✨27)─1─日本天皇の下での公平な富の再配分方法。~No.111No.112No.113 @ ㉓ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2016年8月号 新潮45「『富の再配分』が世界史を動かす 茂木誠
 古代から多くの権力者が為政のために『富の再分配』を使ってきたという。
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 『パナマ文書』の流出は、流出させた側の意図が何であれ、主要国の指導者に深いダメージを与えている。
 アイスランド首相は本人、英国のキャメロン首相は実の父親、中国の習近平国家主席は義理の兄、ロシアのプーチン大統領は親友のチェリストの名義で租税回避地タックス・ヘイブンパナマペーパーカンパニーを持っていた。国民に納税を促す側の国家の指導者が莫大な資産を海外に移し自国への納税を回避していたのだから、仮に違法でなくとも、道議的な批判は免れない。
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 国家の機能の第一は安全保障(防衛)、第二は『富の再分配』である。
 古代奴隷制の象徴とされてきたエジプトのピラミッドについて、ナイル川の増水期に人々養うための公共事業の成果とする見方が定説となりつつある。
 クフ王のピラミッドに隣接して発掘された労働者集落から出土した出勤簿には誕生日や二日酔いなどの欠勤理由が記されていた。二日酔いで欠勤できる奴隷はいない。ピラミッド建設は人々に職を与え、生きる糧を与えていた。パンやビールの配給を讃える碑文も出土している。
 巨大古墳は古代の権力の象徴であり、とくに前方後円墳は、ヤマト王権大和朝廷)による日本列島統一の痕跡である、というのが教科書的な解釈である。しかし実態はどうあったか。
 埼玉県で出土した稲荷山鉄剣(5世紀)の例で明らかなように、古墳時代にはすでに漢文を読み書きできる知識階級が存在した。にもかかわらず、古墳の被葬者を明示する遺物は出土していない。被葬者の権力を誇示することが古墳造営の目的ではなかったのだ。『OO天皇陵』の名称は、『日本書紀』『風土記』の記録や、地域の伝承をもとに、明治初期に宮内省が指定したものに過ぎない。
 巨大古墳は平地に築かれ、造営当時は低湿地が広がっていた。古墳の周囲には大規模な灌漑施設が発見されている。
 世界最大の面積を持つ『仁徳天皇陵』(大仙陵古墳)を中心とする大阪府の古市(ふるいち)百舌鳥(もず)古墳群でも、長さ4キロメートルの運河跡(古市大構)が発見された。運河は低湿地の排水を促して干拓を容易にする。運河開削で生まれる大量の残土の山を、祭祀の場や墓として利用したのが古墳である、という新しい解釈がある。
 巨大古墳の造成が公共事業だとすれば、民家から炊飯の煙が上がらなくなったのを見て、租税を免除したという仁徳天皇の『民の竈(かまど)』神話も、富の再分配を気にかける偽政者の姿として説得力を持つ。
 易姓革命万世一系
 『富の再分配』が機能しなくなると、社会不安が高まり、治安維持費がかさむ。中国では、人民武警に支出する治安維持費が、人民解放軍に支出する国防費を上回っている。習近平がぶち上げた人民解放軍削減計画も、余剰兵士を人民武警の強化に転用するのが目的である。このように『富の再分配』とは、国内的な安全保障の問題ともいえるだろう。
 『再分配』の中心が国家権力(王権)である。国家権力は、地方豪族や領主、大富豪といった私的な権力による富の収奪と独占に対する監視、規制の機能を持つ。つまりは『公権』が『私権』を制限することで、富の不均衡を是正する。その方法が租税と公共事業なのだ。
 中国では、王朝交代を易姓革命という。孟子が作った言葉で、『天命が革(あらた)まり、君主の姓が易(か)わる』という意味である。暴君が人心を失うと、『天』=宇宙の主宰神が『有徳者』に天命を下して暴君を倒す。中国の史書で『暴君』とされるのは、人民を抑圧して私利私欲に走り、公の富を私物化する為政者である。
 易姓革命では前の王朝の一族が根絶やしになり、資産は没収されて論功行賞が行われる(富の再分配)。圧政に苦しんだ民衆は、この『ガラガラポン』を見て、カタルシス(充足感)を得る。
 しかし新王朝が安定化し、新たな既得権益層が私利私欲に走り、民衆の恨みを買う。皇帝は、その側近を検挙して断罪してみせることで、公正さをアピールする。このようなトカゲの尻尾切りではどうにもならないほど腐敗が進むと、民衆が蜂起して次の易姓革命が起こる。
 中国史とはこの繰り返しである。このような歴史を学んだあとで日本史をふり返ると、その違いに?然とする。
 歴代天皇で私利私欲に走り、人民を虐げたという例はほとんどない。その結果、日本では王朝交代が起こらず、結果的に『万世一系』が実現したのだ。これは歴代天皇が私利私欲を抑えて『公の存在』に徹して結果である。
 東日本大震災後の計画停電の際、天皇皇后両陛下は自主的に皇居の電源を落としてロウソクの火で夜を過ごされ、民の苦難に心を寄せられた。
 熊本の震災が改めて教えてくれたが、日本の自然は普段は穏やかでも、突然にして悪魔に変身する。私財をいくら蓄えても、自然災害に直面すれば、一瞬で無一文になる。自然が『ガラガラポン』をやってしまうのである。
 また復興には老若男女貴賎を問わず、人々の協力が不可欠である。このような過酷な環境が、日本人特有の強烈な共同体意識を生み、災害時に暴動も起こらず、民と共にある皇室の姿を生み出したと、筆者は考える。
 『耕す者に、その田あり』
 アヘン戦争で英国に敗北した清朝では、アヘン代金として大量の銀が国外へ流出し、農産物価格の下落で困窮する農民が多かった。彼らを糾合して、太平天国の樹立を宣言したのが洪秀全(こうしゅうぜん)である。
 洪秀全は地主の大土地所有制を廃止し、万民に等しく耕地を分配することで、『田あれば共に耕し、飯あれば共に食い、衣あれば共に着、銭あれば共に使い、皆が暖衣飽食できる』社会を目指した。
 土地公有の思想は、古代にさかのぼる。孟子は、周王朝にすでに土地公有制があったと伝えている。唐の均田制は、日本の公地公民制のモデルとなった。
 清朝を倒した革命家・孫文洪秀全と同じ広東省の貧農の出身だった。
 孫文が唱えた三民主義とは、『民族の独立』『民権の伸張』『民生の安定』である。『民生の安定』とはすなわち土地所有の制限による富の再分配だった。
 ところが孫文の急死で後継者となった蒋介石は、上海の浙江(せっこう)財閥・宋家の三女・宋美麗と結婚し、財閥の代理人となってしまった。
 浙江財閥は外国資本の代理人(買弁)として巨利をむさぼっていた。日中戦争中に、アメリカは莫大な対中国支援を行ったが、そのかなりの部分が宋家と蒋家のふところに消えていった。中華民国は、建国後30年にも満たないうちに、すでに王朝末期の腐臭を放っていた。
 このとき内陸の農村部で、
 『耕す者に、その田あり』
 をスローガンに新しい社会を作ろうとする若者たちの一団があった。
 中国共産党である。
 毛沢東は地主階級の全廃と土地国有化を掲げて貧しい農民の熱狂的支持を獲得し、蒋介石一派を台湾へ追いやった。
 毛沢東のモデルは、1つは古代中国の土地公有制だが、もう1つはロシアで始まったばっかりの社会主義の実験だった。
 土地と企業は人民の公有財産とし、共産党が5年ごとの生産計画を定め、人々の能力に応じて働き、必要に応じて受け取るという理想社会だ。
 この思想は、根本的な誤りを内包していた。多くの人間は強制されるか、応分の報酬がなければ働こうとせず、しかも必要以上のものを欲しがるのが現実だからだ。党が定めたノルマに従った労働は、苦役以外の何物でもなく、サボタージュが横行した。このため党は秘密警察による監視・密告システムを作り上げた。
 やがて、ロシア(ソ連)と中華人民共和国は巨大な監獄と化していった。
 『改革開放』が生んだ腐敗
 この体制に対する批判は共産党内部から起こった。ソ連フルシチョフスターリン批判を行うと、中国でも劉少奇訒小平毛沢東路線の修正を迫った。
 スターリンはしでに死去していたが、毛沢東は健在だった。毛は批判者に対して資本主義導入を狙う『走資派』、党の実権を奪おうと企む『実権派』と断罪し、彼らの打倒を呼びかけた。これに踊らされた若者たちが『走資派打倒!』を連呼して、暴力的な街頭活動を始めた。文化大革命の始まりである。
 文化大革命ソ連批判でもあったから、ソ連が激しく反発して中ソ間の国境紛争に発展した。
 ベトナム戦争の泥沼化に苦しむアメリカはこれを好機と見た。中ソの対立を煽って社会主義陣営を分裂させ、米中接近により中国市場の解放を促という戦略だ。極秘訪中したキッシンジャー特使の提案に毛は応じ、ニクソン訪中が実現した。米中蜜月時代の始まりである。
 実権派の生き残りである訒小平は、毛の死を待って復権し、側近の胡耀邦を総書記に任じて市場経済外資導入による経済成長を推進した。
 この『改革開放政策』の成功により、最貧国だった中国は、GDPで日本を抜いて世界第2位にのし上がった。
 しかし成功の果実は、外国人投資家と党官僚、新興財閥らによって分配され、庶民には行き渡らなかった。若者たちは再び立ち上がった。前回は党中央(毛沢東)のお墨付きがあったが、今回は党そのものを批判する運動だった。
 89年、学生たちの運動に同情的だった胡耀邦前総書記が急死すると、その死を悼む人々が天安門広場終結し、民主化を要求した。訒小平は戦車部隊を広場に突入させ、この運動を圧殺した。
 西側諸国は激しく反発したものの、時とともに批判はトーンダウンした。江沢民胡錦濤と続く北京の政権が、市場開放を堅持したからである。外資にとって、『人権』はカネにならない。むしろ共産党労働争議を取り締まり、安価な労働力を供給してくれた方がありがたい。
 中国共産党体制は生き残ったが、自浄能力を失った。
 ……
 皇帝は人民の友
 ロシアを代表する映画監督エイゼンシュティンに、『イワン雷帝』というモノクロ作品がある。
 16世紀、モンゴルの支配を脱しモスクワ大公国君主で、『全ロシアの皇帝(ツァーリラテン語カエサル)』の称号をはじめて公式に名乗ったイワン4世の半生を描く。
 外国勢力と内通する封建貴族の特権を剥奪し、親衛隊を創設して反対派に対する血の弾圧を繰り返したイワン4世は、ロシア語で『峻厳な』『恐るべき』という意味の『グロズヌイ』のニックネームで知られる。『雷帝』はその意訳である。
 ……
 誰が見てもイワンはスターリンであり、スターリンはこの映画を絶賛した。
 身分にかかわらず忠誠心のみで選抜されたイワンの親衛隊は、貴族勢力や敵対する都市に対し、情け容赦ないテロルを繰り返した。
 最晩年には、反抗した世継ぎの息子を撲殺した。もう一人の息子は精神薄弱だった。こうして彼の王朝は絶滅し、内乱を経てロマノフ朝が成立する。
 『イワン雷帝』第二部で、エイゼンシュティンは、狂気に陥っていく後半生のイワンを描いた。これを観たスターリンは第二部の公開を禁じた。
 人権・自由は西洋人の発明品
 ロシア史で人気があるのは、ピョートル1世、スターリン、そしてプーチンである。いずれも専制君主、独裁者で反対派に対する容赦ない弾圧を行った。
 ロシア正教では、皇帝は教会の保護者であり、総主教の任命権を持つ。政治と宗教は不可分なのだ。こお政教一致体制は東ローマ帝国ビザンツ帝国)の伝統を受け継ぐものである。
 この体制では、皇帝に対する反逆は神への反逆と見なされる。レーニンのような無神論者にならない限り、帝制の転覆はできなくなる。ロシアにおいて独裁体制が続くのは、このような歴史的背景の産物である、と見抜いたのは、故・小室直樹先生の慧眼(きいがん)である。
 西欧では、西ローマ帝国の崩壊と同時期にローマ教皇(法王)の権威が確立し、『神の代理人教皇が、各国の君主の上に君臨した。政治と宗教の分離だ。
 ルターとカルヴァン宗教改革を経て教皇権が失墜すると、これに代わって神=自然が定めた永遠不滅の『自然法』という概念が形成された。
 自然法は国家の法の上にあり、個人の自由、平等、所有権を保障する超越的な法である。これを根拠にスペインに対する独立戦争を引き起こしたオランダは、カルヴァン派の新教国だある。
 このカルヴァン派的革命思想はイギリス革命やアメリカ独立戦争を引き起こした。さらにはアメリカ独立戦争義勇兵として従軍したラ・ファイエット侯爵がフランス革命を指導し、フランス人権宣言の起草者となる。
 人権や自由・平等という概念は、西欧近代の発明品であって普遍的概念ではない。これらの概念を、アラブ世界に根付かせようとしたのが『アラブの春』だった。アラブ世界における『自由』とは『無秩序』を意味し、そこから生まれたのがテロ集団IS(イスラム国)だった。
 ロシアも19世紀後半に、西欧化の洗礼を受けた。クリミア戦争の敗北に衝撃を受けた皇帝アレクサンドル2世が、外資導入による近代化を開始した。帝国の豊かな地下資源は外資に買収され、シベリア鉄道はフランス資本で建設された。ロシア経済は活性化したが、富を得たのはロマノフ王朝の高官と外国人だった。人民は、安価な労働力として酷使された。このような『富の不均衡』が、ロシア革命の経済的要因である。
 日露戦争は深刻な食糧不足を引き起こした。皇帝ニコライ2世を『神の代理人』と信じていた人民は、皇帝に直訴することで、腐敗した側近たちを糺(ただ)すことができると考えた。
 かつてモスクワ市民がイワン4世の帰還を願うデモをしたように、ペテルブルク市民が冬宮前広場に続々と集まった。武器を持たず、聖像(イコン)や皇帝の肖像画を掲げての平和デモだった。
 1905年1月のこの日、皇帝ニコライ2世は不在であり、親衛隊はデモ隊に発砲した。雪の積もった冬宮前広場が赤く染まった。『血の日曜日事件』である。
 皇帝への素朴な信仰は崩れた。これ以後、無神論共産主義がロシアに跋扈(ばっこ)するようになる。ロマノフ王朝が崩壊するのは、その12年後である。
 革命の父レーニンが目指したのは、帝政時代に外国資本と結びついてロシアの権利を切り売りし、私腹を肥やした貴族・官僚・資本家・地主勢力の一掃と、土地国有化による貧困の撲滅だった。
 レーニンの後継者と目された赤軍司令官トロッキーは、ロシア革命を欧州に拡大し世界革命を起こせると夢想した。
 ソ連共産党の人事権を握る書記長スターリンは、ソヴィエト・ロシアの強大化をめざすリアリストであり、それが自らの権力基盤を強化すると信じていた。
 レーニンの死後、党内抗争に勝利したスターリンは、トロッキーと彼につながる同志たちを、秘密警察を使って次々に葬った。罪状は、はじめは『人民の敵』、ドイツとの戦争が始まると『敵のスパイ』となった。レーニン時代にはまだ残っていた私企業もすべて国有化された。
 ロシア式民主主義
 70年後、莫大な財政赤字と、老朽化した国営企業、勤労意欲を失った人々を残して、ソヴィエト連邦は崩壊した。
 新生ロシアの指導者エリツィン大統領は、市場経済外資導入による経済再建を急いだ。訒小平が20年かけてやったことを、数年でやろうとしたのである。
 国営企業外資や新興財閥に切り売りされた。新興財閥はロシア語で『寡占(かせん)』を意味する『オリガルヒ』と呼ばれた。
 どの一方、大量の公務員が解雇され、年金制度も崩壊した。ソ連時代には無料だった医療や教育も有料となり、貧困層が激増した。治安が悪化し、チェチェン独立運動が激化した。……」
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 万世一系天皇制度とは、民族と国の安定・安全・安寧をもたらす不動の心柱である。
 日本に、中国・朝鮮・ソ連のように血に飢えた凶悪な独裁者が出現せず、大地を血の海にするような大虐殺・大殺戮が起きなかったのは、民族のこころ・まごころ・気概という美しき心の体現者である天皇が存在したからである。
 日本に天皇が存在しなかったら、自分だけ良ければ後は気にしないという我利我欲・私利私欲が渦巻く中国・朝鮮・ロシアの様な殺伐とした地獄の如き国家になっていた。
 それは、歴史が証明している。
 日本の周辺諸国には、平和を愛し、命を大事し、信頼と友情で助け合う優しい国は存在しなかった。
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 昭和天皇崩御された際、今上天皇と香淳皇太后はそれぞれ約9億円を相続された。
 香淳皇太后は、配偶者控除として非課税枠が適用された。
 今上天皇は、法律に従って約4億円を納税した。
 もし、天皇が生前に退位して位を皇太子に譲位すれば、三種の神器など天皇即位と共に所有権が遷る御物は相続ではなく贈与となって課税の対象となる。
 山下晋司(元宮内庁職員)「三種の神器は、皇室経済法7条に、『皇位ともに伝わるべき由緒ある物』と定義され、同時に相続税法12条に課税されるという明記されています。
 (生前退位に伴い贈与税の対象外と)記載がない場合は一般法に従いますから、草薙剣(くさなぎのつるぎ)や八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)は課税対象になります。三種の神器は国宝級の品ですから、課税額は高額でしょうね」
 皇室もまた子や孫に代が移る事によって、相続税贈与税の課税によって私有財産が減っていく。
 それが、国家元首ではなく、国家及び国民(民族)象徴の定めである。
 戦後。アメリカやGHQ内のマルクス主義者や反天皇ユダヤ人達は、日本天皇家を消滅させる手段の1つとして、憲法で皇室財産を没収し、法律で認められた皇族の私有財産に課税した。
 日本国憲法は、例外なき平等思想で日本天皇と日本皇室を縛り、特別な一族・家族と認定し天皇条項・皇室典範などで一般人と差別化を図って国民同様の権利や自由を剥奪している。
 重い義務を課しながら権利を奪う、それが平和憲法の目的である。
 日本国憲法平和憲法にせよ、主権は日本国民ではなくアメリカにある。
 日本天皇・日本皇室は、主権者アメリカが押し付けた日本国憲法平和憲法を受け入れる事で存続を認められた。
 ゆえに、日本天皇と日本皇室は日本国憲法の遵守を望み、憲法・法律を遵守しその命ずる所に忠実に従って行動している。
 日本を更に縛っているのが、国連の敵国条項である。
 日本の護憲運動や第九条運動にそうした意図がある以上、天皇制度に対して否定的であり、天皇家や皇族・宮家に対して激しい批判を加える。
 将来。移民が増加すれば、その傾向は強くなる。
 マスコミの皇室報道の中に、時折、国民主権主権在民)を絶対正義として、天皇・皇族・皇室への尊崇・敬意・礼節・分別を無視した、醜悪に近い、国民の間に憎悪を植えつけるかのような事実無根の誹謗中傷報道が存在する。





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世界の富を再分配する30の方法

世界の富を再分配する30の方法