🕯126)─1─ゆるキャラ=妖怪・物の怪。仏と鬼。ゆるキャラ残酷物語。モノ供養。鬼。~No.268No.269 @

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ゆるキャラは、子供っぽい日本でこそ愛されるが、成熟した高度な教養ある大人世界では嫌悪される。
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 日本の多神教は、神話の世界だけではなく、何時の時代でも地方で絶えず小さな神々が生まれ続けている。
 無限に生まれて来る小さな神々は、地元の神として、喜怒哀楽を見せながら、地元民と楽しそうにおどけて遊んでいる。
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 ゆるキャラとは、平成の御代に現れた物の怪・妖怪や赤鬼・青鬼の類いであり、その実態は八百万の神々の戯けた化身で、夢と希望をもたらす癒やしと慰みと和みである。 
 ゆるキャラ趣向とは、日本的な自然崇拝、精霊信仰の一種である。
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 ゆるキャラは、ローカル・キャラであってグローバル・キャラではない。
 ゆるキャラは、世界では馬鹿にされるだけである。
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 2014年5月12日 読売新聞「ゆるキャラ愛 日本的感覚
 『小さな神様』DNAが追求
 ゆるキャラブームが加熱するなど、日本では老若男女を問わずキャラクターが大人気だ。この背景にあるものは何か。『キャラクター・パワー』(NHK出版新書)を著した法政大教授(広告論)の青木貞茂氏は日本文化の深層が関係していると指摘し、『キャラクターを幼稚と切り捨てずに、きちんと考察すべきだ』と訴える。
 地域おこしに励むキャラクターたちの祭典『ゆるキャラグランプリ』は、2010年にエントリー数が169体、投票数は約24万だった。それが昨年には1,580体、約1,743万にまで増加。もはや国民的な人気だが、その割に背景があまり分析されていないという。『知識人には、真剣に論じる現象ではないという偏見があるのではないか』
 青木氏は本書で、人気の背景を詳しく論じる。まず、多神教の日本で、人間以外にも魂が宿るとするアニミズムが浸透していることを指摘。また、言葉よりシンボルによってコミュニケーションする社会であったことを挙げる。例えば神道には教典がなく、仏教が入っても経典より仏像や曼荼羅などのシンボルがありがたがられた。『神との契約のような、明文で定義されたものに従うという考え方も根付かず、曖昧で両義的なものを許容してきた』。家紋や、ピクトグラム(絵によるトイレや食堂などの表示)の発明、商品の良さを言語化して伝えるようなものタレントイメージに頼るテレビCMなども、その表れという。
 氏はまた、ゆがみやアンバランス、未成熟さを示すものが愛されてきたとも指摘。たしかに西洋のキャラクターの写実的と比べると、日本の特異性は明らかだ。さらに、子どもを未熟なものとせず、大人と子どもとの境界線があいまいなのも、日本人独特の感覚だと強調する。
 これらの文化的背景から、江戸時代にはキャラクターを娯楽として楽しむ、日本的コミュニケーションが完成した。それが、現代のキャラクターの原型ともいえる『妖怪』の消費だ。本来はアニミズム的な神の一種で怖いはずなのにどこかかわいらしいキャラクター化され、絵や本で大人も子どもも一緒に楽しんだ。特に、道具に顔や手足がついている『九十九(つくも)神』は、ゆるキャラとの関連性が非常に強いという。
 青木氏は、キャラクターを容認する日本人の文化的なDNAは、明治以降の西洋化・近代化を経ても、根強く残ったと強調する。『コンピューターのOS(基本ソフト)にあたる部分に、文化的な特徴がかなり深くインソールされている』。結果、ゆるキャラだけでなく妖怪や虫、仏像などをモチーフにした極めて日本的なキャラクターが今、社会に定着している。
 氏は一方で、ブームが映し出す社会の変化にも言及する。例えば、ビジネスなどあらゆる場面でグローバル化の圧力が強まり、領土問題などの対外摩擦が顕在化した今は、『日本人がかなりきついストレスにさらされている』時期。だからよけいに癒やしが求められている。
 また、各自治体がこぞってゆるキャラを作る背景には、地方の経済的疲弊があるという。『即効性のある手だてを求めているから、精神的な絆をすぐに創り出せる、日本人にとって一番なじみのる〝小さな神様〟に頼る』と氏は説明する。さらに、『子どもの論理』と抑圧されてきたキャラクターへの愛着が社会からためらいなく受けとめられる裏には、個人に近代的市民主体であることを期待してきた〝戦後民主主義〟の弱体化があるという。
 ならば今、我々は、キャラクターとどう向き合えばいいのか。氏は、まずはキャラクターを愛した上で、ソフトパワーを輸出振興の手段だけではなく、国家のブランド化に生かすすべきだと説く。『いいかげんで曖昧かもしれないが、子どもと大人が共通に楽しめ、癒やしや楽しみを提供できる。キャラクターを愛そうとした文化スタイルを発信し、平和と調整の国家イメージを高めていってもいい』」
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 2016年10月14日号 週刊朝日「週刊図書館 今週の名言奇言 斎藤美奈子
 ゆるキャラは『まちおこし』ではない
 飯田泰之ほか『地域再生の失敗学』
 地方再生、地域の活性化。よく聞く言葉だけれど、はたしてしれは有効な議論につながっているのか。
 『地域再生の失敗学』は経済学者の飯田泰之氏が専門の異なる5人の論者を迎え、連続講座風に語り合った本。なにせ『失敗学』ですからね。苦笑しちゃう話も多い。
 たとえば地域活性化事業の専門家・木下斉氏は昨今の定番アイテムにNOを突きつける。〈財政状況も厳しい中、全国各地の自治体が多額の税金をかけて実施する経済政策の切り札が「ゆるキャラ」だ、とかいわれてしまうと、頭が痛くなるわけです〉〈昨今のB級グルメも同じですね。B級グルメの巨大イベントを開くと、確かに何十万人と来場者があります。しかし、そのためには設営や管理、警備に莫大な運営費用がかかりますが、焼きそばやホルモン関連製品はせいぜい500〜600円です〉
 いわれればたしかにね。〈むしろ投資回収できない事業は、地域にとってはマイナス効果をもたらすだけ、やればやるほど行政の財政支出は増加し、かといって民間部門の経済力は拡大することはなく、結局のところは衰退します〉
 同様のトンチンカンは少なくないらしく、〈成功している商店街にはアーケードがあるといって、まず屋根からつくってしまったりします〉と地域経済学の川崎一泰氏は批判し、〈ほとんどの商店街の活性化は、「まちおこし」になってしまっていて〉〈いわば「商店街の盆踊りで何をやるか」の議論と一緒なんです〉と千葉市長の熊谷俊人氏は指摘する。
 それじゃいったいどうするのか。起死回生の切り札があれば誰も苦労はしないわけだが、〈これまで我々が追い求めてきたのは短期的な効率に偏っていたと思います〉(過疎問題を研究する林直樹氏)という指摘は重要だろう。林氏が提唱するのは、山間部の集落がまとまって麓や近隣の小都市へ移転する『自主再建型移転』。
 人口減少社会を前提にした、住民主体のこういう地動な議論が大事。〈ゆるキャラは「まちおこし」ではない〉ってことです」
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 ゆるキャラは、世界的な、大陸的な、人類的な、天使でも、妖精でも、小悪魔でも、モンスターでも、悪霊でも、亡霊でも、イベント(大会)限定公式キャラクターでもなく、マスコットでもない。
 統一・統合をもたらす画一的な一神教的価値観からは、遠く離れた訳が分からない曖昧な多神教的な存在である。
 意味もなく、そこに生まれた、ただ存在するモノである。
 合理的な説明も科学的な証明も必要ともせず、理屈の通る論理的な解説も無用である。
 永遠にそこにとどまるののではなく、いつの間にか去って行く存在である。
 ゆるキャラは、そこに「なってある」存在に過ぎない。
 つまり、地方に根差した風土記的地神であるが、別に御利益もなく、霊験あらたかでもなく、たいして神性もない土着的野暮ったいモノである。
 神様でもなく、人間でもなく、訳が分からないモノである。
 ただ、憎めない、愛嬌がある存在。
 理屈として説明が付かない存在。
 説明責任が果たせない存在。
 ゆるキャラは、日本ではどこに行っても可愛がられるが、海の外では愛される存在どころか気持ち悪い存在として嫌われ敬遠されるだけである。
 ゆるキャラは、分類をハッキリ区別する世界においては、愛される神や天使ではなく、憎まれる妖精や悪魔やモンスターに分類される。
 絶対神が人間の為に創った動物や植物なら兎も角、人間が金儲けの為に作った家、機械、道具、食べ物、その他がどう論理的に理性的に思考しても可愛いはずがない。
 理由は、如何なる国際語でも説明ができないからである。
 ゆるキャラが、世界でも「可愛い」として親しまれると考える日本人がいれば、そうした日本人は世界を全く理解できないのか、理解しようとしないかのどちらかである。
 ゆるキャラは、無国籍・無人種・無民族あるいは無色・無臭のアニメキャラクターではなく、純然たる日本の陰影を持った日本的なキャラクターである。
 ゆるキャラを生んだのは、身分制度という共同体意識の強い百姓町人の庶民文化であって、伝統、文化、宗教という共同体的共通性を持たない砂粒の様な大衆ではない。
 ゆるキャラは、生産と再生と発展と進歩の守護者として生産者=庶民の中にいて、消費と浪費と退廃と後退の消費者=大衆の中にはいない。
 庶民と大衆とは、違う。
 庶民は、分相応の欲しか持たず、共同体に迷惑をかけない様に権利主張も控え目で、協調性を以て責任・義務から逃げず、開放的にゆるキャラを中心として相互補完の共生で生きようとした。
 大衆は、我欲が強いだけに、排他的に自己の権利を制限する共同体に参加する事を嫌い、閉鎖的ゆえに地域に対する責任や義務を少なくし回避しようとする。
 庶民は村八分を恐れ、大衆は村八分を恐れない。
 庶民は共同体の為の自己抑制が強いが、大衆は共同体に対して自己防衛が強い。
 つまりは、大衆とは常習的クレーマーの事である。
 ゆるキャラは、共同体意識を持つ庶民の味方であるが、共同体意識を嫌う大衆とは相容れない関係にある。
 ゆるキャラが生まれる所には、座敷童が現れる田舎の古民家同様に夢も希望もあり、生と死、誕生と消滅、生産と消費といった自然の営みが息づいている。
 ゆるキャラは、将来ある子供達に夢と希望を、笑いと勇気を、癒やしと慰めと和みを与えてくれる、物の怪・妖怪であり、日本的な八百万の神々である。
 ゆるキャラは、ひ弱な受け身として内面の精神的・心理的なものであって、猛者として攻撃的な政治や思想・哲学・主義・主張ではない。
 善悪・正邪・美醜といった、恣意的な価値観さえない。
 絶対に正しいと信じてきた戦後の自由・民主主義価値観への、素朴な疑問。
 西洋的価値観とは違った価値観。
 西洋的生き方とは別の生き方への模索。
 大量生産による大量消費といった、物が溢れて、物を粗末にする豊かな生活への後ろめたさゆえの懐疑。
 地球温暖化に伴う異常気象。
 回復不能な状態になりつつある自然破壊。
 ゆるキャラの実態は、故郷にある、自然豊かな里山である。
 自然が、ゆるキャラである。
 大人になりきれない童心が、ゆるキャラである。
 神道における八百万の神々とは、御利益のみを求める現世利得の大人よりも、将来ある欲得の少ない無邪気な子供を大事にし、ひ弱な子供に寄り添う子供っぽい神々である。
 癒すべきは子供であって、大人ではない。
 ゆるキャラは、子供の友達であって、大人の味方ではない。
 日本の原風景とは、大人を中心とした中国や韓国・朝鮮とは正反対に、子供を中心として周囲を大人が固めて守るものである。
 故に。ゆるキャラは、後がなく行き場のない絶海の孤島である日本に存在するが、何処までも続き自由な行動が許された大陸や半島である中国や朝鮮には存在しない。
 八方塞がりの逃げ場のない身体的不自由な閉塞感が、心の自由という開放的で脳天気な表現豊かなゆるキャラを生んだ。
 ゆるキャラは、前近代的な、土着的な、都会化されていない泥臭い所から生まれた。
 民族性という郷愁、原日本回帰のノスタルジーであり、一種の先祖返りの現象である。
 弱肉強食を正義とするグローバリズムへの、日本人であるというローカル的な叛逆。
 日本文化の源泉である、世界共通の英語に対する言霊としての日本語の抵抗。
 曖昧なゆるキャラは、自己主張しない?み所のない日本人そのものである。
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 橋本浩「日本の社会には烏合の衆のような市民がいるばかり」(『バカになった、日本人』)
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 鴻上尚史「外国では、ディズニーみたいに子供向けのところが可愛いのは分かるけれど、大人を対象としているところで可愛くするのは、子供じみていて大人を馬鹿にしているという感覚なんです。だから、大人が関係しているところのマスコットは、可愛くする必要はないというのが西洋社会の考え方なんです。
 それで納得したのが、ロンドン五輪でのマスコット、『ウェンロックとマンデヴィル』。一つ目小僧みたいな奴。
 つまり、可愛くしなければいけないという〝文化の強制〟が向こうにはないんです。
 ……
 外国人は踊りますね〜。僕は『cool japan 発掘!かっこいいニッポン』(NHK)という番組で司会をしていますが、面白い企画がありました。銀座など街中で歌ってくれと頼み、ヘッドホンとマイクを渡すと、日本人30人中28人が歌ってくれ、外国人は30人中1人で歌いませんでした。ところが、踊ってくれと頼むと、日本人は誰も踊らず、外国人は29人踊りました。外国人は踊る事に全く抵抗はない。
 (日本人は照れ屋)
 そのくせ、歌うんですよ。西洋人はカラオケなどで歌うのが恐怖のようです。歌う事の一定以上の教育レベル、日本の様な音楽教育がないようですから、アメリカ人が10人集まって歌い出すと、きっと悲しい気持ちになりますよ」
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 2017年1月9日 産経ニュース「【関西の議論】「ゆるキャラ残酷物語」“大人の事情”に振り回されて…表舞台から消える一方で支援の手も
 右から「フルル」とビリキャラ仲間の「ポピアン」と「浜寺ローズちゃん」。3体がそろったのは約3年ぶりだった=平成28年10月、堺市堺区の堺市都市緑化センター
 全国に数千体はいるともいわれ、さらに増え続けている「ゆるキャラ」。滋賀県彦根市の「ひこにゃん」や熊本県の「くまモン」などが全国的な人気を集める一方で、“大人の事情”に振り回されて厳しい境遇に立たされているゆるキャラも少なくない。大阪府河内長野市の植物園「府立花の文化園」のマスコットキャラ「フルル」と東京都足立区の「アダチン」は“リストラ”され、下田商工会議所青年部静岡県下田市)の「ぺるりん」は公式の座を追われそうになる危機に陥ったことも。だが、ゆるキャラたちはそんな逆境に立たされても、いつもと変わらない愛嬌(あいきょう)を振りまいている。(藤崎真生)
「ビリキャラ」人気も“リストラ”の憂き目に…
 フルルは平成12年、花の文化園開園10周年を記念して誕生した花の妖精。24年の「ゆるキャラグランプリ」にエントリーしたことで、“脚光”を浴びることになった。この大会はひこにゃんくまモンなどを輩出し、優勝すれば全国的な人気を獲得している。
 ところが、フルルはエントリーが遅れたことも災いして865体中の863位という散々な結果に終わった。このときの864位が浜寺ローズカーニバル実行委員会(堺市)の「浜寺ローズちゃん」、最下位が堺市都市緑化センター(同)の「ポピアン」で、くしくも府内の花をモチーフとしたキャラが、ワースト3を独占した。
 3体の関係者はこうした結果を逆手に取って“ビリキャラ同盟”を結成。「ビリキャラサミット」を開催したり、撮影会を開催したりして知名度アップに奔走。翌25年には、テレビ朝日系の深夜番組「タモリ倶楽部」に3体そろって出演を果たすまでになった。
 こうした功績が認められて、フルルは26年2月「南河内農とみどりのミュージアム大使」に就任。一躍、地域の人気者となり、河内長野市内の幼稚園児や小学生らが遠足で訪れた際にはフルルが出迎えることもあった。
 だが昨年4月、花の文化園の指定管理者が変わったことで、フルルは同園を“卒園”。実は、府は管理するキャラが増え過ぎたために、府の鳥・モズをモチーフにした広報担当副知事「もずやん」への一本化を進めているなかでの“リストラ”になってしまった。
 “職”を失ったフルルは同年10月、“ビリキャラ仲間”のポピアンの誘いで堺市都市緑化センターで行われたポピアン誕生日イベントに参加。多くの親子連れらに記念写真をせがまれるほどの人気を見せつけたが、その後の活動はまったくの未定だ。
 同園は「訪れた方々の笑顔が忘れられない。フルルに出会える機会をなくしたことは悲しく、みなさんには申し訳ない気持ちでいっぱい。何とかフルルの『第二の人生』を見つけてあげたい」と話している。
 半年未満で“捨て犬”に「希望は捨てず」
 平成19年12月に東京都足立区の文化や芸術をPRする公式キャラになった「アダチン」も、苦難の道を歩んでいる。
 犬のチンをモチーフにしたアダチンは翌年3月に「契約期間満了のため」に公式キャラを外された。半年ももたなかったことに、生みの親のアニメーション作家、青木純さん(35)は「(行政サイドに)気に入ってもらえなかった」と理由を説明する。青木さんによると、イベントでアダチンが近藤弥生区長(57)に握手を求めようとしたが、無視されたこともあったという。
 “捨て犬”となったアダチンは、地元の防災フェアやラジオ体操などのイベントに積極的に参加。その一方でグッズ類の在庫がかさみ、アダチンの“中の人”については、ボランティアスタッフに頼らざるを得ない厳しい状況が続いている。
 現在では、こうしたきつい境遇に立たされていることを逆手に取り、「きつキャラ」の地位を獲得。「踏まれっぱなし」の厳しい環境に耐えて前を向いているアダチンの姿に共感したファンもおり、同区内のショッピングセンターや大型衣類販売店などから出演依頼が来るまでになっている。
 青木さんは「今年は誕生から10年の節目。何とか着ぐるみをリニューアルしたい。再び足立区のPRキャラになるか、商業的に自立できる売れっ子にしたい」と希望を捨てていない。
 「偉人をちゃかしている」補助金カットの危機
 平成27年に下田商工会議所青年部が誕生させた「ぺるりん」も、“大人の事情”で危機的状況に立たされた。
 ぺるりんは、幕末のころにペリー提督が来航した地で知られる下田の歴史にちなんだキャラクターで、ペリーの故郷、米・ニューポート生まれのペンギンの妖精という設定になっている。誕生当初こそは地元のイベントを中心に精力的な活動を展開していたが、突然、窮地に立たされた。
 28年6月に就任した元陸上自衛官、福井祐輔市長(69)が「偉人をちゃかしているのでは」と指摘。活動資金となる年間約150万円の補助金の再検討を示唆した。このニュースはインターネット上でホットな論争を巻き起こし、一気にぺるりんは“時のキャラ”に。福井市長は「全国的に有名になった。独り立ちするまで支援する」と態度を軟化させるまでになった。
 同青年部によると、危機的状況に立たされた際には「ぺるりんのために寄付をしたい」という申し出もあったほか、ぺるりんの公式テーマソング「ぺるりん音頭」を「小学校の運動会で披露したい」と小学校に招待されたこともあったという。
 同青年部監事の高橋弘樹さん(50)は「厳しいこともあったが、今後も人々に愛されるキャラを目指したい。今回の騒動を好機ととらえ、下田の名を全国に広めたい」と意気込んでいる。
 平成22年から始まった「ゆるキャラグランプリ」では、ひこにゃんくまモンなど優勝したキャラは全国的な人気を集め、計り知れない経済効果を地元にもたらしている。その一方で、ゆるキャラをめぐる悲喜こもごものドラマも展開されている。」
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モノ供養
旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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 二つのブログを、五つに分けて建設する。
 プロフィールに、五つのブログを立ち上げる。 ↗
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 2016年6月4日 鎌倉・建長寺で、6月4日を「ムシの日」として、「虫塚」が建立され、虫供養の法要が行われた。
 植島敬司(宗教人類学者)「解剖学教室で毎年解剖体の慰霊祭に参加していたので、供養の癖がついている。自分の墓を作るのは面倒だけどぬ。女房も、僕が死んだらここに入ったらと言っています。
 針供養、包丁供養など道具まで大切に供養し、虫のように小さいものにも愛情を抱くのは日本人ならではの感性。時代が変わってもなくならないものだと思います。建長寺は750年の歴史がありますが、虫塚もこれから700年先まで残るものになればいい。」
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旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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 2016年6月16日 週刊新潮「ほとけを旅する 上野誠
 無明に燈を── 天燈鬼 奈良県興福寺
 ……
 仏教における燈(あかり)とは、無明(むみょう。煩悩にとらわれて真理を悟ることができない状態)を照らす釈迦の教えを象徴するものである。だから、人びとは、燈で闇を照らして、亡き人を供養したり、自らの心を見つめたりするのだ。天燈鬼は、そういう無明を照らす燈を持つ鬼なのである。仏教における「鬼」は、剛力を以て、仏に奉仕する者をいう。見よ、見よ、あの筋骨隆々の姿を。しかし、仏教は力の教えではなく、智の教えだから、いくら力があっても、鬼は鬼でしかない。つまり、仏の下僕なのだ。けれども、下僕の哲学や美学というものがある。
 ……
 仕事を苦とせず、楽しむ余裕があってこそ、はじめて、一人前の仕事人なのだ。驕らず高ぶらず、悠悠と片手で、十段重ねのせいろを持っていた……」
{天灯鬼(天燈鬼)は、1215(慶保3)年に仏師・康弁(運慶の3男)の作}



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