✨11)─1─世界的原爆開発競争。イギリスのチューブ・アロイズ計画。陸軍の二号研究と海軍のF号計画。1941年~No.35No.36No.37 @ ⑦ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 戦争責任……開戦責任。遂行責任。敗戦責任。
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 戦争は、戦場に出て戦死する軍国主義者ではなく、戦場に行かず安全な後方で安穏と生活する平和主義者が起こす事が多い。
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 太平洋戦争とは、幕末期に断念した尊皇攘夷である。
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 軍国日本は、戦前・戦時中にアジア各地で1,600ヶ所以上の神社を建立した。
 戦後、海外にあった神社は、侵略神社として全て廃棄され破壊された
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 「日本軍が、科学を軽視し、技術の向上を怠り、精神力だけで戦おうとした為に敗れた」という知識人の話は、7〜8割がウソと思って聞き流した方が良い。
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 軍国日本が勝てないと分かっていた対米英戦争をなぜ無謀にも決断したのか。
 それは、日本の権利や国益を守る幾つかの選択で国際的に孤立し、窮地に追い込まれ理性的な判断ができなくなって、ヒステリックに暴走した為ではない。
 サムライ日本人として、大国の外圧に恐れを成して屈従し隷属する事を潔いとせず、一独立国として拒絶したからある。
 資源小国日本は、多くの面で外国に依存して国家の繁栄と平和そして国民生活の安全と安定の為に、国際協調戦略で摩擦や軋轢を緩和させるべく努力していた。
 だが、現実の国際社会は他国の利益より自国の利益を優先する、非情な世界であった。
 小国は大国に下僕のように服従するのが、世界常識である。
 ナチス・ドイツに対するチェコスロバキア
 或いは、ソ連に対するバルト三国の様に。
 小国が大国に対して戦争を仕掛けないのが、世界史・大陸史の常識である。
 何故なら、小国は大国に勝てないというのが「歴史の大原則」であるからである。
 小国が歴史を学ぶとは、そうした大国に対する屈辱的振る舞い当然とする普遍的大原則を学ぶ事である。
 軍国日本は、サムライ的日本ルールで世界の常識を拒絶した。
 それが、太平洋戦争であった。
 なぜ、靖国神社が世界から批判を受けるのか。
 それは世界を支配する大国の尊厳を否定し、歴史の真実を根底から覆す危険な宗教施設だからである。
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 太平洋戦争とはある意味、幕末期に断念した、日本を植民地にするべく侵略してきた米英露を打ち払う「尊皇攘夷」の実行であった。
 軍国日本は、日本を属国にしようとした清国と日清戦争を行い、日本を侵略しようとしたロシア帝国日露戦争を行い、共産主義のアジア浸透を食い止める為にシベリア出兵を行い、ペリー来航以来のアメリカへの警戒心で太平洋戦争を始めた。
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 色摩力夫「文明社会においては実力行使は最終手段でなければなりません。文明の紛れもない兆候のひとつは、暴力が最後の手段に限定されていることです。他方、野蛮の証(あかし)は、暴力が最初の手段になっていることです」
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 1941年 ルース・ベネディクト「日本が最近になってからでっち上げた邪悪な指導者観念に対して、我々の最も猛烈な攻撃の鋒先を向けるべきあらゆる理由が存在する、天皇こそは日本の現代の国家神道の心臓であって、もし我々が天皇の神聖性の根底を掘り崩し、これに挑戦すれば、敵国日本の全機構は大黒柱を引き抜かれた家同様、瓦解するであろう」(『菊と刀』)
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 4月 陸軍航空本部の安田武雄中将は、理論物理学量子力学の最先端研究に過ぎなかった原子力の軍事利用を検討し、極秘に理化学研究所所長の大河内正敏に対して原爆製造に関する基礎研究を依頼した。
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 陸軍技術部は、極秘に、世界最大級の戦車開発計画を進め、三菱重工に発注した。
 三菱重工は、42年4月に試作1号を完成させ、試運転をした。
、機密保持の為の名称は、三菱重工側は「ミト車」と陸軍側は「オイ車」であった。
 軍事機密「ミト車報告書」、総重量150トン、全長10.1メートル、幅4.8メートル、高さ3.6メートル、口径15センチの主砲塔と三門の副砲塔。
 戦況悪化によって、物資は欠乏し、鋼板の入手が困難となったが、極秘で開発は進められたが完成しなかった。
 ドイツ軍のタイガーⅡ戦車(キングタイガー)は、総重量69トン。 
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 5月 京都帝国大学理学部講師萩原篤太郎は、海軍の技術将校達に「超爆裂性原子ウラン235に就いて」と題する講演を行う。
 海軍艦政本部第一部第2課は、原爆を開発する為に東京帝大、京都帝大、大阪帝大、東北大学理研などの物理学者や東芝の研究者を交えて、『核物理応用研究委員会』を立ち上げた。総指揮を、京都帝大理学部の荒勝文策教授に依頼した。
 京都帝国大学理学部教授荒勝文策と海軍技術研究所は、遠心分離法によるウランの濃縮研究を進めた。
 暗号名「F研究(分裂・FISSIONのF)」を開始した。
 本格始動は、翌年のミッドウェー海戦の完敗からであった。
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 6月 松岡洋右は、ドイツ軍が独ソ不可侵条約を破ってソ連領に侵攻した以上、ナチス・ドイツの同盟国として日本もソ連を攻めるべきであると上奏した。
 昭和天皇は、「国際関係は、国家の名誉の為に『信義』を重んじて『誠』を貫くべき」との信念から、情勢変化に合わせ臨機応変に機会を捉えて行動すべきであるという松岡の現実即応外交を拒否した。
 たとえ口約束であろうとも、一度、相手に与えた約束は不利益になり窮地に落ちいようとも必ず守る。
 ましてや、国家間で交わした国際条約は、如何なる犠牲を出そうとも国家の名誉に賭けて信義を持って遵守する。
 それが、神代から受け継がれた日本の基本姿勢であった。
 ゆえに、日本の外交交渉は臆病なほど慎重で、決定されるまでに議論に議論を重ねて長い時間を必要とした。
 法治国家日本の政策決定は、人治国家の中国や朝鮮の様に即断即決は少ない。
 昭和天皇は、「約束は絶対に守る」という信頼・信用最優先姿勢を如何なる犠牲を払おうとも維持する事を、政府及び軍部に求め続けた。その頑迷さが、戦争を長期化して、国民に多大なる犠牲を強いた。
 現代日本は、「国家の信義より国民の命を優先する」立場から、戦争を命じ長期化させた昭和天皇の戦争責任をご逝去された今日においても糾弾し続けている。
 反戦平和市民団体と左翼・左派のマルクス主義者は、伝統的日本民族物語との「絆」を意図的に断絶しているだけに、神の裔・天皇への尊崇を持たず昭和天皇を極悪の権化として憎悪している。
 三国同盟は、軍事同盟ではなく、自動参戦義務はなかった。あったのは、第三国から攻撃を受けた時には支援すると言う条項であった。独ソ戦ナチス・ドイツによる条約無視のソ連侵略である以上、日本には支援する必要はなく、日ソ中立条約を破棄して参戦する必要はなかった。
 昭和天皇「松岡はソ連との中立条約を破る事に付て私の処に云って来た、之は明かに国際信義を無視するもので、こんな大臣では困るから私は近衛に松岡を罷める様にいったが、近衛は松岡の単独罷免を承知せず、7月に内閣閣僚刷新を名として総辞職した」(『昭和天皇独白録』)
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 コミンテルンのスパイは、ソ連を救う為に、日本軍を南進させるべく、政府や軍部内で画策していた。
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 7月 イギリスのモード委員会は、原爆開発に関する最終報告書を政府に提出した。
 イギリスは、ナチス・ドイツとの戦争中であり、原爆を開発する時間も資金も人材もないとして、中立国アメリカに共同開発を申し込んだ。
 7月16日 アメリカ科学開発局局長ヴァネヴァー・ブッシュは、原爆開発に乗り気でなかったルーズベルト大統領に対して、モード委員会の研究成果から原爆の開発は可能であると報告した。
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 10月 イギリスは、原爆開発計画「テューブ・アロイズ」を発足させた。
 10月9日 ルーズベルトは、原爆の開発を決断した。
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 11月 東条英機首相は、昭和天皇アメリカとの戦争は回避したいとうい希望を叶えるべく、ルーズベルトが要求する条件に対して譲れる範囲の妥協案を提示した。
 多くのA級戦犯達も、軍国日本の破滅になるであろうアメリカとの戦争を避けるべく努力をしていた。
 軍部だけは、その職責から、交渉決裂に備えて戦争準備を進めていた。
 アメリカ・イギリス・オーストラリアなども、日本との戦争準備を進めていた。
 軍国日本との戦争を望んだのは、アメリカとファシスト中国や中国共産党であった。、
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 12月 昭和天皇は、対米英戦が決定されるや、東條首相に対して講和工作の為にバチカンへの公使派遣を要望した。
 東條首相は、戦争回避を切望していた天皇の気持ちを知るだけに、臣下の義務として終戦工作を意図とした使節派遣に同意した。
 軍国日本は、負けるとわかっていても戦うと決めた以上は、勝つ為に戦った。
 自分が信ずる正当性を主張して意地を張り、「生き死に」や「勝ち負け」は二の次として行動する。
 それが、武士道であり、サムライ魂であり、大和魂・日本精神であった。
 「日本には、人として恥じる事は何もなく、天地神明に誓ってもやましい所は何もない」、
 そう確信していた。
 バチカンは、軍国日本がファシスト中国との戦争終結させ、アメリカとの戦争を回避するために必死の努力をしている事を知っていた。
 12月6日 ブッシュ局長は、科学研究開発局に原爆を開発する特別部署S1課を新設して、原爆開発に全力を上げると伝えた。
 アメリカ陸軍が中心となって、原爆開発にあたった。
 12月8日 聖母マリアが母の聖アンナの胎内に宿ったとされる「無原罪の聖マリア祝日」
 真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発。
 昭和天皇は、側近に、「爆弾を病院や学校に落とさなかったろうね、大丈夫だろうね」と心配して尋ねた。
 第一次世界大戦の古戦場を見てきた昭和天皇は、一般市民への被害を最小限に食い止める事を希望した。
 国家と国家が主体となって戦争するが、それは正規軍同士が死闘を繰り広げる事であって、非戦闘員は巻き込まないという戦時国際法のルール・規則を遵守するべきであると信じ切っていたからである。
 つまり。軍国日本は、限定的戦争で雌雄を決しようとしたが、世界は総力戦の時代であった。
 一般市民も、戦争に巻き込まれて犠牲となる時代となっていた。
 昭和天皇の戦争認識は古さによって日本は敗北したが、その古さのお陰でナチス・ドイツの様な国家消滅の危機を免れた。
 軍国日本は、戦争をやりたくて戦争を始めたわけではなく、戦争を回避しようとできる限りの手段を講じても避けられなかったために、やむなく戦争を始めたのである。
 国際常識では、理由がどうであれ、正当な理由があっても、先に戦争を仕掛けた方が戦争犯罪者とされ、戦争を始めた指導者が戦犯として処刑された。
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 アメリカは、午後1時以降に日本軍が何処かを攻撃する事を、暗号解読で知っていた。
 日米戦争を望んだのは、昭和天皇と軍国日本ではなくアメリカとルーズベルトであった。
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 12月11日 日本は、ナチス・ドイツファシスト・イタリアと連合国と単独で講和を行わないという三国単独不講和確約の協定を結んだ。
 昭和天皇「三国単独不講和確約は、結果から見れば終始日本に害をなしたと思う」(『昭和天皇独白録』)
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 A級戦犯東條英機首相は、中国との戦争に直接関与した事がなく、中国人に恨まれるようなやましい事は何もしていなかった。
 満州事変勃発時は、東京の陸軍参謀本部編制動員課長似すぎなかった。
 盧溝橋事件の時は、関東軍憲兵隊司令官として満州にいて、日中戦争で軍隊を指揮していなかった。
 中国との戦争と大陸侵略において、共同謀議には無関係であった。
 もし。東條英機に共同謀議が成立するというのなら、中国との戦争を熱望した国民全てに共同謀議が成立する。
 戦争責任は、一部の軍国主義者ではなく全ての日本人に存在する。
 アメリカを含む連合軍は、その認識から攻撃対象を全ての日本人として攻撃した。
 その証拠が、都市への無差別縦断爆撃であり広島・長崎への原爆投下である。
 一部の軍国主義者を戦争犯罪者として、全ての日本人を無罪どころか被害者にする事は歴史への犯罪行為である。


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