- 作者:梅田 智彦
- 発売日: 2017/07/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本神道(皇室神道)には、女性を「不浄」「穢れ」とする教義はない。
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日本神道の神は、縄文時代の母性神・地母神の流れをくんでいる。
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日本のパワースポットは、「そこ」ではなく「ここ」である。
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日本の稲が実る田圃は全てがパワースポットであるが、その中で最も生命力が強い田圃パワースポットは若い女性「手弱女」が稲を植えた田圃であった。
日本のパワースポットを生み出しているのは、女性の子宮である。
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パワースポットとは、花鳥風月+虫の音が溢れるところである。
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日本人が生きる為に必要不可欠な五穀を体内から生み出したのは、女性神である。
日本に於ける命の源は、女性神・女性である。
ゆえに、日本のパワースポットは男性的父性的「そこ」ではなく女性的母性的「ここ」である。
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2018年6月号 新潮45「めくるめくるパワースポット 高橋秀実
おかげさま伊勢神宮
清めれば穢れ、穢れるので清める。果てのない巡りをとりまく、人々の願いとは。
やっぱり伊勢神宮か・・・。
私はつぶやいた。パワースポットを巡っているのだから、やはり伊勢神宮には行くべきなのだろう。
なにしろ年間の参拝者数は約874万人(『伊勢市観光協会統計』平成28年)にものぼる。その正式名称も『神宮』。全国約8万社の神社が『本宗』として仰ぐ唯一無二の神社であり、さらにはここは『女神の聖地』とも呼ばれている。
なぜなら中心にある内宮(ないぐう)に祀られているのは皇室の先祖とされる天照大御神。言わずと知れた『光華明彩』(『日本書紀』)、輝くばかりに美しい女神である。その食事を用意するために創建された外宮(げくう)にも豊受大御神(とようけのおおみかみ)という女神。伊勢神宮には他に123の別宮や摂社などがあり、そのうち41社に『○○姫命』などの女神が祀られている。伊勢神宮は日本人の『心のふるさと』(伊勢神宮HP)とされているが、私たちのふるさとは女性が仕切っているのだ。
そして神様に付けえるのも古来、女性たちである。仏教では月経、出産などの出血から女性を『穢れ』と忌避していたが、神道ではこれを『カミンチ(神の血)』と呼んだりする。伊勢神宮の元禰宜(ねぎ)で神社本庁総裁も務めた櫻井勝之進さんによると、女性にこそ『豊饒(ほうじょう)の力』(『神道を学びなおす』神社新報社 平成17年)があり、『あらゆる生命の源というものは女性である』(同前)と讃えるのだ。
問答無用の女性パワー。
男の私は腰が引け、思わず『そこじゃなくて』と外したくなる。パワースポットの基本は『そこじゃなくてここ』なのである。そこで外しのポイントを探るべく、あらためて『日本書紀』の伊勢神宮鎮座に至る記録を読んでみた。実はこの地を選んだのは天照大御神とともに旅をした倭姫命(やまとひめのみこと)。近江国、美濃国を経て伊勢国に入った時、天照大御神は倭姫命にこう告げていた。
傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。是の国に居たらむと欲(おも)ふ(『新編 日本古典文学全集2』小学館 1994年)
『傍国』とは、中心から外れた国ということ。外れているから伊勢を選んでおり、それこそ『そこじゃなくてここ』ではないか。私はずっと『そこじゃなくてここ』をキーワードにパワースポットを探してきたのだが、それはもともと天照大御神の言葉。もしかして私は彼女に導かれていたのだろうか。
全方位に一礼
……
『清め』を知ることで自分の穢れに気づく。清めの場所は穢れを生む。清めるから穢れ、穢れるから清める。神社にはこの巡りが内包されており、だから神社を巡ることになるのだろう。
天皇も『おかげさま』
『江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現した町』(パンフレット)……。
『この横丁ができたのは平成5年。それまでは寂れた町だったんです』
しみじみと述懐するのはおかげ横丁広報担当の濱口泰弘さん。参拝者たちは観光バスで鳥羽など別の観光地へ行ってしまう。なんとか引き留めるべく、『おかげ参り』の精神に立ち返って町づくりをしたらしい。
『伊勢神宮周辺に暮らす私たちは「神領民」と呼ばれていました。お参りする方々に無料でおにぎりを配ったり、草鞋(わらじ)を提供したり。あつくもてなすことが伊勢神宮の神様に伝わって、徳が受けられるという信仰心があったんです。旅する方々もそのおかげでお参りすることができた。だから「おかげ参り」なんです』
おかげさまで伊勢参り。全国各地からの旅人は神領民のおかげでお参りができ、神領民も旅人のおかげで徳を積めて生活もできる。おかげの元は伊勢神宮。神様のおかげということなのである。
続ける濱口さん。
──犬が、ですか?
『家の主人が病気でお参りできなくなり、犬が代参したそうなんです。当時、伊勢参りをする人は必ず柄杓(ひしゃく)を身につけていました。柄杓が伊勢参りの印。そこで犬に柄杓とお金の包みをぶら下げて送り出したところ、それを目にした人々が費用を受け取りながら一緒に連れていってくれたという話もあるんです』
こうしたエピソードは江戸時代の『御蔭参宮文政神異記』などにも記録されている。伊勢参りをしようとすると、空から破魔矢や御札が降ってきたという超常現象も綴られているが、多くは人の善意の話。阿波国(徳島県)の8歳の子供が道行く老人を頼りに伊勢参りをした、道中でお金を盗まれても宿の主人が貸してくれたり、お金がなくても船に乗せてくれたり。伊勢参りを申し出た妻と夫婦喧嘩になり、夫が殴りかかろうとすると手が動かなくなった。やむなく伊勢参りに送り出すと、手が再び動くようになったとか。江戸時代に大ブームとなった『おかげ参り』は、神様というより『おかげさま』のご神徳のようなのである。
──濱口さんも伊勢神宮にお参りをするのですか?
不躾ながらそうたずねると、彼はこう答えた。
『祈願は地元の氏神様です。願い事は地元の宇治神社なんです』
──となると伊勢神宮は・・・。
『全国のお願い事は伊勢神宮に集まるわけです。それでお願いがかなった時に伊勢神宮にお参りする。おかげさまでお願いがかないました。と感謝を伝えるんです。いってみれば「御礼参り」ですね』
かつて『私弊禁断』という決まりがあったように、内宮は祈願の場所ではない。お願いではなく感謝する。ちなみに天照大御神は皇室の祖先とされるが、先述の櫻井勝之進さんはこう記していた。
天皇さまはご自分の権威というもの、神という資格というものは自分ひとりで得たものではない。これは先祖代々の御蔭である、というのでその大元を大御神と申し上げるわけです。(前出『神道を学びなおす』)
天皇が天皇であるのは『尊い始原があってのお陰』(同前)。天皇も『おかげさま』を拝むくらいで、私たち日本人は『おかげさま』のおかげさまで生きているのだ。
……
おかげさまか・・・。
太陽、そして植物のおかげで私は生きている。さらにはご先祖様、両親、親戚のおじさん、おばさん、妻、友人、知人、その他、縁のある人々・・・。おかげさまを考え始めると、とりとめがなく、感謝すらなら直接本人に伝えるべきではないか、ここで一括するのは横着ではないか、という邪念に襲われた。
……
生後間もなく死んだ姉のことを思い出したのである。私が生まれる前のことなので、私は姉を見ていない。天照大御神も生まれるとすぐに天上界に行ったし、暴れん坊、素戔嗚尊(すさのをのみこと)にずっと手を焼いていた。弟とは私のことで、姉は今も天上界で見守ってくれているのではないか。そういえば姉は美人だったと聞かされている。しかし母が見たわけではなく、父が母を慰めるためにそう言っただけで、これもひとつの言い伝えだった
見えない『おかげさま』ということか。見えないからこそ身の内から沁みわたる。
『ここ』がパワー
……
旅を終え、私は自宅に帰り、妻との日常生活に戻った。あらためて思うに、日常生活も『おかげさま』の賜物で神々しい。『人々日用(にちよう)の間にありて、一事として神道あらずと云ふ事なし』(度會延佳著『陽復記』1650年)と言われているし、そもそも『日用』の意味とは、
太陽は恒常で変らない。(『大漢和辞典』大修館書店 昭和32年)
つまり日神の信仰なのだ。『ここじゃなくてそこ』と考えると、巡らされることになるが、天照大御神のように『そこじゃなくてここ』と唱えれば、まさにここがパワースポットである」
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伊勢神宮の内宮・外宮と二見興玉神社・金剛證寺などの一帯は、世界でも珍しい女神(太陽神)の神域・聖地である。
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伊勢神宮の最高位の奉仕者は、男性ではなく女性で、未婚の内親王が任命される。
最高位の奉仕者は、斎宮と呼ばれある。
格式高い賀茂神社の最高位の奉仕者も未婚の内親王で、斎王(さいおう、いつきのみこ)と呼ばれる。
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女性が女性神の神域・聖域に立ち入ると女性神が嫉妬する怒るから女人禁制にするというのなら、伊勢神宮一帯から女性を排除しなければならない。
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日本神道には、女性神を理由にして女人禁制にするという教義はない。
神域・聖域への立ち入り禁止・入山禁止は、男女問わず全ての人間に言える事であり、それは天皇や皇族であっても例外ではない。
何故なら、天皇は神の裔・祭祀王であって神ではないからである。
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女性は命を生み出す神秘的な母体である。
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男は取り替えできるが、女性は取り替えできない。
子供の、母親はハッキリしているが、父親はハッキリしていない。
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伊勢神宮は、祖先神・氏神の人神祭祀の原型である。
人神祭祀は、個の家宗教で、信仰でもなければ、崇拝でもない。
祖先を人神として氏神神社に祀れるのは、祖先を同じくする、同じ血を引く子孫だけでる。
祖先を同じくしない、同じ血を引かない赤の他人は、崇敬者か、縁あって地域に住む住民である。
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反天皇反日的日本人は、伊勢神宮を目の敵にしている。
彼らには、祖先もなければ子孫もない、魂も霊魂もなく、死ねば電気が消えるが如く「無」とり、生きて存在していた事さえ消えてなくなる。
生きていたのか、生きていなかったのかさえ分からない存在である。
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飢える事を恐れる日本民族はは、五穀の中でも稲・米を最も神聖な作物として信仰の対象としてきた。
日本神道は、稲を植える田植えを準神事としてきた。
天皇陛下は、自ら皇居内の神田で、春、田植えを行い、秋、稲刈りをし、11月23日の新嘗祭で皇祖皇宗(祖先神)や八百万の神々と食を共にして感謝した。
皇后陛下は、絹を作る蚕を尊い生き物とし、皇居内で蚕を飼い、繭から生糸を作って祖先神と八百万の神々に捧げて感謝した。
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2018年5月26日 読売新聞「皇居の稲作は、農家の苦労を知るために昭和天皇が始め、陛下に受け継がれた。秋に収穫される米は、新穀の実りに感謝する11月の「新嘗祭(にいなめさい)」などで神前に供えられる」
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日本神道において、農作業は奴隷的重労働ではなく準神事であった。
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手弱女が田植え神事を行う時、男衆は笛を吹き太鼓を叩き歌を謡いそして踊って囃し立てた。
女性が不浄・穢れとするなら、最重要な田植え神事を女性では行わない。
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日本に、男尊女卑を持ち込んだのは仏教と儒教であっり、女性蔑視・女性差別を根付かせたのはキリスト教である。
仏教にとって、女性は修行の差し障りであった。
儒教にとって、女性は男性の所有物であった。
キリスト教にとって、女性は男性の余り物であった。
つまり、仏教・儒教・キリスト教は男性上位・女性下位の男性中心宗教であった。
ただし、仏教と儒教が日本に土着化し、長い年月かけて日本神道の影響され、日本化するにつれて両性具否宗教へと変質していった。
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反宗教無神論のマルクス主義者(共産主義者)や偏狭なキリスト教徒や一部の仏教徒は、日本の女性神(地母神)信仰を邪悪として否定する。
特に、神仏を憎み宗教を廃絶しようとする共産主義者ほどおぞましい人間はいない。
反宗教無神論の共産主義者(マルクス主義者)は、日本を壊す事しか考えていない。
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- 作者:ヴォイス編集部
- 発売日: 2010/05/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)