき渾然一体(こんぜんいったい)のものなのである。
 このようなことは、もちろん日本の仏教に限られたものでもない。日本伝統の神道の世界でも、花や紅葉や庭園などの美しいものを持っていて、それを大事にしている神社は全国のあちこちにある。信仰の中で『美』を見出してそれに感動するのは、むしろ、日本人の普遍的な宗教感覚であろう。
 どうして日本人の宗教感覚はこうなっているのだろうか。どうして日本人は信仰の場において美しいものを求めて、それを楽しまずにはいられないのか。
 それは実に奥行きの深い哲学上の大問題の一つであって、そう簡単に解明できるものではないが、美しいものに執着心をもっていて、それに感動しやすいような心性は、まさに古来の『日本の心』の一部であるに違いない。
 われわれはこれからも、このような『日本の心』を持って、四季折々、花や紅葉や庭園の美しいお寺や神社へ出かけて行こうではないか。」
   ・   ・   ・   
 水と緑と光の自然の中に佇む、ローカル民族宗教の日本の神社仏閣。
 自然を拒否するような大地に聳え立つ、グローバル普遍宗教の教会・モスク・シナゴーグ・その他。
 グローバル普遍宗教は、神の御名によって人間社会と自然環境を切り離し、聖典・経典の教義・教理で自然崇拝・精霊信仰の野蛮・未開なアニミズムを撲滅し、自然を人間に従属させる事によって成立した。
   ・   ・   ・   
 日本人と中国人・朝鮮人の宗教観や自然観は異なる。
 幾ら話し合ったところで、日本人と中国人・朝鮮人は分かり合う事は不可能であった。
 腹を割って話し合えば分かり合える、誠意を持って話せば理解し合えると考える日本人は、人間という感情を持った生き物が分からない人間である。
 さもなければ、悪意を持った人間である。
   ・   ・   ・   
 日本神道には定められた拝礼作法と行ってはいけない行為はあるが、聖典・経典、教義・教理、戒律・律法、信者・教徒、布教は存在しない。
 つまり、尊崇はあっても信仰がない。
   ・   ・   ・   
 日本では、自然と人間は一体であり、宗教・信仰・精神はその中から生まれ出ていた。
 その究極の姿が「盆栽」である。
 日本の盆栽は、日本生まれの日本独自の「趣向的美」であっり、中国や朝鮮にも同じ作為的植物美があったとしても無関係である。



   ・   ・   ・   

森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書)

森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書)

「鎮守の森」が世界を救う (扶桑社新書)

「鎮守の森」が世界を救う (扶桑社新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: 新書
鎮守の森 (新潮文庫)

鎮守の森 (新潮文庫)

  • 作者:宮脇 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/04/25
  • メディア: 文庫