🏞74)─1・B─琉球列島最悪の自然災害。明和の大津波。1771年~No.295No.296No.297 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2021年4月24日 MicrosoftNews 沖縄テレビ琉球列島最悪の自然災害 明和の大津波の実態に迫る企画展。1771年
 © 沖縄テレビ
 250年前、宮古八重山を襲った「明和の大津波」の記録を後世に伝えようと歴史資料などを紹介する企画展が那覇市の県立博物館・美術館で開かれている。
 1771年の4月24日に起きた大地震による明和の大津波では宮古八重山でおよそ1万2千人が犠牲となった。
 被害から24日で250年となるのに合わせて開催された企画展では津波石垣島に流されたとされる推定500トンの岩の写真が展示されている。
 また、被害を受けた集落で当時の人々が使っていた道具など発掘調査で見つかった貴重な資料およそ50点を通じて、琉球列島最大規模の自然災害の実態に迫る。
 ▽県立博物館・美術館 山本正昭学芸員
 「明和津波というのがどれくらいの規模で、どのような威力で先島諸島を襲ったのか、その実態を把握して頂いて津波の威力を知って頂きたいと思います。」
 この企画展は6月13日まで開かれていて期間中はフィールドツアーや学芸員による説明会なども行われる。」
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 4月25日 MicrosoftNews 沖縄テレビ「明和の大津波から250年 石垣市で慰霊祭
 © 沖縄テレビ
 250年前に宮古八重山を襲った「明和の大津波」の慰霊祭が24日、石垣市で執り行われ、住民たちが災害の教訓を未来へ繋いでいく決意を新たにしました。
 1771年の4月24日に起きた大地震による明和の大津波では宮古八重山でおよそ1万2千人が犠牲となりました。
 24日、石垣市宮良で執り行われた慰霊祭には住民およそ70人が参列し児童を代表して宇根底師平さんが震災の記憶の継承を誓いました。
 ▽宮良小学校6年宇根底師平さん『震災に遭われた人々の悲しみ、もっと生きたかったであろう命や思いを忘れず、今を生きる僕たちが学んだ知識を活かし、地域と協力して命の安全を守っていきたいです』
 参列者は防災に対する意識を高めていくと決意を新たにしました。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
   ・   ・   ・   
 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・   
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
   ・   ・   ・   
 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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⚔37)─4・D─江戸時代は算盤武士(勘定方)の会計で安定した平和な時代であった。~No.162 

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 武士は日本独自の日本でしかいない支配階級で、中国や朝鮮にはいないし、中国の士大夫・武官・武闘家でもなければ朝鮮の花郎両班・乱暴者でもない。
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 2021年3月21日号 サンデー毎日「今週の新刊
 読んでたどる歴史  本郷和人
 『会計の日本史』 大村大次郎
 国家の経営に必要な数学の扱い方の通史
 『国語、算数、理科、社会』。小学生は必修科目としてこれらを勉強する。平安貴族も似ていて、子どもの頃から『文章(ぶんしょう)道、明経(みょうぎょう)道、明法(みょうほう)道、算道』の4つを学んだ。文章道は中国の古典を読み、漢文が使えるようにする。明経道も、似たような学問。明法道は日本の法たる律令を読み、解釈する。そして算道は数字の扱いの習得を目的とした。
 国家を経営するには、税の問題は避けて通れない。この土地は合計でどれくらいの広さがあって、税率はこれこれだから、国庫に入る収入はこの額になる。今年は天気が荒れて収入が激減したから、税の10%は免除して民心を落ち着かせよう。・・・こうした計算が、国家運営の土台をなす。だから日本の貴族=知的エリートは、算数を一生懸命勉強していた、はずなのだ。ところが実際はあくまでも、『はず』であって、貴族の日記を見ても、こうした数字はほとんど出てこないのが実情だ。
 それでぼくは想像する。平安始めには立派な漢詩を作られたのに、唐との交渉がなくなると『和風漢文』が工夫されて正確な漢文が忘れられる。同じく世の中が平和になると中だるみが生じ、公平な税負担は画(え)に描いた持ちとなり、計算や会計はなおざりになるのではないか、と。
 そうした感想をもてるのも、税制の大原則を理解してこそ。本書は古代の朝廷がいかに精緻(せいち)な会計システムをもっていたかから、武家の幕府がどのような経済基盤をもっていたか、江戸時代にはいかに日本人が数字を使いこなして社会を発展させたか、また明治の富国強兵に会計は必要不可欠だったことを説く。さらには現代の経済までが会計の視点でぶれなく論じられている。全体として、新鮮な日本通史を提供してくれていて、読みやすく、まことに興味深い。」
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会計の日本史 その時“お金"が歴史を動かした!
お金で読み解く明治維新
日本会計史
会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語
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 平安時代の公家は、荘園からの年貢の計算を現場の家人に任せ、遊び呆けて滅んだ。
 身分が低く貧しい武士達は、領地経営を行い年貢を計算して力を蓄えて、武力と財力で身分高い公家の世の中を滅ぼし武士の世の中をつくった。
 それは、アリとキリギリス(一説にはセミ)の寓話である。
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 戦国時代、経済観念がなく、算数が苦手で、商売できず、領地経営に失敗した戦国武将は合戦に強くても滅亡した。
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 天皇家・皇室は、独自の荘園から領民の不平不満を抱かないように安定した年貢を徴収していた。
 そこには、マルクス主義が告発するような非道で惨い搾取は存在しない。
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 江戸時代の子供は、読み書く算盤は当たり前で、読み書きは中国の古典である論語(日本儒教)や唐時代の漢詩、仏教のお経(経典)、商業的帳簿や契約書など実学で学んだ。
 意味は二の次で、原文を声を出して読み上げ丸暗記する事が優先さ、記憶力の良い子は飛び級的に上級者の仲間入りしてさら難しい原書を読み暗記した。
 そして、神童が生まれ、努力と業績で庶民(百姓や町人)でも成功して財をなし、野心があれば下級武士の養子になり専門知識を身につけて勘定奉行町奉行・郡奉行へと出世した。
 日本は世襲制で、その家の格で就ける職務が決まっていて、上級職に就くにはその資格のある家の養子になるしかなかった。
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 子供達は、大人達の真似をして俳句や川柳を作って遊んでいた。
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 日本には、中国・朝鮮・琉球のようなや中華儒教による超難関の高等官登用試験制度・科挙はなかった。
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 日本民族は数字・算学に強く、江戸時代の和算は西洋の数学に負けてはいなかった。
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 江戸時代が緩やかに発展・進化・進歩を続けた安定した平和な時代であったのは、専制領主による強権的暴力的支配が行われた封建社会だからではなく、主君に忠誠を誓う清廉潔癖な算数に明るい算盤武士(勘定方)がいたからである。
 幕末・明治維新を切り抜け近代日本を成功させたのは、優秀な会計官僚が数多くいたからである。
 算盤武士(勘定方)と明治の会計官僚は、現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリとは違う。
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 日本民族の歴史を歪曲・捏造・改竄したのは、日本を正しく評価する歴史が嫌いなリベラル派戦後民主主義世代が生み出した「嘘八百の武士道神話」である。
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 現代日本人は、歴史力・文化力・伝統力・宗教力はもちろん数学力がない。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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⚔37)─4・C─江戸時代の武士は真面目に働き、平安時代の貴族は働かずサボっていた。~No.162 

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 勤勉実直を美徳とする儒教的社会規範は江戸時代以降に浸透した。
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 2021年4月30日号 週刊朝日「週刊図書館
 ベスト・レコメンド
 『古代日本の官僚』 虎尾達哉 中公新書
 惰性な面々
 公文書偽造、倫理規定違反、コロナ禍宴会、国会提出法案の誤記・・・数年前から現在もつづく官僚の不祥事にはほとほと閉口している最中に、『古代日本の官僚』なる新刊本が現れた。副題には〈天皇に仕えた怠惰な面々〉とあり、思わず手に取った。
 この本が取り上げる『古代』とは、飛鳥時代後半から平安時代前半のこと。中国(唐)から輸入した律令に基づく『専制君主』体制をとり、強力な執政を支える官僚機構が不可欠となった時期だ。特に、クーデター(壬申の乱)によって覇者となった天武天皇は新たな官僚たちを必要とし、登用制度を導入してまで大量の『律令官人』を生み出した。
 しかしながら、彼らは勤勉でも、規律正しくもなかった。中でも下級官僚は、日々の職務をしばしば放棄するだけでなく、天皇が臨席する重要な儀式すら無断欠席した。著者の虎尾達哉は『続日本紀』などの資料にあたり、その実態を次々と紹介。専制君主国家の本家である唐であれば死罪になるような事例も多いのだが、政府の対応は一貫して寛容だった。
 なぜか?虎尾は、天武朝から急増した下級官僚が〈粗製濫造〉だった点を認めつつ、〈中国の礼のような儒教的な社会規範が欠如していた〉ことを根本的な理由とした。そして、国の方も、彼らの怠業・怠慢をある程度は見込んでいたことに言及し、古代日本が〈現実的でしたたか〉国家だったと総括する。
 勤勉実直を美徳とする儒教的社会規範は、江戸時代以降に浸透したらしい。こうして古代日本の内実を知ると、現在の官僚たちに同情する虎尾の気持ちも理解できるが、それとこれとは、やはり別問題だろう。」
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 5月6日 MicrosoftNews 文春オンライン「行事に出ない、職務は放棄…息を吸うようにサボる「天皇に仕えた官僚」の日常
 人事院は、2021年度の国家公務員採用総合職試験の申込者数について、2020年度と比べ2420人(14.5%)減となる1万4310人だったと4月16日に発表した。5年連続の減少で、総合職試験を導入した12年度以降で最大の減少幅。背景にはいわゆる “キャリア官僚”たちの長時間労働問題があると指摘されている。
 一方で、その昔はどうだったのか。最新の研究によれば、その実態は必ずしも「勤勉」とはいえないものだったという。『 古代日本の官僚――天皇に仕えた怠惰な面々 』から、かつての日本における「官僚」たちの知られざる日常について、一部を抜粋して引用する。
 ©iStock.com© 文春オンライン
◆ ◆ ◆
 サボる官僚と「ひたすら待つ」政府
 古代史研究者はよく、専制君主国家の儀式は「君臣関係を確認する場」などと言う。何を隠そう、筆者もそう書いたことがある。なんとなくわかったような気になるから不思議だ。イメージとしては、専制君主の威容を仰望しながら、その忠良なる臣下たちが自分の立ち位置を確認させられるといったところか。おそらく機能主義的な説明としては間違ってはいない。
 しかし、現実には君臣関係を確認するどころではない。当の官人たちが出てこないのだ。出席は臣下としての職務だから、これは立派なサボタージュ(職務放棄)である。ところが、政府の方も、首に縄をつけてでも引っ張ってこようという気はさらさらない。ひたすら待つのみだ。とても君臣関係を確認させようと本気で考えていたとは思えない。
 現代に置き換えてみよう。たとえば、正月の一般参賀。多くの人々が日の丸の小旗を手に皇居に参集する。誰に強要されたわけでもない。天皇陛下や皇族がたの姿を一目仰いで晴れがましく新年を祝賀したい。多くはそんな崇敬の念からだ。
 一方、元日朝賀儀(天皇への賀正の儀式)をサボタージュした官人たちはどうか。現代日本の多くの人々が抱く素朴な崇敬の念すらない。かといって、サボっても罰せられるわけではないから、天皇への畏怖もない。天皇を崇敬も畏怖もせず、儀式を平然とサボる官人たち。その官人たちを甲斐なくひたすら待ち続けるだけの、まことに寛容な政府。現実の朝賀儀は「君臣関係確認の場」などといえるような代物ではなかったのである。
 大量のサボタージュに耐える天皇たち
 それにしても、拝礼を受ける側の天皇の気持ちは、いかばかりであったか。早朝より大極殿に出御するも、参集しているのは五位以上の貴族だけだ。六位以下の官人たちは数えるほど。本来は五位以上の何倍もの数で、朝庭後方を埋め尽くすほどいるはずなのに。
 元旦、夜が明けるとともに、いやでも目に飛び込んでくるその白々とした空虚な風景。古代日本の「専制君主」たちは、こんな大量のサボタージュに耐えねばならなかった。そう思うと、私は心底同情する。だが、実は歴代天皇にとって、それは程度の差こそあれ、いつに変わらぬ見慣れた風景だったのではないか。
 給与カットでしぶしぶ出席
 それはさておき、弘仁7年(816)、政府は重い腰を上げ、六位以下の無断欠席にも制裁を科すことにした。儀式そのものが危ぶまれる深刻な事態に立ち至ったのだろう。さすがに、そのまま放置というわけにはいくまい。無断欠席には季禄(春夏分)の没収で報いる。六位以下官人(長上官)にとって季禄は唯一の給与。だから、半年分とはいえ、没収はたしかに痛い。
 これで五位以上は三節の出席禁止(節禄不受給)、六位以下は季禄の没収と無断欠席者には残らず経済的制裁を科すことになった。どうやら、一応の効果もあったようだ。これまで普通にもらえたものがもらえなくなる。背に腹は代えられぬということか。
 しかし、今度は別の困った問題が浮上してくるのである。どうも当時の官人たちは、晴れがましくも厳粛な朝賀儀を支え、天皇の忠良なる臣下として粛々と務めを果たそうとなどという殊勝な人々ではなかったようだ。
 朝賀儀に出席を求められたのは、中央にいる五位以上官人と同じく六位以下の長上官である。律令官人のまさに中核部分だ。その彼らが堂々と無断欠席し、経済的制裁を科されてしぶしぶ儀式に出るようになる。しかも、出てからも政府を困らせる。にわかに信じられないという読者もいるだろう。だが、これが現実なのだ。
 組織の経年劣化? それとも…
 しかし、読者の中にはこう考える人もいるだろう。それは平安時代に入り、律令体制が弛緩することによって初めて生じてきた問題だろう。当初はきちんとやっていたのではないか――。何事も経年劣化ということはある。この朝賀儀も無断欠席の状況が年々悪化してきたという面はむろんあるだろう。
 だが、それでは、律令国家の草創期には、官人たちがみな一人残らずきちんと出席し、儀式が滞りなく行われていたのだろうか。研究者も含めて、私たちは漠然とそう考えがちだ。しかし、一歩踏み込んで考えてみると、これは根拠に欠けた希望的観測である。最初はうまくいっていたはずだ、という思い込みにすぎない。官人たちがみな怠けることなくこぞって出席し、整然と一糸乱れぬ拝礼と拝舞を行う。そのようにさせる文化や社会規範は、七世紀末から八世紀初めの律令国家草創期にはまだ存在していない。そんな時代に完璧な朝賀儀が行われたと期待する方が無理であろう。
 サボタージュは歴代天皇の「見慣れた光景」
 朝賀儀は平安時代に入っていきなり官人たちの無断欠席が始まったのではない。鍵を握るのは六位以下官人だ。延暦21年(802)、政府は五位以上の無断欠席だけに制裁を科すことにして、六位以下についてはまったく咎めなかった。不可思議な措置である。しかし、これは六位以下については、すでに無断欠席が常態となっていて、政府もこの儀式への全員出席までは求めていなかった。そう考えれば合点がいく。
 朝賀儀が挙行される朝庭は本来、五位以上のための空間だった。だから、朝賀儀は五位以上が全員出席し、六位以下は儀式の威儀が損なわれない程度に出席していればよい。それが慣例ではなかったか。
 ところが、六位以下だけではなく、肝心の五位以上の無断欠席も目立つようになった。そこで彼らに制裁を科して出席を強要しはじめる。ただし、六位以下の方はまだ咎めるには及ばなかったので、そのまま放置を続けた。しかし、その後、六位以下の無断欠席が無視できないほどに増加。儀式の威儀を損なうどころか、儀式そのものが危うい状況となった。そこで、ようやく六位以下への制裁に踏み切ったのである。
 この間の経緯は以上のように読み解くべきだ。だから、歴代天皇にとって、儀式の場での官人たちのサボタージュは、程度の差こそあれ、実は見慣れた風景だったのではないか。筆者はそう想像するのである。(虎尾 達哉)」
   ・   ・   ・   
古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々 (中公新書 2636)
天皇と官僚―古代王権をめぐる権力の相克 (PHP新書)
古代の女性官僚: 女官の出世・結婚・引退 (歴史文化ライブラリー)
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、世界史・西洋史・中華史・大陸史とは違い、繰り返す事がない歴史であり、1本の太い本流の他に複数の傍流が同時に存在し、そして教訓にも手本にも鑑にもならない冷たい歴史である。
   ・   ・   ・   
 日本民族の歴史を学ぶとすれば、日本国は都・中央・中枢・上層部・机上ではなく田舎・地方・抹消・下層部・現場が駄目になると全てが駄目になるという事である。
 日本軍が世界的に強かったのは、無能な指揮官にたいして兵士が優秀だったからである。
 つまり、日本の伝統文化組織とは、世界常識の「一頭のオオカミと多数のヒツジ」ではなく「一頭のヒツジに多数のオオカミ」である。
 それ故に、日本では強力なリーダーシップをもった独裁者・指導者は生まれなかったし、生まれたとしても何らかの役目を終えれば短期間で消えた。
 その代表例が、織田信長武田勝頼であった。
 日本の理想的指導者は衆議調整型で、決定後の行動には部下の前に出るタイプと部下に任せて後方に控えるタイプがある。
 その代表例が、武田信玄上杉謙信であった。
   ・   ・   ・   
 日本に、異宗教を滅ぼすキリスト教や反宗教無神論マルクス主義そして神殺し・仏殺しの中華儒教が根付かなかった事には、明らかなハッキリした分けがある。
 インドの仏教、中東のゾロアスター教、中国の異端儒教道教など数多くの海外由来の宗教・哲学・思想は、天皇の神聖と結びついて日本に根付いた。
   ・   ・   ・   
 日本民族の清貧・勤勉・実直・正直・素直・真面目の美徳は、江戸時代後期から身についた美徳である。
   ・   ・   ・   
 日本民族の歴史において時代が変革する時は、実力を付けた地方の貧しい下級身分が中央の豊かな上級身分を支配的地位から追放して新たな支配階層を形成した。
 つまり、日本民族の歴史とは天皇制度下の下剋上である。
 その代表例が、継体天皇の即位、聖徳太子の政治改革、天武天皇の親政、鎌倉幕府室町幕府江戸幕府の武士団、明治新政府の元勲・重臣集団などである。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、親の遺産・家督・家業を相続した長男・総領ではなく、相続できなかった次男や三男そして妾・愛人の私生児、捨て子が動かしていた。
 但し、歌舞伎・能楽、茶道・華道など血筋・血縁・血統で世襲してきた伝統文化継承の家元・本家は違う。
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 日本人が自慢する武士道は、大正時代頃に生まれ、昭和前期に普及し、昭和後期に定着し、現代では神話になった、日本の歴史になかった作り話の幻である。
 現代日本人は、武士道神話の信奉者である。
 武士道神話とは、儒教である。
   ・   ・   ・   
 保守派や右翼・右派・ネットウヨクが自慢するような日本人は、明治時代以降の日本人で或る。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、左翼・左派・ネットサハが理想とする日本人は、日本民族の歴史の中には存在しない。
   ・   ・   ・   
 現代日本人には民族的な歴史・文化・伝統・宗教は無縁で、戦国時代はおろか幕末・明治時代の日本人に通じるところは何もない。
 現代日本人は、縄文時代から続く日本民族の如何なる時代の日本人にも似ているところが少ない、日本の歴史で異常と言っても良いほどの特異・特殊な非民族的人間である。
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 歴史的事実として、日本の変革やイノベーションは遺産相続権がなかった次男や三男が才能と努力で起こし、古く硬直した既存を破壊し新しい思想・哲学で新たな時代を切り開き、日本国と日本民族に文化や経済・製造など多方面で計り知れない豊かさをもたらしていた。
 古くは聖徳太子の時代から、足利尊氏織田信長徳川家康、そして明治維新、大正初期まで、日本は相続権のない次男や三男が故郷・家を離れて日本を動かしていた。
 明治・大正の軍隊に入隊したのは次男や三男で、家や財産・家業を守る責任があった跡取りの長男は兵役が免除されていた。
 その意味で、日本を駄目にしたのは「相続権の平等」であった。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
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 荻原井泉水(明治17{1884}年~昭和51{1976}年)「天を楽しむとはさ、天より自分に与えられたことを凡(すべ)て楽しとして享受することである。……雨がふるならば、その雨もまた楽しとする気持ちである。禅の言葉に『日々(にちにち)これ好日』という。この心境である。考えてみるまでもなく、今日、ここに私というものが生きて息をしていること、このことだけがすでに大きな天の恵みではないか。……人間はたえず成長していなければならない……70になっても、80になっても、成長しているべきものだ。長寿ということは、即ち生長ということなのだ。生長なき長寿はナンセンスである」『益軒養生訓新説』
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 2021年4月4日号 サンデー毎日五木寛之のボケない名言
 津波てんでこ  ──三陸地方の伝承
 『自己責任』の重さとつらさ
 10年を過ぎても東日本震災の記憶は消えない。天災か人災か、今後も長く議論されることだろう。
 『津波てんでこ』
 という言葉が、深い悔恨(かいこん)とともにふたたび語られた。三陸地方に言い伝えられてきたという、古人の戒めである。
 激烈な災害時に、家族、知人、近隣の人びとの安否を気づかうのは、人情というものである。相互扶助の心なくしては人間社会は成りたたない。しかし、おのれの脱出よりも他者の安全を気づかうあまりに、もろ共に犠牲になった人びとの数も少なくなかった。
 『てんでんこ』とは、『それぞれに』『各自の判断で』行動せよ、という深い体験からの言い伝えである。
 それは無闇とお上の指示にしたがうだけでなく、自己判断で行動せよ、という庶民・大衆の覚悟ではないかと思う。
 私の郷里である九州でも、同じような表現があるのが不思議だ。『てんでん勝手にやればよか』などと言う。その『てんでん』には、自由気ままに、ではなく『自己責任において』というニュアンスがある。
 東北と九州で同じ方言が残っているのは、不思議なことだ。
 仏教でいう『自利利他』の教えが残っているのだろうか。いや、重い体験からの民衆の智慧かもしれない。痛みを乗りこえての名言であると思う。」
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
 日本は、異種異文の朝鮮や中国を差別して排除し、同種同文に近い琉球人とアイヌ人を同化させた。但し、特権を有していた高級知識階級の久米三十六姓は区別し差別した。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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🌏40)─8─日本のウイルスワクチン開発を潰したのは民主党政権の事業仕分け。平成21年〜No.122No.123No.124No.125 ⑥ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ウイルスは攻めの細菌兵器であり、ウイルスワクチンは守りの細菌兵器である。
 日本国憲法は、全ての細菌兵器を非人道兵器であると否定している。
 事実、ウイルスワクチンを開発している国は高レベルの軍事的細菌兵器を研究している武器輸出国である。
   ・   ・   ・   
 2021年4月6日 毎日新聞「「事業仕分けで4学会廃止」は誤り  
 ファクトチェック「誤り」
 「日本で新型コロナウイルスのワクチン開発が成功しないのは、民主党による事業仕分けで『日本ウイルス学会』など4学会を廃止したことが原因」――。新型コロナを巡ってワクチン開発や確保に注目が集まる中、こんなツイートが拡散している。しかし、事業仕分けの対象は学会の存廃ではなく、しかも4学会が廃止された事実はない。このツイートは誤りだ。(ファクトチェックの判定基準→ https://mainichi.jp/articles/20210303/hrc/00m/040/001000d)【藤沢美由紀/統合デジタル取材センター】
 学会は廃止されていない
 ツイートは、「井上太郎」というアカウントから3月31日に投稿された。以下のような内容だった。
 <昔は世界トップクラスのワクチン開発国だった日本。その日本がいまだに武漢ウイルスワクチン不成功なのは、民主党による事業仕分けで、多くの国民が反対したにもかかわらず「日本ウイルス学会」「日本細菌学会」「日本寄生虫学会」「感染症学会」の4学会廃止したことが原因。感染拡大は民主党の責任>」
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 100年に1度、蔓延するかどうか分からない疫病・ウイルスの為に、巨額の研究資金を毎年支出するのは無駄であるとして、数多くなった保健所を統廃合して減らし、幾つかあった世界レベルの専門研究所を廃止した。
 その結果が、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の蔓延であり、ワクチン開発ができなかった原因であった。
   ・   ・   ・   
 立憲民主党日本共産党などの野党は、国民の政治不満やメディア・報道機関の政策批判を利用して、政府に対して武漢ウイルス(新型コロナウイルス)封じ込めとワクチン接種の失敗責任を激しく追及している。
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 武漢ウイルス(新型コロナウイルス)ワクチン開発ができなかった日本は、財政赤字解消の為に国策としてワクチン開発後進国に転落した。
 科学者は反対したが、政治家は賛成した。
 反自民党のメディア・報道機関は、支持した。
 民主党の後継政党が、現・立憲民主党などの野党である。
 日本人も疑問を持たず、むしろ官僚や学者を追いつめる政治家に感激し声援を送っていた。
 日本は、世界でのナンバーワンもオンリーワンも捨てた。
   ・   ・   ・   
 民主党やメディア・報道機関は、先進国日本、科学立国日本、ウイルスワクチン先進国日本・もの作り国家日本を潰した張本人、A級戦犯である。
 それは、1980年後半から徐々に、静かに始まっていた。
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 自己責任からいえば、現代日本人の自業自得である。
 特に、反政府・反国家・反体制・反権力そして反民族の左翼・左派・ネットサハ、過激派マルクス主義者にそれが言える。
 その深刻な被害は、日本国、日本民族に広く及ぶ。
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 現代日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力そして科学・化学・薬学・医学・物理・数学など理系総合力がない。
 その傾向が、哲学・思想・イデオロギーを重視する文系マルクス主義の高学歴な知的エリートや進歩的インテリに強い。
 蛸壺化、ガラパゴス化した視野狭窄の理系エリートも同様で、その醜悪さは東日本大震災・第一福島原発事故における民主党政権とメディア・報道機関で露呈した。
 それが、科学的根拠のない「そうあってほしい・そうあるはずだ・そうあるべきだ」という安全神話である。
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 現代日本人は、昔の日本人、特に1980年前の日本人よりも、さらには戦前の日本人よりも酷い。
 現代日本人とは、リベラル派戦後民主主義世代(団塊の世代団塊ジュニア)である。
 リベラル派戦後民主主義世代の口癖は、「経済成長はもういらない」である。
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 日本民族の歴史を語る資格がない現代日本人が、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者の中に多数存在する。
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 2009年11月21日 しんぶん赤旗「「仕分け」に異議あり 学術・文化団体
 日本学術会議
 日本学術会議は20日、金澤一郎会長の談話を発表しました。
 談話は、行政刷新会議事業仕分けで、基礎科学や科学技術関連の項目について厳しい判定が出ていることに懸念の声も聞こえるとし、中・長期的視野に立った学術研究推進が重要と指摘。科学・技術の成果は多くの研究者の長期にわたる継続的努力の積み重ねであり、多くの研究計画が多数の研究者の議論の積み重ねで作られており、「基礎研究への投資がたとえ短期間であっても大きく減少することは、研究を実際に担う人材の離散を生じる」だけでなく、国際競争力の低下、国家的損失を招くことは明らかだとのべています。
 生物・薬学分野9学会
 生物学や薬学分野9学会の会長と理事長が連名で、19日、政府に若手研究者の育成・支援の強化を求める要望書を提出しました。13日の行政刷新会議による「事業仕分け」で若手研究者の研究費や雇用にかかわる予算を減らすことが求められたのに対し、この判断が日本の科学技術の発展を大きく損なうことを憂慮するとして提出したものです。
 要望書は、民主党が科学技術政策で21世紀のわが国がめざすべきは「科学技術で世界をリードする国」でなければならないとのべていることを指摘。「科学技術を発展させるには、大学院生や若手研究者に希望を与え、その創意性を最大限に引き出すことが何よりも大切」だと強調しています。
 iPS細胞(人工多能性幹細胞)に象徴される先端的研究成果も、大学院生やポストドクター(博士課程修了後の短期雇用研究者)が研究開発の現場を支えている状況であることを説明。仕分けの議論では、こうした現状への認識が正確になされていなかったとのべています。
 そのうえで、若手研究者に対する体系的な育成・支援策を示すこと、大学院生に対し欧米なみまたは現状以上の支援を行うこと、ポスドク等の任期つき研究者をわが国の科学技術の基本的な担い手と位置づけること、定職を得た若手研究者に創意性と自立性が十分発揮できるよう研究支援を強化することを求めています。
 ウイルス学会・細菌学会など
 行政刷新会議事業仕分けで、文部科学省感染症研究国際ネットワーク推進プログラムが「廃止または予算縮減」とされたことを受け、日本ウイルス学会、日本細菌学会など4学会の幹部らが20日、緊急記者会見し、プログラムの継続と発展を強く訴えました。
 ウイルス学会の野本明男理事長は「なくすことは感染症に対するわが国の安全にとって大変問題。海外の研究者との信頼関係の上に成り立っており、一度つぶしたら二度とできず、日本の国際的信用は失墜する」と述べました。
 この事業は、今年度まで5年間実施してきた海外研究拠点形成プログラムの第2期に当たります。国内8大学2研究機関とアジア、アフリカの8カ国12施設とをネットワーク化し、人材交流や共同研究を実施。その実績は国内外で高く評価され、今後、フランス・パスツール研究所の国際ネットワークとの連携も予定しているといいます。
 基礎科学研究団体
 行政刷新会議の「事業仕分け」で次世代スーパーコンピューター開発予算が来年度計上見送りを含む削減を求められた問題で、シミュレーションにかかわる基礎科学の研究者たちでつくる「計算基礎科学コンソーシアム」が18日、緊急声明を発表しました。
 声明は、スーパーコンピューター半導体技術やバイオテクノロジーなど、やがて国民生活につながる最先端の技術開発で役立っているだけでなく、素粒子や宇宙など基礎科学の研究でも重要な役割を果たしていると強調。世界最高性能を持つスーパーコンピューターの開発は、「新たな革新的技術を開拓する原動力であ」るとして、「プロジェクトの遅延無き継続を強く求める」とのべています。
 芸団協
 日本芸能実演家団体協議会野村萬会長、72団体、9万5000人)は18日、「行政刷新会議事業仕分け』に関する意見」を文部科学省に提出しました。
 今回の事業仕分けについて、これまでの文化政策形成を無にするような議論が進められているとし、その仕分け結果を政権としてそのまま採択することに異議を表明。「施策の成果評価が成されていないことを短絡的な理由で一律に廃止・削減を実施することは、日本における文化芸術活動の停滞を招く恐れがあり、拙速である」とのべています。
 オーケストラ連盟
 日本オーケストラ連盟(児玉幸治理事長、加盟30団体)は19日、行政刷新会議が進める「事業仕分け」の「文化への予算」について、文部科学省に意見書を提出しました。
 意見書では、今回の仕分け事業が、まず削減ありきの前提で進められたこと、これまでの文化政策形成を無にして経済効率や数値で示せる成果、効果だけを優先することについて、「世界の通念からも非常識な結論であり恥ずかしい思いさえする議論の結果」と批判しています。
 また、このままでは芸術の質の低下は避けられないとし、「長期的視点に立脚する文化政策ビジョンに基づいた予算編成」となるよう求めています。」
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 JIJI.COM
 時事ドットコムニュース>特集>ドキュメント鳩山内閣>普天間移設、現計画前提とせず
 ドキュメント鳩山内閣
 11事業、500億円を廃止
 政府の行政刷新会議で、2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」を開始する会議メンバーら=2009年11月11日、東京・新宿区の国立印刷局市ケ谷センター【時事】
 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は11月11日、2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」作業を行い、農林水産省所管の「農道整備事業」(要求額168億6700万円)や「里山エリア再生交付金」(84億600万円)など、11事業で約500億円の廃止を決め、初日の作業を終了した。
 仕分け作業は、東京都新宿区の国立印刷局市ケ谷センターの体育館で、三つのワーキンググループに分かれて公開で実施。初日は農水、国交、厚生労働、文部科学各省の所管事業が対象になった。
 農道整備事業については「農道を一般道と区別する意義は薄い」との意見が大勢を占め、森林とこれに隣接する集落を一体的に整備する「里山エリア再生交付金」に関しては、「目的外利用が目立つ」などとしてそれぞれ廃止の結論に達した。このほか、農水省の「田園整備事業」(6億3500万円)、厚労省の「若者自立塾」(3億7500万円)などの廃止も決めた。
 廃止対象以外では、国交省の「下水道事業」(5188億円)など5事業について、「自治体の方が少ない予算で効率的に整備できる」といった理由から地方・民間移管を決定。診療報酬については、開業医と勤務医の年収格差を是正する方向で見直す必要性を指摘したが、診療報酬制度そのものには踏み込まなかった。薬価も見直すとしたが、具体的な方法に言及しなかった。
 ただ、診療報酬明細書(レセプト)のオンライン化のための機器の整備費補助(同215億1800万円)については、内容を再検討するため10年度予算では計上を見送ることで一致した。(2009年11月11日配信)
 刷新会議、仕分け対象決定
 行政刷新会議であいさつする鳩山由紀夫首相(中央)。右手前は仙谷由人行政刷新担当相=2009年11月9日、東京・首相官邸【時事】
 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は11月9日、首相官邸で第2回会合を開き、2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」の対象を決定した。対象は、診療報酬や薬価、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)のうち基地従業員の給与に充てる労務費など447事業。複数の事業をまとめて議論することから、審議項目数で見ると約220件になる。11日から同会議の下のワーキンググループ(WG)が仕分け作業を始める。
 9日の会合であいさつに立った鳩山首相は「聖域なく見直す」と強調。さらに、仕分け対象にならなかった類似事業も見直すよう各省庁に指示した。
 仕分け対象のうち、診療報酬については厳しい労働環境に置かれている勤務医対策に主眼を置く。薬価の見直しは、後発医薬品ジェネリック医薬品)の普及促進が狙い。
 政府開発援助(ODA)、地方交付税交付金、義務教育費国庫負担金、まちづくり交付金、国道や河川・ダムの維持管理費、各省庁が所管する独立行政法人向けの運営費交付金なども仕分け対象になった。
 仕分け作業は、民主党国会議員7人と川本裕子早大大学院教授ら民間有識者56人に、各省副大臣政務官を加え、3グループに分けて行う。第1弾は11~13日と16、17日の計5日間、第2弾は24~27日までの計4日間、いずれも東京・市谷の国立印刷局の体育館で行う。作業の様子は一般に公開され、インターネットでも同時中継される。
 政府は、事業仕分け財務省の査定を通じ、95兆円台まで膨らんだ概算要求額を3兆円以上削減することを目指している。これに関連し、財務省首脳は9日夜、「1兆円は必ず切ってもらう」と述べ、3兆円の目標到達に向け、仕分けで最低1兆円の削減が必要だとの考えを示した。(2009年11月9日配信)」
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 YAHOO!JAPANニュース「なぜ、日本は「ワクチン後進国」なのか? 豊田真由子が思う「理由」と「背景」
 2/6(土) 15:45配信
 豊田真由子
 新型コロナウイルス感染症の収束に向けた鍵のひとつは、ワクチン接種です。しかし、日本の国産ワクチン開発はなかなか進まず(行われてはいます)、そして、購入を約束していた海外メーカーのワクチンは、(当然に予想されたことではありますが)世界で争奪戦の様相を呈しており、新型コロナワクチンが日本国内に入ってくるのは、当初の予定より大幅に遅れることが判明しました。
 【写真】イスラエルではすでに国民の36%が、1回目のワクチンを接種
 こうした中で、「日本は世界有数の科学技術・経済大国であるはずなのに、どうして、国内でワクチンが製造されず、輸入に頼らなくちゃいけないの?国や国内のメーカーは、何をしているの?」というご質問を受けます。
 実は、これには、歴史的経緯に基づく、日本の特異な事情があります。物事は、なんでもそうだと思いますが、「ある特異な状況が生じるには、相応の理由・背景があり、その状況を解決するためには、その理由・背景がなんであるかをきちんと知り、そこから根本的に対応していく必要がある」と思いますので、そこを明らかにしていきたいと思います。
 (※「ワクチンの効用とリスクを考える」(2020年12月4日)も、併せてご参照ください。)
 主な理由として、以下のようなことがあります。。
(1)1970年代からのいわゆる「予防接種禍」の帰結として、国、国民、メディア、メーカー等が皆、予防接種そのものについて消極的になり、国内の開発・製造力が、極めて限定的になった。
(2)新興感染症への対応は、国家の危機管理の問題であり、ワクチンは、国と国民を守るための国防のひとつでもある、という意識が欠如している。
  ◇   ◇   ◇
(1)予防接種禍を受けた流れ
 日本は1980年代まで、世界的に見てもワクチン開発国のひとつでした。しかし1970年代以降、種痘(天然痘)ワクチンによる脳炎や、DPT(ジフテリア・百日咳・破傷風三種混合)ワクチン、MMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹新三種混合)ワクチンによる無菌性髄膜炎など、重篤な副反応の報告があり、ワクチンへの不信感が広まっていきました。
 そして、国の責任や補償について、各地で集団訴訟が相次ぎ、裁判は長期化。結果として、国側の敗訴あるいは和解となり、「予防接種は効果の少ない一方で、副反応が多発するこわいもの」という、正しくない認識が、国民のみならず医療者の間にも定着してしまいました。特に予防接種は、乳幼児を中心にしたものでもあり、保護者の間に、子どもにワクチンを受けさせたくない、という考えが広まりました。
 こうしたことにより、国は予防接種に消極的になり、以降、ワクチン政策はほぼ止まってしまいました。1994年の予防接種法改正により、接種要件が「義務」から「勧奨」接種へと緩和され、接種形態も「集団」から「個別」接種へと、移り変わっていきました。このような状況を受け、それまで世界に先駆けて、水痘や、百日咳、日本脳炎ワクチンなどの開発に取り組んできた日本の製薬業界も消極的となり、国内での新たなワクチンの大規模な開発は、ほとんど行われなくなりました。
 2000年代に入っても、日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)発症やHibワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡事案、子宮頸がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種勧奨差し控え等の事例があり、ワクチンの負の面を強調する報道もあり、国民の不安は増大しました。
 もちろん、実際に重篤な副反応で亡くなった方・苦しむ方とご家族にとっては、本当に取り返しのつかないことであり、甚大な苦しみであり悲しみです。『ワクチン接種によって、重篤な副反応が発生する確率は高くはない(数十万人・数百万人に一人程度)』といっても、ご本人とご家族にとっては、それは『1分の1』、人生のすべてなのです。公的な救済も必要ですし、耐え難い苦しみを、広く伝え、理解を深めていくことも、とても大切です。
 ただ、そのことと、社会全体におけるワクチンの効用を否定することは、やはり、分けて考える必要があります。一般的に、ワクチンを接種することで、一定程度、個人の感染を予防する・重症化を防ぐことができ、公衆衛生の観点からは、ワクチン接種により地域や国で多くの方が免疫を得ることで、感染拡大を抑えることができます。
 ワクチンを接種しなかったことで、「接種していたならば失われなかった命」が失われ、「接種していたならば救えたはずの重症化や後遺症」が生じます。
 我が国では、麻疹、風疹、水痘、おたふくかぜなど「ワクチンで予防することができ、他の先進国では、ほぼ制圧された疾患」の流行が繰り返されています。これを日本人が旅行等で海外に持ち込むため、例えば海外メディアで「日本は麻疹の輸出国」などと非難・揶揄されることがあります。
 これは、「感染症の発生動向を監視し、ワクチンによって感染症をコントロールするという戦略そのものの考え方」の問題ですから、当然、新型ウイルスによる新興感染症への対応についても、この流れが続くことになります。
 2010年6月、新型インフルエンザ(H1N1)パンデミックを受け、専門家による対策総括会議は「ワクチン製造業者を支援し(略)生産体制を強化すべき」と結論付けました。国内のワクチン生産力は著しく衰えていましたので、政府の資金的支援が必要でしたが、実際に行われたことは逆でした。国の研究機関における基礎研究と、民間企業の開発応用を、資金的に橋渡しする財団が、いわゆる『事業仕分け』の対象となり、国として研究開発をサポートする仕組みは機能しませんでした。
 今、日本で新型コロナワクチンが手に入らないことには、こうした経緯・理由があります。したがって、こうしたことを踏まえた上で、では、一体、今後どうしていくことにするのか?
 「ワクチンには、態様・頻度は様々であるが、避けがたい副反応が出ることがある。リスクをゼロにはできない。それでも、ワクチンには、個人・社会の感染を防ぐ、死者・重症者を減らすという重大な効用がある。だから、希望する人がワクチンを使用する。」ということの意味を、改めて、考えるべきときだと思います。
(2)感染症対策のひとつであるワクチンは、国の危機管理の問題
 日本が購入予定の新型コロナワクチンのひとつに、米バイオ企業モデルナのmRNAワクチンがあります。モデルナは、2010年創業、2014年からワクチン開発に参入した新しい企業ですが、新型コロナ禍が発生すると、2020年3月半ばにはすでに臨床試験を開始しました。「ワープ・スピード」を掲げる米政権の後押しを受け、モデルナには米国保健福祉省の生物医学先端研究開発局(BARDA)経由で9億5500万ドルの補助金が出され、米政府は、1億回分を15億2500万ドルで購入する契約を結んでいました。
 これは、新型コロナ禍が発生してからの政権の動きですが、本当のポイントは、それよりずっと前にあります。モデルナは、2013年の段階で、mRNAワクチン等の開発で、国防総省傘下の防衛先端技術研究計画局(DARPA)から、約2450万ドルの補助を受けていました。
 これは何を意味するのでしょう?
 人類の長い歴史を見ても、戦争においては、直接の戦闘によるものだけではなく、飢餓や疾病、特に感染症による軍の被害は甚大でありました。特に、軍が、大きく地域を移動し、「その現地の人々にとっては一般的であっても、当該国の兵士にとっては、免疫を持たない新たなウイルス」に直面した場合、当該軍における感染は急激に拡大します。
 したがって、国防という観点からも、「感染症を如何に防御するか」というのは、極めて重大な問題なのです。(なお近年は、細菌・ウイルス兵器への対応等も求められています。)
 新興感染症対策は、国家の危機管理の問題です。台湾が2019年12月末の時点で、いち早く武漢での新型肺炎の発生を、WHOに報告できたのはなぜか?韓国が、個人のプライバシーも含め、国民に対する国家の強いコントロールが可能になっているのはなぜか。(一般論として、これが民主主義国家として望ましいかどうか、という議論は、もちろんあるわけですが。)イスラエルで、すでに国民の36%(330万人)が、新型コロナウイルスワクチンの接種(一回目)を終えられた(2021年2月5日現在)のはなぜか?
 もちろん、SARS、MERSなどの教訓を踏まえているといったこともありますが、そもそも、これらの国・地域は、それぞれ、中国、北朝鮮アラブ諸国と、極めて高度の緊張関係にあり、国と国民の中に、戦時危機とそのために何をすることが必要であるか、という意識が常にあります。「国と国民の命を守る」ということについて、政府や国民が、常日頃から、どれだけ真剣に考え、具体的に準備をしているかが、反映されているのです。
  ◇   ◇   ◇
 もちろん、どのウイルスのワクチンであれ、ワクチンを接種するかどうかは、最終的に個人の判断に委ねられることです。ただ、今現在も、そしてこれまで長きにわたっても、我が国で、その判断の根拠となる正確な情報がきちんと広く届けられてきたか、また、新型コロナワクチンについていえば、接種を希望する人にとって、必要なワクチンが入手できる状況にあるのか、地域や国の感染拡大を抑える有効な策として、ワクチンが適時に提供されるのか――我が国の現下の状況は、悲惨な状況にあると言わざるを得ません。
 そして、それは決して、今に始まった問題ではなく、歴史的に、ある種の民意の反映として、ワクチン接種に消極的な国とならざるを得なかった、そして、“平和”が長く続いてきた中で、一方で「真に国と国民を守るとはどういうことか、そのために何をしなければならないか」といった根本的な問題について、我が国では、きちんと考えられてこなかった、ということの結果でもありました。
 感染拡大を抑えるために、新型コロナワクチンの接種が、希望する人に、迅速に適切に進められていくよう尽力するとともに、上述したような前提に立って、改めて、個人は、あるいは、国は、なにをどう考えて、変えていくのか(あるいは変えていかないのか)といった議論を、意義あるものとして、進めていくべきではないかと思います。
 ◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。
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 東洋経済
 政治・経済ニューズウィーク日本版
 日本が「ワクチン開発競争に負けた」納得の理由
 あまりに鈍感すぎたこの国の感染症対策
 「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部 2020/11/29 16:00
 日本が「ワクチン開発競争に負けた」納得の理由
 あまりに鈍感すぎたこの国の感染症対策
 「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部 2020/11/29 16:00
 世界のワクチン開発競争に日本が「負けた」理由は……(写真: Graphs/PIXTA
ファイザーとモデルナのワクチン治験が最終段階に入るなか、日本がワクチン開発競争に出遅れたのは必然だった。キーパーソンへの取材で見えてきたこの国の障壁とは。
日本はなぜ出遅れたのか
 新型コロナウイルスのワクチン開発で、日本はなぜ出遅れたのか。開発の先頭集団を走る欧米や中国の製薬企業は臨床試験の最終段階の途上にあり、早ければ10月末にも試験の結論を得て年内承認の可能性もある。対する日本はといえば1社が第1/2段階に進んだが、多くの臨床試験入りはこれからだ。
 当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
 日本政府の姿勢は「海外頼み」に映る。米国のファイザーとモデルナ、英国のアストラゼネカとの間で計2億8000万回分の購入について基本合意に達するか、あるいは交渉を進める。その調達のための、6714億円という巨額の支出はあっさり閣議決定された。
 健康被害の責任は日本側が負うという、海外メーカーの条件も丸のみを強いられた。だが、なぜ最初からそんな不利な状況に追い込まれているのか──。
 国内で開発の先頭を走るバイオ製薬企業アンジェスの創業者、森下竜一と会ったのは9月初旬のこと。森下は医師で大阪大学寄附講座教授でもある。都内のホテルで会うと、諦めと不満を口にした。
 「国産ワクチンを買い取ると政府が先に表明していれば、海外勢から価格を引き下げたり好条件を引き出したりする交渉ができたはずなのに」
 森下は25年近く血管疾患の遺伝子治療に身をささげた第一人者で「アメリカと対等に研究や治療を」という意欲的な研究姿勢を貫いてきた。血管を新生させる因子の遺伝子情報をプラスミドと呼ばれるDNA分子に書き込んで培養したアンジェス遺伝子治療薬は昨年春、苦労の末、国内初の承認にこぎ着けた。
 プラスミドに新型コロナの遺伝子情報を書き込んで開発したのが、アンジェスの「DNAワクチン」だ。「仮に米企業に量産化のめどが立たなければ、日本への輸出を渋ったかもしれない。ワクチンを開発も輸入もできない国は、経済再開の道筋を見いだせない。国の『生死』をワクチンが握る。それほどの戦略物資だ。そう繰り返しているが日本は政府も企業もなかなかピンときていない」
 コロナ禍が始まって10カ月、第2波のピークが過ぎた頃から急に、ワクチンに注目が集まり始めた。「ワクチン賠償 国が責任/海外製薬から調達促進」と見出しを打った記事が日経新聞朝刊の1面トップに出たのは8月20日健康被害の賠償責任を免じることでより多くの供給を海外製薬企業から引き出す、という内容は、来夏の五輪に向け地ならしを急ぐ政府の観測気球と見えた。
 記事は「国内勢も開発中だが実用化は海外勢より遅く量も乏しい見込み」という見立てを前提としていたが、私は何か釈然としなかった。日本の新型コロナの人口100万人当たりの死者数は13人程度。600人以上になる英国や米国、そして100人超のドイツと比べて抑えている。国民の自粛の苦しみがあってこそのことだった。
 ところが今度は、抑え込みに失敗した欧米の製剤を多額の税金で買わされる。なぜこうなったのか。日本に何が欠けているのか、それを知ろうと取材を始めた──。
 モデルナの早期開発の陰に米軍事機関あり
 インタビューを通じて、森下が歯ぎしりしていた相手は、米国だった。「軍が民間と一緒に積み上げてきたものがあって、日本とは全然違う」
 念頭にあるのは、世界の開発競争の先頭を走る米バイオ企業モデルナのmRNAワクチンだ。モデルナは生物学者デリック・ロッシが2010年に創業し、14年からワクチン開発に参入した。新型コロナ禍が発生すると、今年3月半ばにはもう臨床試験を開始していた。
 「ワープ・スピード」を掲げるトランプ政権の支援は桁違いで、モデルナには保健福祉省の生物医学先端研究開発局(BARDA)経由で9億5500万ドルの補助金を出し、1億回分を15億2500万ドルで買い取る契約を結んだ。ただ、ここまではコロナ禍が起きてからの支援で、森下が言う「積み上げてきたもの」は別にある。
 8月下旬、ワシントン・ポストなどがモデルナについて興味深い情報を報じた。ワクチン開発で「ある機関」から2460万ドルの支援を受けていながら、特許申請に際してその報告義務を怠ったという内容だ。ある機関とは、国防総省傘下の防衛先端技術研究計画局(DARPA)。創業3年目の13年の段階で、mRNAワクチン等の開発でDARPAの補助を受けていた。
 その点について森下に問うと、こう答えた。「mRNAワクチンというのは、軍が関与して開発されてきた『お買い上げ物資』だ。派兵地で感染症が起きたらすぐに兵に接種させる」
 確かに4隻もの米空母で集団感染が相次いだのは記憶に新しい。加えて、mRNAワクチンやDNAのワクチンが軍に適しているのには、理由があるのだという。
 森下によればこれらのワクチンでは、抗原タンパク質の遺伝子情報をRNA(リボ核酸)やDNAに組み込んで注射する。細胞内で抗原タンパク質が合成され免疫反応が誘導される仕組みだ。製造過程での感染リスクが低く、遺伝子情報さえ分かれば1カ月前後で開発でき、化学薬品と同じ要領で化学合成を通じて量産できる。ただし投資をすれば、設備には維持管理の経費がかかり始める。
 森下が続ける。「企業側も製造工程を一度つくると、流行がない限り赤字で補助金頼みになる。米軍は毎年数千万ドルをこうしたバイオ企業にばらまき、平時から多様な様式のワクチンを確保してきた。臨床試験の第1、2段階くらいまで進めておけばよく、いざパンデミック(世界的大流行)が起きたら、種の近い病原体のワクチンを応用して最短で大量生産・投入できる」
 確かに、モデルナの創業者ロッシは今春、14年以降、現在までに鳥インフルエンザなど7つの感染症のmRNAワクチンで臨床試験に入っているとメディアの取材に答えている。今回の見事なワクチン供給は、科学者の知性の差というより国家の安全保障投資の差なのだ。
 ワクチンが新幹線や原子力に代わる「武器」に?
 「戦略物資」とする視点から森下は「新たなワクチン同盟圏ができつつある」と予想した。共産党創100年を来年に控える中国はアフリカや東南アジアに次々とワクチン提供を申し出て一帯一路圏への影響力を誇示した。ロシアが臨床試験の終了を待たずにワクチンを承認したのは、経済停滞下での起死回生策と映る。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は中ロ双方に秋波を送るなどしたたかだ。
 「渡航制限を緩和するなら、同じワクチンを使う国から始めるのは合理的だから、そこから世界が改めて色分けされていく可能性もある。同盟国でも、ワクチンを打っていなければ合同軍事演習もできない」
 そう言う森下は日本にはワクチンの戦略が欠けているとみる。「自国分の開発に躍起のアメリカも、物量に余裕ができれば次第に中国と同じことをやり始める。日本もワクチンが増えれば、新幹線や原子力に代わる外交上の武器になるのに」
 次に会ったのは、防衛省防衛研究所の社会・経済研究室長、塚本勝也だ。まだ機密の多いDARPAについて、数冊の専門書の書評を書いていた。塚本はこの組織のルーツが米国の「技術敗戦」の反省にある点から解き明かした。
 「きっかけは1957年のスプートニク・ショックだ。ソ連人工衛星打ち上げの先を越され威信を失ったアメリカは、翌年に前身のARPAを置き、後に軍事に領域を絞ってディフェンスのDがついた。冷戦終結で脅威は核から生物化学兵器に移り、ワクチンの重要性が高まった」
 91 年の湾岸戦争終結後、イラクが生物化学兵器を製造していた痕跡が見つかった。95年に日本で地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は、93年に炭疽菌を屋外で実験的にまいていた。01年の9・11 同時多発テロ直後には炭疽菌を使ったテロで米国に死者が出た。
 危機感を強めた米軍は自らワクチン開発への関与を始める。注目された新しい技術が、RNAやDNAのワクチンだったことは先に触れた。
 「注意がいるのは、従来のワクチンに比べ免疫反応が長続きしない可能性があること。当面の作戦に間に合う期間だけ免疫反応が一時的に上がればいい、という発想がある。そうした軍需由来のワクチンが民生用として適しているかどうか」
 さらに危ういのは、そのワクチンの短期的な成功が軍事以上に国際政治に影響する点だと、塚本は言う。
 「米国が中国の知的財産窃取を問題にするなか、中国が成功すれば国家の沽券(こけん)を示すことになる。これを新たなスプートニクとする見方もある。個人的な見解だが、これと向き合う民主主義の国は、国家の沽券で安全性を犠牲にしていいのか」
 国産ワクチンを「備える」ことの重要性
 軍事・外交上の果実を重くみるほど、ワクチンの安全性への配慮が後景に退きかねない、という警鐘だ。
 ワクチン研究は、芽が出るかどうか見えずとも感染症が来た「その時」に向けて必要不可欠な投資だ。
 現実に死地に兵を送り出し感染症のリスクにさらしてきた米国は、丸損になる可能性を踏まえてもなお、準備に資金を投じてきた。戦争を米国に委ねている日本で、政治はこうした備えへの投資を決断できるのか。
 日本がワクチン開発で出遅れた理由について国立感染症研究所所長の脇田隆字に問うと、こう答えた。「この20年間を振り返れば、新型コロナを含め繰り返し新興・再興感染症が起きているのに警戒感は維持されなかった。『日本はなんとかなるだろう』と。でも今回の反省があって変わらなかったら、よほど鈍感ということになる」
 鈍感だったのは誰なのか。09年に新型インフルエンザが流行した際、麻生太郎政権は海外から大量のワクチン輸入を進めた。後に余ると、同年8月の総選挙で野党に転じていた自民党議員がこれを批判した。
 翌年6月、専門家による新型インフルエンザ対策総括会議は「ワクチン製造業者を支援し(略)生産体制を強化すべき」と結論付けた。インフルエンザワクチンの集団接種がなくなった80年代以降、接種率が低下し、国内の生産力は衰えていたからだ。
 縮小市場に対し、政府の資金的支援が必要だったが実際に行われたことは逆だった。脇田が振り返る。「日本にも国立研究機関における基礎研究と民間企業の開発研究を資金的に橋渡しする厚生労働省外郭の財団はあった。しかし民主党政権事業仕分けでやり玉に挙がってしまった。米国のような研究開発のサポートの仕組みはその後も不十分だ」
 備えへの投資については、自民党民主党も真剣さを欠いていた。将来を見据えるどころか、その場しのぎのパフォーマンスをしていたのだ。
 そして09年にも20年にも、同盟国が戦略物資として融通してくれる、という甘えはなかったか。自国優先主義が跋扈(ばっこ)するトランプ後の世界でもそれで国民を守れるだろうか。現実的に考えてワクチンは万能ではないし、開発を急ぐために安全性が犠牲になってはいないか。
 脇田は国産ワクチンの価値を強調した。「遅いと言われてきたが、早ければ年内には臨床試験に入る。従来でいえばワープ・スピードに近い速さで、安心なワクチンができる。確立された技術を使った開発だから」
 不活化ワクチンを開発中の、明治HD傘下のKMバイオロジクスは早ければ11月から、組み換えタンパクワクチンを開発中の塩野義製薬は年内には臨床試験を始める予定だ。
 「高齢者や基礎疾患がある人には、できるだけ早く届くRNAワクチンやアデノウイルスベクターワクチンを接種してもらう。一方で、新しいワクチンによる未知の副反応を心配する人もいる。そういう懸念があれば、国産のワクチンを使うことができるという選択肢が重要になる」
 ワクチンを避ける人も出るなかで、ウイルスの根絶は不可能だ。それでも対コロナの国家戦略の中で、ワクチンという物資の価値を見定めなければ、備えの欠如に右往左往する愚が繰り返されることになる。
 <2020年10月27日号掲載>
 広野真嗣(ノンフィクション作家)
 1975年、東京都生まれ。1998年に慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神戸新聞社記者を経て2002年に猪瀬直樹事務所にスタッフとして入所、データマンとして活動する傍ら、2007年より石原都政猪瀬都政で東京都専門委員。2015年10月よりフリーランスとして独立。2017年、『消された信仰―「最後のかくれキリシタン」‐長崎・生月島の人々』で第24回小学館ノンフィクション大賞受賞。
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⛩22)─1・A─世界にとってアジアは中国。寿司・和食は中華料理の中に吸収されていく。ドイツ。〜No.45 @ ③ 

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 中国共産党政府の一帯一路構想で、日本の存在感が消えていく。
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 2021年4月14日 MicrosoftNews JBpress「ドイツで日本食の危機、寿司が「中国の食べ物」に?
 © JBpress 提供 ドイツ・ミュンヘンにあるgo asiaの店頭ディスプレイ
 ©JBpress 提供 ミュンヘン市内の従来型のアジア食材店舗
 © JBpress 提供 ドイツの日常に広がる中国で加工された日本食
 © JBpress 提供 go asiaの店内
 © JBpress 提供 「go asia」が扱う国籍別食品の構成比(筆者作成)
 (姫田 小夏:ジャーナリスト)
 ドイツの金融都市フランクフルトでは新型コロナウイルス感染拡大への対応として今なおロックダウンが続いている。そのなかで、住民の数少ない楽しみの1つとなっているのが、食品スーパーへの買い出しである。
 4月上旬、フランクフルトに駐在する瀬良さん夫妻(仮名)は、自宅から車で30分かけて、ドイツ最大のアジア食材のチェーンスーパー「go asia」に向かった。購入したのは、オイスターソースとポン酢、蕎麦などだ。
 海外ではいたるところで現地のアジア系住民を対象にした食材店を見かけるが、ドイツのgo asiaは従来の店とは規模が違う。7000以上のアイテムを揃えるgo asiaがドイツの首都・ベルリンに初出店したのは2009年2月のこと。以来、店舗数を拡大し、現在はドイツ全土で25店舗を展開している。フランクフルトではツァイル通りという目抜き通りで、大々的に営業している。
 go asiaの品揃えは豊富で、米、味噌汁、インスタントラーメンなど日本の定番食品はもちろん、アジア各国の食材や調味料、さらには和食器、茶碗などの生活小物や、電気ケトル、加湿器といった小型家電製品まで取り揃えている。瀬良さん夫妻は「よほどこだわらない限り、go asiaのおかげで食生活に不自由を感じることはありません」と語る。
 ドイツでは、こうしたアジアンスーパーが増えている。go asiaのほかにも中国系資本とおぼしき「フレッシュアジア・遠東超市」(2002年開業)、「開元亜超」(2008年開業)、「打醤油」(2015年開業)などが展開している。特に打醤油は欧州最大のアジア食品通販サイトを運営し、欧州以外にアフリカのモロッコにまで配送を行っている。在独アジア人のみならず、ドイツ市民もgo asiaを利用しており、「開元亜超」に至ってはドイツ人をもターゲットにした戦略を打ち出している。
 国際貨物列車「中欧班列」の影響も
 なぜここ数年の間にドイツの日常にアジアの食材が広まったのか。ドイツ南部の大都市ミュンヘンに16年在住し、日本企業のドイツ進出を支援するKobepublishing社代表の内海志保さんは、「鉄道による商品輸送が本格化したこともあるのでしょう」と語る。
 内海さんが言う鉄道とは、中国発・欧州行きの国際貨物列車「中欧班列」(Trans-Eurasia Logistics、またはChina Railway Express、以下「CRE」)である。
 中欧班列のルートはいくつかあるが、メインルートは、中国の重慶からカザフスタン、ロシア、ベラルーシポーランドを経由して、ドイツ西部の工業都市デュイスブルクまでの全長約1万キロを14~15日で結んでいる。
 第一便が運航を開始したのは2011年3月。2年後の2013年に中国が「一帯一路」構想を提唱してから飛躍的に貨物量が増えた。
 さらに、2020年はコロナ禍で空と海の輸送が一時的に制限されたことを受けて、年間運行本数は前年比50%増の1万2400本に達した(中国メディア「第一財経日報」より)。1日あたりに換算すると34本、すなわち42分に1本の貨物鉄道が中国からドイツに向けて発車する計算だ。取扱貨物量も前年比56%増の113.5万TEU(20フィートコンテナ換算)になったという。これまで中国から欧州への商品輸送は、船と飛行機が主流だったが、そこに「空よりも安価で海よりも短時間」という鉄道が加わるようになったというわけだ。
 寿司は「中国の食べ物」?
 go asiaはアジア各国の商品を扱っているが、店舗は中国色が強い。オープニングの際には獅子舞が躍り、店内には赤い提灯がぶら下げられる。そして、パッケージに中国語が書かれた冷凍食品や加工食品が大量に入荷され、「鍋底」(火鍋のもと)などの調味料が棚にズラリと陳列される。
 そのためgo asiaを訪れる現地の人は、次第に「アジア=中国」というイメージを抱くようになっていく。
 内海さんは次のように話す。「これまでドイツでは、『アジアの食べ物といえば寿司であり、寿司といえば日本』というイメージでした。ところがgo asiaのようなアジアンスーパーで、“なんちゃって寿司”が売られるようになったため、必ずしも寿司が日本とは結び付かなくなりました。ドイツ人にとって、寿司は日本の食べ物なのか中国の食べ物なのかが、だんだん曖昧になってきています」。
 go asiaで取り扱う商品の国別の構成比(ネット販売部門に限る)を調べてみると、アジア12カ国のなかで、中国を原産国とするものがダントツに多く約46%に上る。そして2位が日本の約21%、3位がタイの約12%、4位が韓国の約11%と続く。
 ドイツに住む中華系市民は約21万2000人。在留邦人はそれよりもはるかに少ない4万4765人(2020年、外務省統計)である。在留邦人の割合の少なさ、日本から商品を輸送する際に海を越えなければならない点などを考慮すると、日本アイテムの割合が2位につけているのは、よく“健闘”しているほうといえるだろう。
 しかし残念なことに、ドイツでは日本食の存在感は低い。ドイツ人の“日本産”に対するこだわりもほとんどない。
 内海さんはこう語る。「残念ながらドイツの人たちは日本食を『アジアのどこかの食材』としか見ていないようです」。抹茶もこし餡も中国語のパッケージに包まれた中国産が出回ることで、いつのまにか日本人が好んで食べる食材が「中国の食品」と思われてしまう現象が起きているのだ。
 インドのカレーがそうであるように、食文化は伝播とともに形を変えていくものだ。だが、本家本元の価値が毀損されるのは残念でならない。ぜひとも「本場の味」の実力発揮に期待したいところだ。」
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⛩78)─1─米戦略家らによる樋口 季一郎陸軍中将顕彰銅像建立委員会設立。~No.173 

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 オトポール事件。親ユダヤ派反ヒトラー派の昭和天皇関東軍参謀長・東条英機、満鉄総裁・松岡洋右らによるユダヤ人難民救護。
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 軍国日本の真の敵は、ソ連中国共産党共産主義勢力であった。
 ソ連軍の侵略を食い止めた占守島で攻防。
 ロシア人共産主義者による北方領土4島の不法強奪と日本人(主に女性と子供)虐殺。
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 日本陸軍には、人道貢献や平和貢献を行ったいい軍人もいたが、戦争犯罪を行った悪い軍人もいた。
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 軍隊旗である旭日旗は、人道貢献と平和貢献の象徴であった。
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 2021年4月12日 産経新聞ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立
 ハルビン特務機関長時代の樋口季一郎(樋口隆一氏提供)
 第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。
 設立委員には、南あわじ市の守本憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。
 樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。
 この2年後の40年、リトアニアカウナス杉原千畝領事代理が命のビザを発効しユダヤ人を救った。
 また45年の終戦時、樋口中将は北の守りを固める第5方面軍司令官として、千島列島のシュムシュ島(占守島)や樺太での旧ソ連軍との自衛戦闘を指揮し、「ソ連の北海道への侵攻を阻止した」との再評価が進み、昨年9月、北海道の石狩に記念館が開設された。
 ドイツと防共協定を結び、反対が根強い中、樋口中将は捨て身でユダヤ人難民を救出し、上司だった関東軍東条英機参謀長もこれを不問に付した。樋口中将は、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」に掲載されたが、軍人という理由から、杉原のようにホロコースト(大虐殺)の犠牲者を追悼するためのイスラエルの国立記念館「ヤド・ヴァシェム」から『諸国民の中の正義の人』(英雄)に列せられなかった。
 同委員会は、銅像建立を通じて人道行為の功績を発信したいとしている。
 ルトワック氏は、「樋口は混乱して予測不能の困難な時代に率先して勇気ある大胆な行動を取った。彼に助けられ、戦後、大使や科学者になった者も少なくない。しかし、ヤド・ヴァシェムから英雄に処されていない。いつ、どこにも良い軍人はいた。樋口は広く顕彰されるべきだ」と話している。(岡部伸)」
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 産経新聞iRONNA「関連テーマ 戦後75年、追憶の「大東亜戦争
 戦後75年の節目は、コロナ禍の中で迎えることとなった。コロナ禍も戦後最大の国難とされるものの、やはり先の大戦とは比較にならない。そして戦争そのものは過ちだが、個々人の思いは別だ。75回目の終戦の日。改めて、計り知れない犠牲や苦悩を経て今の日本があることをかみしめたい。
 樋口季一郎の埋もれた功績、ユダヤ人を救ったもう一つの「命のビザ」
 『早坂隆』 2020/08/15
 早坂隆(ノンフィクション作家)
 令和2年は戦後75年という一つの重要な節目である。私はこれまで約20年にわたって昭和史に関する取材を続けてきたが、「日本の軍人の中で今、最も語り継ぐべき人物は?」と聞かれたら、樋口季一郎の名前を挙げたい。
 旧陸軍中将、樋口季一郎の存在を知る人は近年、増加しつつある。樋口の功績を知れば、「こんな人がいたのか」と驚くのは当然のことだろう。令和2年が「没後50年」にあたることもあり、その再評価は着実に進んでいる。
 しかし、一般的に言えば、まだまだ知名度は決して高くない。樋口は戦後社会の中で「埋もれた存在」とされてきたのである。
 昨今、杉原千畝(ちうね)の名前は、かなり知られるようになった。1940(昭和15)年、リトアニア駐在の外交官だった杉原は、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に対して日本通過ビザを発給。約6千人もの命を救ったとされる。戦後、杉原の功績は「命のビザ」として知られるようになり、近年では映画化もされた。
 実は「日本人によるユダヤ人救出劇」はもう一つ存在した。その中心的な役割を果たしたのが、樋口である。
 樋口は1888(明治21)年、兵庫県の淡路島で生まれた。陸軍士官学校陸軍大学校を優秀な成績で卒業した樋口は、対ロシアを専門とする情報将校として、極東ロシアやポーランドに駐在。「インテリジェンス」の最前線で情報収集などに尽力した。
 1937(昭和12)年には満州ハルビン特務機関長に就任。「ソ満国境のオトポールという地に、多数のユダヤ難民が姿を現した」という知らせが樋口のもとに届けられたのは、38(同13)年3月のことであった。
 満州国ユダヤ難民へのビザの発給を拒否していた。当時の日本はドイツと親密な関係にあったが、満州国外交部は日独の友好に悪影響を及ぼすことを不安視したのである。その結果、ユダヤ難民たちは酷寒の地での立ち往生を余儀なくされていた。
 ポーランド在住経験のある樋口は、ユダヤ人問題の存在を深く理解していた。樋口は「人道的見地」から、直ちにビザを発給するよう満州国外交部に対して指示した。
 さらに樋口は、南満州鉄道株式会社(満鉄)総裁の松岡洋右のもとを訪ね、難民を移送するための特別列車の手配を要請した。松岡はこの申し出を受諾した。
 日本側の多くの決断と努力により、ユダヤ難民へのビザの発給は実現した。その後、この「ヒグチ・ルート」を利用して、多くのユダヤ難民がナチスの弾圧から逃れることができた。杉原の「命のビザ」の2年も前の話である。
 この救出劇は舞台となった地名から「オトポール事件」と呼ばれる。このオトポール事件に対しては後日、ドイツ外務省から日本政府に対して正式に抗議が伝えられた。関東軍内でも、樋口に対する非難の声が上がった。
 樋口は新京の軍司令部に出頭。樋口は関東軍参謀長の東條英機に対して、次のように言い放ったという。
 「参謀長、ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめすることを正しいと思われますか」
 東條は「当然の人道上の配慮」として、樋口を不問に付した。
第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(樋口隆一氏提供)
 杉原の功績が広く語り継がれたのに対し、オトポール事件はなぜ埋もれた存在になってしまったのか。それは杉原が外交官であったのに対し、樋口が軍人だったことが最大の要因であろう。
 戦後日本に定着した「日本軍=悪」という偏向した前提の中で、樋口の功績は埋没した。しかし、歴史的評価というのは、あくまでも史実に基づきながら、是々非々で捉えていくべきであろう。
 樋口の功績はそれだけにとどまらない。むしろ以下に語る史実こそ、樋口が真に語り継がれるべき最大の要因とも言える。
 終戦後、旧ソ連軍が千島列島に侵攻。旧ソ連の最高指導者であるスターリンは、千島列島から一気に北海道まで軍を南下させ、釧路と留萌を結んだ北海道の北半分を占領する考えを持っていた。
 このとき、「北の備え」である第5方面軍司令官だったのが樋口その人であった。日本はすでに国家として降伏を受け入れていたが、樋口は旧ソ連軍の侵攻に対する戦いを「自衛戦争」と断定した。
 そして、千島列島北東端に位置する占守島(しゅむしゅとう)の守備隊に「徹底抗戦」を命じた。一時は終戦の報を聞いて、「故郷に帰ったら何をしようか」などと笑みを見せながら話し合っていた兵士たちが、再び銃を取った。
 結果、占守島の守備隊は多くの犠牲者を出しながらも、旧ソ連軍の侵攻を見事に食い止めた。この戦いにおける日本側の死傷者は600~1千人。対する旧ソ連側の死傷者は1500~4千人に及んだ。占守島旧ソ連軍が足止めされている間に、米軍が北海道に進駐。スターリンの野望はこうしてくじかれた。
 この占守島の戦いがなければ、北海道は旧ソ連によって分断統治されていた。日本がドイツや朝鮮半島のような分断国家となる道から救ったのだ。小さな孤島での戦いであったが、日本という国家にとっては極めて大きな意味を持つ戦闘であった。
 にもかかわらず、現在の日本においてその存在は北海道民でさえも十分に認知しているとは言い難い状況にある。このような歴史教育で本当によいのだろうか。
占守島に打ち捨てられた残骸=2017年7月(第11戦車隊士魂協力会提供)
 占守島の戦いを指揮した樋口に対しては戦後、旧ソ連から「戦犯引き渡し要求」がなされた。これをロビー活動によって防いだのは、かつて「ヒグチ・ビザ」によって救われたユダヤ人たちであった。」
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 2017年9月26日 産経新聞「【正論】杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか 新潟県立大学教授・袴田茂樹
 9月初め、露ハバロフスクに近いユダヤ自治州ビロビジャンのユダヤ教会を訪問した。スターリン時代にユダヤ移住地に指定された自治州は、実際は辺鄙(へんぴ)な「幽閉地」で、移住したユダヤ人も殆(ほとん)ど逃げ、人口の2%以下だ。
 教会内展示室には、1940年に「命のビザ」で多くのユダヤ人を救ったリトアニア領事代理の杉原千畝の写真もあった。
 パターン化された歴史認識
 教会の案内人に、では杉原以外にも、38年にソ連満州国境で、ナチスの弾圧を逃れソ連を通過した数千人のユダヤ難民を救った日本人がいるのをご存じかと尋ねたら、全く知らないと言う。
 樋口季一郎中将(1888~1970年)のオトポール事件のことで、彼の名はユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」にも載っている。わが国でも、樋口を知っている人は少ない。露でも日本でも政治により戦前の歴史には蓋がされて、国民にリアルな現実認識がないからだ。このような状況下で、今日また深刻化した戦争や平和の問題が論じられている。
 近年、冷戦期に二大陣営の枠組みに抑えられていた民族、宗教、国家などの諸問題が、国際政治の表舞台に躍り出て、混乱と激動の時代となり、世界の平和と安定の問題が喫緊の課題となっている。
 われわれ日本人がリアルな現実認識を欠き、パターン化した歴史認識のままで、複雑な戦争や平和問題を論じ安保政策を策定するのは危険である。一人の日本人による満州でのユダヤ難民救済事件を例に、歴史認識のパターン化について少し考えてみたい。
 樋口は陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸大卒の超エリートだ。戦前の陸大は東京帝大より難関とされた。1938年のユダヤ難民事件のころ彼は諜報分野に長(た)けた陸軍少将で、事実上、日本の植民地だった満州ハルビン特務機関長であった。同機関は対ソ諜報の総元締で、樋口は日本陸軍きってのロシア通だった。
 捨て身でユダヤ難民を助けた
 38年3月10日、彼は満州ユダヤ組織代表、カウフマンから緊急依頼を受けた。ソ満国境のオトポールにたどり着いた多数のユダヤ人が、満州への国境通過許可がもらえず、酷寒の中で餓死者、凍死者も出る事態になっており、すぐにも彼らをハルビンに通してほしいとの必死の依頼だ。
 当時、日本はナチスドイツと防共協定を結んでおり、ナチスに追われたユダヤ人を満州に受け入れることは、日本の外務省、陸軍省満州関東軍にも反対論が強かった。しかし緊急の人道問題だと理解した樋口は馘(くび)を覚悟で、松岡洋右満鉄総裁に直談判し、2日後にはユダヤ難民を乗せた特別列車がハルビンに到着した。
 案の定、独のリッベントロップ外相から外務省にこの件に関して強い抗議が来た。樋口の独断行為を問題にした関東軍東条英機参謀長は、新京の軍司令部に樋口を呼び出した。しかし強い決意の樋口は、軍の「五族協和」「八紘一宇」の理念を逆手にとり、日露戦争時のユダヤ人の対日支援に対する明治天皇の感謝の言葉なども引き、ナチスユダヤ人弾圧に追随するのはナンセンスだと、人道的対応の正しさを強く主張した。
 樋口の捨て身の強い信念と人物を見込んだ東条は、彼の行動を不問に付すことに決めた。樋口は関東軍や東条の独断専行には批判的だったが、後に「東条は頑固者だが、筋さえ通せば話は分かる」とも述べている。
 リアルな理解が国際政治の基礎
 樋口がユダヤ人にここまで協力したのは、若い頃ポーランド駐在武官として赴任していたとき、ユダヤ人たちと親交を結び、また彼らに助けられたから、さらに37年に独に短期駐在して、ナチス反ユダヤ主義に強い疑念を抱いていたから、といわれる。
 戦後、ソ連極東軍は米占領下の札幌にいた樋口を戦犯としてソ連に引き渡すよう要求した。その理由は、樋口がハルビン特務機関長だっただけでなく、敗戦時には札幌の北部司令官であり、樺太や千島列島最北の占守(しゅむしゅ)島でのソ連軍との戦闘(占守島ソ連軍は苦戦した)の総司令官だったからだ。
 しかし、マッカーサー総司令部は樋口の引き渡しを拒否した。後で判明したことだが、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会が、大恩人の樋口を守るために米国防総省を動かしたのである。
 私たちは、同じように日独関係の政局に抗して数千人のユダヤ人を救い、映画にもなった外交官の杉原は知っていても軍人の樋口についてはあまり知らない。それは「将軍=軍国主義=反人道主義」「諜報機関=悪」といった戦後パターン化した認識があるからではないか。ビロビジャンのユダヤ教会も、遠いリトアニアの杉原は知っていても隣の満州の樋口は知らない。露でも「軍国主義の戦犯」は歴史から抹消されたからだ。
 私は、リアルな歴史認識こそが国際政治や安保政策の基礎だと思っているので、自身も長年知らなかった事実を紹介した。(新潟県立大学教授・袴田茂樹 はかまだ しげき)
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 ウィキペディア
 樋口 季一郎(Kiichiro Higuchi、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵庫県淡路島出身。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。ユダヤ人たちの間で「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。
 経歴
 1888年、淡路島にある兵庫県三原郡本庄村上本庄(町村制後:阿万村、現:南あわじ市阿万上町字戈の鼻)に父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(9人とも言われている)の長男として出生。奥濱家は廻船問屋で代々続く地主であったが、明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残され父・久八の代で没落した。11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られる。
 1901年、三原高等小学校2年終了後、私立尋常中学鳳鳴義塾に入学。1902年、大阪陸軍地方幼年学校を経て、18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子(父・久八の弟・勇次が樋口家の婿養子となり季一郎を勇次夫妻の養子として迎え入れた)になった。1909年、陸軍士官学校(第21期)に進む一方で東京外語学校でロシア語を徹底的に学ぶ。陸軍士官学校を優秀な成績で卒業、陸軍大学校(第30期)を経て、ロシア語が堪能であることもあって、卒業後すぐ1919年にウラジオストクに赴任(シベリア出兵) 。満州、ロシア(ソビエト連邦)方面部署を転々と勤務。1925年、公使館駐在武官(少佐)としてソ連西隣のポーランドにも赴任している。歩兵第41連隊長時代に起きた相沢事件は、直前まで部下だった者が起こした不祥事であったため進退伺いを出した。しかし、上官の小磯国昭に慰留され、満洲国のハルビンに赴任する。
 オトポール事件
 1937年(昭和12年)12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下で3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口(当時陸軍少将)らを派遣した。この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチ党政権下のドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。
 そうした状況下、翌1938年(昭和13年)3月、ユダヤ人18人がドイツの迫害下から逃れるため、ソ満国境沿いにあるシベリア鉄道・オトポール駅(Otpor、現在のザバイカリスク駅)まで逃げて来ていた。しかし、亡命先である米国の上海租界に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、彼らは足止めされていた。
 極東ユダヤ人協会の代表のアブラハム・カウフマン博士から相談を受けた樋口はその窮状を見かねて、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日ユダヤ人への給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施。更には膠着状態にあった出国の斡旋、満州国内への入植や上海租界への移動の手配等を行った。日本は日独防共協定を結んだドイツの同盟国だったが、樋口は南満州鉄道(満鉄)総裁だった松岡洋右に直談判して了承を取り付け、満鉄の特別列車で上海に脱出させた。その後、ユダヤ人たちの間で「ヒグチ・ルート」と呼ばれたこの脱出路を頼る難民は増え続け、東亜旅行社(現在の日本交通公社)の記録によると、ドイツから満州里経由で満州へ入国した人の数は、1938年だけで245人だったものが、1939年には551人、1940年には3,574人まで増えている[3]。ただし、早坂隆によると1941年(昭和16年)の記録がなく、数字のうち少なくない割合でユダヤ人が含まれていると考えられるが、その割合が不明であり累計が2万に到達したかは不明としている。また、松井重松(当時、案内所主任)の回想には「週一回の列車が着くたび、20人、30人のユダヤ人が押し掛け、4人の所員では手が回わらず、発券手配に忙殺された」と記されている。そのほかの証言として松岡総裁の秘書だった庄島辰登は、最初の18人(1938年3月8日)のあとに毎週、5あるいは10人のユダヤ難民が到着し3月-4月の累計で約50人を救ったという。しかし、ドイツへの外交的配慮からか、多数の難民が殺到した際の具体的な人数に関する公的文書は残されていない。[独自研究?]1941年に書かれたKeren Kayemeth Lelsrael Jewish National Fund(KKL-JNF)本部に現存する6冊目の「栄誉の書」には「樋口将軍-東京、在ハルビン極東国家ユダヤ総領事-エイブラハム・カウフマンの銘入り」とその功績が記されている。
 「ヒグチ・ルート」で救われたユダヤ人の数は、総数は最大で2万-3万人であった可能性があるとされていたが、研究が進みほとんどの研究者・ジャーナリストが信じていない。1939年当時の有田八郎外務大臣の公式見解では「80人強」とされている。2万人のユダヤ系難民が救われたとも伝えられていた中で、あまりの数の多さに事件の存在自体を疑問視する歴史家も現れた。この2万人という数字は、樋口の回顧録を出版する際の誤植などから流布したものと考えられている[8]。樋口自身の原稿では「彼ら(ユダヤ人)の何千人が例の満洲里駅西方のオトポールに詰めかけ、入満を希望した」と書き記されていたものが、芙蓉書房版の『回想録』にある数字では「二万人」に変わっており、これが難民の実数検証に混乱をきたす原因になっていると指摘されている。早坂は上記東亜旅行社の記録の多くがユダヤ人ではないかと考え、数千人と推定している。松浦寛は、当時の浜洲線の車両編成や乗務員の証言から割り出された100-200人という推計 を追認している。満鉄会では、ビザを入手できなかった厳密な意味での人数は100人程度と推計しているという。
 樋口がユダヤ人救助に尽力したのは、彼がグルジアを旅した際の出来事がきっかけとされている。ポーランド駐在武官当時、コーカサス地方を旅行していた途中チフリス郊外のある貧しい集落に立ち寄ると、偶然呼び止められた一人の老人がユダヤ人であり、樋口が日本人だと知ると顔色を変えて家に招き入れたという。そして樋口に対し、ユダヤ人が世界中で迫害されている事実と、日本の天皇こそがユダヤ人が悲しい目にあった時に救ってくれる救世主に違いないと涙ながらに訴え祈りを捧げた。オトポールに辿り着いたユダヤ人難民の報告を受けたとき、樋口はその出来事が脳裏をよぎったと述懐している。
 この事件は日独間の大きな外交問題となり、ドイツのリッベントロップ外相(当時)からの抗議文書が届いた。また、陸軍内部でも樋口に対する批判が高まり、関東軍内部では樋口に対する処分を求める声が高まった。そんな中、樋口は関東軍司令官植田謙吉大将(当時)に自らの考えを述べた手紙を送り、司令部に出頭し関東軍総参謀長東条英機中将(当時)と面会した際には「ヒットラーのおさき棒を担いで弱い者苛めすることを正しいと思われますか」と発言したとされる。この言葉に理解を示した東条英機は、樋口を不問とした。東条の判断と、その決定を植田司令も支持したことから関東軍内部からの樋口に対する処分要求は下火になり、独国からの再三にわたる抗議も、東条は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。
 孫の樋口隆一明治学院大名誉教授は2018年6月15日にイスラエルのテルアビブKeren Kayemeth Lelsrael Jewish National Fund本部において「ヒグチ・ルート」で逃れた生存者カール・フリードマン氏の息子から「季一郎氏のユダヤ人コミュニティーに対する前向きな姿勢がユダヤ人救出を可能にした」事により「ゴールデンブック」証書を授与している。
 ちなみに、樋口に関してよく言及される「ゴールデンブック」とは、パレスチナで土地購入、植林、イスラエル国家の境界線の設定などを主な業務とする組織Keren Kayemeth Lelsrael Jewish National Fund(ユダヤ民族基金)が管理する貢献者や献金者の名簿である。
 アッツ島玉砕、キスカ島撤退
 太平洋戦争開戦翌年の1942年(昭和17年)8月1日、札幌に司令部を置く北部軍(のち北方軍・第5方面軍と改称)司令官として北東太平洋陸軍作戦を指揮。1943年アッツ島玉砕、キスカ島撤退(いずれも対アメリカ)を指揮した。キスカ島撤退作戦に際しては、海軍側からの要請に応じ、陸軍中央の決裁を仰がずに自らの一存で「救援艦隊がキスカに入港し、大発動艇に乗って陸を離れ次第、兵員は携行する小銃を全て海中投棄すべし」という旨をキスカ島守備隊に命じ、収容時間を短縮させ、無血撤退の成功に貢献した。
 帝国陸軍では菊花紋章の刻まれた小銃を神聖視しており、撤退成功の後、小銃の海中投棄が陸軍中央に伝わり、陸軍次官の富永恭次中将がこれを問題視したが、富永は陸士の4期先輩である樋口を以前から苦手にしていたため、小銃の海中投棄を命じたのが樋口であると知ると矛を収めたという。
 終戦後、対ソ連占守島樺太防衛戦
 日本の降伏直前、ソ連対日参戦が発生。樋口は1945年8月18日以降、占守島南樺太におけるソ連侵攻軍への抗戦を指揮した。そのため極東国際軍事裁判に際し、スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。
 世界ユダヤ人会議はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救済運動が展開された結果、日本占領統治を主導していた連合国軍最高司令官総司令部GHQ)のダグラス・マッカーサーソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護した。
 戦後
 極東国際軍事裁判で無罪となった樋口は1946年、北海道小樽市外朝里に隠遁。1947年に宮崎県小林市(その後、都城市)へ転居する。1970年に東京都文京区白山に転居し、その年に死去した。墓所は神奈川県大磯町の妙大寺。
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💄69)─1─女性神の神話を消滅させる女性上位、フェミニズム、ジェンダー・フリー、女権主義。〜No.139No.140 ⑮ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本は、現存する最古の単一民族神話(女性神の神話)を表柱とし、日本独自の祖先神・氏神の家・家族神話を裏柱とする、二本の大黒柱を持つ先進国家である。
 が、そこには見えない隠された三本目の形が分からない大黒柱があった。
 日本、日本国、日本民族は、この三本の大黒柱が有ったお陰で数万年前の縄文時代から現代まで受け継がれてきた。
 現代日本現代日本人は、数万年前からの三本の大黒柱は、時代遅れ、現代風ではない、グローバル時代に適さない、もう必要ない、古臭い、偏見と差別の源、として否定し、廃絶しようとしている。
 日本を否定し、毛嫌いし、破壊し、崩壊させ、消し去ろうとする日本人とは誰が?
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 2021年4月10日 MicrosoftNews 47NEWS 全国新聞ネット
 男女格差120位、日本が変わるヒントは? 「ジェンダーと政治」研究の三浦まり上智大教授に聞く
 スイスのシンクタンク世界経済フォーラム」が公表した今年の男女格差報告(ジェンダー・ギャップ指数)で、日本は156カ国中120位だった。政治と経済分野の遅れが目立ち、世界最低水準で低迷している。森喜朗元首相の女性蔑視発言をきっかけに世界に知れ渡った「男性優位」の日本を、平等な社会に近づけるにはどうすればいいのか。「ジェンダーと政治」を研究する上智大の三浦まり教授(政治学)にヒントを聞いた。(共同通信=清鮎子)
 © 全国新聞ネット 三浦まり上智大教授
 ▽停滞
 前回の153カ国中121位から、今回は総合評価で順位を一つ上げたが、経済、健康、教育、政治の4分野全てで順位を下げた。順位は相対的に変動するものなので一喜一憂しても仕方がなく、停滞していることが示されたことが重要だ。
 政治分野は「国会議員(日本は衆院)の割合」「閣僚の割合」「過去50年に女性が首脳に就いた年数」で評価される。日本は議員割合が9・9%、閣僚は10%、首相はゼロ。100点満点換算ではわずか6・1点、順位は147位と低調だ。
   ×   ×   ×
 みうら・まり 上智大法学部教授。ジェンダー平等な政治を目指す団体「パリテ・アカデミー」の共同代表も務める。
 男女格差報告  世界経済フォーラムが2006年からほぼ毎年発表している報告書で、4分野での男女格差を数値化し、順位を付ける。日本の評価は100点満点で換算すると、経済は60・4点、教育は98・3点、健康は97・3点、政治は6・1点だった。総合順位の首位は12年連続でアイスランドフィンランドノルウェーと北欧諸国が続き、4位にはニュージーランドと、女性が指導者を務める国が上位を占めた。アジアではフィリピンが17位、韓国は102位、中国は107位で、いずれも日本より上位となった。」
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 2021年5月号 WiLL「丸川珠代イジメ 暴走するジェンダーフリー
 『男らしさ』と『女性らしさ』──ジェンダーフリーの目的は、日本国家と文化の破壊。リベラル差派は〝性差〟の現実を認識せよ。
 橋本琴絵
 違和感の正体
 丸川珠代男女共同参加担当大臣が選択的夫婦別姓に反対する書状に記名していた事実をめぐり、与野党の攻防が繰り広げられた(令和3年3月3日の参議院予算委員会)。しかし一般的な『政治的議論』とは異なり、同議論には強い違和感を覚えた。
 というのも、社民党福島瑞穂議員が『一般人は(旧姓の)通称使用も難しい』と述べて丸川大臣を非難したが、一方で夫婦同氏が合憲であると判断を下した最高裁の判決(最判平成27年12月16日)には、『夫婦同氏制は婚姻前の氏の通称使用を許さないものではなく婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっている』とあり、すでに通称使用が日本社会で認められているため、あえて夫婦別姓にする社会的利益がないことを合憲の理由に挙げている。つまり、判例も読まずに議員が質問するはずもなく、あえて虚偽を用いて国民を欺(あざむ)こうとする姿勢を野党は示したのである。
 にもかかわず、英BBCは丸川議員の役職に触れた上で夫婦同氏への賛成を『男女平等の実現にあるまじき行為』と非難お加え、本邦各メディアもこれに倣って痛烈に丸川議員を非難した。
 ……
 ジェンダーフリーの弊害
 ここで、冒頭で述べた選択的夫婦別姓ジェンダーフリー論に対する強い違和感の正体に気づく。それは、人間とは最も性差を持つ種族であるにもかかわず、その性差を否定する思想を叫ぶ矛盾があるからだ。これまでの人類の進化とは逆行する現象を政治的分野から解明することは難しいが、人類学の立場から見ると一つの答えがわかる。
 ……
 ……『性差を進化させて自然適応した人間』という進化の本道から外れた亜流、それがジェンダーフリーの正体ではないのか。
 では、こうした亜流に対して政治学はどのように対応していくべきであろうか。
 男性の崇高さと女性の美しさ
 ……
 同様の性差観はわが国にもある。賀茂真淵が『万葉考』で示した古代日本の万葉集にみる『益荒男(ますらお)振り』や、本居宣長が『源氏物語玉の小櫛』で示した平安文字のひらがな使いから見出した『手弱女(たおやめ)振り』にも、その近似性が読み取れるのである。
 こうした保守的観点に共通することは、現実の科学から超越することなく、経験則と矛盾しない範囲で観念を形成している点にある。言い換えれば、私たち人間は現実世界と合致しない超越した概念に違和感を強く覚える。もちろん中には、女らしい男や男らしい女も一定数いるだろう。しかし、そうした存在が人類の発展に影響した経験を帰納的に抽出した概念に安心感を覚え、男らしさと女らしさの強調に共感するのである。私たち人間は、男は外で働き、女は家を守ることに特化した身体を現実として授けられている。人間である以上、人種や民族を問わず、男女には身長差と筋肉量の違いが性差としてあるのだ。まずは、こうした現実を再認識した上で議論を始めなければならない。
 わが国の女性観
 私がイギリスに留学していたとき、さまざまな国の人たちから『日本人の女性観』について聞かされ、話すと驚かれたことがある。
 たとえば私が『日本では法律で生理休暇が認められている』と言うと、イギリス人やフランス人もイスラエル人も日本の先進的女性保護政策に驚愕したのである。中には疑う者もいたので、『労働基準法第68条で生理日の就労が著しく困難な女性に対する措置が認められ、違犯すれば罰金刑となり(同法第120条)、医師の診断書は不要(昭和23年5月5日基発第682号)である』と説明すると、諸外国の女性たちは目を丸くした。
 ほか、日本には女性しか入学が認められない医大があり、未成年者の少女が経済的に購買力を持つことを前提にした少女漫画という市場まであること。また女性が成人すると1万ドル以上の価格の女性専用民族衣装が庶民であっても買い与えられ、出産するとたとえ死産であっても一律4,000ドル以上が国籍・人種・民族・宗教を問わず必ず支給され、おまけに毎週水曜日は映画館で女性は入場料の割引がされる、といった日本の女性諸事情を述べると、世界中の人々がさらに驚愕したのである。
 冒頭で問題となった選択的夫婦別姓が世界各国で採用された事情も、女性が結婚後も生家の氏を名乗る『入婿』という制度がそもそも存在しないための措置であり、わが国では婚姻時に夫婦どちらの氏を名乗ってもいいとする『選択的夫婦同姓』であることを紹介すると、これもまた驚愕されたのである。国際的な視点でみれば、わが国は明らかに女性を大切に扱っている。それは、近代に始まった話ではない。封建体制化においても、同様であったのだ。
 たとえば、喜田川守貞が江戸時代の1837年からわが国の文化風俗を詳らかに記録した『守貞謾稿(まんこう)』(朝倉治彦・柏川修一校訂編集)の第1巻には『幕臣ハ奥様ト稱(しょう)シ(中略)中民以下は御カミ様ト稱ス』という記録がある。武家であれば戦闘行為が本分であるため女性の義務は出産のみとなる。
 したがって、寝室がある家の奧にいるとの意味であり、一方で庶民であれば妻は出産育児に加えて家事や農業商業といった家業を行うため、男性よりも果たすべき義務が多い。現代でも、多くの女性はパートタイムなどで働き、夫の収入不足を助けた上で家事育児の義務を果たしている。そのため、家の中で一番偉い『カミ』の称号を得たのである。
 カミとは、大和言葉で至上を意味する。当時の行政区分は四等官制度といい、長官と書いて『カミ』と読むし、地方行政庁の長であれば『守』と書いてカミと読む。天皇陛下が世の中で一番偉い人であるとの意味が現人神(あらひとがみ)である。女性は、家庭内におけるカミとして扱い、その呼称が現代でも一般に使われているのが日本の実像である。では、こうした女性優遇国において、西欧発祥の女権主義を主張する動機の本質とは果たして何か。
 反日主義としての女権主義
 前述したように、生物学的要因で性差を喪失しているケースもあるほか、単なる西欧に対する憧憬(しょうけい)で『かぶれている』ことから女権主義を叫ぶ場合もあるだろう。しかし、女権主義を掲げてわが国の諸体制に非難を加える動機の本質は、日本人という存在に対する憎悪がその根底にあると本論は分析する。女権主義とは、もともとアルコール依存症の夫や父親から日常的な暴力を振るわれ続けた女性たちの互助から出発した自己防衛の思想である。
 ゆえに、そのような過酷な歴史的背景を社会全体として持たないわが国に女権主義を持ち込むことは、専制君主による過酷な圧政から自分たちの身を守るために発展した革命思想をわが国に持ち込むが如く、そもそも前提を欠く。
 にもかかわず、声高らかに日本の伝統的制度を攻撃する手段として採用されている理由は、結局のところ日本人への憎悪を煽動できれば、それが共産主義であろうとフェミニズムであろうと手段は問わないとする『反日主義』がその根底にあるとの評価を免れないと思料される。単純な話であるが、フェミニストらは女子が現行制度上だと天皇に即位できないこと力強く批判する一方、女性がロ-マ教皇になれないことは決して批判しないのだ。こうした非対称性からも、女性の権利保護の外観作出とは裏腹に、その実態は単なる反日の人種思想であることがわかる。その思想の本性に気づけない浅はかな層が、いま家族解体政策である夫婦別姓(女性は家族ではないと定める女性差別の制度化)を叫んでいるのである。
 そそ悪意は苛烈だ。たとえば、学者は『氏』の概念がまだ存在しなかった古代の戸籍を持ち出して『古代は夫婦別姓だった』と悪質なプロパガンダを発信し、法務省の官僚は明治9年3月17日に発令された太政官指令が『(妻が)夫の家を相続した場合は夫家の氏を称すること』(法令全書明治9年1453頁)と、法律婚で結ばれた夫婦は同氏であることを定めた法令を改ざんした文書を公式ホームページに掲載し、夫婦がお互いに相続権を持たない内縁関係の規定を持ち出して『明治初期は夫婦別氏だった』と国民を欺罔(ぎもう)する反日活動をしている有様だ。これは過去の話ではない。『現在』の話なのである。
 わが国の歩むべき道
 冒頭で述べた丸川珠代議員への個人攻撃につき、夫婦の氏の在り方について丸川議員は次のように答弁した。
 『家族の一体感について議論があって、これは家族の根幹にかかわる議論だなという認識を持った』
 これは、的確な分析である。そもそも氏とは、不動産登記制度がなかった時代、物権を証明する目的で名乗られた。たとえば、源義重上野国新田荘(現在の群馬県大田市桐生市周辺)を開墾して田畑にすると、以後は新田義重を名乗り新田氏の祖となったのである。古来、日本は公地公民制といってすべての土地人民は天皇の所有とされていたが、743年に墾田永年(こんでんえいねん)私財法が施行されると、物権が法的に認められるようになり、以後、開発した土地を名田(みょうでん)と呼び、名田を多く実効支配した者を大名(だいみょう)田堵(たと)と呼び、後世の紛争に勝ち、より多くの名田を得た者を守護大名と呼び、この中から島津氏のような戦国大名、そして江戸時代の大名に成長した氏が出現したのである。
 名田の開発は、浮浪者などを大量に集めて開墾した例もあるが、夫婦が共同作業で荒地を開墾し、子供たちに相続させた。血縁集団から分離して新しく結成された『家族』の最小単位が夫婦であり、その生活基盤を必要としたため、夫婦が共同して開墾した名田の名称を自らの『名字』すなわち氏とし、また自らの名を土地の名称としたのである。したがって、757年に施行された養老律令の戸令第23条の応分条では、法律婚で結ばれた嫡妻(ちゃくさい)の法定相続分を定め、任意の男女関係である妾との区別を法制化している。夫婦同氏とは、まさに男女共同参画の歴史を持つ我が国の誇らしい歴史と家族観をあらわしている。念のため、ここで『姓』と『氏』の使い分けについて解説しておく。筆者は橘朝臣(たちばなのあそみ)橋本琴絵という。『橘』を本姓(ほんしょう)、『朝臣』を八色(やくさ)の姓(かばね)といい、血族を表し生涯変更されない。橋本が『氏』であり、家族を表す婚姻や養子縁組で変わる。そして琴絵が『個人名』。これが日本の伝統である。
 仮に夫婦別氏が施行されれば、中世のように『女性の身分が低い』などといって、女性とその女性が産んだ子に同じ氏を名乗らせることなどが容易に想像つく。こうした非民主的な残滓(ざんし)を否定するため、明治以降は同氏を徹底したのだ。女性の権利を守るためにも、夫婦同氏は絶対に守らなければならないのいである。ここで重要であるから繰り返し強調するが、反日主義者の目的とは、我が国の家族制度の解体であり、究極的には皇室の解体を視野に入れていることは一目瞭然だ。そもそも、夫婦別姓とは中韓の伝統である。これを日本人に適用される狙いは人種差別的動機があるからに他ならないと本論は指摘する。
 反日とは、もはやそれ自体が宗教である。過去から現在まで多くの宗教が科学と対立する教義を信仰し続けてきたことと同様に、科学文明に属する我が国へ挑戦をしているのだ。宗教とはその人の行動原理を決定づける信仰であるから、必ずしも神の存在や精霊の類を必要としない。『性差の否定』とは科学を否定する宗教である。その宗教の究極的目的は、『人間性』を取り入れたわが国の法体系と文化の破壊にある。
 現代における戦争・紛争とは必ずしも可視化されるものではない。わが国は形而下の物理的な侵略に対抗するための防衛組織を現状持たない。だからこそ、丸川議員に対する執拗な個人攻撃とした『端緒』を決して見過ごすことなく、国民が一丸となって、わが国の伝統と存立を守り抜く強い意志がいま求められるのである。」
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 西洋と東洋は違い、東アジアと南アジア・東南アジアは違い、日本と中華は違い、日本人と中国人・朝鮮人は違う。
 日本民族は、縄文人と弥生系渡来人など漂着した雑多な人々と乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血の雑種であり、近代的民族として誕生したのは明治以降でそれ以前には存在しなかった。
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 日本人と言っても、江戸時代と、明治・大正・昭和初期(1945年)と、昭和中期・後期と、1980年代後半以降の昭和最晩年・平成時代とでは別人のように違う。
 特に、リベラル派戦後民主主義世代は違う。
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 敗戦後の戦後民主主義は、女性神の神話を、非現実的非科学的と断罪し、人を毒すと認定し、天皇主権・皇国史観愛国心に正統性を与え民族主義を生みだすとして否定し、日本に戦争をもたらす諸悪の根源として社会から抹消した。
 そして、日本人から民族的な歴史・伝統・文化・宗教を「悪」として奪った。
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 縄文土器土偶の大半が妊娠した女性であった。
 新たな命を生みだす出産は、命を奪う産後死と隣り合わせであった。
 ウィキペディア
 伊邪那美命(いざなみのみこと、伊弉冉伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)は、日本神話の女神。伊邪那岐神伊邪那岐命伊耶那岐命・いざなぎ)の妻。別名 黄泉津大神道敷大神。皇室の先祖である。
 火の神軻遇突智迦具土神カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。そして、カグツチイザナギに殺された。

 名前の由来
 「イザナ」は「誘う」の語幹、「ミ」は女性を表す語とする説、また名前の「ナ」は助詞とする説がある。
 別名の黄泉津大神(よもつおおかみ)は黄泉国の主宰神の意、道敷大神(ちしきのおおかみ)は(黄泉比良坂でイザナギに)追いついた神という意味である。このようにイザナミの神名からは多様な性格が読み取れる。また、比較神話学の見地から見るとイザナギイザナミ神話は各地の様々な神話を組み合わせて形成されたと考えられている。
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 火の神・軻遇突智
 信仰
 771年(宝亀2年)に創祀されたとされる火男火売神社(大分県別府市)は別府温泉の源である鶴見岳の2つの山頂を火之加具土命、火焼速女命の男女二柱の神として祀り、温泉を恵む神としても信仰されている。
 秋葉山本宮秋葉神社静岡県浜松市)を始めとする全国の秋葉神社愛宕神社、野々宮神社(京都市右京区、東京都港区、大阪府堺市ほか全国)などで祀られている。また島根県安来市の意多伎神社(おだきじんじゃ)もこの神との関連の指摘がある。 
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 日本人女性は、縄文時代では神・太陽であり、弥生時代では神に仕える巫女・呪術を操るシャーマンであった。
 古代の日本人女性は、神・太陽であって悪魔崇拝の魔女・闇の住人ではない。
 霊力・霊感が強い女性を粗略に扱う・虐待する・強姦する・殺害すると、呪われ、祟られ、悲惨な死に方をして地獄に落ちると怖れられた。
 日本人女性とは、世にも怖ろしい怨霊・亡霊・幽霊・夜叉・毒母・鬼女・荒魂・荒神・死であり、世にも有り難い御霊・慈母・菩薩・和魂・和神・生であった。
 つまり、生死を司っていたのが日本人女性であった。
 それ故に、日本民族最高神は女性神であった。
 その女性神を民族中心神話・血の神話で具現化したのが、天皇家・皇室の祖先である天照大神伊勢神宮内宮の祭神)で、日本各地に数多くの王国があってもヤマト王朝のみが現代に至るも万世一系として不変なのはその為である。
 高天原神話とは、最高神は女性神という、女性上位、女尊男卑、女性優遇の神々による物語である。
 日本民族国家とは、太陽の女性神に忠良な下僕として傅く神話の国であった。
 縄文人弥生人は、太陽の女性神と同時に山野の大地母神を崇め、そして「蛇」を神聖な生物(龍王の化身)として怖れた。
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 女性神が統べる神話の国(神の国)を流血で滅ぼそうとしたのが、中華皇帝以外を認めない中華儒教、唯一絶対神の信仰以外は認めないキリスト教、人民正義と反宗教無神論マルクス主義共産主義社会主義、左翼・左派)であった。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力そして民族力・民俗力が乏しいか、まったく「ない」かである。
 その傾向は、グローバル教育を受けた高学歴の知的エリートと進歩的インテリに強い。
 彼らは、有言不実行の口先だけの人間であって、有言実行もしくは不言実行の行動する人ではない。
 民族の伝統・文化・宗教のない現代日本人には歌心もなく、西行法師の「何事の おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝)という和歌に込められた心情は理解できない。 
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 現代の日本人と昔の日本人は別人の日本人であり、日本民族と日本人は同一ではない。
 昔の日本人は「神を尊び、仏を敬う」崇拝宗教(信仰宗教とは違う)の徒であったが、現代の日本人は「神殺し・仏殺し」のキリスト教儒教マルクス主義的反宗教無神論者、反天皇反日的日本人である。
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 日本民族らしい日本人(右翼・右派・ネットウヨクとは限らない民族主義者)が2割、日本民族かどうだか分からない日本人(個がなくアイデンティティーがハッキリしない)が5割、日本民族でない日本人が3割(左翼・左派・ネットサハと彼らに同調・共感・共鳴するリベラル・保守の一部)。
 現代の日本人と昔の日本人とでは別人のような日本人である。
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 人は、人種や民族ではなく、生まれ育った住環境(自然、国家、社会、地域共同体、隣近所、家族)に合わせて生長する。
 日本民族は、良い悪いに関係なくその傾向が特に強い。
 郷に入れば郷に従うとして朱に染まり易い、つまり煽動されると単細胞的に無判断で洗脳され易い。
 それが、陰険にしておぞましい同調圧力・場の空気・空気圧である。
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 日本国とは、日本書紀古事記、民族中心神話、血の神話、天皇神話に基づく八百万の神々の御座す神話の国・神の国である。
 日本国・日本民族最高神は、伊勢神宮の主神で太陽の化身と具現化・顕在化された女性神天照大神である。
 太陽光が日本列島を明るく照らしているように、女性神天照大神の神徳が日本国と日本民族を温かく包んでいる。
 天皇の陰徳とは、女性神天照大神の神徳と歴代天皇の皇徳の事である。
 随神(かんながら)の道とは、女性神天照大神に面を上げ浄く正しく美しく向かう道であり、女性神天照大神が発する神の光を受け神の道を邪な心を抱かず挫けず踏ん張って歩む事である。
 何故か、それは日本列島が自然災害や疫病・飢餓・戦乱が絶える事がない生きるには過酷すぎる住環境だからである。
 日本民族は、地獄のような無慈悲で容赦のない残酷な日本であるがゆえに、生きる為に闇の中で一条の光・一縷(いちる)の望みを求めた、そして生まれたのが冬から春に代わる季節、嵐から晴天に代わる天気を象徴する太陽であった。
 日本民族は、太陽を御天道様と拝み、太陽を御上として尊んだ。
 日本国・日本民族を救い癒し励ます事ができるのは、最高神・女性神を崇拝する思想や哲学であって否定する信仰宗教やイデオロギー・主義主張ではない。
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 日本民族の思考とは、現実主義的経験と理想主義的観念そして理系論理・合理と文系事実・事象の均衡である。
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 日本の歴史・伝統・文化・宗教は、全て、例外なく、民族中心神話・血の神話に繋がっている。
 民族中心神話・血の神話とは、最高神である女性神天照大神を源とする血筋・血統を唯一・神聖不可侵の正統とする万世一系の男系父系物語である。
 全ての男神は、女性神天照大神を主神として仕え、神格として未熟で感情に流される短慮・浅はか・愚かな若い天照大神が随神(かんながら)の道を逸脱すれば叱り諭し改心させ正しい神の道に復(えら)かせる事を重責としていた。
 それが、天の岩戸神話であり、光(生)から闇(死)そして光(生)への生き変わり・生まれ変わり・蘇りの生命流転物語=霊魂再生物語=永遠の命物語である。
 女性神天照大神は太陽の化身で、日本民族は太陽神(御天道様)崇拝者であった。
 それ故に、日本民族は女性神天照大神の血を正統に受け継ぐ天皇を「御上」と尊称し、御上の詔を有り難く拝聴し、詔に従って身を慎み行動する。
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 日本国は、唯一正統な女性神が統べる国であり、正統性男系父系天皇は主宰者・女性神は血筋を根拠に日本統治を委託された。
 大家族主義である八紘一宇で覆う威徳とは、女性神天照大神の神徳であって、人である天皇の権威ではない。
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 正当性女系母系天皇擁立とは、血筋・血統を正統とする民族中心神話・血の神話における女性神天照大神の主権を否定し消滅する事である。
 国民世論の70%以上が、神聖・無欲・無私な血筋・血統の正統性男系父系天皇から俗世・俗欲・私欲な役職・皇統の正当性女系母系天皇への変更を望んでいる。
 つまり、マルクス主義価値観・儒教価値観による「神殺し=女性神殺し」である。
 現代の日本人は、必ずしも日本民族と同一とは限らない。
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 女性神が統べる神話の国(神の国)日本国は、誤解され理解されず、味方をしてくれる国もなく、助けてくれる相手もなく、擁護してくれる人もなく、日本民族は一人孤独に命を犠牲にしながら守ってきた。
 国體護持とは、天皇・皇室の先に御座(おわ)す女性神天照大神を守る事であった。
 日本民族は、自然と伊勢神宮明治神宮を参拝する。
 が、本当の敵は日本国内に巣くっていた。
 その敵は、あいちトリエンナーレ2019で姿を見せ、多くの日本国民は非難・批判せず追認した。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、子供や女性らの日本人を奴隷として売り買いしていた。
 日本人を奴隷として売って金を稼いだのは、同じ日本人である。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
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 荻原井泉水(明治17{1884}年~昭和51{1976}年)「天を楽しむとはさ、天より自分に与えられたことを凡(すべ)て楽しとして享受することである。……雨がふるならば、その雨もまた楽しとする気持ちである。禅の言葉に『日々(にちにち)これ好日』という。この心境である。考えてみるまでもなく、今日、ここに私というものが生きて息をしていること、このことだけがすでに大きな天の恵みではないか。……人間はたえず成長していなければならない……70になっても、80になっても、成長しているべきものだ。長寿ということは、即ち生長ということなのだ。生長なき長寿はナンセンスである」『益軒養生訓新説』
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは神々の領域・神域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。あった。
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 2021年4月4日号 サンデー毎日五木寛之のボケない名言
 津波てんでこ  ──三陸地方の伝承
 『自己責任』の重さとつらさ
 10年を過ぎても東日本震災の記憶は消えない。天災か人災か、今後も長く議論されることだろう。
 『津波てんでこ』
 という言葉が、深い悔恨(かいこん)とともにふたたび語られた。三陸地方に言い伝えられてきたという、古人の戒めである。
 激烈な災害時に、家族、知人、近隣の人びとの安否を気づかうのは、人情というものである。相互扶助の心なくしては人間社会は成りたたない。しかし、おのれの脱出よりも他者の安全を気づかうあまりに、もろ共に犠牲になった人びとの数も少なくなかった。
 『てんでんこ』とは、『それぞれに』『各自の判断で』行動せよ、という深い体験からの言い伝えである。
 それは無闇とお上の指示にしたがうだけでなく、自己判断で行動せよ、という庶民・大衆の覚悟ではないかと思う。
 私の郷里である九州でも、同じような表現があるのが不思議だ。『てんでん勝手にやればよか』などと言う。その『てんでん』には、自由気ままに、ではなく『自己責任において』というニュアンスがある。
 東北と九州で同じ方言が残っているのは、不思議なことだ。
 仏教でいう『自利利他』の教えが残っているのだろうか。いや、重い体験からの民衆の智慧かもしれない。痛みを乗りこえての名言であると思う。」
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
 日本は、異種異文の朝鮮や中国を差別して排除し、同種同文に近い琉球人とアイヌ人を同化させた。但し、特権を有していた高級知識階級の久米三十六姓は区別し差別した。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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