🎑23)─2─江戸の華。歌舞伎役者と河原乞食。幕府の歌舞伎弾圧。こんぴら歌舞伎。~No.47No.48No.49 @ 

歌舞伎 家と血と藝 (講談社現代新書)

歌舞伎 家と血と藝 (講談社現代新書)

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸の3つの華とは、火事と喧嘩と歌舞伎役者の市川團十郎である。
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 「死」の穢れを秘めた歌舞伎役者と河原乞食。
 幕府は歌舞伎を「悪所」として弾圧した。
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 歌舞伎は、庶民の娯楽として、その時代に実際に起きた話題の事件を脚色し、伝統的様式美に、絶えず新しい事を取り入れながら発展させて演じていた。
 第18代中村勘三郎「歌舞伎役者がやったら、歌舞伎になるんだよ」
 歌舞伎は、伝統的様式を守りながら新しい歌舞伎に挑戦する進化形ゆえに古典芸能として残ってきた。
 歌舞伎における様式美としての発声法や呼吸法や体位振る舞いの所作は、親から子へと、舞台以外の日常生活においても厳しく受け継がれてきた。
 糸川染五郎「名作揃いの中で、古典に対抗できる、再演されて後世の古典となるものを作る事が、新作の意味だと今は考えています」
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 歌舞伎や文楽など多くの伝統的庶民芸能は、身分低い河原乞食の芸事から生まれ、穢多頭の浅草弾左衛門の支配を受けていた。
 庶民芸能は、生活の為に、地方の祭りを巡りながら芸を披露して現金収入を得ていた。
 目の肥えた庶民から現金を貰う為に、芸に磨きをかけ、一切に手を抜かず妥協せず真剣勝負として芸を披露していた。
 古い演目を古いまま演ずるのではなく、その時代に合わせ、その土地に合わせて少しずつ変化させた。
 庶民は、安心できる古い演目を好んだが、全く変化していない古ぼけた芸を嫌った。
 日本の伝統的芸能が生き残り、今も受け継がれているのは、自然の変化同様に目に見えない所で変化している事による。
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 1603年 出雲の巫女である「お国」は、京の都で奇抜な服を着て男を装って「カブキ踊り」を舞って人気を得ていた。
 歌舞伎の始まりである。
 戦乱が終わり社会秩序が儒教価値観で男中心になり始めた事への反抗として、戦国時代を生き抜いた女達は風体で男として舞い踊った。
 遊女達は、男性客が大金を払って「カブキ踊り」に熱中していたので、真似て「女歌舞伎」を始めた。
 世間の秩序に対する異議申し立てである歌舞伎は、神道的価値観から生まれた。
 1629年 女歌舞伎の女役者は、踊りを披露しながら、金を出せば身体を売っていた。
 女歌舞伎は、売春行為と繋がっていた。
 幕府は、男中心の儒教的支配を盤石にする為に、女性を主張するカブキを淫靡な踊りで男を惑わせ風紀を乱すとして禁止令を出した。
 カブキの舞台から女性が追放された為に、歌舞伎は男を演技者とした。
 江戸歌舞伎は、将軍のお膝元、武家中心の社会として、見得(みえ)をはじめとする豪快で粋な力強い「荒事」を得意とした。
 上方歌舞伎は、公家の京(文化の都)、商人の大阪(商いの町)、僧侶の奈良(信仰の里)として、柔らかく優美で雅な「和事」を得意とした。
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 1644年 幕府は、社会の不満を芸事で表現する反体制的な歌舞伎を取り締まるべく、実在の人物を題材として演目を禁止した。
 1670年 江戸に幾つかあった歌舞伎座を、中村座森田座市村座山村座の4座のみに営業を許した。
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 1703年 幕府は、赤穂事件が将軍の裁定を批判する恐れがある為に、赤穂事件に絡んだ演目を禁じた。
 庶民は、御上のお達しに対してご無理ご尤もとして平伏したが、面従腹背として狡賢くお達しを擦り抜けていた。
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 1835年 四国・琴平町に金毘羅(こんぴら)大芝居、通称・金丸座が建てられた。
 1841年 老中・水野忠邦は、質素倹約として天保の改革を実行し、贅沢は敵として歌舞伎も取り締まった。
 江戸の中心にあった芝居小屋を全て郊外の浅草に移転させた。
 庶民は、華美を禁じた御上のお達しを誤魔化し、色鮮やかに着物の襟に地味な布を縫い付けた。
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 初代市川團十郎は、子宝に恵まれなかった為に、成田山新勝寺に願掛けしたところ、子供を授かった。
 子供は、親の名跡を継いで2代目団十郎となり、歌舞伎の土台を築いた。
 この事があって、市川宗家は屋号を「成田屋」を名乗り、成田山新勝寺と深い縁を結び、毎年の初詣を欠かさず行った。
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 歌舞伎は、400年の歴史がある。
 歌舞伎役者は約300人いて、成田屋・市川本家など約30の家(一門)に分かれ、家柄と役者によって明確な格付けがなされていた。
 江戸時代からの伝統・格式があるうえ、家同士の結婚や養子縁組によって血縁関係は入り乱れて複雑である。
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 喜熨斗(きのし)勝「歌舞伎の世界には、芸の善し悪しを判断する絶対的な基準がありません。ですから、結局、格付けをするときに使われる物差しは、その家が何年続いているかということ。
 その点では市川團十郎の系譜である成田屋が一番格上ということになります。江戸時代にお客を集め、そのお客に喜ばれるような芸を見せるというスタイルを最初に始めたのが、市川團十郎だと言われています。彼の芸にはそれまで見たこともないような華やかさ、力強さがあり、たちまち江戸中で評判になりました。これが歌舞伎の発祥であり、市川宗家と言われる所以です。私は『歌舞伎界の大黒柱』という言い方をしています」
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 三島由紀夫「歌舞伎は、はっきり言ってそれ自体が悪である。昔、歌舞伎は悪所と呼ばれていた。江戸時代から戦前まで、歌舞伎と廓は、似たようなもので悪所だったんです。
 ……
 そういう人間の悪の固りみたいなものが、美しい華を咲かせたのが歌舞伎である。
 とにかく歌舞伎は悪徳の巣なんです。歌舞伎からもし、そういうものを全部追放して、道徳的な美しいもの、清潔なものである、歌舞伎というものはどこの世界に出しても恥ずかしくない、それこそ期待される人間像だけを描いた美しいものである、と、もしそうしたいのなら、そうしたらよろしい。その瞬間に歌舞伎はなくなってしまう。
 歌舞伎には道徳を超越した不思議な魅惑があると、さっき申し上げた。そういう魅惑とはどういうところから出てくるかというと、やはり長い河原者の伝統があったからです」
 「私は歌舞伎というものは、もちろん台本も大切、心理描写も大切だけれども、一瞬間で人を酔わせることができなければ、歌舞伎ではないんだ、ということがだんだん分かった様になったんです」(『悪の華──歌舞伎』)
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 歌舞伎は、幕府・大名などの特定の庇護を受けた能楽(能と狂言)とは違い、庶民に支えられた伝統芸能であった。
 その為に、歌舞伎役者の地位・身分は、能役者や狂言役者より低く、エタ・非人に近い最下層民であった。
 歌舞伎役者は、河原乞食と敬遠されていた。
 一般家庭では、娘を、能役者・狂言役者の嫁に出しても、歌舞伎役者の嫁に出す事には猛反対した。
 歌舞伎は、特定の庇護者から資金援助がなかった為に、大衆演劇として娯楽性と文化性を併せ持ち、一般庶民が木戸銭を払ってまで見たいという演目をかける必要があった。
 歌舞伎役者は、観客受けする興行を行う事を生業としていた。
 歌舞伎は、興行的価値のあるエンターテインメント性に高い商業演劇であった。
 歌舞伎とは、音楽劇の「歌」、美しく艶やかに舞い踊る「舞」、芝居をする「伎」の事である。
 歌舞伎、能、狂言など日本芸能の役者は、習う芸事が多い為に物心がついた幼少から祖父や父から直に稽古をつけてもらった。。
 家ごとに受け継がれる「芸の仕草」が異なり、芸の伝承は、家を継ぐ者が芸を継ぐ者として一子相伝として代々受け継いだ。
 それ故に、日本独自の家元制度として世襲で芸風を?いできた。
 歌舞伎が400年の歴史を今日まで絶やす事なく受け継ぎ、古典芸能として日本文化にまで高める事ができたのは、芸事を磨き上げてきた世襲制度のお陰であった。
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 上方歌舞伎は、商人や文人の古い町として、風流や優雅を愛で、落ちぶれた優男が馴染みの遊女と逢い引きし逢瀬を楽しむ様な「和事」が受けた。
 関東歌舞伎は、武士と町人の新しい町として、粋や伊達を売り、荒々しい立ち回りで悪人を懲らしめたり敗れ恨みを呑んで死んだ霊魂を鎮める「荒事」が好まれた。
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 中村吉右衛門「明治以降、坪内逍遥先生などがお書きになった科白劇もございますが、江戸時代までは音と義太夫で歌い上げるのが、歌舞伎のひとつの特徴になっております」
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 市川猿之助(後、市川猿翁)「歌舞伎の古典は素晴らしいものだが、芸術至上主義になり過ぎているのではないか。歌舞伎はもっと面白いものだったはず。原点に戻ろう」
 歌舞伎は、古い年配の観客層だけで新しい観客層や若い観客層が増えず興行的に厳しい状況にあった。
 市川猿之助市川團十郎中村勘九郎(後に中村勘三郎)らは、古典は大事にしながら新しい歌舞伎を始めた。
 衰退していた歌舞伎は、古典的な「伝統」とスーパー歌舞伎平成中村座コクーン歌舞伎など「革新」という両輪で新しい観客層を増やしていった。
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 2016年11月号 新潮45「『悪の華市川海老蔵論 樫原米紀
 ……
 江戸時代から明治まで、歌舞伎などというものは、三島由紀夫の言うが如く『河原乞食』と蔑まれ、役者は最下層の芸人であった。市民権などなかった。まだ、常設小屋さえ認められなかった時代である。いわゆる『悪所』である。その昔、1日千両の金が落ちる場所は三か所きり。『魚河岸』と『吉原』と『猿若町』。江戸の悪所とは、廓の吉原、芝居の猿若町のことである。
 それらの中で、千両役者といわれたのが、随市川とよばれた江戸の宗家、市川家であった。海老蔵は、れっきとしたその末裔なのである。歌舞伎のど真ん中に位置する男が、破天荒な無頼を気取るということ自体、いかにも珍しい。
 9代目團十郎は、河原乞食だった歌舞伎の地位を、いかに社会的に上げようかと腐心した。高尚趣味に走り、福地桜痴坪内逍遥と組んで活歴物を始めたのである。史実に基づいた重盛諫言や北条高時の世界だった。9代目團十郎は、古典はもちろんのこと、活歴を同時代の進歩的文化人と組んで模索した結果、『劇聖』とまで崇敬されている。
 9代目の目論見、最後の仕上げは、明治34年に催行された『天覧歌舞伎』である。明治天皇の御前で勧進帳を上演した。これは、後藤象二郎伯爵の邸宅に天皇陛下におなりいただいて、團十郎菊五郎、5代目歌右衛門が演じている。これで一挙に歌舞伎の社会的地位は上がったのである。
 余談だが、音羽屋の菊五郎が、もう一方の雄である。当時、狂言の弁天小僧など、いわゆる世話物を初演、河竹黙阿弥の伝統的な江戸情緒をゆく歌舞伎を得意とした。
 その團十郎菊五郎をあわせて『團菊』という。9代目團十郎と5代目菊五郎を継承した芝居で、毎年5月は『歌舞伎座團菊祭』となっていることは周知である。そして両者の中でも市川だけが宗家と呼ばれる。世にいう『歌舞伎18番』とは、7代目團十郎が歴代團十郎の得意演目を18あつめて『家の芸』にしたものである。そこから『おはこ』と呼びならわすようにもなる。代表的な演目が勧進帳であり助六である。市川家は、それらを独占的に上演する権利を持っている。ほかの家の役者が勧進帳を演じるときは、市川宗家に許可を得ないといけない。そうした権威のある家なのである」
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 中井貴一「『立花登』から数本は、時代劇は『大変』という印象しかありませんでした。支度は大変だし、セリフ回しも違うし、台本を理解するのも難しいですから。
 でも、後々に分かったのは、時代劇は役者の世界で唯一、継承されるべきものだということです。役者には徒弟制度はないと思っていて、感性のある者だけが生き残れる、サバイバル的な世界です。でも、時代劇は違う。
 先輩が後輩に教え、後輩がまたその後輩に教えていく。それは、役者だけではなくてスタップも同じです。時代劇が無くなったら、その瞬間にその文化も消える。ゼロから新たに立ち上げるのは不可能です。脈々と続いていることに意義があるのです。
 時代劇の大切さに気付いたのは、40を過ぎてからでした。テレビからシリーズものが消え、衰退が囁かれるようになった時、継承しようと思ったんです。天の邪鬼ですから。
 僕らの世代が次の世代に残さなきゃいけないものがある。バトンを受け取る立場から渡す立場になった時、『お前ら、次の世代に渡してくれよ』という先輩達の声が聞こえたような気がしたんですよ」
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 色川武大「芸人というものがまだ特殊な世界といふに、世間から見られていた。河原乞食、というのは大昔のこととしても、ま、たとえはわるいが、現今でいうと一般市民とやくざ衆のようにどこか一線がひかれていた。つまり、素人(客席に居る人間)と玄人(舞台で芸を売る人間)がはっきり分かれていたのだ。 で、世間の戒律がそのまま通用しない。人殺しは困るが、その他のことなら、女をカイても、博打をしても、おおかたの不義理をしたって、
 『あいつは芸人だから、しょうがねえや』
 これは裏返していうと、差別されいたのだ。芸人は卑しい者、素人社会で守るべきセオリーも、あいつ等にはうるさくいえない、なぜって、あいつ等は芸人なんだから」(『さらば、愛すべき藝人たち』)


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坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)

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歌舞伎の音楽・音

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