💄22)─2─遊女・女郎、遊郭・岡場所の性風俗文化を穢らわしいと嫌悪する世界の常識・倫理・教養・知性。~No.46No.47 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 木戸孝允伊藤博文小作人の子供)ら幾人かの元勲は、身分卑しい芸者を正妻としていた。
 芸者であった彼女らは、命を捨てて元勲らを助け明治維新を成功に導いた。
 本当の大和撫子とは、下賤の芸者上がりの彼女らの事を指す。
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 総理大臣になった山本権兵衛の妻は、女郎出身であった。
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 日本は、地上の最果て、辺境の地にある、辺鄙な地方、貧しい田舎、みすぼらしいムラに過ぎない。
 日本は、手本にならない小さなローカルである。
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 2018年2月号 正論「性風俗は日本の文化だ  秋吉聡子
 『売春=悪』か。日本人は売春を悪だと単純にそう考える人が多いと思います。
 現代の日本人が抱く『昔の売春業』のイメージは、売られたり騙された女性が自由を奪われ、無理やりセックスの相手をさせられる、というネガティブなものが多いですが、私は『それはどこで仕入れた情報ですか?』と聞きたい。まず小説や映画で得たイメージのはずです。
 慰安婦問題にも実は、この手のイメージが影を落としています。慰安婦は自由を奪われた可哀そうな人々──そう漠然と考えている人々が大半で、私はここを払拭しないと慰安婦問題など解決しないと考えています。
 ただ、実際はそうした感情に基づいて慰安婦問題は議論されています。少し考えてください。売春防止法施行まで続いた遊郭営業が非道な運営の元で行われていたら、そんなのが何百年と続いたと思いますか?『それだけ昔は女性が蔑視軽視されていた』という反論があるかもしれませんが、江戸時代、女性は尊重されていたんです。
 女性の権利が重視されていた例をいくつかあげましょう。夫婦が別れる時は、離縁状を夫だけが書くことになっていました。少し前ならこれは『妻が一方的に離縁された』と解釈されていました。
 しかし、最近の研究では、元夫が元妻の再婚先へ乗り込み『俺の妻だ』と難癖を付けてくるのを防ぐため、元夫に泣く泣く書かせたものが離縁状だとわかっています。
 さらに離縁する際、妻が持参した金子・道具の全てを返還しなければならないことも法律で決まっていました。
 江戸時代ですら、女性のための法律が制定されていたのです。そんな女性を重んじる世の中で遊郭の女性だけが軽視されていたのですしょうか?
 よく時代劇などで出てくる遊郭は格子窓の内側に遊女たちが並んでいました。現代人はこの場面を見て『売り飛ばされた可哀想な女性の逃げ出せない境遇』と受け取っています。しかし、これは『売春するところは酷いところ』という勝手な概念の上で抱いた印象に過ぎないのです。
 この格子は『内と外』を隔絶させる為の物だったことは間違いありませんが、これは女性が『こっち側に入りたきゃ、お足を持っといで!』と上から目線で客を選別するためのものだした。しかも、内側に入る男性であっても、お金を払えば必ずセックスできるとは限りませんでした。指名した女性が部屋に来てくれないことがある、など昔の一般常識でした。これは戦時中の慰安所も同じで、慰安婦が酷く酔っ払った客を断った、嫌な客の股間を蹴り上げた、などと元慰安婦の回想録にあります。
 これが日本の売春業の姿
 日本の売春業では、娼婦が客を拒否する権利が当たり前に存在していました。決して客の男性に媚びへつらいただ奉仕させられる商売ではありませんでした。
 逆に、お客の男性が、相手をしてもらえるよ遊女に気を使い、気の抜けた接客をされないようプレゼントをあげたり、特別な客になりたいと普段から優しくしたりと、恋愛の駆け引きを疑似体験できる場所、これが遊郭だったんです。
 『売られた』という言葉が遊郭小説にはよく出てきます。これを人身売買と受け取る人がいます。昔ごく当たり前にあった『身売り』ですが、これは『給料の前払い』を指すのであって遊郭の女性を奴隷のように扱い、生殺与奪を握っていたわけではありません。
 現代では『前払いして働かせるのは奴隷労働』と主張する方もいらっしゃるでしょう。
 しかしかつての日本での賃金前払いが『奴隷労働』に当たるかどうか、甚だ疑問で議論の余地があるのです。
 というのも、前払いした給料に利子が掛かって膨れ上がることなど日本ではありませんでした。前払いのあるなしで労働条件が違ったわけでもありませんでした。
 また江戸時代には衣食住は完全に保障されていましたし、客から直接もらう祝儀や貢物は全て遊女のものでした。戦中の慰安婦の場合では、家一軒買えるほどの前払いをしてもらって、且つ実家に仕送りしてもなお、あと10軒も家を買えるほどの貯金をしました。前払いの10倍以上も稼いだということは、前借分の労働が終わった後も帰らず居続けたということですから自分の意志で稼いでいたのでしょう。
 かつて日本では公娼制度を取っていたことを『全ての売春が合法だった』と勘違いしている人がいます。警察に申請し面接で自分の意志であるかどうかや年齢条件等をクリアして鑑札をもらった女性は公娼ですが、届けていないモグリの売春婦を私娼です。
 戦時中、慰安所にいた女性は公娼です。現在売春は違法行為となりましたから、売春に関して悪い感情を抱くのは理解できないが、そもそも公娼って、それほど非難されることなのでしょうか?
 騙したり攫ったりした娘に鑑札取得面接を受けさせたら、自分の意志で娼妓になるのではないとバレてしまうので、公娼施設で扱うことはできませんね。したがって、誘拐・騙りを防止する効果もありました。義務付けられていた定期検査は性病検査だけが目的ではありません。女性器の腫れが見つかれば娼妓は即入院させられるという、娼妓の身体保護も目的としていました。
 よく、騙されて売春させられた、といったと耳にすることがあると思いますが。遊郭公娼制度の知識があれば、『騙されて』という証言を聞いた時点で、モグリの私娼だったことがわかります。
 役人に限らず、日本人が『全ての売春=悪』という意識で同情しているうちは、慰安婦問題など跳ね除けられないだろうと思います」
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 江戸時代は、人口微増時代であった。
 総人口は、開府時は約1,200万人で幕末時は約3,000万人。
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 人口激減で老人が多く若者が少ない現代の日本には、人口が増え、若者が多く老人が少ない江戸時代は参考にはならない。
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 江戸町人の男女人口構成。
 享保6(1721)年 総統計・50万1,394人。
 男性・32万3,285人、64.5%。女性・17万8,109人、35.5%。
 天保3(1832)年 総統計・54万5,623人。
 男性・29万7,536人、54.5%。女性・24万8,087人、45.5%。
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 町人と同じくらいの人数の武士が江戸に住んでいて、その7割強が一人暮らしであった。
 一人暮らしと言っても、独身の若者はその半分以下で、残りは妻帯者であったが妻を田舎に残し、参勤交代として江戸に出て来た単身赴任であった。
 金を持ち、暇をもてあました武士達は、遊郭や岡場所でだらしなく女遊びをしていた。
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 江戸時代。江戸・大阪・京都・長崎など都市部は、例外なく女性より男性が多く、男性の多くは結婚できず生涯を終えた。
 全ての女性は余ほどの理由がない限り結婚できたが、男性は余ほどの幸運がなければ結婚できなかった。
 江戸時代の都市部では、家族なしの男性の孤独死・無縁死が多く、家族・縁者がいない為に死後の供養もなく無縁仏として葬られた。
 その為、町人の多くは墓を持っていなかった。
 独身男性が多かった為に、江戸の吉原・深川・築地・品川・新宿、京都の島原、大阪の新町、長崎の丸山、そして各地の宿場や港町、神社仏閣の門前町、温泉町などの遊郭や岡場所が繁盛していた。
 上級武士である大名や旗本、金持ちの豪商や豪農は、数人の妾を囲って子供を生ませ育てていた。
 全国に遊郭や岡場所が数多くあった為に、強姦などの性犯罪は少なかった。
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 江戸時代。男性が多く女性が少なかった都市部では、男女の問題では、男の体面・沽券をたてながら女をやんわりと庇った。
 国内に女性が少ないからといって、外国から若い女性・少女を輸入できるわけでもなく、中国や朝鮮を侵略して若い女性・少女を攫ってくるわけには行かなかった。
 そんな非人道的歴史は、大陸では数多く存在しても、日本には存在しなかった。
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 遊女・女郎達は、好き好んで苦界に落ち、楽しく身体を売って金を稼いでいたわけではなかった。
 金が欲しくて、自堕落的に売春をしていたわけではない。
 いやいや、遊女・女郎にさせられた哀れな被害者であった。
 そこには、声に出せない悲しみ、苦しみ、辛さ、切なさ、やるせなさがあった。
 日本の遊女・女郎は西洋や中華(中国・朝鮮)など大陸の売春婦・淫売婦とは、根本的に違うのである。
 日本の古典文学には、人情噺としての遊廓小説や廓話がある。
 世界が認める浮世絵には、遊女・女郎の美人画や男女の性の交わりを写実的に描いた春画が存在する。
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 日本の男性は、飲む・打つ・買うで女遊びが好きな、ある意味、色気違いである。
 それ故に、昔は春画が現代では裸の写真が、恥ずかしげもなく公然と売られている。
 日本の女性も男性に負けず、春画展や写真展があると好奇心から、誰に見られても気にせず見に行く。
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 日本でキリスト教が普及しなかったは、ある意味、この為でもある。
 日本に伝道の為に渡来した敬虔な宣教師は、日本人を色気違い・発狂者と嫌悪し、邪悪な悪魔(日本の神や仏)で腐敗堕落した日本を正しき神の御威光で清め、迷い苦しむ日本人を神の御教え=福音で救い出し、汚れた魂を清めて神の国=天国に昇れるように導き、死後に絶対神から永遠の命が与えるようにする事を使命として、「隣人愛の信仰」と「赦す・癒やす心」を広めようとした。
 だが、日本を造り替える・日本人を生まれ変わらせるという神聖な使命による試みは、日本の宗教弾圧・キリシタン狩りで失敗した。
 日本の気候風土には、キリスト教の唯一絶対神による奇蹟・恩寵・恩恵は根付かず、蘇った神の子・救世主・メシアは信用されなかった。
 中世キリスト教会は、日本人奴隷売買を黙認していた。
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 日本人にとっての「隣人愛」とは、男女の性交渉を含めた色恋沙汰であった。
 色恋沙汰が大好きな日本人からすれば、大きなお世話、有り難迷惑のお節介に過ぎなかった。
 色恋沙汰を諦めて神の国=天国で永遠の命を得るよりも、今生きている身で色恋沙汰で肉欲に浸る事を選んだ。
 色恋沙汰に生きる日本人にとって大事なのは、死後の世界での永遠の命ではなく、生きている今・この世でのカゲロウのような一瞬の楽しみ・束の間の蝋燭のような愛であった。
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 遊女・女郎と一般男性の心中事件が起き、それを題材にした小説が飛ぶように売れ、演劇に人々が押しかけて絶賛した。
 心中事件が世間で人気になるや、その「究極の愛という空気」に陶酔し若者の間で真似る心中が頻発した。
 それも、心中を嫌がる男に女が強制して心中をしていた。
 心中の主導権を持っていたのは若い女性で、男は嫌々道連れにされて死でいた、殺されていた。
 幕府は、若者達の心中事件を食い止めるべく、公権力を行使して心中を助長する様な小説・演劇・浮世絵などの芸能・芸術を弾圧した。
 それが、江戸時代の文化弾圧である。
 日本の文化・芸術・芸能は、自由にすると自制心を失い際限なく暴走しやすかった。
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 遊郭や岡場所には、泣き笑いの情感や情緒の空気が満ちていた。
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 遊女・女郎は、親孝行者として大事にされ、30歳で仕事を強制的に止めさせられた。
 死亡すれば一般町人と同じに無縁仏として葬られた。
 江戸・京都・大阪など男性が多く女性が少なかった都市部では、借金を返したり年齢制限で遊女・女郎を辞めた辞めさせられた女性を妻として娶る堅気の一般男性が少なからずいた。
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 江戸時代の日本では、梅毒や淋病などの性感染症が蔓延していた。
 独身男性は、梅毒を患った遊女・女郎を嫌うどころか好んで相手に選んでいた。
 つまり、元梅毒感染の遊女・女郎は好かれていた。
 その意味で、現代日本人は梅毒や淋病などの性感染症患者の子孫ともいえる。
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 遊女・女郎・娼婦・売春婦は、店主にお伊勢参りを申し出ると、代参として金子を貰って伊勢に向け1人で旅立ったが、旅費は自分持ちであった。
 日本の街道は安全で、女性1人でも、子供達だけでも、お伊勢参りができた。
 日本の遊女・女郎は、西洋や中華など大陸の性奴隷である娼婦・売春婦とは違い、古くは神に仕える白拍子・芸人に遡る。
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 井手窪剛「江戸時代の風聞を集めた『よしの冊(ぞうし)』という書物には、12歳の女児が吉原に18両(216万円)で売られたと記されています。また、文化年間の『世事見聞録』では越中や越後の貧乏な農家が、生活のためにわずか3両(=36万円)、5両(=60万円)で娘を差し出す話が出てきます」
 「当時、『吉原細見』というガイドブックがあり、大夫と遊ぶなら1両2分(=18万円)、その下のランクの散茶女郎なら3分(=9万円)とあります。こうした遊びにはルールがあって、3度は通わないと〝その先〟には行けなかった。目当ての大夫がお付きの女性を10人くらい連れている。その宴会代をすべて払うため、120両(=1,440万円)くらい注ぎ込んだという記録もあります」
 「幕末の貨幣価値は不安定で、質の悪い銀貨が海外から流れ込んだことで1両の価値が1万円くらいまで暴落しました。インフレが起き、米の価格は幕府が崩壊する前の数年で10倍くらいになってしまうのです」
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 世界の娼婦常識からすると、日本の遊女・女郎は理解できない。
 それ故に、明治の文明開化によって入って来たキリスト教倫理は遊郭を否定し遊女・女郎を性奴隷とされていると日本を非難し、敗戦後に進駐したアメリカ軍とキリスト教会は異常的潔癖性から娯楽の遊郭を廃止し遊女・女郎を廃業させた。
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 旅先で病気や怪我をしたら、御上の命令で、宿場町や門前町は町の責任として保護し看病し旅立たせた。
 伊勢神宮とは、天皇家・皇室の祖先神である天照大神(女性神)が祀られ、誰でも自由に参詣でき、幾ばくかの賽銭を上げるが多額の寄進や生け贄を捧げる必要がなかった。
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 住人は、都市部では若者が多く、地方では老人が多かった。
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 江戸時代の平均寿命は、大雑把に50歳と言われ、「喜寿(77)は稀なり」といわれるほど長生きする者は少なくかった。
 蓄えがあり生活にゆとりがある武士や庶民は、40歳前後で引退・隠居して余生を趣味で楽しんだ。
 日本人男性は家が貧しい為に早くから仕事について稼いで生活しなければならず、武士であれば15歳以上で、庶民であれば7〜8歳頃から。
 現役で働くのは、20代と30代の若者達であった。
 江戸時代は、若者が多く、老人が少なかった。
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 江戸時代の日本人は、短い人生を仕事だけで終わる事を嫌い、命のあるうちは楽しく過ごす事を生き甲斐とした。
 10代後半から30代ぐらいまでは仕事に精を出し、40代頃に仕事を辞め、残りの人生は趣味で遊んで暮らした。
 金の為に仕事き、自分の為に働いた。
 仕事と働きができて一人前の男とされた。
 半人前は、嫌われ、軽蔑された。
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 江戸時代の総人口は、幕府開府頃は約1,200万人で、幕府倒壊時は約3,000万人であった。
 お上(幕府・諸大名)は、自己責任・自助努力・自力救済・自立回復で困窮する庶民を助けず放置していた。
 それでも、年貢=税を納める百姓はなるべく救済したが、無税で好き勝手に生きる町人は無視した。
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 現代の日本人は、正しい歴史を嫌い、自分好みの架空の時代劇を好んでいる。
 1946年のアメリカ的キリスト教歴史認識マルクス主義共産主義歴史認識、1980年代の日本人凶悪非道の極悪人史観=自虐史観、1995年1月17日の阪神淡路大震災・2011年3月11日の東日本大震災を経る事でその傾向が強くなった。
 現代日本人と昔の日本人は、別人である。
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 神社仏閣の祭りの宵山・夜祭りとは、見ず知らずの男女が出会って逢い引き(フリーセックス)する神事・仏事でもあった。
 日本仏教の中には、男女の性交渉を禁止せず菩薩の秘儀としている。
 日本神道でも男女の性交渉は自然の行為として認めている。
 日本の宗教風土は、性欲に対する厳格な禁欲は存在せず、むしろ容認であり、開放的である。
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 性風俗に対する考えは、西洋のキリスト教倫理や中華(中国・朝鮮)の儒教道徳とは根本的に異なる。
 何故か、西洋も中華も周辺の諸国や地域を侵略して虐殺と強奪を行い異邦の女性を性奴隷として強制連行していたかである。
 日本には、中国や朝鮮を侵略して女性を暴力的に攫ってくるという歴史がなかった。
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 男性中心の世界常識を信奉する西洋や中華は、日本が理解できない。
 日本の宗教は、あくせく働く女性神最高神とし、全ての人々に慈悲を垂れる女性仏的菩薩を崇めている。
 日本の男性神は、ロクに働かず、酒を飲んで歌い踊り遊び呆ける駄目な神が多い。
 日本人の男性は、そこそこ適当に働いて稼いだ金を稼ぎ、「宵越しの銭を持たない」と粋がって(酒を)飲む・(博打を)打つ・(女郎を)買うで遊ぶ怠け者であった。
 それが、亭主関白の実体である。
 日本人の女性は、亭主関白の上をいく「山の神」でカカァ天下であった。
 気が強いのが上州女と空っ風である。
 キリスト教倫理は家父長制度、儒教道徳は父系制度、世界は男性優位社会を正しい社会としていた。
 西洋でウーマンリブやレディーファーストなど女性を尊重する運動が生まれたのは、女性が軽視され蔑視され社会的地位が低かったからである。


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