⛩84)─1─神道と仏教各宗派は、靖国神社などで戦没者慰霊の法要を行う。〜No.185No.186 ⑯

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 2019年11月14日 産経新聞「宗派超え戦没者慰霊 靖国神社などで法要
 宗派を超え、靖国神社の拝殿で行われた先の大戦戦没者の慰霊法要=14日、東京都千代田区(小林佳恵撮影)
 先の大戦戦没者を慰霊するため、国内各宗派の僧侶らが14日、東京都千代田区靖国神社千鳥ケ淵戦没者墓苑で法要を執り行った。宗派を超えて僧侶が集まり、神社で法要を行うのは異例という。
 法要は、世界連邦日本仏教徒協議会と関西宗教懇話会が主催した。5回目の今年は、天台宗真言宗など仏教各宗派と神道の15団体約120人が参加。神社拝殿で行われた法要では般若心経を唱えて犠牲者の冥福を祈り、その後、僧侶らが本殿を参拝、玉串をささげた。同協議会の叡(え)南(なみ)覚(かく)範(はん)会長は「国のために命をささげて亡くなった方々に対する感謝の気持ちを込めた。これからも続けていく」と語った。」
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 靖国神社は、ロシアの日本侵略から天皇と母国を守る為であった。
 ロシアの日本に対する侵略の脅威は、1700年代後半、江戸時代後期の期田沼意次松平定信から存在していた。
 明治維新は、ロシアの侵略から如何にして天皇と母国を守るかという国防論から始まっていた。
 つまり、尊皇攘夷の敵国とはイギリスやアメリカではなくロシアであった。
 吉田松陰らは、日本を守る為に北海道や東北地方を検分の旅を続けていた。
 アイヌ人達が住む蝦夷地(北海道)や北方領土四島は国防の最前線で、徳川幕府は国土防衛の為に東北諸藩に派兵を命じていた。
 東北諸藩が戊辰戦争で官軍の大敗した要因は、兵士(総兵力数千人)と軍資金を北辺防衛に振り向けていたからである。
 軍国日本は、ロシアに対する自衛戦争・防衛戦争を邪魔する清国(中国)を日清戦争で撃退し、ロシアを利用して日本を滅ぼそうとする朝鮮を日韓併合で消滅させた。
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 反天皇反日的日本人とキリスト教や反宗教無神論マルクス主義共産主義)、中国、韓国・北朝鮮などは反日外国勢力は、天皇を否定し靖国神社を廃絶するべく行動している。
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 靖国神社には、明治・大正・昭和の歴代天皇と皇后そして東条英機松岡洋右A級戦犯達が行った歴史的人道貢献が詰まっている。
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 朱子学が強くなった日本儒教は、日本人の心・精神そして日本社会での神道の影響力を弱める為に、宗教性の薄い国家神道を人工的につくり、誰も異義を挟まないように天皇の勅命で広めた。
 その象徴が、靖国神社であった。
 廃仏毀釈、神社合祀令、国家神道教育勅語軍人勅諭、近代教育そして大日本帝国憲法も、忠君愛国による軍国日本も、その中心に存在するのは朱子学儒教であった。
 朱子学儒教が、天皇を悪用して日本を儒教化した。
 それは、聖徳太子聖武天皇菅原道真空海最澄織田信長徳川家康本居宣長ら先人達が忌避した儒教社会であった。
 明治維新朱子学儒教国家を作ろうとした元勲・元老・重臣達は、下級武士、足軽・小者、庶民など身分低い卑しい者達であった。
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 狂信的過激的な尊皇派・勤皇の志士は、下級武士、賤民、部落民、芸能の民、貧しい庶民達であった。
 旗本などの上級武士は、天皇中心国家には不同意であった。
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 日本儒教とは、異端派の論語儒教であって、朱子学による正統派中華儒教ではなかった。
 朝鮮が日本を毛嫌いし差別し蔑視したのは、日本が官学・朱子学と私学・陽明学及び諸派であったからである。
 つまり、神道・仏教・儒教の多様価値観による日本文明圏で儒教の絶対価値観である中華文明圏を拒絶していたからである。
 日本と中国・朝鮮は、根本から相容れない関係にあった。
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 日本が、中国・朝鮮に接近して友好・善隣を求める事も、中国大陸や朝鮮半島に侵出する事も、全ての結果は悲劇・悲惨・不幸で終わる。
 それは、縄文時代弥生時代から分かりきった事である。
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 国家神道とは、民族の祖先霊と国家を守る為に死んだ英霊に感謝の念で拝礼する事であって信仰ではない。
 靖国神社の拝礼は、正殿の内では正式な神道祭祀が執り行われたが、正殿の外は無宗教で仏教・キリスト教イスラム教など全ての宗教が独自の拝礼を行う事ができた。
 つまり、靖国神社無宗教汎神論であった。
 それ故に、靖国神社に祀られている祭神は、人種・民族、出自・身分・階級・階層、職業、男女年齢に関係なく犬・馬・鳩など天皇の為・国の為に死んだ全ての生き物が祀られ、神道・仏教・キリスト教イスラム教・カルト的新興宗教などの宗教・信仰も関係なかった。
 生前の私的個人的な哲学・思想・主義主張も問わない。
 死ねば全員が、差別なく、偏見なく、公平に、平等に、仏として懇ろに葬られ、神として手厚く祀られた。
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 靖国神社に祀られる条件は、天皇の命令もしくは天皇の為に命を捧げた全ての生き物である。
 よって、戦後の国民主権主権在民アメリカ製日本国憲法下で死んだ日本人は、天皇の命令による死ではない為に靖国神社には祀られない。
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 戦前と現代では、死生観・生命観・宗教観などは正反対に近い程に違う。
 戦前までの日本人は死ねば、天皇の御名によって靖国神社で貴い人で尊い死であったと認められ神として祀られ、日本民族日本人・琉球人・アイヌ人その他(外国人)から顕彰され、現・日本天皇・皇室が存在する限り生きて死んだ記録が残り続ける。
 戦後の日本人は国家・政府の命令で死んでも、単なる不幸な事故死として処理され、日本国民から無駄な死であったとして見捨てられ、生きて事さえ忘れ去れ、魂・霊魂は無に帰して消滅する。
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 靖国神社には明治維新で死んだ、官軍兵士が祀られ、幕府側・佐幕派の戦死者が祀られていないのは当然の事である。
 幕府側・佐幕派の戦死者が賊軍だから祀られないのではなく、天皇の御名・天皇の命令で死んでいないからに過ぎない。
 幕府側・佐幕派の戦死者は、所属した藩があった各県にある護国神社に祭神として祀られているが、日本国民がそれを認めず粗略に扱っているだけである。
 天皇・皇族は、神の裔・祭祀王として全国の護国神社を訪れれば拝礼する。
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💄3)─1─『万葉集』は不倫・老いらくの恋・同性愛などのエロスの宝庫。~No.5No.6No.7 

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 現代日本人は歴史力がないだけに、本当の歴史が見えないし、見えても理解する事が出来ない。
 つまり、現代の常識に凝り固まって融通性のない現代日本人は歴史に関して無能に近い。
 そして、人間性や感性においても昔の日本人に比べて現代日本人は劣っている。
 キリスト教価値観・マルクス主義価値観・中華儒教価値観などは無用の長物で何ら役に立たず、その中でも特に人民から見た共産主義史観は「百害あって一利なし」である。
 その元凶は、ある意図のもとに歪曲・改竄・捏造された現代の歴史教育である。
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 2019年11月21日号 週刊新潮天皇がナンパ? 不倫に老いらくの恋!
 『万葉集』 エロスの宇宙
 『令和』を生んだ『万葉集』では、雅な花鳥風月ばかりでなく、色恋が多くうたわれているのをご存知か。古代の天皇のナンパから人妻の不倫、老いらくの恋まで。大嘗祭で改めて新元号が注目される中、最古の和歌集に収められた知られざるエロスの宇宙をご堪能あれ。
 『万葉集』の特徴はエロにあり──。
 断言するのは、古典エッセイストの大塚ひかり氏である。
 元号の出典が初めて国書となったことから注目された『万葉集』。言うまでもまく、8世紀後半に編まれた約4,500首もの歌を収めた、現存する日本最高の和歌集である。
 『もともと固有の文字を持たなかった日本は、中国の漢字を使って「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」を記してきました。勢い中国の文物の影響を受けざるを得ないわけで、「浦島太郎」など日本固有と思われがちな昔話も、実は中国の古典や仏典などにルーツがあったりします。そんな中で「万葉集」に日本独自なものがあるとすれば、エロなのです』(大塚氏、以下同)
 中国の漢詩は恋歌が少ないことで知られているが、『万葉集』は異なる、という指摘です。
 『大半は恋歌と言ってもいいでしょう。未婚男女の恋歌、人妻への恋歌、老いらくの恋にBL、つまり男同士の恋まで、あらゆる形の恋がうたわれています』
 近著『エロスでよみとく万葉集 えろまん』で、そうした歌の数々を現代語訳した大塚氏に一番エロスを感じる歌を選んでもらうと、
 『一押しは、上総にいた女性、珠名娘子(たまなおとめ)をうたった歌です。彼女はスタイル抜群で、ちょっと歩くと、男がフラフラついてくる。隣の旦那なんて、頼まれてもいないのに妻と別れて家の鍵まで渡したと。美人で、それでいて〝みだら〟という、男性からすると理想の女性かもしれません』
 大塚氏による訳で、実際の歌をみてみよう。
〈千葉の南部の珠名は巨乳の女。腰くびれたナイスボディのいい女。きらきらと輝く姿で、花のようにほほ笑んで立てば、道行く男は自分の行くべき道を行かず、呼んでもいないのに門まで来る。隣のダンナはあらかじめ妻と別れて、くれとも言われていないのに家の鍵まで渡してしまう。皆がこんなに骨抜きになるもので、女は体をくねらせ寄りかかり、みだらにしていたのだった〉(巻第9・1738)
 『万葉集』には、和歌が完全な七五調になる以前の長い歌も多々収められており、これもその1つ。あたかもラップのようだが、この歌にはこんな長歌長歌のあとに添えられた短歌)がつく。
 〈門口に男が来ると、夜中でも構わず出てきてセックスしてくれる〉(巻第9・1739)
 この歌から複数の男と関係を持っていることが分かる。一体、どんな女性だったのか。
 『彼女は遊女だったという説があります。当時の有名な遊女は、今で言う芸能人のようなもので、大貴族と歌を詠み合うこともありました。歌舞音曲に秀で、知的な遊女の地位は、室町幕府くらいまで高かったようです。もっとも、一般の女性だった可能性もあります。そういう女性の歌が堂々と国民歌集に載っていることが驚きです』
 また、この時代には意外にも『人妻ブーム』が起きていた。そのことを示すこんな歌もある。
 〈人妻にあんで触れちゃなんねぇだべ?そんだら隣の着物を借りて着ないっちゅうべ?〉(巻第14・2472)
 大塚氏の解説では、
 『隣の着物は借りるんだから、人の妻だって借りてよかっぺ、という発想です。これは都ではなく東日本でうたわれた東歌(あずまうた)という歌で、実際にどの地でうたわれたかは判りませんが、原文の読み下し文もギクシャクした印象で、なまっています。それだけ原型に近いのでしょう。』
 当時、着物は貴重品。必要な時にあわせて隣近所で貸し借りしていたのかもしれないが、だから妻も、とは驚くばかりだ。
 〝一夜で何度?〟と訊かれ
 『万葉集』には、『ひとづま』が15例うたわれており、そのうちの1つは『ひとの夫』を指しているが、残り14例が『妻』の歌。性にまつわる内容がほとんどだという。
 『この時代には中国から律令制度が導入されています。それまでは人の妻とセックスしてもさしたる重罪ではないという感覚だったのが、突如、法律で罰せられることになった。その驚きからにわかに〝人妻〟へと注目が集まったのでは』
 こんな歌もある。
 〈人妻と俺も交わる。俺の妻に皆も言い寄れ。この山を治める神が昔から認めた祭だ。今日だけはつらいことでも目をつぶり、何も咎めいなでくれ〉(巻第9・1759 長歌の一部)
 人妻との行為は山の神様からのお墨付きだったということになる。山の神は多産の神。山での性行為は豊穣を祈ることとイコールで、当時の人々が性を重要視していた表れだったと大塚氏は見ている。
 〈その籠、ナイスだね。スコップもセンス抜群だね。超おしゃれな籠とスコップ持って、この岡で若菜を摘んでるそこの君、家はどこ?名前を教えて〉(巻第1・1)
 これは『万葉集』の一番最初の歌、作者は5世紀末に在位したとされる雄略天皇である。
 『現代風に言うとナンパの歌です。可愛いね、といった安易なものではなく、相手のセンスを褒めています。慣れている美女にはかえって効果的でしょう』
 この雄略天皇、生活は傍若無人ぶりが際立っていた。
 『セックス中に部屋に入ってきた臣下に、雷を捕まえろと無茶を言ったり、自分が狙った女が他の男とまぐわったのを怒って、二人を焼き殺したりと、その暴虐と独裁者ぶりが知られています』
 『万葉集』には女性関係について、こんなエピソードが伝えられている。
『一晩お相手した女性の産んだ娘が自分にそっくりなのに〝一夜だから〟と認知せず、それを咎め重臣に〝一夜で何度?〟と訊かれて〝7度〟と正直に答えています。その後、重臣が諫めて、ようやく娘を皇女、その母を妃と認めたのです』
 先のナンパ歌もこう続く。
 〈見てごらん、視界の限り、大和は俺が治める国さ。隅から隅まで俺の息がかかっているんだぜ。俺こそ教えてやるよ、家も名前もね〉
 この時代、女が名前を教えることはすなわち、肌を許すことと同等、とまで考えられていた。現代の気軽な『名前教えてよ~』とは少々ワケが違ったようだ。
 さらに、一風変わった風俗習慣もご紹介しよう。
 〈人が見ている上着の紐は結んでいるけど、人が見えない下着の紐は開けている。こうしてあなたを待っている日が多いの〉(巻第12・2851)
 下着の紐が解けるのは恋しい人と逢える前兆、というジンクスがあった。
 『恋人が来るのを期待して待つというおまじないの意味に加え、恋人を待ちきれず、下着を脱いでしまうほどの欲望の発露が見て取れます。このような歌をもらった男性は、天にも舞い上がる気持ちだったことでしょう』
 下着を脱ぐ、紐を解いて待つ歌は他にもあって、メジャーなジンクスだったことが窺(うかが)われ。
 〈天の川に向き合って立ち、私を恋し続けたあの方が来る。下着の紐を解いて待っていよう〉(巻第8・1518)
 これは山上憶良が詠んだ七夕の歌。彦星を持つ織姫という雅な感じもするが、奈良・平安朝の七夕は、バブル時代のクリスマスイブのように、恋人と結ばれる日と相場が決まっていた。ちょっとお洒落な行事を祝う恋人同士のイベント、その感覚は今も昔も変わらないのだ。
 官僚の女性スキャンダル
 白髪が生えても恋はする。『万葉集』の時代、エロスは若者ためだけのものではなかった。老いらくの恋もたくさんうたわれている。
 〈乳母は赤ちゃんのために雇うものでしょ?あなたはおっぱい飲みたいの?乳母みたいな年の私を求めるなんて〉(巻第12・2925)
 年下男に口説かれた妙齢の女性が逆に誘っているようだ。
 『平安文学では、老人の恋は〝よからぬもの〟とされ、若者に不相応な恋をして笑いものにされるという設定が多く見られます。ですが、「万葉集」では、老いても恋はするもの、という肯定的な考えがベースにあったのです』
 若い女を口説いて『白髪が生えているわよ』と笑われて反論する男の歌や、あの『かぐや姫』の竹取の翁が乙女たちにからあわれて、『俺も若い時はイケメンだったんだ』と言い返す歌などもある。竹取の翁にいたっては、乙女たちも『お爺さんの言う通りだわ』と非を認めたりと、老人の性に対する視線が、得てしてあたたかい。
 〈平穏無事に生きてきたのに、年老いて、こんな恋に巡り逢うとは〉(巻第4・559)
 これは大伴宿禰百代の歌で、彼は太宰府の三等官、いわば実直な地方官僚だった。彼にとってもまた、恋は遠い火の花火ではなかったようだ。
 また、『万葉集』にはスキャンダルめいた歌も収められている。赴任先の越中で、愛人の〝左夫流(さぶる)〟(以下、サブル)という遊女にいれあげ、都の妻と別れる!と言い出した部下を、大伴家持がこんな歌で諭している。
 〈奈良の奥さんが、首を長くして待っているだろうに、可哀想じゃないか〉(巻第18・4107)
 〈みんなの手前も恥ずかしい。サブルに骨抜きになった君の出勤する後ろ姿、尻つきがない!〉(巻第18・4108)
 この時代、『七出(しちしゅつ)』と言って、離婚するには7つの理由が定められ、それに1つでもあてはまらないと別れられなかった。つまり、簡単に離婚はできないと家持は言っているわけだ。
 〈派手な紅は色あせるものだ。どんぐりで染めた黒っぽい、なじんだ服がやっぱりいいんだ〉(巻第18・4109)
 どんぐりで染めた地味な服に妻を例えている。一方のサブルは相当な売れっ子だったようだ。
 〈サブルが大切にしていた家に、鈴もつけない早馬が下って来た。町をどよめかせて〉(巻第18・4110)
 奈良から〝不倫〟相手たるサブルの家に本妻が馬で駆け付けた様である。この歌を解説してもらうと、
 『この時代、女性にも相続権が認められていて、母から娘に家屋・財産が譲られることも多かった。遊女として売れっ子だったサブルは稼ぎもよかったでしょうから、自分の家を持っていたんですね。家に転がり込んだ都のエリート役人が、そこから堂々と出勤していた。そこへ本妻が乗り込んで大騒動になったわけです。今なら週刊誌、ワイドショーで騒がれるようなネタです』
 さながら、富山県庁に出向したエリート官僚の女性スキャンダル・・・といったところか。
 『「万葉集」は、うたわれている題材も様々で、〝エロ〟が数多くあるのはもちろんのこと、ウナギ、松茸、はては糞尿の臭いまでも詠まれています。後世の和歌の常識からみれば、そんなものまで・・・と驚くような、生活に根ざした歌が数多くあります。それこそが文字のない時代の、原初の歌の形だったといもいえます。だからこそ面白いのです』
 4,500首中、作者のわからない歌が2,000首近く。匿名性が高く、エログロ、スキャンダルあり・・・となれば、現代の週刊誌からSNS、それもとびきり面白いものと相通ずる。本書を秋の夜長の友とするのも、また一興ではなかろうか。
 本文引用歌
 ……」
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 『万葉集』は、陽の男らしい益荒男(ますらお)=日本男子と、陰の女らしい手弱女(たおやめ)=大和撫子と、中庸の男女・同性による淫靡な性愛=軟弱による、日本民族歌集である。
 この三竦みの「うた心」が、皇室の生命源であり、天皇の御稜威・大御心であり、天皇制度の核になっている。
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 日本の「うた心」は、西洋のキリスト教価値観でも、中華の儒教価値観でも、近代のマルクス主義価値観でも理解不能な未開で野蛮行為であった。
 それ故に、キリスト教マルクス主義共産主義)は、「うた心」の理解を拒絶し、力尽く・暴力で破壊し消滅させようとした。
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 日本民族日本人とは、雑多な人種・民族が乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
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 『万葉集』の「うた心」とは、人類は家族、人は皆兄弟、つまり「八紘一宇」の愛である。
 八紘一宇の愛とは、乱婚による托卵に通じていた。
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 縄文時代は、不倫も同性愛も罪ではなかった。
 明治時代までは、男女混浴が当たり前であった。
 子宝の温泉とは、温泉地の男と性行為して妊娠する事であった。夫は、妊娠して帰宅した妻を山神の子を宿したと喜び、生まれた子供を自分の子として大切に育てた。
 自分の子であっても本当は神の子である信じ込み、怒らず・叱らず・虐待せず、褒めて褒めて褒め抜き、神の子に相応しい立派な大人になるように厳しく躾をしながら大事に育てた。
 それ故に、ムラや地域、国や世間、親や大人は、神の子である子供を自己犠牲的に育てた。
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 西洋キリスト教文明圏では、高貴な王侯貴族の女性は権力を維持する為に大勢の領民・国民が見ている前で出産していた。
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 縄文時代では、ギリシャ神話の男性神が人間の女性に子供に生ませるように、恵みの産土神や優れて賢い客人神が常世の世界(神の世界)からムラに訪れ女性に托卵して去って行った。
 縄文時代のムラは、血筋的に男系社会で、女性が外から訪れた渡来人の子を生んで混血系縄文人を増やした。
 原始社会での外来者をもてなす最高の方法は、愛する妻や娘を一晩から数晩、夜伽(よとぎ)として差し出す事であった。
 異邦人からの托卵=乱婚による混血は、遺伝子の劣化による奇形児の誕生を防ぐには最良の方法であった。
 縄文時代は、平和に数万年続いた。
 弥生時代では、中国大陸や朝鮮半島の権力闘争や領土拡大戦争に敗れた弱者=渡来人が日本列島・縄文のムラに逃げ込み住み着き縄文人弥生人に変え、血縁を神聖化して数多くの国を作り、別の血縁国に対する大乱を起こした。
 国の拡大と統一は、開放的大陸では宗教であったが、閉鎖的日本では血縁・血筋であった。
 弥生時代は、戦いで数百年続いた。
 日本民族日本人には、弥生人より縄文人の遺伝子が古層に流れている。
 アイヌ人や琉球人は、殺し合いの弥生化する事なく平和な縄文人から変化してきた。
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🏯96)─1─関電の金品受領事件。部落利権を産む同和問題。部落解放同盟案件。〜No.187No.188 ⑬ 

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 2019年12月号 正論「折節の記
 最近も原発が立地している福井県高浜町の元助役が、小判や米ドルなど途方もない金額の贈り物を関西電力幹部にばらまいていた『関電の金品授受』問題を各局のワイドショーがとりあげたが、コメンテーターの紳士淑女のみなさんは『カマトト』ぶってばかり。
 中でも酷かったのは、テレビ朝日の『モーニングショー』で人気の社員コメンテーター、玉川某(テレビ各局は経費削減のため、社員や系列新聞社の記者をコメンテーターとして使うのが普通になっている)だ。彼は好言い放った。
 『(元助役が)とっている行動からして、関西電力だけなのかな、というのがどうしても疑問なんですね。やっぱり(原発)再稼働という話になってくると、政治が必ず絡んできますから。おカネが本当に関西電力だけにいっているのか、そこをぜひ国会で解明してほしいですね』
 何の根拠もなく、あたかも原発マネーが政界にも還流しているかのような言いぶりだったが、まったく問題の本質からずれている。しかも『国会で解明してほしい』とは、うぶを装うにもほどがある。古くは、ロッキード事件からリクルート事件、近くは『モリ・カケ』疑惑等々、国会でとりあげられた『疑惑』や『事件』は星の数ほどあれど、国会で解明された疑惑は1つとしてない。
 ……
 『関電の金品受領』問題を語るとき、元助役が、かつて福井県の部落解放問題県連書記長を務めていた事実を避けて通ることはできない(詳しくは、今月号に掲載されている三品純氏の論考をぜひお読み頂きたい)。
 元助役は、福井県への『過度な指摘』が解放同盟内でも問題視され、2年で書記長をクビになったのだが、この経歴が関電や高浜町民に対する無言の圧力になったのは想像に難くない。部落解放同盟は、執行委員長名で『森山氏(元助役)自身による私利私欲という問題に部落解放同盟としては一切の関与も存在しない』との異例のコメントを発表したほどだが、玉川某のみならず、他局のコメンテーターたちも誰一人としてこの問題に触れようとしなかった『カマトト』ぶりは目に余る。
 令和の『カマトト』は永田町にも蝟集(いしゅう)している。
 立憲民主党代表の枝野幸男は、秋の臨時国会が始まる前、『関電の金品受領』問題を『最大のテーマ』として掲げ、徹底的に国会で追及して安倍内閣を追い詰める、と息巻いていたのだが、いざ、フタを開けてみるとまったくの腰砕けだった。せっかく国民民主党統一会派を組んだのに、NHKが生中継している代表質問や花形の予算委員会でも、政府や関電の姿勢について、新聞記事をネタにして通り一遍の批判をするだけ。
 あまり突込んでこの問題を追及すると、逆に元助役の経歴が根掘り葉掘りとあげられ、立憲民主党の有力な支援団体である部落解放同盟に迷惑がかかる、と忖度したとしても不思議ではない。
 かつて部落解放同盟と激しく対立した共産党も、野党共闘を重視してか、いたって大人しかった。衆院予算委員会で質問に立った共産党の藤野某は『原発利権の闇は、日本政治史の闇だ。今回こそ本格的なメスを入れるため全力を尽くす』と吠えたものの、メスどころか、安倍政権を少しでも慌てさせるだけの材料は何も出なかった。これじゃあ、野党が与党に舐められっぱなしでも仕方ない。
 新聞界の『カマトト』王といえば、朝日新聞をおいていない。……」
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 利権・マネー絡みの贈収賄事件や金品受領事件が表面化した時、それに似た行為が事件化しないだけで数多く存在する。
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 現代の部落民・同和と江戸時代の賤民・部落民は違う。
 江戸時代の賤民・部落民は、天皇・皇室崇拝の自己犠牲的な勤皇派・尊王派で、反キリスト教・反共産主義の急先鋒であった。
 明治初期の廃仏毀釈を積極的過激的に実行したのは、賤民や部落民であった。
・ 時代によって賤民や部落民に属す人間が違う。
 江戸時代から明治初期まで、明治中期から後期まで、大正から昭和初期まで、昭和中期以降から今日まで。
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 現代の部落民問題は、アイヌ人問題や琉球問題に通じるところがあり、特定の過激なイデオロギー反社会組織が関わっている。
 部落問題・アイヌ問題・琉球問題を、歴史的事実に基づき客観的に冷静に取り扱う事はタブーとされ、正常な疑問を差し挟むと、非人道主義者・差別主義者として袋叩きにあい言論の場から追放され社会生活を破壊される。
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 アイヌ人も琉球人も、先住民であっても固有民族ではない。
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 どんな国家、組織、国民、民族にも、悪人がいれば善人もいる。
 中国・韓国・北朝鮮そしてロシアから見ると、日本人は悪人ばかりで善人がいない事になっている。
 その極端な例が、歴史的人道貢献を行った祭神が祀られている靖国神社である。
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💍3)─6─世界は天皇陛下即位礼を祝福した。ポーランド。〜No.14No.15 

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 日本の天皇家・皇室は、世界から信用され愛されている。
 日本国や日本人が世界で信用されて愛されている本当の理由は、天皇家・皇室のお陰であって、アメリカ製日本国憲法ではない。
 その現実を否定し拒絶するのは、少数派・反天皇反日的日本人だけである。
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 2019年11月15日 産経新聞「欧州からみた即位礼正殿の儀 ポーランドの日本研究者「皇室の伝統守るべき」
 大嘗宮に入る参列者ら=14日午後、皇居・東御苑(川口良介撮影)
 10月22日に挙行された「即位礼正殿の儀」や11月10日のパレード「祝賀御列の儀」で日本は祝賀ムードに包まれた。即位礼正殿の儀は多くの海外メディアで報じられ、日本の文化が世界に伝わる機会ともなった。ポーランドを代表する日本史研究者、ワルシャワ大のエヴァ・ルトコフスカ教授は、皇室の儀式など「日本の伝統文化は守られなければいけない」と訴える。
(外信部 坂本一之)
 ルトコフスカ氏は、即位礼正殿の儀について「高御座(たかみくら)や御帳台(みちょうだい)、十二単(ひとえ)など昔から伝わるものがあり、そのまま将来も続いていっていただきたい」と語る。
 長い歴史を持つ日本の皇室に関して「いろいろな国に王室はあるが、日本の皇室の歴史は最も長く、儀式も伝統的で特別だ」と強調。皇位継承の重要性について、日本はもっと大切に考えるべきだとも語る。
 一方でルトコフスカ氏は、日本からの情報発信の重要性も指摘する。
 同氏によれば、一般的なポーランド人にとって日本の伝統文化といえば「着物や茶道、生け花、書道」など。インターネットで即位礼正殿の儀の映像を見る機会があったとしても、儀式の意義や三種の神器などの意味を理解するのは難しい。また、外国人にとっては皇室に関する情報を探すのがそもそも簡単でなく、英語での情報量も少ないという。
 このためルトコフスカ氏は、宮内庁のホームページなどで「日本語の分からない外国人に、もっと伝統や文化を詳しく説明した方がいいのではないか」と提言する。
 新元号の「令和」の文字を初めて見たときは、「令」という字から「命令」に関連するようなイメージが浮かび驚いたという。
 しかし、日本最古の歌集である万葉集から引用されたことや、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められていることなどを知り、新たな年号に共感を覚えたという。
 「REIWA」という日本語の発音についても、よい響きだと感じている。今後は、日本の皇室に関する研究に力を入れていく考えだ。
 母国ポーランドと日本のさらなる関係深化にも期待を込める。
 ルトコフスカ氏は、ポーランドの2国間関係が深まったきっかけとして、(1)1985年の安倍晋太郎外相によるポーランド訪問(2)94年のワレサ大統領の訪日(3)2002年の天皇、皇后両陛下のポーランドご訪問-の3つを指摘。こうした相互交流によって両国関係が大きく進展したと分析している。
 今後は、2国間関係にとどまらず、チェコハンガリースロバキアポーランドによる協力枠組み「V4」と日本との連携などを通じ、多国間での協力関係を進めていくことが重要だという。
 ルトコフスカ氏は今年、日本と海外の相互理解促進に貢献した個人や団体に贈られる「国際交流基金賞」を受賞した。」
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 ポーランドユダヤ人難民を、助けた親ユダヤ派の昭和天皇と軍国日本、見捨てた反ユダヤ派のアメリカ、イギリス、ソ連、その他。
 昭和天皇東条英機松岡洋右ら、軍部と陸軍は、ヒトラーナチス・ドイツゲシュタポから命辛々逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助けた。
 アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルなどの連合国諸国やバチカンローマ教皇らは、ホロコーストの情報をユダヤ人から得ていたが反ユダヤから信用せず、空爆などで絶滅収容所を攻撃してユダヤ人達を助ける事を怠った。
 連合軍首脳部は、戦争に勝利すれば全ての問題が解決するとして、ユダヤ人救出に消極的であった。
 ソ連は、ワルシャワ蜂起を静観し、ポーランド人やユダヤ人を見捨てた。
 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、歴史的人道貢献に関わった昭和天皇を惨殺しようとした。
 ユダヤ人難民を助けた東条英機松岡洋右A級戦犯達は、戦争犯罪者としてリンチ的縛り首で処刑された。
 戦後、ポーランドユダヤ人難民を助けた杉原千畝らの多くの日本人が、占領軍や日本政府から公職追放など何らかの公的処分を受けた。
 ソ連、中国、アメリカ、イギリス、フィリピン、オーストラリア、カナダなどの連合国(国連)は、昭和天皇戦争犯罪者として裁き、有罪とし、強制退位させ、国外追放するか死刑する事を強く求めた。
 つまり、昭和天皇と軍国日本が行った自己犠牲的人道貢献の永久抹消である。
 靖国神社問題の本質はそこにある。
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 虐殺を行ったのは、ヒトラーナチス・ドイツスターリンソ連毛沢東中国共産党などの共産主義者である。
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 昭和天皇は、平和主義者であり反人種差別主義者であって、戦争責任や戦争犯罪はない。
 天皇の戦争責任や天皇戦争犯罪を告発する日本人は、反天皇反日的日本人である。
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⛩5)─1─大嘗祭に猛反対するキリスト教徒、マルクス主義者・共産主義者、反天皇反日的日本人達。〜No.8No.9・ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 多数派は、天皇擁護、大嘗祭賛成。
 少数派は、天皇廃絶、大嘗祭反対。
 世界では、少数派の暴走が増加している。
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 曾野綾子「ご都合主義で規則を変える世界は長続きしない。」
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 2019年11月12日 朝日新聞キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
 © 朝日新聞社 即位儀式に抗議し記者会見するキリスト教関係者ら=2019年11月12日午後3時48分、参院議員会館、北野隆一撮影
 天皇即位に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)」の中核儀式「大嘗宮の儀」が14~15日にあるのを前に、プロテスタントカトリックなど各宗派のキリスト教団体関係者が12日、国会内で記者会見して抗議を表明した。
 即位儀式は憲法政教分離規定に違反するとして「即位儀式・大嘗祭を国事行為・公的行為として行わない」よう求める首相あての署名約6200筆を内閣官房に提出したという。大嘗祭について「即位した天皇が神格化するとされ、宗教的な行為を多分に含む」と指摘。政府が即位儀式に関与せず、公金も支出しないよう求めた。
 一方、歴史学研究会や日本史研究会など歴史研究者や教育者らの4団体は7日付で「即位の礼大嘗祭に反対し、天皇の政治利用を批判する」と題する声明を発表した。
 一連の即位儀式について「憲法国民主権原理や政教分離原則に違反し、戦前の天皇主権体制への回帰、天皇制美化などの問題点がある」と指摘した。9日に皇居前広場で開かれた「国民祭典」など各地の「奉祝行事」についても「国民を天皇賛美に動員し、憲法の規定による天皇の役割を超えた政治利用」と批判した。(編集委員・北野隆一)」
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 11月13日 朝日新聞「ニュース3Q
 天皇の身替わり儀式をめぐって
 キリスト教系団体 大嘗祭神道儀式をへて即位した天皇が神格化されるとされ、宗教的行為を多分に含む。その宗教性は一連の儀式にも等しく言えることだ。
 政教分離原則に反し、公金を支出すべきではない。
 政府 大嘗祭は宗教色があり、国事行為にはできないので皇室行事にする。ただ、公的性格があるので公費を支出する。
 即位行事は『政教分離』違反か 沈黙する団体も
 14、15日に大嘗祭が予定され、天皇の即位行事が大詰めだ。神道と関わりが深い諸儀式が国事行為・公的行為としたことは、憲法違反に当たらないのか。日ごろ、閣僚の靖国神社には『政教分離原則に違反する』と批判を欠かさない仏教、新宗教の関係団体はほぼ沈黙。キリスト教団体の抗議だけが際立つ。
 際立つキリスト教
 『違憲天皇の即位儀式・大嘗祭に抗議する』。12日、キリスト教関係者が東京で会見し訴えた。
 集まったのは日本キリスト教協議会(NCC)と日本福音同盟カトリックに所属する牧師、神父ら。会見前には、反対署名を首相あてに提出した。カトリックの太田勝神父は『大嘗祭は極めて宗教的な儀式。明治憲法下で現人神(あらひとがみ)とされた天皇像を想起させる』とし、関与する政府を強く批判した。そして、戦時下の信者に対する弾圧について語った。『特高警察から「天皇とイエスはどちらが偉いのか」と問われ、「イエスだ」と答えた結果、迫害され、土地を追われた事例が多々ある』
 戦後、『信教の自由』『政教分離』を堅持するための取り組みは、戦時下の弾圧を経験した新宗教キリスト教、仏教の諸派が共闘してきた。
 運動で絶えず問題となったのが、東京・九段の靖国神社だ。日本遺族会などが神社を国の管理に戻そうとする『国家護持運動』や、首相らの靖国公式参拝では、NCCや新日本宗教団体連合会が抵抗の中心になった。
 『慶事に水を差す』
 ところが、皇室がらみになると、共闘が崩れる。仏教関係者は『伊勢神宮への首相参拝も政教分離に違反しているとの見方があるのは当然。だが、皇祖神をまつる伊勢神宮となると、批判も慎重にならざるをえない』。新宗教も同様だ。ある僧侶は『平成を通じ、国民に寄り添う皇室像が確立された。国民・信徒とも、皇室に好意的だ』と話す。
 共闘のほころびは、1970年代末の元号法制化運動への対応だった。推進派は『元号は皇室と国民を結ぶ紐帯(ちゅうたい)だ』と訴え、靖国国家護持に反対してきた教団が切り崩された。ある新宗教関係者は『元号に親しみをもつ信徒が多く、反対できなかった』と振りかえる。
 そして、平成、令和の天皇代替わり。『 政教分離を持ち出して、慶事に水をさすのは避けたい』と新宗教伝統仏教の指導者たちは話す。
 古くから深い関係
 仏教と皇室の深い関係を指摘する声もある。中世以来、宗祖ら高僧には朝廷から『大師号』が贈られてきた。加えて、宗派によっては教団トップの血脈主義を重んじる伝統も残る。軽々な批判は自らの教団に返ってくる恐れがあるという。
 こうして、キリスト教のひとり奮闘となったが、今回の反対署名は6,200筆にとどまった。30年前に比べ、10分の1だ。星出卓也牧師は皇室人気に加え、『30年を経るて、天皇神格化のもつ問題性、また、戦争を体験した世代が少なくなり、「生き延びるため戦争協力をした」という痛みが薄れてきた』ことを理由に挙げた。それでも、『政教分離をあいまいなものにし、既成事実を積み重ねていく。そんな解釈改憲が定着していくことに反対し続けていきたい』と語った。(編集員・藤生明)」
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 11月13日 朝日新聞大嘗祭 改めて考える
 古代 素朴な儀に心込めた  岡田荘司
 大嘗祭の本質は、即位した天皇天照大神に食事を供え、自らも食べるという、ある意味で素朴な儀礼です。農民が神に作物を捧げる収穫儀礼が行われていました。それを天武天皇の時代に、国全体の儀礼として整えた。天皇家のイエの祭りと、国家的儀礼の両方の性格を持つものといえます。
 天武天皇は、壬申の乱という朝廷を二分する大乱を経て即位しました。大嘗祭を始めたのは、人心を安定あせ、分断した国をまとめる側面があったと思います。毎年行われる新嘗祭では、都近くの直営田で収穫された米が使われますが、大嘗祭では、占いで悠紀(ゆうき)、主基(すき)という2つの『国』を機内以外から選び、そこでとれた米を使います。全国の人々の奉賛(ほうさん)を受けて行うのが本義であったわけです。
 ……
 大嘗祭新嘗祭では、米とともに粟も供えられます。粟は飢饉の際に食べられたものです。災害への備えが祭りの中にも組み込まれていたと考えられます。今年は、台風や水害で農作物が大きな被害を受けました。大嘗祭にこめられた古代人の思いは、現代に生きる我々にも共有できるはずです。(聞き手 シニアエディター・尾沢智史)」
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 11月14日 msnニュース KYODONEWS 共同通信社「反対派が大嘗祭への抗議集会 「天皇制要らない」
 © KYODONEWS 大嘗祭への抗議集会に参加する人たち=14日夜、東京都千代田区
 皇居に近い東京駅の丸の内側にある広場では14日夜、天皇制に反対する市民団体「おわてんねっと」が大嘗祭への抗議集会を開いた。参加者は皇居に向かって「天皇ヤメロ」などと書かれた横断幕を掲げ「天皇制要らない」と訴えた。
 同団体によると、約150人が参加。次々にマイクを握り「台風で被災した人が大勢いる。復興半ばなのに多くの税金が大嘗祭に投じられるのはおかしい」などと主張した。
 東京都東久留米市のフリー編集者の女性(67)は「生まれながらに高貴な人とそうじゃない人に分けられてしまう天皇制はおかしい。反対する人がいることを知ってほしい」と話した。」
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 大嘗祭新嘗祭などの皇室行事を否定する日本人は、伝統・文化・宗教・歴史を共有する日本民族日本人ではなく、無国籍に近い日本人である。
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 皇室神道宮中祭祀は、縄文時代の自然崇拝、大地母神崇拝、生まれ変わり・蘇りという循環する永遠の命崇拝を源流としている。
 日本の再生は、キリスト教の復活とは違うし、マルクス主義の完全消滅とは対極にある。
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 気の弱い、精神的に脆弱な日本人は、死んで自分が生きていた事も魂や霊魂も消えて無くなる事が怖かったし、愛する家族から離れて遠くの天国・神の王国に行ってしまうのも寂しかった。
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 大嘗祭は、循環する永遠の命崇拝を元にして執り行われる純粋な家族秘儀であり、怪しげな呪術でも邪悪な魔術でもない。
 ましてや、天皇を現人神・生き神にするオカルト的呪いでもない。
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 外国人移民(主に中国人移民)が増加すれば、反天皇反日的人間も増え、多様性として原理主義的宗教もカルト的宗教も過激派イデオロギーも増える。
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 新しい天皇大嘗祭伊勢神宮式年遷宮は、女性神天照大神天皇霊に永遠の命を持たせる為の神道秘儀である。
 キリスト教マルクス主義共産主義も、女性を軽視・蔑視する男性至上主義であった。
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 キリスト教マルクス主義共産主義)は、反天皇反日的である。
 反天皇派が主張する「大嘗祭反対」とは、民族否定の、伝統文化及び民族歴史殺しであり、神殺しであり、家族殺しである。
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 キリスト教は排他的一神教として、マルクス主義共産主義)は反宗教無神論として、いま現代の自分・私・個の幸福と富みのみを追求し、公、過去の祖先と未来の子孫を切り捨てていた。
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 アメリカ・GHQ、キリスト教会、共産主義者マルクス主義者)らは、天皇・皇族・皇室を消滅させる為に、直宮家以外の皇族から皇籍を剥奪し、わずかな皇室財産のみを残して大半を没収して国家資産とした。
 日本国憲法皇室経済法・改正皇室典範の真の目的は、ここに在る。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育関係者などの護憲派人権派は、反天皇反日的日本人として天皇・皇族・皇室消滅を実現する為に存在する。
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 キリスト教イスラム教・ユダヤ教などの一神教は、神聖な奴隷制度を容認していた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人を奴隷として売買して金儲けをしていた。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙っていた。
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 共産主義者マルクス主義者)は、イデオロギーの為に虐殺を繰り返していた。
 ロシア人共産主義者反日朝鮮人、敵日派中国人達は、満州南樺太で逃げ惑う日本人引き揚げ者(主に女性や子供)数万人~十数人を大虐殺した。
 日本人女性は、強姦されてから惨殺された。
 戦時国際法は、彼の戦争犯罪を黙認した。
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 戦争で日本が地獄にならず、殺し合いが大虐殺にならなかったのは、神聖不可侵の天皇・皇室が存在したからである。
 西洋も、、アジア(インド・東南アジア)も、中華(中国・朝鮮)も、戦争が起きると大虐殺が当然のように起きていた。
 日本は天皇・皇室のお蔭で、人種・民族そして宗教や哲学・思想・主義主張が原因の差別・迫害・紛争・戦争はなかった。
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⛩18)─1─大嘗祭=式年遷宮。皇室典範。〜No.34 

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 皇祖神である女性神天照大神は、現天皇・皇族・皇室の血の繋がった家祖・祖先である。
 天照大神は、実在した人間ではく作られた理想的女性神である。
 天照大神の治める高天原は、日本中心神話の中にある神の国で、死んだ人間たとえ天皇皇后などの皇族であっても昇天できない血と死を完全排除した神聖な聖域である。
   ・   ・   ・   
 旧皇室典範とは、王権神授説・社会契約説・西洋的近代法律でもなければ儒教天帝説でもなく、有史以来、受け継いできた伝統の文化・宗教を基とした家訓・遺訓、家法・祖法を近代的に明文化した家内法であるがゆえに、国家の憲法とは別格の法律とされた。
 皇室の祖先達は、2000年間に経験した事を叡智を、血の繋がった天皇と皇族達を誡(いまし)める為に「しきたり」としてまとめて残した。
 現代日本人は、悪臭を放つ穢れた心ゆえに「畏れ」を知らず、事の良し悪しが分からず神聖を踏みにじり、傲慢にも自己満足的に神の裔の天皇・皇室を穢して俗物化しようとしている。
   ・   ・   ・   
 皇室の伝統とは、朝廷・宮中の内で伝承されてきた門外不出の誡(いまし)め・しきたりをまとめた家訓・遺訓、家法・祖法である。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
 皇室典範 こうしつてんぱん
 皇室に関する重要事項を定めた法律。旧「皇室典範」は、1889年(明治22)大日本帝国憲法と同時に制定され、同憲法とともに日本の最高の成文法であった。したがって、成文憲法は形式上、大日本帝国憲法皇室典範の二つに分かれ、皇室に関する規定はすべて皇室典範に組み入れられた。その結果、帝国議会は皇室に関する事項については、まったく関与することができなかった。このように、成文憲法が二元化した結果、あらゆる成文法は、宮務法(皇室典範およびそれに基づく皇室令)と、政務法(憲法およびそれに基づく法令)に分かれ、皇室典範は宮務法の基本法として、もっぱら天皇によって改廃された。
 第二次世界大戦後、旧皇室典範は廃止され、新「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が日本国憲法と同時(1947年5月)に施行された。名称をそのまま残したが、神道儀礼部分を削除して簡素化され、普通の法律と同じく国家の統制が及ぶことになった。内容は皇位継承、皇族の範囲、摂政(せっしょう)、成年・敬称・即位の礼、皇族が結婚するときの手続き、皇籍離脱皇室会議の仕組みなどについて定めている。皇室典範は現在、皇室経済法とともに特殊の法域として皇室法を形成している。[池田政章]
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 2019年11月13日14:22 産経新聞天照大御神から伝わる重要祭祀「大嘗祭」はこのように行われる
 平成の大嘗祭に臨まれる上皇さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
 皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」は、稲作を中心とした日本社会に古くから伝わる収穫儀礼に根ざした儀式だ。戦国時代の前後に中断した時期もあったが、江戸時代に再興され、現代まで受け継がれてきた。近代には「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる全国の特産品などもお供え物に加わり、国民との接点も広がった。大嘗祭天皇陛下は国民の命の源である自然の恵みに、深い感謝を示される。(篠原那美)
 拝礼のため悠紀殿わきの帳殿へ進まれる上皇后さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
 皇祖神・天照大神から伝わる収穫儀礼
 毎年11月、宮中では「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる。天皇が新穀を神々に供え、自らも口にし、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧を祈る重要祭祀だ。特に即位後初めて行うものが「大嘗祭(だいじょうさい)」で、一世一度の儀式とされる。その起源はどこまで遡れるのだろう。
 日本最古の歴史書古事記」と「日本書紀」には、皇祖神の天照大神や古代の天皇が「新嘗の祭」を行ったとする記述がある。宮内庁大嘗祭を「新嘗の祭」に由来すると説明。これらの歴史書が編纂された奈良時代より前から伝承されてきた収穫儀礼に根ざした儀式としている。
 7世紀半ばまで、毎年行われる新嘗祭大嘗祭との区別はなかったが、7世紀後半の第40代天武天皇、41代持統天皇のときに区別されるようになったという。以後、大嘗祭は重要な即位儀礼として歴代天皇に継承されてきた。
   ◇
 ところが、室町時代に転機を迎える。戦乱や朝廷の困窮などを理由に、1466年の第103代後土御門天皇を最後に、大嘗祭は221年間、中断した。
 再興したのは江戸時代、第5代将軍、徳川綱吉のとき。当時在位していた第112代霊元天皇は譲位を申し出て、後を継ぐ東山天皇の即位に際し、大嘗祭の復興を幕府に強く望んだ。
 当時の幕府は、国内統治に儀礼を重視しており、1687年、東山天皇大嘗祭の挙行を認めた。続く中御門天皇の即位の際には行われなかったが、その次の桜町天皇から現代まで続いている。
   ◇
 明治以降の大嘗祭では、亀の甲羅を用いた占い「亀卜(きぼく)」で決まる悠紀(ゆき)地方、主基(すき)地方の新穀だけでなく、「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる農産物や海産物も供えられるようになった。
 特に大正以降は全国から特産品が寄せられ、令和の大嘗祭では、47都道府県から3~5品ずつ野菜や果物、海産物の干物などが供えられる。
 大嘗祭にむけ各地から特産品が納品
 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏は「庭積の机代物は自然の神々から賜る食べ物の豊かさを示す。大嘗祭は国民生活に不可欠な『食べ物の祭り』でもあることに注目してもらいたい」と話している。
 最も神聖なご装束
 数ある宮中祭祀のうち、大嘗祭が重い儀式とされているのは、天皇陛下のご装束からもうかがえる。
 陛下は大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」に臨むため、まず身を清める「廻立殿(かいりゅうでん)」に向かうが、その際に「帛御袍(はくのごほう)」を身につけられる。「即位礼正殿(せいでん)の儀」の10月22日朝、これに先立ち、宮中三殿で行われた儀式で着用された白い束帯だ。
 完成した「大嘗宮」を報道陣に公開
 陛下は廻立殿に入ると身を清める潔斎をし、最も神聖な白い「御祭服(ごさいふく)」に着替えられる。この御祭服は精練されていない絹「生絹(すずし)」で仕立てた装束で、陛下が自ら、「神饌(しんせん)」と呼ばれる新穀などのお供え物をささげる大嘗祭新嘗祭のときにだけ着用される特別なものだ。
 皇后さまは白い十二単姿、皇族方は即位礼正殿の儀で着用した古装束の上に、清浄を表す「小忌衣(おみごろも)」を身につけて臨まれる。
 大嘗祭で供える麻織物「麁服」 調進の人々「立派な物ができあがった」
  ◇
 儀式は14日、各地の特産物「庭積の机代物」を供えるなど準備が整えられたうえで、午後6時半に陛下が東側の「悠紀殿(ゆきでん)」に入られるところから始まる。
 14日に「大嘗宮の儀」 儀式の詳細は「秘事」
 皇后さまは「帳殿(ちょうでん)」、男性皇族は「小忌幄舎(おみあくしゃ)」、女性皇族は「殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)」でご拝礼。その後、神饌を準備する「膳屋(かしわや)」から新穀などの神饌が悠紀殿へと運び込まれる。陛下は悠紀殿内の内陣の御座に座り、「采女(うねめ)」と呼ばれる女性らの手伝いを受けながら、神饌を自ら供えられる。続いて拝礼し、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を奏上した後、ご自身も米、粟、神酒を口にされる。
 西側の主基殿でも日付が変わった15日午前0時半から、同様の祭祀が行われる。
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 11月13日16:00 産経新聞「14日に大嘗宮の儀 儀式の詳細は「秘事」
 報道陣に公開された大嘗宮=13日午前、皇居・東御苑(桐山弘太撮影)
 皇位継承に伴う一世一度の重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が14日、皇居・東御苑内に建設された大嘗宮で始まる。皇室行事として、天皇陛下が新穀を神々に供えて自らも食し、国と国民の安寧や五穀豊穣を祈られる。
 主要部分は例年の「新嘗祭(にいなめさい)」などと同様、公開されず、宮内庁は儀式の詳細については「秘事」を理由に明らかにしていない。平成時には儀式が「天皇が神格を得る意味合いがある」との学説から宗教色を問題視する指摘があったが、同庁はこの学説は否定している。
 14日は午後6時半から、大嘗宮の「悠紀殿(ゆきでん)」で、まず「悠紀殿供饌(きょうせん)の儀」が行われる。侍従が三種の神器のうち剣と璽(勾玉)を悠紀殿内の台の上に置いた後、陛下が殿内に入られる。陛下は栃木県高根沢町で収穫された米と粟、新穀で造った白酒・黒酒などを供え、御告文を読んだ後、自らも新穀と神酒を召し上がる。悠紀殿供饌の儀は午後9時過ぎに終えられる見通し。
 続いて15日午前0時半から午前3時過ぎまでは悠紀殿に隣接した「主基殿(すきでん)」で「主基殿供饌の儀」が行われ、陛下が京都府南丹市の新穀などを供えられる。
 両儀式には皇后さまをはじめ皇族方がご参列。首相ら三権の長や国会議員、都道府県知事ら約700人が招待されている。
 13日には大嘗宮を報道関係者に公開。また、大嘗宮の安全を祈る「大嘗祭前一日大嘗宮鎮祭」が悠紀、主基の両殿などで行われた。」
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 2019年11月21日号 週刊新潮「『平成の大嘗祭』舞台回しが初めて明かす『秘儀』
 今月14日から翌未明にかけ、皇居では大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。天皇家に受け継がれる『秘儀』を経て、陛下は名実共に即位したことになるという。
 三木善明
 ……
 税金を伴えば、どんな儀式をしているのか教えるべきだという批判が出る。そうした反応を恐れたのっだと思いますが、個人的には会見で否定したのは少々行き過ぎだったと思います。
 今の時代、天皇陛下に神秘的な色彩を求めるのはよくないという考え方もありますが、決して口外してこなかったからこそ、それが秘儀と呼ばれ、神秘的な伝統という見えないものに対して、人々が想像を膨らませるのは悪いことではありません。
 実際、大嘗祭ではお灯明の灯りしかない暗い部屋で、天皇陛下と介添え役の采女(うねめ)2人が過ごします。毎年行われる新嘗祭(にいなめさい)でも、宮中三殿で同様のことが行われますが、28年間、祭祀でご一緒させていただいた私でさえ、密室の中を見ることは叶いませんから、陛下がどういう所作をされているのかは、知る由もないのです。
 分かっているのは、大嘗祭新嘗祭では天皇陛下自らが御告文(おつげぶみ)を読み上げ、『御親供(ごしんく)』といって直接お供えをされること。その所作は複雑で、練習を重ねていても始めて臨まれる陛下が完璧に覚えることは難しい。そこで、日頃から祭祀を熟知している采女たちがお支えするのです。……
 また陛下は、神々にお供えした神饌(しんせん)と同じ物を召し上がるわけですが、それは『御直会(おなおらい)の儀』と呼ばれ、食事を共にすることで神々から精神的な力を授かる。同じ釜の飯を食べると親しくなる、と言いますが、儀式を通じて陛下も神さまと非常に親しくなるのです。
 人にとっては、この祭祀で天皇が神になるという方もいますが、それはどうでしょうか。あくまで大嘗祭は神々から皇位に対する精神的な力を頂戴する。つまり在位する間の力をいただくと考えればよいと思います。その力が弱まれば、年に1度、新嘗祭でまた大御神から力をいただき年を越す。『復活』、『蘇り』こそが祭祀の本義だと思います」
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 日本民族日本人の宗教とは、血の繋がった祖先・先人を、心・志、魂・霊を込めて家の神・祖先神・氏神として崇め祀るローカルな民族宗教である。
 それは、今、この時を生きている日本人・ヒトの心・魂の中に厳然と存在する、祖先から受け継いでいる命に対する敬虔な崇拝、つまり命賛歌、命崇拝である。
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 天皇制度とは、大統領のような投票の政治制度でもなく、教皇のような信仰の宗教制度でもなく、祖先と子孫を繋ぐ血の世襲制による家族制度である。
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 大嘗祭新嘗祭などの皇室行事を否定する日本人は、伝統・文化・宗教・歴史を共有する日本民族日本人ではなく、無国籍に近い日本人である。
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 日本仏教は、教祖や中興の祖、祖先や家族を仏として信仰していた。
 仏教は、戒律で妻帯を禁止していた為に世襲制ではなく、仏縁で宗門宗派を受け継いでいた。
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 日本神道は、血の繋がって子孫のみが氏子として祖先神・家族神を祀る宗教であり、血の繋がらない他人は拝み祭っても祀る事はできない。
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 天皇神である女性神天照大神は、血筋・血統に繋がる天皇・皇族・皇室の祖先神・家族神であり、日本民族日本人と日本国の最高神である。
 天皇霊である初代神武天皇は、皇統に繋がる天皇・皇族・皇室の祖先である。
 神武天皇は、天照大神の子孫である。
 即位した新しい天皇が、内の正統と外の正当の両面から正式天皇として認められるには天皇神・天皇霊大嘗祭で心の中・体内に受け入れなければならない。
 それが、2000年間、天皇家・皇室に血の男系世襲制として受け継がれた一子相伝の伝統の家文化・家信仰である。
 祖先崇拝において、神道・仏教・儒教道教・その他の日本と儒教の中華(中国・朝鮮)とは根本から異なる。
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✨51)─1─三島由紀夫の「天皇論」。〜No.207 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 三島由紀夫、1925年~1970年
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 天皇を否定し、天皇制度を廃絶する事は、命・血、心・想い・志の繋がった祖先を存在しなかったとして消し去り、祖先が命を犠牲にして子孫に残した伝統文化と叡智を無意味・無価値として破壊し捨て去る事である。
 つまり、祖先殺しである。
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 旧皇室典範とは、王権神授説・社会契約説・西洋的近代法律でもなければ儒教天帝説でもなく、有史以来、受け継いできた伝統の文化・宗教を基とした家訓・遺訓、家法・祖法を近代的に明文化した家内法であるがゆえに、国家の憲法とは別格の法律とされた。
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 中国共産党・中国軍は、抗日反日敵日反天皇を唯一絶対の正統性として存在する。
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 日本における、多数派とは天皇に敬愛の情を抱く者で、少数派とは天皇に憎悪の念を抱く者である。
 現代日本人権派良識派・常識派は、社会の多様性の為に、少数派に理解を示し配慮すべきだと主張している。
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 皇室祭祀・宮中祭祀の源流は、民族宗教としてローカル的な自然崇拝・大地母神崇拝の縄文文化にあり、さらに遡れば揚子江流域にあった長江文明に辿り着く。
 男性的な弥生文化黄河文明は、女性的皇室・宮中祭祀を補強したにすぎない。
 現代日本現代日本人の、少数派はそれを「尊い」と意識するが、多数派は無価値として無関心・無興味である。
 その証拠が、経済の為には自然破壊の開発は必要悪という考えである。
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 現皇室・皇族・家族の前で、昭和天皇肖像画御真影を焼き、その灰を踏み付ける行為を純粋な芸術表現と主張する少数派の日本人を擁護する高学歴出身知的エリートが各界に数多く存在する。
 追い詰められての言い訳ほど醜悪なものはない。
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 日本は、無宗教有神論であって無宗教多神教ではない。
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 天皇の祭祀・皇室祭祀・宮中祭祀とは、自分の祖先を神として祀る祖先神・氏神の人神崇拝である。
 祖先神・氏神の人神崇拝できるのは、血と魂・霊魂の繋がった子孫だけである。
 大嘗祭とは、即位した新天皇が血=血統・血筋と天皇霊=皇統で繋がった祖先神である天照大神との神聖な、一世一代の最重要な神事である。
 天皇が正統な天皇として認められるには、祖先の最高神である女性神天照大神との大嘗祭を執り行う必要がある。
 日本の世襲制とは、血の繋がった祖先から受け継がれた神事・奥義・伝統文化の一子相伝である。
 一連の祭祀に存在するのは、宗教や政治ではなく伝統文化を重んずる家族・家だけである。
 つまり、天皇とは、公的には「国家・国民の象徴」だが、私的には「皇室・皇族・親族の家長」である。
 日本の天皇・皇室が、西洋やその他の王侯貴族と根本から違うのはその点である。
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 2019年12月号 Hanada「三島由紀夫の『天皇論』再考
 三浦小太郎
 あらゆる戦後の偽善を拒否して
 ……
 自衛隊への檄文の核心
 ……
 三島が何よりも協調したのは、戦後憲法戦後民主主義体制を護るたの自衛隊という立場を受けいれれば、結局、『アメリカの傭兵』たる位置に自衛隊は甘んじなければならないという現実のことである。
 この言葉は、日米安保体制という片務条約、米軍基地の存在といった現実政治の面における戦後日本のアメリカ従属の構造について批判しているのではない。『平和と民主主義』を護る、国民の生命と財産を守るという自衛隊の存在意義そのものが、アメリカ由来の価値観にすぎず、日本の文化伝統とは異なった次元の価値を防衛するに過ぎない、と三島は指摘したのだ。
 『日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・傳統(でんとう)を守る」ことにしか存在しないのである』
 『(自衛隊が守るべきものは)自由でも民主主義でもない。日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に軀(からだ)をぶつけて死ぬ奴はいないのか』
 三島が自衛隊に呼びかけた檄文の核心は、この二つの点に尽きている。それは戦後民主主義のみならず、明治維新以後の近代化によって断絶させられた日本の文化伝統の継続性を復活することでもあった。しかし、ここでは論を急ぐことなく、まず三島と古林の対話に戻り、三島の戦後批判、もっと言えば『戦後天皇制』への批判が最も鋭い形で表れた部分を紹介したい。
 戦後の『天皇人間化』への批判
 ……
 この点を三島は、1968年に著(あらわ)した『文化防衛論』のなかですでに精緻(せいち)に論じていたが、ここでの三島の発言と読み比べていけば、さらに彼の論旨は明確になるだろう。
 文化概念として天皇
 三島由紀夫は『文化防衛論』において、日本文化とはオリジナルとコピーの弁別を持たないと指摘したうえで、次のように述べていた。
 『このもっとも端的な例を伊勢神宮の造営に見ることが出来る。持統帝以来59回に亙(わた)る20年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託(たく)して滅びゆき、コピー自体がオリジナルとなるのである』(『文化防衛論』)
 これは、先に引用した古林との対談において三島が述べた『今上天皇はいつまでも今上天皇です。つまり、天皇の御子様が次の天皇になるとかどうかという問題じゃなくて、大嘗会と同時にすべて天照大御神と直結しちゃうんです』という言葉とまさに直結している。
 三島は本論で、和辻哲郎津田左右吉らの論説を紹介しつつ、和辻の日本国家が分裂解体していた時代においても天皇は厳然として存在していたのだから、『(天皇は)国家とは次元の異なるものと見られなくてはならない。したがってその統一は政治的な統一ではなくして文化的統一なのである』『文化共同体としての国民或いは民衆の統一、それを天皇が象徴するのである。日本の歴史を貫いて存する尊皇の伝統は、このような統合の自覚に他ならない』という言葉を共感を込めて引用したうえで、天皇の本質を『国と民族の不分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸』であり、それを日本の歴史と文化を貫く『文化概念としての天皇』と定義する。
 このような『文化概念としての天皇』は、天皇陛下の個人的人格を越えて、『時間的連続性が祭祀につながると共に、空間的連続性は時には政治的無秩序すら容認する』。
 『「文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手を差し伸べていたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態においているときは、『国と民族との非分離』を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した」』(『文化防衛論』)
 ……
 さらに三島は、明治憲法体制以下の天皇制を次のような存在だとみなす。『祭政一致を標榜(ひょうぼう)することによって時間的連続性を充(み)たしたが、政治的無秩序を招来(しょうらい)する危険のある空間的連続性には関わらなかった』『政治概念としての天皇は、より自由でより包括的な文化概念としての天皇を、多分に犠牲に供(きょう)せざるをえなかった』
 これは、近代的国民国家の統一の象徴であった、明治時代の天皇の必然的な宿命だった。近代国家の建設の過程で、三島が考える、たとえ反逆者であれ、無政府主義者であれ、あらゆる反逆をも文化的に統合する天皇の姿は失われつつあったのである。
 『英霊の聲』における2・26事件の青年将校や特攻隊の英霊の嘆きは、日本が近代化とともに失わざるを得なかったものへの痛切な喪失感に他ならない。
 週刊誌的天皇制の域に
 そして戦後、政治概念としての天皇もいずれも無力化し、『俗流官僚や俗流文化人の対照的教養主義帰納として、大衆社会化に追随せしめられ、いわゆる「週刊誌的天皇制」の域にまでそのディグニティー(尊厳)が失墜せしめられ』た。その帰納が、先に三島が批判した天皇個人の人格にのみ、その尊厳を求めようとし、歴史も文化も切断してしまう小泉信三的な天皇観であった。
 そしてこの『週刊誌的天皇制』が、現在まさに週刊誌上において、反論権を持たぬ皇室に対するスキャンダル記事の氾濫という事態を迎えていることは言うまでもないだろう。
 三島はおそらくこのような未来を見据(みす)えたうえで、断固として文化概念としての天皇の復活を求め続けた。
 古林との対談では三島は、『文化概念としての天皇』を日本における『絶対者』と言い換え、彼の共感する思想家、ジョルジュ・バタイユを引用しつつ別の方向から説明しているので、ここでは多少私の文責で自由に引用させていただく。
 まず三島は、バタイユから受けた影響として、死とエロティシズムの類縁関係を述べている。カトリック思想の深い影響下にあったバタイユは、逆に、絶対者の秩序なくして真のエロティシズムは成立しないと考えた。三島はそれを受けて、次のように述べる。
 三島『ヨーロッパなら、カトリシズムの世界にしかエロティシズムは存在しないんです。あそこには厳格な戒律があって、そのオキテを破れば罪になる。罪を犯した者は、いやでも神に直面せざるを得ない。エロティシズムというのは、そういう過程をたどって裏側から神に達することです。(中略)だから、もし神がなかったら神の復活させなければならない。神の復活がなかったら、エロティシズムは成就(じょうじゅ)しないんですからね』
 『ぼくは、その追及が、ぼくの文学の第一義的な使命だと覚悟しているんです』
 この視点に立つ三島にとって、戦後日本におけるエロティシズムとは、そのような絶対者や秩序を失ったことから、単なる相対主義的な何の抵抗もないフリーセックスを指すに過ぎない。
 これは、エロティシズムという言葉にこだわらなければ、日本の文化状況全体について言えることである。絶対者とは言わずとも、日本の歴史と文化伝統に対する敬意が保たれていれば、逆に、その価値観に反逆する対抗文化にも力が生まれる。
 しかし、文化相対主義、もっと言えば、あらゆる伝統や歴史を軽視し、自分が感情のままに発言し制作することが言論・表現の自由だという論理が社会全体を支配してしまえば、そこには今回『表現の不自由展』で表れたような、当人の貧しい政治意識のなかでしか通用しない『作品』や、無軌道で自らの理解できない他者の存在を全否定する罵倒(ばとう)的な言動しか生まれなくなる(これは、左右いずれの立場をも問わない。いや、そのような価値相対主義の社会では、政治的立場も文化的立ち位置も、すべて相対的な『好き嫌い』にすぎないものとなっていくだろう)。
 このような文化相対主義を否定し、絶対者を確立しなければ、自らの、いや日本の文学が真の意味で日本の文化伝統を引き継ぐこともなく、またそれに反逆することも出来はしないというのが、三島由紀夫にとっての切実な文学的課題でもあったのだ。三島にとって、文化伝統としての天皇を復活することは、おのれの文学を救済する唯一の道でもあった。
 三島由紀夫と現代
 三島は相対文化主義価値観の極限を、石原慎太郎が1957年に発表した短編小説『完全な遊戯』に見出している。
 ……三島からすれば、絶対者のいない世界において、人間の自由とはその行きつく果てには、このような虚無の世界を生み出すしかないものであった。この意識は、ドストエフスキーが近代社会を『神が存在しなければ、すべてが許される』世界であると認識したことに等しい。
 しかし、逆に絶対者が存在し、人々の精神のなかにそれへの敬意がもられていえば、逆に反逆も、時として犯罪ですらも、法律や道徳を越えて歴史伝説のなかで肯定され、位置づけられるものなのだ。
 そして、相対主義の空虚な地獄のなかには、伝統から遊離した極端な原理主義的信仰やカルト宗教、歪んだルサンチマンに満ちたファシズム的運動が逆に大衆を引き付けて、毒の花を咲かせる。三島やドストエフスキーの予言した社会は、まさにいま、わたしたちの目前に現れている。
 特攻隊の真の日本的武器
 だが同時に、三島の言葉は、ここアジアにおける未来への希望としても蘇(よみがえ)り始めているのだ。三島由紀夫は1967年の段階で、川端康成安部公房石川淳らとともに、中国の文化大革命に対する抗議声明を発表し、また、68年のチェコ侵攻に対しても『自由と権力の状況』という、チェコ知識人らの『2千語宣言』を高く評価する文書を発表している。
 そして、いま現在、ウイグルチベット中国共産党政府が行っている弾圧と、各民族の抵抗運動は、三島の言説の正しさを逆に証明しているように思える。
 三島は、文化概念としての天皇を守るためにも、一切の容共政権に反対し、議会制民主主義を限定的ではあるが認めた。逆に言えば、議会制民主主義が大衆民主主義に堕(だ)し、さらには悪(あ)しきポピュリズムに陥(おちい)らぬためにも、歴史伝統の維持と、文化統合の象徴としての天皇の存在は不可欠なのである。
 これはmダライ・ラマ法王の存在あってこそ、たとえ国を失ってもチベットという文化概念は決して滅びることはなく、内外のチベット人のなかに生き続けるという点では、チベット問題と共通の構造を持つ。
 その意味では、ダライ・ラマ法王のチベット帰還(それは実質的なチベットの共産中国からの民族自決権の回復と文化的独立であり、だからこそ中国政府は決して許可しないのだが)を求めて焼身抗議を決行し、自らの命を賭すチベット人たちは、それがいかに痛ましい犠牲であったとしても、チベット人アイデンティティに殉(じゅん)じ、中国の支配下を脱して、チベットの文化伝統のなかに還(かえ)っていったのだ。
 三島は大東亜戦争について、……」
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 歴史的事実として、生物に寿命があるように、国家や民族、宗教や文化そして伝統にも寿命がある。
 当然、日本天皇、日本国、日本民族日本人、日本文明、日本文化、日本神道にも寿命がある。
 ただし、日本列島がある限り日本国家と日本国民日本人には寿命はない。
 つまり、血統・血筋の世襲制天皇制度がなくても日本国家と日本国民日本人は永遠に存在・生き続ける。
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 保守派や右翼・右派・ネットウヨクが全て天皇擁護派とは限らず、天皇打倒派や反天皇反日的日本人が本心を隠し偽って潜んでいる。
 突き詰めれば、熱心な天皇擁護派は1割、対する天皇打倒派・天皇廃止派・皇室嫌悪派などが2割、付和雷同して扇動されやすい中間派・無関心派が7割。
 それ故に世論調査をすれば、男系天皇堅持が2割、女子天皇女系天皇推進派と女系宮家創設が7割強である。
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 昔から、天皇・皇族・皇室は、国内外の反天皇反日テロリストに命を狙われている。
 日本人共産主義者テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺しようとしてつけ狙っていた。
 反天皇反日テロリストとは、完全排他な過激派共産主義者・偏狭的マルクス主義者と絶対不寛容なキリスト教原理主義者そして血に餓えた狂信的なカルト宗教の事である。
 彼らは、天皇・皇族・皇室はもちろん日本民族日本人が歩み生きてきた歴史・伝統・文化・宗教・その他全てをこの世から抹殺し、地上から跡形もなく綺麗サッパリと消滅させようとしている。
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 日本を支配する空気・空気圧・同調圧力には、私的俗欲強欲に塗れた政治権力、宗教権威、公的無私無欲で神聖不可侵の天皇の御威光・御稜威・大御心の三つが存在する。
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 日本の世襲や家族主義は、日本神道・日本仏教・日本儒教・その他の交わりで成り立っていて、中華儒教による中国や韓国・北朝鮮世襲や家族主義とは根本的に異なる。
 では、何処がどう違うかと言えば、日本では中国や韓国のように権力者の家族・身内・親族で贈収賄などの不正をはたいて金儲けする者は少なかった。
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 天皇・皇族・皇室は、日本国憲法で人権・自由・プライバシーなどが奪われ、私有財産皇室経済法によって原則的に没収されている。
 現代のメディアは、天皇・皇族の一挙手一投足を事細かく白日の下に晒して報ずる事で、悪意に近い敵意に満ちた監視を続けている。
 特に、国民の間に俗悪・醜悪な関心事を持たせようとしているのが、皇室費宮廷費内廷費天皇の財布、皇族の生活費などの金銭情報である。
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 現代日本を洗脳し日本国を動かしているのは、政治家や官僚ではなくメディア関係者である。
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 王侯貴族は、キリスト教圏では王権神授説(帝王神権説)であり、立憲君主制では社会契約説であり、共和制では近代法律であり、黄河文明儒教圏では天帝説・人徳論である。
 絶対神に信認されれば、キリスト教会が承認すれば、フランス人でもイギリス国王に即位できた。
 国民・市民、民衆・大衆・人民との君臣契約が成立すれば、ドイツ人でもイギリス国王に即位できた。
 天帝が人徳者と認めれば、中国人が平伏して「天の子(天子)」として忠誠を誓えば、儒教は「天の理」に従いモンゴル人やチベット人あるいはウイグル人でも中国の中華皇帝と認めた。
 絶対主義価値観による王権神授説・社会契約説・天帝説などの人類的世界的大陸的な統治理論では、能力ある優れた支配者のみが評価され、血を唯一絶対の正統性とする世襲制を否定し滅ぼした。
 優れた支配者に必要な能力は、「生きている」間の安定と安全を保障し富を配分する政治・外交・軍事などの実力行使であって、「死んだ」後の安心・安らぎをもたらす宗教の神事・祭事・儀式ではなかった。
 現代日本現代日本人が目指す、理想な開かれた皇室や男女同権による女性天皇女系天皇容認とは、そうしたグローバル的姿である。
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 歴史的事実として、国民は自由に国王を退位させるし、気にくわなければ国王・王妃を犯罪者として公開処刑した。
 中国では、廃止した王朝の一族全員を虐殺して地上から消し、その血筋が2度と復活しないように根絶した。
 故に、血筋・血統による世襲制は存在しない。
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 日本国憲法の隠された目的の一つは、天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の消滅である。
 マッカーサーは、昭和天皇の発言と行動に感銘を受けて、アメリカや世界が求めた昭和天皇を戦犯として裁き有罪として、退位させ、処刑するか追放する事を阻止して、昭和天皇を命を守ったが、将来にわたって天皇制度・天皇家・皇室を存続させる意思はなかった。
 護憲派は、天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の消滅という目的の為に存在し、その目的を成功させる為に活動を続けている。
 つまり、彼らは親米派である。
 反天皇反日的日本人の一部が護憲派に忍び込んでいる。
 反天皇反日的日本人には、不寛容の宗教的な、排他のイデオロギー的、虫酸が走る感情的の3種類が存在する。
 日本に於ける、多数派とは天皇擁護派であり、少数派とは天皇打倒派である。
 帰化人は天皇擁護派であり、渡来人は天皇打倒派である。
 現代の歴史は、反天皇反日的渡来人をクローズアップし、親天皇親日帰化人を切り捨てている。
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 天皇擁護派の中に、最下層民であった貧しい庶民(百姓や町人)、差別された芸能の民(歌舞伎役者・曲芸師・傀儡師・その他)、忌避された賤民(非人・エタ・河原乞食)、軽蔑された部落民(海の民・山の民・川の民)らがいた。
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 反天皇反日的日本人は、共産主義者マルクス主義者)同様に目的の達成の為には嘘も付くし相手を騙すような行動も平気で行う。
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 反天皇派高学歴出身知的エリートによって、明治天皇から昭和天皇が関与した歴史的人道貢献、日本人が奴隷として売り買いされいた、昭和天皇や皇族が惨殺されかけた、という幾つかの歴史的重大事件が意図的に抹消されている。
 現代日本で流布されている、日本史や東アジア史(中国史・韓国史朝鮮史など)は嘘が多い。
 子供たちが教えられている歴史教科書は、悪意に満ちた改竄・捏造・歪曲が施された欠陥だらけの教科書である。
 将来的、反天皇反日的に教育された多くの子供がどういう行動に走る・暴走するは分からない。
 彼らは、ソ連中国共産党などの共産主義マルクス主義)勢力が行った大虐殺を認めず非難せず、血の池や死体の山から目を逸らし、子供たちに知らせないように共産主義マルクス主義)社会と言う醜悪な理想社会を吹聴し、そして洗脳している。
 それが、国際社会が日本国内の少数民族と認めている琉球人(沖縄県民)やアイヌ人の間に広まり、琉球人やアイヌ人の反天皇反日独立派を後押ししている。
 彼らが目指しているのは、天皇制度廃絶と天皇・皇族・皇室の消滅、そして日本解体である。
 中国共産党・中国軍は、極秘に彼らを支援し、活動資金を与えている。
 日本国内には、外国人移民として中国人移民が増え始めている。
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 日本は、古代から日本を侵略しようとする反日派敵日派諸国に包囲されてきた。
 それが、中華の中国や朝鮮であり、キリスト教のロシアであり、共産主義マルクス主義ソ連中国共産党であった。
 そして、そうした敵日外国勢力に味方する反天皇反日的日本人達が少なからず存在してきた。
 その実例が、昭和天皇や皇族を惨殺しようとした日本人共産主義者テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストである。
 国民世論は、反対も賛成も明確にせず、事勿れ主義的、我関せず的に沈黙、あるいは黙殺していた。
 沈黙は、賛成であって、反対ではない。
 沈黙の不同意、沈黙して反対する、などありえない。
 心ある日本民族日本人は、その事実を忘れるべきではない。
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