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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人は自慢するほどの優秀な人間ではないし、日本は誇るほどの秀でた所はない。
日本は、海と大陸のキワにあって、大陸の最果て、世界の辺境に貧相に存在している。
人類の発展に貢献するほどの、文化も技術も学問も宗教もなかった。
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現代の日本文化は、金儲けの手段となり日本精神・日本魂が消え死んだ文化になりつつある。
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2018年5月15日号 Newsweek「『日本すごい』に異議あり!
政治も経済も停滞し頼みの綱は文化だけ?
『日本すごい』が空洞化する
文化 本来のすごみである『魂』を忘れ
『上から目線』ばかりの茶道
日本文化を人口減少が直撃する
デービッド・アトキンソン
国宝などの保全修理を行う会社を経営していることもあり、行く先々で『日本文化がすごい』という声を聞く。
確かに日本文化にはすごみがある。書や華(はな)などに生涯をささげる修行者の作品は超一流。一挙手一投足にオーラが漂い、作品には深みが宿る。日本文化の根本はその精神性、『魂』にある。
とはいえ、あまりに無邪気に『日本はすごい』と自慢する人に違和感を覚えることも多い。あなたが自慢する当の文化に魂はあるのか、と。所詮は修行者の動作をマニュアルに沿ってまねただけの『仏作って魂入れず』。中国産漆を塗った『京』漆器。世界遺産登録しようとしながら糸の98%が中国産で、日本人の手先自慢をしながら仕立ての大半が東南アジアの着物・・・。中身を伴っていない『文化』が多いのが実像ではないだろうか。
そう思うに至ったのには茶道との出合いがある。自宅の和室を使った趣味ができればと入門し、今では茶名『宗真』を頂き、のんびりとたしなむなどお茶との付き合いは20年になる。
茶道を選んだ理由は主に2つある。日本文化の多くは師と1対1、あるいは自己と向き合って深めるのに加えて、1つのことを極める、いわば『縦』の文化だ。その点でお茶は違う。書、華、香、懐石、菓子、焼き物や漆器などが茶室に集う。日本文化を『横串』にできるのだ。お茶は総合芸術とよく言われる。
もう1つは、書や華などと違い、客に給仕するところにある。茶道の魂は人との交流、サロンの場を作ること。この文化は非常に深い。小さな茶室に聖地を生み出すために、先人は心を尽くしてきた。『降らずとも雨の用意』『相客に心せよ』という16世紀の千利休の言葉にその精神は残っている。季節や客の個性などその時々に最適な場を作るために、お手前(てまえ)や茶、器といった『道具』を一つ一つ吟味する。
しかし、総合芸術を実現することは極めて難しい。1人の人物がお茶だけでなく、お花も書も極めるのはほぼ不可能。お花はそれを極めた人にやってもらい、掛け軸に書かれた禅語はお坊さんに語ってもらう。かけている人が集まって、総合芸術となり得る。
人口ピラミッドが招いた変質
では、今の茶道に魂はあるのか。茶会を重ねるたびに疑問は深まった。特に一度に数十人の茶席を1日に十数回、計数百人を招く大寄せ茶会は客をもてなすどころか、さばくだけの場だ。
器に込められた意味や来歴を顧みることなく、『冬だからこそ』『これは夏に使えない』と全てがマニュアル頼みで整えられる。『聖地』にいるうち、自分たちを日本文化の聖人、真の日本人であるかのように勘違い。他人を『書が読めない』『お花が分からない』『今の日本人は正座ができない』とあげつらい、『今の日本は文化度が低い』と嘆く。精神を置き去りにし、目線だけが高くなったようだ。
残念なことに『上から目線』は外国人にも向かう。『正座して』『頭を下げて』『2回回して』──訪日観光客の体験の場でそんな声を投げ掛け、たまに外国文化をけなしながら、『お茶の素晴らしさ』を講義する風景はよく見られる。だが外国人は単においしいお茶を飲んで、日本との一期一会を楽しみたいのだ。魂に触れ、その空間を味わい、粗相にならない程度に作法を押さえたいだけだ。そもそも稽古の場と、素人をもてなす場は違うはずだ。
茶道が利休以来のもてなしの魂を失った転機は、明治維新と第二次大戦にあるかもしれない。
そもそも上流階級に支えられたお茶は、明治維新で封建制度という支援者を失った。その生存戦略として上層階級の趣味から、大衆にもわかりやすい『茶道』へマニュアル化。それまでは武士があぐらをかいていたのが女性が主流となり、客まで正座が決まりとなった。雇われて裏でお茶をたてていた家元などは表舞台で『先生』となり、『教授』などの免状もできた。
こうしてお稽古と化した茶道が迎えたのが、戦後の人口増加社会だ。家元を頂点としてピラミッドが膨張し、増加する弟子に対応するにはマニュアルでさばいて稽古するしかない。大寄せ茶会のような光景は人口増がもたらしたものだ。今の茶人が総合芸術をかさに着て、お花、書、お香など本来深い文化をかじった程度であたかも達人のよに自慢をする姿は見苦しい。偽物の書の前に深々と頭を下げたり、専門家に披露して恥をかいたりしたこともしばしばだ。
生存のため道を強調したのを忘れた、魂の宿らないマニュアル作法は総合芸術でも文化でもなく『緑の宗教』だ。
今の日本文化に関して危機感を感じるのは、あまりにも中身の伴わないことだ。『日本の家屋がすごい』と言う人の家に畳もない。『日本の神様がすごい』と言う人の家に神棚があるわけでもない。『伝統行事がすごい』と言う人は他国の伝統行事たるハロウィーンをやるが門松は飾らない。日本文化を知らないで自慢だけはやめてほしい。
自分は面倒だからやらないが、1億数千万人の誰かがやってくれる──。こんなな他人任せも、人口増加社会の特徴だ。もはや人口減少でそんな時代は終わった。日本文化を誇って発信したければ、自分でやるしかない。『すごい』と言うなら、自らの手で『すごいもの』を作り出す。そうしなければ、日本文化は自慢だけで誰も担われないまま、衰退してしまう。
お稽古ではなく、日本文化を守るため真に極めるべき時代が来ている」
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茶の湯・生け花・能といった日本の伝統芸能と呼ばれるものは、室町時代に生まれ、その始まりは庶民の娯楽であった。
庶民の芸能が日本の伝統芸能まで高い水準に成長しえた要因は、庶民が経済的・社会的に自立し、領主・支配者に対して抵抗し、要求を呑ますだけの力を持ち得たからである。
そして、領主・支配者が民衆の娯楽芸能を高く評価し、厳しい目利き・鑑賞眼で高度な芸術性と深い精神性を強要したからである。
日本の伝統芸能は、名もなき貧しい庶民の中から生まれ日本文化へと昇華していった。
ゆえに、日本文化の真の担い手は領主・支配者ではなく庶民であった。
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江戸幕府は、華美に流れ、風紀を乱す、批判と風刺を娯楽として表現する歌舞伎と人形浄瑠璃(文楽)そして浮世絵と枕絵(春画)を度々禁止し、そして弾圧した。
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歌舞伎や能楽よりもシェークスピアの演劇やクラシックの音楽やオペラを好んで鑑賞し、日本文化よりも西洋文化に愛着を持ち、日本の事より西洋の事が詳しい日本人の高学歴出身知的エリーが、外国人観光客を日本に呼び込もうとしている。
高学歴出身知的エリーは、将来を生きる子ども達を韓国人・フィリピン人あるいは中南米諸国人・アフリカ諸国人よりも巧みに西洋語が話せるようにする為に、幼少期から日本国語による読解力よりも英語による会話教育を徹底させようとしている。
つまり、ローカルな日本国語よりもグローバルな英語を身に付ける事の方が役に立つと。
日本の高学歴出身知的エリーは、日本文化を身に付けていない為に西洋文化論はできても日本文化論はできない。
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現代の日本人は、武士・サムライの子孫ではないし、百姓・町人の庶民の子孫でもない。
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人口激減によって日本民族日本人は減少し、少子高齢化で経済は衰退する為に、子ども達は生きる為に世界に出なければならくなり、稼ぐ力を付ける為には英語を自由に話さねばならなくなる。
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今後のアジアでは、中国共産党の支配力が強くなり日本の存在は弱くなる為に、アジアでは中国語=北京語が公用語的な共通語となる。
世界はおろかアジアから見れば、日本は少数民族である。
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もし、人口激減を続ける日本が約1,000万人の外国人(主に中国人)を移民・難民として受け入れれば、日本民族は消滅する。
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日本文化は、アメリカ・ネイティブのハワイ文化やインディアン文化のように観光客を呼び金を稼ぐの為のイベントと化す。
文化イベントは、1日に数回開催され、1回に数百人を集めて行われる。
文化イベントでは、如何に多くの観光客を呼ぶ為の見せ場の技術を磨く事であって、民族文化としても精神や心を高める事ではない。
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昔の日本文化は、燻し銀であった。
現代の日本文化は、メッキと同じで、表面が日本文化に見えて内実は日本産ではない。
メイド・イン・ジャパンも同様で、日本人の腕のいい職人が作っている分けではなく、金があれだ買える高度なAIや高性能なロボットを使って外国人熟練工が作っている。
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伝統的日本文化を継承・伝承するのは、日本民族日本人ではなく外国人留学生か日本国籍所有日本人である。
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日本人は古き良きモノを大事にするは、昔の日本人では言えたが現代の日本人ではそうとは言えない。
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「日本文化はすごいね」、「日本文化は愛されている」、という歯の浮くような煽て言葉によって日本文化の形骸化が加速化していく。
グロバルを目指す高学歴出身知的エリーによって、日本文化は急速に衰退し始めている。
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政治家、官僚、経営者・起業家、学者そしてメディア関係者を見れば、日本文化の衰退は明らかである。
彼らが熱っぽく「一期一会」「大和心」などと日本文化を語っても、そこに誠意も真意もなく、日本文化の姿形はない。
つまり、口先だけの戯言である。
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日本国語の言語力が劣れえれば、日本文化も衰退し、そして消滅し、忘れられた民族文化となる。
人類史・世界史・大陸史には、そうした消えたローカル言語や民族文化が山のようにある。
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敗戦後の復興、高度経済成長、バブル経済までは、明治以来の特に戦前・戦中の先人が創意工夫で生み出した遺産を使って日本を繁栄させたが、その遺産が消滅して日本経済は衰退した。
2000年代の日本人は経済発展を諦め、江戸時代以前の日本文化を食い潰して生きようとしている。
今や、日本文化は金儲けの消費財と化している。
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