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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族日本人は、必然ではなく、勢い、偶然、幸運で生きてきた。
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祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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1人の日本人には、2人の両親がいた。2人の親には、四人の祖父母がいた。4人の祖父母には、8人の曾父母がいた。
14代前では、8,192人。
23代前には、419万4,304人。
25代前では、1,677万人。
28代前では、1億3,421万人。
30代前には、5億3,687万912人。
40代前には、5,497億5,581万3,888人。
100代前には、・・・・
人は、二人の両親から産まれてくる。
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祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
それが、命の重みである。
そして、日本の家である。
昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
この世は、生きるに値する。
命は、等しく尊い。
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祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
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子孫が祖先を想う時、祖先は子孫の想い出で生命えて生き続ける事ができる。
祖先は、子孫が祖先を忘れた時に初めて死亡し、この世から完全に消え去る。
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子供は、生まれる時に両親からDNA・遺伝子を受け継ぎ、その内約700個が突然異常を起こし、DNAスイッチのオンとオフで変化して行く。
人の運命、生き方、体質や性質は、神の意思ではなく、神の恩寵でもなく、神の設計ではなく、神の思し召しでもなく、DNA・遺伝子で決まる。
生物の神秘として、人体・命は生き残る為にDNA・遺伝子を変化させてきた。
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貝原益軒「人の身は父母を本とし、天地を始とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。
天地のみたたまの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年(てんねん)を長くたもつべし」(『養生訓』巻一の1)
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国體の、表層は天皇霊を祀る万世一系の男系天皇(直系長子相続)制度で、深層は祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰である。
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軍国日本は、海外領土を拡大すると共に異人種異民族を国民に加えて、単一民族国家から多民族国家へと日本の大改造を行っていた。
新たに国民となった異人種異民族を劣った被支配階層と決め付け、優秀な日本人の下に置くという世界的な階級制度を採用する事は、差別と迫害を助長して社会の安定を脅かし、下層階級の不満が充満する事は国家基盤を危うくし、ついには独立運動の様な叛乱が起きて帝国の崩壊につながる恐れがあるとして、西洋式植民地主義に於けるグローバルスタンダードを避けた。
軍国日本は、人社会とは色々な格差に基づいた上下関係で秩序を保つのではなく、全ての国民が家族の一員となって、一致協力して助け合って国を保つべきであるとの発想から、大家族主義を国家理念とした。
世界的な排外主義を否定し日本的な大家族主義を採用する為に、日本書紀の「八紘一宇」を利用した。
「八紘一宇」とは、世界侵略と異民族支配を正当化する外向きな積極的思想ではなく、他人恐怖症・視線恐怖症・評価恐怖症的な自己主張が下手な内向きな日本人が、国内で急増した異人種異民族を争わず競わず排除しない為に、自分を騙し欺き納得させるべく考えついた自己欺瞞的な考えに過ぎない。
つまり。八紘一宇の精神とは、勝者・勝ち組・征服者として敗者・負け組を暴力的に支配する事を宣言するのではなく、日本民族以外の異人種異民族と対立せず家族の一員として和気藹々と受け入れようという、気弱な弱者の恐怖表明に過ぎない。
日本人は、中国人や朝鮮人・韓国人と一対一で口論するとたいてい負けるし、欧米人に対しては最初から気後れして言いたい事も言えず黙り込んでしまう。
「負けるが勝ち」、それが日本人の本性である。
狭い閉鎖された島国世界で生きる大原則は、対立せず、喧嘩せず、争わずである。
良く言えば、おおらかで寛容、物事に動ずる事なく泰然として定めと諦めて達観して受け入れる。
それが、自然災害多発地帯で逃げられず生きる運命の日本人の死生観である。
つまり、「凍えるハリネズミ」的生き方が日本人の生き方である。
大アジア主義に基ずく五族協和も大東亜共栄圏も同様である。
日本民族は、生来、精神的にひ弱な為に武士道の様な粋がった精神主義を持ち出す。
武士道とは、自分の弱さを誤魔化し、そう有りたいと想う理想像であって実体は存在しない。
孫文などの中国の開明的指導者は、軍閥との内戦を勝ち抜く為に五族協和を唱えたが、それは方便で本心ではなかった。
それは、歴史が証明している。
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国際社会において、巧みに外国語を話して外国文化を論じても、自国の歴史を貶め民族文化を否定して、自分の民族の誇りを穢す者は相手にされない。
自虐史観では、国際化はできないし、信頼を受けるに足る人間は育たない。
人が成長するのは、自惚れる事なく、正しい事を正しく理解した上で、自分を卑下し自信を喪失するような自己否定をせず、耐え忍ぶ勇気を持つような自己肯定の考えを抱く事である。
人には、明日があるからである。
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モラエス「(阿波踊りを見て)何という踊りなのだ。未開人ならともかく、素晴らしい文化や芸術を生んできた文明国日本で祖霊を迎え死者を供養するこんな踊りが繰り広げられるなんて。キリスト教では死に対して天国という多少の慰撫が用意されているが、それでも死は恐怖と不安に満ち満ちたものだ。日本人は日常的に死者をまつり、死者と語り、盆には死者の霊を迎えて一緒に過ごす。これがどれほど人々の心を慰め、死の恐怖を和らげているだろうか」(大正から昭和にかけて亡くなった日本人妻およねの墓を守りながら徳島で亡くなったポルトガル人文人で、亡くなった祖先の霊を迎た喜びと死者に忘れずに寄り添っている事を知らせて慰める、陽気に笑い踊る阿波踊りという踊りに感銘を受けた)
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桐山靖雄「時空を超えた同胞としての絆を大切にする。直接的な血縁だけでなく、日本人に生まれた〝縁〟を、己の人生の中でいかに受け止め、生きて行くか。御先祖と共にあるという感覚なくして日本人の未来はない。そしてそれこそが生きる力の源泉である。
だから私は祖国の為に戦った英霊が祀られている靖国神社に参拝する。同じ日本人でありながら、なぜ靖国神社に行くなと言う人がいるのか、全く解せない」
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日本の祖先神信仰と中国・韓国の祖先崇拝とでは、その本質が異なる。
氏神社会の祖先神信仰は、大きく開いた扇子で、祖先から子孫に命をつなぐ事を大事にしていた。
氏族社会の祖先崇拝は、閉じた扇子で、父系の純血を最優先とした。
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世界の普遍宗教は、契約した信者のみを対象にして、神の王国を目指して上へ上へと昇って行く事を説いた。
神道は民族宗教として、光と緑と水を湛えた森林の奥へ奧へと歩んで行く事を、生きるよすがでにするように無言で諭している。
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日本神道は、明らかに生きていた祖先達を人神賭して崇拝し、祖先から絶える事なく受け継がれている「命の絆」を貴きものとして崇めた。
日本の宗教観は、祖先と自分と子孫の、命の絆、つながりを信仰の対象としてきた。
祖先神・氏神を祀る事ができるのは、「命」のつながりのある子孫のみであり、「命」のつながりのない他人では資格がない。
そして、それが日本的な「家」思想であり、「世間」である。
人神である祖先神・氏神信仰を正当化させていたのが、血筋を根拠とする万世一系の皇統であった。
日本の誕生と共に万世一系の男系天皇(直系長子相続)制度も始まっている。
同じ祖先を持った皇族が、祖先の「命」を根拠にして祭祀王・天皇に即位した。
俗世の政治的皇位は、「命」を根拠としないだけに、一般男性が姓を捨てて皇族の女性と結婚し皇室に入る事が出来る。
だが、「命」の証明がなければ神聖な宗教的皇統を継承出来ない。
皇室に入った一般人の男性皇族は、初代神武天皇の子孫ではない。
皇位継承権は、祖先のみである。
日本国民の中で、「命」を同じくする祖先が明らかになっているのは現皇室のみである。
その意味で、皇族は、唯一の、純粋な、混ざりのない、「ジャポニカジャパン」である。
天皇神・天皇霊を祀る事ができるのは、「命」のつながりのある皇族と旧宮家及びその親族のみである。
憲法第二条「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
園部逸夫(内閣府担当参与)平成16年5月26日の参議院法務委員会での証言「いろいろな伝統といいましても、何時からの伝統かといいますと、江戸時代、その前にも遡るかというと、なかなかそこまでは遡らないだろうと思います」「やはりこれから新しいものをどんどん取り入れて、余り伝統というものにとらわない新しい皇室制度、天皇制度というものを考えていくべきではないか」
時代は、政教分離の時代である。
国民の意識調査では、質問の仕方によっては、現皇室の必要性を認めない意見が半数以上に達し、「命」にこだわらず一般人男性の皇室入りと女系天皇の即位及び女性宮家の創設の賛成が増える。
憲法学者には、民族的な伝統、歴史、宗教、文化よりも、近代法に基ずく権利の平等、男女平等、ジェンダーフリーから差別の象徴である皇室の廃絶を求める「皇室無用論」を主張する者がいる。
「命の継承」という宗教性を否定した「皇室無価値論」に基づいた、女系天皇の即位と女系宮家の創設がまことしやかに囁かれている。
現代日本では反宗教無神論の広がりによって、祖先神・氏神信仰の要である「命」を根拠とした万世一系の男系天皇(直系長子相続)は神聖な価値が失われ、血の継承を否定した皇位継承が成立しようとしている。
血のつながないけれども、姓名を捨てれば、誰でも、皇族になれるし、天皇にも即位できる。
それは。ニューディーラーと呼ばれたユダヤ人法律家が、宗教的天皇制度を消滅させる為に日本憲法に組み込んだ装置である。
ユダヤ人は、祖先を神として祀り貴ぶ日本天皇を消し去る事を願望として持っていた。
現代日本では。祖先神・氏神といった人神信仰を破壊しようとしている日本人がいて、神の血を引く神の裔・天皇制度を破壊しようとしている。
現代日本では、後悔の念もなく、恐怖心もなく、虫けらでも殺すように人を殺す。
殺された人間の、祖先と子孫への「命の絆」は途絶える。
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祖先神・氏神という人神崇拝とは、天地と共に人間を創造した唯一絶対神の「隣人愛信仰」ではなく、数十億人の祖先から受け継いだ唯一つしかない「命」への信仰である。
親鳥が、獰猛な敵から雛を、身の危険を顧みず、怪我をした振りをしながら囮となって助けようとする「親心」。
力の弱い草食動物が、自分が犠牲になるかもしれないのに、力の強い肉食動物から子供を守る為に反撃する「親心」。
そこには合理的理論も科学的実証も理知的思想信条も存在せず、全てが曖昧で非論理的情緒のみが存在する。
子の命を守ろうとする「親心」とは、高尚な理屈ではないのである。
祖先から受け継いだ「命」を子孫に引き継ぐ、それが日本神道の「家」を意識する祖先神・氏神信仰である。
祖先神・氏神信仰による「家」認識は、古今東西、日本だけの世界の非常識である。
祖先神・氏神信仰は、八百万の多神教である以上、祖先の中にキリスト教信者がいようが仏教徒がいようが、あるいは反宗教無神論者がいようと、一切関係なく、「命」がつながっている祖先の一人でる事を根拠として祀った。
祖先神・氏神を祀るのは、故郷の神社であり、家の神棚である。
日本神道は、祖先からの「命の継続性」を神聖視するがゆえに、人が行く死後の世界である天国も地獄もない。
「命」は、見えなき「絆」でつながっているのである。
現代日本は、「個」の尊重から、命をつなぐ「家の絆」という祖先神・氏神の人神信仰は急速に消滅しつつある。
その象徴が、家の中から祖先を祀る神棚が消えている。
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キリスト教は、異教徒の祖先を切り捨て地獄に落とし、魂を隣人愛信仰を持つキリスト教徒のみを遙か遠くの天国に迎えた。
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仏教は、死者に死んだという引導を渡して彼岸に送り、霊魂を遙か遠くの極楽浄土に迎えた。
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反宗教無神論のマルクス主義者は、将来や未来を否定するロジックから、希望なき「虚無」で祖先神・氏神を否定し、夢なき「個」で祖先からの命の絆を断絶させ、非科学的霊魂の存在を認めない。
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現代日本は、完全なる自由な「個の権利」が絶対視しされ、家の解体と性道徳の破壊が促進されている。
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日本人は、仏教を信仰し、神道を崇拝している。
儒教は、知識として学んだのみである。
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日本人は、他人が崇める神や仏を、深い考えもせず尊い存在と信じて頭を垂れた。
キリスト教の教会に入れば、キリスト教徒と一緒にアーメンと礼拝した。
結婚はキリスト教会で、神父あるいは牧師の立ち会いのもとで絶対神に誓った。
イスラム教のモスクに入れば、イスラム教徒と共に礼拝した。
ユダヤ教のシナゴーグに入るや、ユダヤ教徒と共に礼拝した。
日本人は、如何なる宗教施設に行っても、信仰心がないにもかかわらずおもわず祈ってしまう。
大人の対応として、人が有り難く思う神や仏に対し、相手への礼儀と尊き存在への敬意から、無条件に受け入れ、無批判で尊重した。
日本人は、宗教心がないと言われている。
日本神道は、八百万の神々による多神教で、多様な価値観を持っていた。
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キリスト教・ユダヤ教・ユダヤ教は、単一の価値観しか持たない絶対神への信仰から多神教の神道を認めず、祖先神・氏神という人神を祀る神社への参拝を拒否した。
神道は、融通無碍の多神教ゆえに、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教から全ての宗教の神々を同列の神として扱った。
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儒教の祖先崇拝と神道の祖先神・氏神信仰とは、全くの別物である。
キリスト教は、人の祖先崇拝を容認したが、人神の祖先神・氏神を否定した。
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韓国の国民の半数以上が、キリスト教徒である。
韓国人の仏教徒は半数以下で、儒教はさらに少なかった。
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一部の日本人は、国際化の為に世界常識を信奉して、「命の絆」である祖先神・氏神を人神と否定し、神社を破損し、境内にゴミを不法投棄して穢し、さらには放火している。
日本には、反宗教無神論が広がり始めている。
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日本人は、小心者であるだけに、気弱で、寂しがりあである。
日本民族は、弱い民族であるがゆえに、集団となり群れて寄り添って生活してきた。
力の弱い動物は、庇い合い、助け合い、いたわり合い、慰め合い、傷口を舐め合い、かたまって行動する。
日本の集団は、気の小さいグループとであって、気の強いチームではない。
ただし、世界一の災害多発地帯で生きる為に、大和魂・大和心・日本精神は強靱であった。
気が弱い日本人は、父親のように裁きを下す絶対神より、母親のように慰め、励まし、勇気を与えてくれる祖先神・氏神の人神を頼る。
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日本人の独自の宗教的死生観で、御霊信仰がある。
日本人は、死者が怨霊・悪霊・物の怪・亡霊となって身近を徘徊していると恐怖していた。
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日本人は、死者の霊魂を身近に感じながら生きていた。
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「汝」と「我」
「貴様」と「俺」
孤独とは、自己を高める為に自己の内面を見つめる行為で、人間形成に欠かせない道である。
自己の運命を信じて受け入れ、自分を捨て去る覚悟を以て何らかの価値観を見出す行為。
武士道とは、一人で立つという孤独な哲学で、忍ぶ恋と同じく自分の我欲・我執を取り除いた純粋な「憧れ」である。
孤立とは、周囲の人間関係はおろか社会からから遮断され、集団はおろか個人からも疎外されて、自らを見失い人間性を喪失した状態。
デヴィッド・リースマン「孤独は個人の努力でなされるが、孤立は社会の圧力に負ける事によってなされていく」
一遍上人「生ぜしも独り、死するも独りなり」
埴谷雄高『準詩集』寂寥「太古の闇と、宇宙の涯から涯へと吹く風が触れ合うところに、そいつはいた、そいつは石のように坐っていた」
そいつとは、孤独である。
信心深い日本人が、鎮守の杜の?で氏神を拝むとき、命のつながりがる生きていた祖先を思い浮かべ、何時かは自分もこの世を去らねばならない身の上と覚悟して、如何に「生き」そして如何に「逝く」べきかを祖先が語る言葉に心で聞いた。
昔の日本人は、今を生きる者として、無限には生きられない有限な命と悟り、死ぬ間際になって慌てないように、朝な夕な神社や神棚に向かう事で「死ぬ覚悟」をしていた。
愛する家族の中で生きて来れた事を幸せと納得して感謝し、愛する家族の元から逝ける事に喜びをもって、祖先神・氏神に語りかけていた。
『万葉集』などの古典は、そうした日本人の切ないほどの情感を伝えるがゆえに、身分低い百姓や行商人や乞食でも「死」を実感して読み諳んじていた。
昔の日本には、日常的に「死」が目の前に存在していた。
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禅の悟りとは、文字や言葉による事なく、無心となって修行や体験を積んで、心から心へと伝えるもの。
仏教による悟りの方法とは不立文字とは、語らず相手を察するという日本人の気質に合っている。
先取りしをて訪れるものを受け入れ、去って行くものに名残を惜しみながら見送る。
如何なる苦境に追い込まれようとも、花一輪、雲一つ見ても自暴自棄とならない。
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釈迦の教え
東は両親。南は師。西は夫または妻。北は友。下は使用人。上は宗教家。
「奴実知見」…不条理な出来事を空想や観念で説明しようとせず、事実としてありのままに見て、不条理のままで受け入れる。
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唐の詩人・柳宗元の『江雪』における五言絶句。
「千山 鳥飛ぶこと絶え 万逕(ばんけい)人蹤(じんりん)滅す 孤舟簑笠(さりゅう)の翁 独り寒江の雪に釣る」
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儒教の中国や朝鮮では、敵の墓を暴き、死体を太陽の下に放り出して尊厳を踏みにじり、踏んだり蹴ったし唾を吐きかけて辱めた。
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祖先の神は、神の子孫の間近に留まる。
日本社会は、死者と寄り添う社会である。
八百万の神々が集う天上に昇るが、神の子孫の祈りに応じて家の近くの神社に降臨し、神の子孫の健やかなるを心配して家の神棚に宿る。
祖先の神は、神の子孫を見捨てる事なく、家の神棚に鎮座して神の子孫と生活を共にする。
祖先の神は、霊力のない無力な神ではあるが、神の子孫の身の上を心配して、神の子孫の側に寄り添ってそこにある神である。
日本の神は、霊験はあっても、万能の神ではない為に奇跡が起こせない無能な神である。
そして、神の子孫が絶えると、祖先の神は役目を終えて死ぬ神である。
祖先の神は、血を受け継ぐ神の子孫・日本民族日本人が死滅すれば、霊験を失って死ぬ神である。
神の子孫は、氏子として、祖先の神が祀られている地元の神社で祭りを行う。
天孫族である神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の祖先の神・歴代天皇は、日本民族の天つ神として死ぬ事はないが、役目を終えれば祖先の神・天照大神が支配する天上の地・高天原に去った。
日本には、天地創造の絶対神は存在しない。
祖先の神には、祀りを行う神の子孫・氏子と崇拝する赤の他人・崇敬者はいるが、信仰する信者や信徒を持たない。
それが、反宗教無神論者やキリスト教徒や反天皇派日本人に嫌われる日本の神社である。
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日本民族の祖先神・氏神は、靖国神社の祭神である。
靖国神社は、日本民族の祖先神・氏神の総社である。
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2013年5月31日 産経新聞「靖国神社の池に放尿画像 慰安婦問題に反発か
インターネットの韓国語のサイトに、靖国神社(東京都千代田区)の池に放尿したとする画像や文章が掲載されていたことが31日、分かった。慰安婦問題をめぐる橋下徹大阪市長の発言に反発しているとみられ、靖国神社は悪質ないたずらの可能性があるとして、警視庁麹町署に相談。同署が事実関係を調べている。
靖国神社によると、韓国語の掲示板サイトに5月下旬ごろ、橋下市長の発言を引用した上で、韓国語で「小便しました。今後も日本の政治家の妄言が続くたびに、愛国人の放尿が続いていくことを願う」などと書かれていた。
さらに、本殿の裏手にある神池庭園とみられる場所で、黄色のシャツにズボン姿の男が後ろ向きで放尿しているような様子や池の周りの柵が尿とみられる液体で汚れている様子を映した画像が掲載された。
靖国神社は「いたずらというにはあまりに悪質。神聖な場所での許し難い暴挙だ」としている。」
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