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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2016年1月20日 読売新聞「書く技法 二つの仮名生む 馬場基(はじめ)
ひらがな→紙を手で持つ日常用
カタカナ→仏典筆写通じて発展
気の毒な話ではないか。
日本の小学生は、ひらがな、カタカナ、漢字と、3種類もの文字を習得しなければならない。米国ならABC、中国なら漢字、韓国ならハングル、なのに。
特に、同じ表音文字の仮名が、2種類もあるのはなぜだろう。通常は、成立過程が異なるから2種類ある、と説明される。ひらがなは、漢字を続けて書く行書体から、カタカナは漢字の一部を省略する『省画』から成立した。成立過程が二つだから、仮名も二つ。
いやいや、表音という目的が一つなら、文字も統合されて良い。成立過程を見ても、行書体でも省画はあり、完全には分けきれない。1000年以上にも及ぶ、仮名併存の理由としては、不十分だ。
そんな思いを抱いていた私は、ある時、謎を解くカギとなる絵に出会った。
その絵は『信貴山縁起絵巻』という。12世紀頃成立のこの絵巻には、最古の『日本人が文字を書く姿』が見いだせる。右手で筆軸の中程を持ち、左手で紙を持って文字を書く。
実は、この『手に紙を持って書く』書き方こそ、江戸時代まで、いやごく最近に至るまで、日本人のスタンダードだった。
手に紙を持って書く──今日の我々にとっちては、アクロバティックにも感じられるこの技術を遡ると、中国・漢の時代にたどり着く。
漢帝国は、簡牘(かんとく。竹木に文字を記しかもの)を用いて、支配を確立した。その書記官たちは、板きれを手に持って文字を記す技術=身体技法を駆使した。
一方彼らは、机上で書写を行った形跡もある。『手持ち書写』と『机上書写』の2つの身体技法は、漢代にはすでに成立していたのだ。
次の晋代には、紙が普及する。だが、身体技法の方は新素材の普及に追いつかず、手持ち書写が多用された。詳細は省くが、この晋代の様相が朝鮮半島の百済で成熟されて、7世紀の百済滅亡時に逃げて来た大量の移民が、日常的な手持ち書写技術を日本全国各地に普及させた。こうして、日本の『日常的文字筆写体技法』の基礎が形成されたらしい。
手持ち筆写では、筆圧の変化などは不都合だから、メリハリの少ない続け書きを多用する。そこに、行書体、その先にひらがなの姿を見ることは容易だ。
一方、仏教とともに伝わった仏典は机上書写の世界だ。仏典には、訓読方法の指示記号や注釈が書き込まれる。その際、釘状の道具で紙に傷を付けて記号や文字を記す手法もある。そう、こうした手法では、どうしても直線的な筆画や、省画が多くなる。カタカナの祖先だ。日常と宗教で身体技法が異なり、仮名への発展も異なっていた。
さて、文字文化は、文字そのものの知識のほかに、文字を書く道具や、文字を書く身体運動など、多様な知識と技術の集合体だ。
文明の程良き辺境に位置する島国にとって、集合体全体を一度身につけると、その全面改定は難しかったらしい。中国大陸で、机上書写が主流になった後も、この列島では手持ち書写が温存された。
2つの身体技法が2つの仮名を生み出し、辺境の特性が2つの身体技法を温存させた。日常と宗教という身体技法利用場面の違いは、2つの仮名に『役割』=使い分けをも与えた。かくしてひらがなとカタカナは、日本文化の中に、今日まで根付いてきたのだ。
これが、私なりの答えだ。
さて、身体技法の温存は、和紙の特性や筆法、手紙の作法、さらには流麗を好む美的感覚にまで影響した形跡がある。
幸せな話ではないか。
日本の小学生は、独自の美的感覚によって、3種類もの文字を織りなして、多様で繊細な表現を紡ぎ出すことができるのだから」
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権力者は、中華文明の儒教価値観に基づく「勧善懲悪」で書かれた、漢字による強者・勝利者・成功者の物語を好んだ。
庶民は、日本文明の神道と仏教混合価値観に基づく「諸行無常」で書かれた、ひらがな・カタカナ・漢字交じサクセスりの和文による弱者・敗北者・滅亡者の物語を好んだ。
権力者は、怨霊の祟りを畏れ、怨霊を鎮魂して御霊に変える為に自分が殺し滅ぼした弱者・敗北者・滅亡者の物語を、形を変え創作し日本文学として後世に残した。
だが、自分の権力を否定し、自分の地位を脅かす物語は、世の乱れの元として徹底的に弾圧した。
庶民は、強者・勝利者・成功者による自己自賛の成功物語や出世談は下品として嫌い、あからさまに表現せず歪曲し捏造し間接的に権力者を批判しておちょくった。
日本の権力者と庶民の面従腹背関係は、中華世界(中国・朝鮮)や大陸諸国の支配者と被支配者の絶対服従関係とは異なる。
ローカルな日本の常識は、グローバルな世界の常識から見れば合理性のない論理が破綻した非常識である。
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日本文明・日本文化をまとめ上げていたのが、日本国語である。
日本国語を支えたのが、神代から続く日本天皇・日本皇室そして日本神道であり、そこへ後に日本仏教が加わった。
そこには、儒教の影響は微弱で、キリスト教やユダヤ教の影は薄い。
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2016年2月号 Voice「平成始末 74 山折哲哉
『こころ』と『心』のあいだ
日本語のなかで、『こころ』という言葉ほど厄介なものはない。厄介というのは、もちろんつまらないという意味ではない。それどころか、もしもこの言葉に出会わなかったら、われわれ日本人になることができなかったかもしれない。
『こころ』という大和言葉には万葉集以来の1000年の歴史がある。源氏物語、平家物語をはじめ能や浄瑠璃などの語りの世界を見渡せばわかる。その使用範囲は森羅万象におよび、日常生活における喜怒哀楽のすべてをカヴァーしている。人事や社交の領域に鋭敏な感覚を行きわたらせていることに気づく。
これにたいして中国文明との接触によって生みだされた『心』という漢字言葉には、それとは別の価値観が植えこめれるようになった。それは中国への留学生(僧)によってもたらされたものだった、たとえば最澄の『道心』、空海の『十住心』、道元の『身心解落』などの言葉遣いをみればわかるだろう。それがやがて世阿弥の『初心』を生み、のちに無心、道徳心、愛国心などの慣用句を世に送りだすことにつながった。前者の和語系の『こころ』は人間的な、あまりに人間的な煩悩系の意識や表象と結びついて使われてきたが、後者の漢語系の『心』は、その煩悩系の衝動を緩和したりコントロールしたりする役目を担わされるようになったといっていい。見方を変えれば和語の『こころ』は感ずる『こころ』、それにたいして漢語の『心』は信ずる『心』ということができるかもしれない。
近代にいたって夏目漱石は『則天去私』といい、小林秀雄もまた『無私の精神』を強調しているが、これらの去私や無私は右の和語系と漢語系の入り混った合成語のように私の目には映る。100年前、漱石は『こころ』という小説を書いて日本人における生と死のあり方に一石を投じたが、しかし彼がこの小説を『朝日新聞』に連載したときは『心』というタイトルをつけていた。漱石はもしかすると、わが1000年の歴史のなかに浮き沈みしてきた『こころ』と『心』のあいだを行きつ戻りつしながら、悩みつづけていたのかもしれない。」
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2017年11月2日号 週刊新潮「豊饒なる文庫文化 ヤン・デンマン
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貧乏学生でもカントを買える
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しかし文庫は、そもそも誰もが容易に知にアクセスできるようにつくられたものだ。今の図書館は、誰もがいつでも買えるものを無料で貸し出し『市民のニーズに応えている』と勘違いしているのではいか。
……
文庫の最大の魅力は、気軽に古典に触れられることだろう。文庫がなくなり新刊本ばかりになったら、薄っぺらい世の中になる。世界を見ても、古典を持たない国はバカにされている。一方、イタリアのように豊饒の文化、古典を持つ国は、経済的に停滞していようが一目置かれる。
日本には古事記、万葉集、源氏物語、平家物語などの古典があるが、われわれ西欧人が日本を重視する理由はまさにここにある」
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