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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の伝統的民族祭りは、日本天皇・皇室・天皇制度と共に途絶える事なく日本民族日本人の間のみで継承されてきた。
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天皇制度を否定し、天皇家・皇室の廃絶を求める日本人は、伝統的民族祭りの廃止を求める日本人である。
つまり、日本民族日本人ではない。
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皇室・皇族と旧11宮家は、皇祖皇宗を祀る伊勢神宮(祭神・天照大神)と橿原神宮(祭神・神武天皇)の大本の純な氏子である。
天皇位は、皇祖皇宗の血を引く者だけが即位できる唯一の神聖な位である。
皇位の正統性は、伊勢神宮と橿原神宮(かしはらじんぐう)の大本の純な氏子の血筋のみである。
天皇霊・天皇魂は、伊勢神宮と橿原神宮の大本の純な氏子の血筋のみに宿る。
伊勢神宮と橿原神宮の大本の純な氏子でなければ、天皇には即位できない。
最高神の女性神・天照大神と神武天皇は、現皇室の氏神・祖先神である。
皇族を、現皇室の血を引く直系に限定するのか、旧11宮家及びそれ以外の親王家諸王家まで広めるのか。
奈良時代以前の男系皇族とは、皇祖皇宗の血を正統に受け継ぐ全ての親王家諸王家まで広範囲に及んでいた。
その血の分枝が、近かろうと、遠かろうと、皇位に相応しい人物であれば天皇位に即位した。
皇祖皇宗の血を引かない赤の他人は、それが日本人であろうと、中国人であろうとも、朝鮮人であろうとも、ユダヤ人であろうとも、白人であろうとも、如何に才能溢れた優れた人物でも、万人に好かれ愛され揺るぎない人気があろうとも、天皇位には即位できない。
皇祖皇宗の血を引かない赤の他人が天皇に即位すると、皇祖皇宗を祀る皇室所縁の伊勢神宮と橿原神宮は滅び、氏神・祖先神の女性神・天照大神と神武天皇は消える。
日本民族日本人とは、日本天皇と一心同体である。
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2016年11月10日号 週刊新潮「古都再見 葉室麟
幕が下りる、その前に
京都・時代祭の行列に生前退位と譲位の温度差を思う
京都三大祭のひとつである時代祭を見にいった。
時代祭は明治28年(1895)から始まり、今年で112回目だ。
明治維新から平安時代までの衣装をまとった2,000人が京都御苑から平安神宮までの都大路を練り歩いた。
京都御苑は見物客が多そうだから、と思って三条大橋で待ち構えた。
当然、ここも見物客が鈴なりで、カメラの列の間からのぞき見るぐらいだ。
やがて騎馬が来る、横笛を吹く維新勤王隊の少年たちの隊列がやってくる。
官軍側なのだろうけど、少年だけに会津の白虎隊のようにも見える。
だが、これは東北での戊辰戦争に際して丹波北桑田郡山国村(現在の右京区京北)の有志が山国隊を組織して官軍に加勢したときの行装にならったものだという。なるほど、凜々しいくてカッコイイのだ。
その後に桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、吉村寅太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰、平野国臣などの志士たちが続く。
本物に似ているような、そうでもないような。幕末に日本を訪れた外国人の目にはサムライはこんな風に見えていたのだろうか。
行列に橋本左内が入っているのは〈安政の大獄〉で刑死したからだろう。
だが、佐内は本来、開国派で一橋慶喜を将軍にしようと活躍したことが、大老・井伊直弼に憎まれた。いわば幕府内における暗闘での犠牲者だ。
偉人には違いないが、尊王攘夷派の志士たちとは少し肌合いが違うのではないかという気がする。
それでもかまわないのだろう。
歴史小説家としては気になるところだ。
ともあれ、見物を続けていると江戸時代から豊臣秀吉、織田信長などの戦国時代の英雄が登場する。
さらに忠臣、楠木正成などの名だたる武将から平安の王朝文化の時代へと延々と行列が続いていく。
橋の上だから、ちょっと怖い気がするが、すぐ近くを行列が通るたびに馬や牛が大きくて迫力がある。
それに、思ったよりリアリティがあるのだ。
行列のうち、主に女性を紹介すると、徳川家の降嫁した和宮、歌人の太田垣蓮月、京都の富豪・中村内蔵助の妻、祇園で茶屋を営んだ歌人・お梶、絵師・池大雅の妻、吉野太夫、出雲阿国などがいる。さらに淀君、藤原為家の室(阿仏尼)、静御前、巴御前、清少納言、紫式部、小野小町、和気清麻呂の姉・広虫も登場する。女性たちのひとりひとりに物語があるから語り出したら何時間あっても足らないだろう。
行列の見物にも疲れて近くのカフェでコーヒーを飲んだ。
そしてこの長大な行列が実はお供に過ぎないことを思った。
御鳳輦(ごほうれん、祭神の乗る御輿)を中心とした神幸行こそが時代祭の中心なのだ。
平安神宮は明治28年、平安奠都(てんと)千百年祭を行うさいに、平安京を創始した桓武天皇を祭神として創建された。
昭和15年(1940)平安京最後の天皇であった孝明天皇を合祀した。つまり、京都が都だった時代の最初と最後の天皇が祀られているということになる。
時代祭の神幸で先に進む御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇である。
両祭神が年に一度、巡幸して市民の安らかな様をご覧になるというのが、時代祭の本義である。
行列を彩った志士や武将、そしてはなやかな女性たちも御鳳輦の従者に過ぎない。
両祭神の供をした行列のおびただしいひとびとは、その後、ゆらめいて消えてしまう陽炎のようなものかもしれない。
見方によっては、わが国の歴史そのものを表しているようにも見える。
われわれはどこから来たのか、そしてどこへ行こうとしているのかを時代祭は問いかけているかのようにも思える。
ところで、近頃、新聞紙面をにぎわす、
──生前退位
という言葉の感情がこもらない、つめたい響きはどうなのだろう。なぜ、
──譲位
ではいけないのか。さらに言えば天皇の譲位されれば、皇太子が、
──即位
されることになる。
まことに慶事ではないか。
奉祝すればいいだけのことのはずだが、われわれは、いったい何を恐れているのだろう。
恐れるのは、自らの心のうちにそれがあるからということなのだろう。しかし戦後71年を経て乗り越えられないはずがない。
もう少しわれわれは歴史を信じてもいいものではないか。
時代祭を見物してそんなことを思った」
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古式ゆかしき伝統的祭りの大半は、天皇霊を祭神として祀る神社あるいは天皇魂を守り本尊として崇める寺院の祭祀である。
天皇制度の廃絶を求める、共産主義者・キリスト教徒などの反天皇反日的日本人達。
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昔の祭りは、民草全員が、御祭神である天皇霊を讃え遺徳に感謝する、騒々しいほどに賑やかな宗教行事であった。
現代の祭りは、宗教性を排除した、人を集めて金儲けしようという馬鹿騒ぎを行うビジネス的イベントに過ぎない。
昔の祭りは宗教的祭祀であったが、現代の祭りは金を集めるショービジネスにすぎない。
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